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第1部
フェーズ1-7
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次の日曜日に、私は涼に正木さんのことを打ち明けた。正木さんは瀬谷さんの友だちで、大学の学園祭で知り合ったこと。給湯室での会話をどこからかはわからないけれど聞かれて、私と涼の関係を疑われていること。
涼はソファで脚を組み、雑誌を読みながら私の話に耳を傾けていた。雑誌といってもファッション誌とはかけ離れていて、深海のような色をした表紙に写真は一切なく、大小のサイズの文字がズラズラと並んでいる。右上に号数が見えたので、かろうじて雑誌とわかった。特集は『できる外科医のオペ記録』。
「あと、冗談だと思うけど、恋してる目だって言われた」
その難しそうな記事を読みつつ、私の話も頭に入っているというのか。
「たぶん本当。俺を見るときの彩の目はいつもハートになってる」
「な、なってない!」
涼までそんなこと言うなんて。二人とも私をからかってるの? それともまさか本当に? もし本当だったら私のせいでみんなにバレてしまう。
「大学生一人くらい知られても大丈夫だろ」
以前にも考えた、週刊誌の悪い見出しを再び想像してしまう。
「悪いことはしてない。堂々としていればいい」
「それはそうなんだけど……」
悪いことはしてない。好きだから付き合っているだけ。当人たちはそのつもりでも、まわりの目にはどう映るだろう。理解してもらえるとは限らないのでは。
「それよりあいつ、お前に気があるんじゃないのか」
鋭い。説明したのは出会いだけで、そのあとに書店で偶然会ってデートに誘われたことや、学校の帰りに待ち伏せされたことまでは話してないのに。
「実は、付き合おうって言われた」
涼が顔をしかめた。意外な反応を受けて、私は慌てて弁解する。
「ちゃんと断ったから! 好きな人がいて付き合ってることも伝えたから」
「ならいいけど。モテるね、彩ちゃん」
「知り合ったばかりだし、ノリで言ってるだけだと思う。軽そうだし」
「そうでもないんじゃないか」
「え?」
涼が読んでいた雑誌を閉じてテーブルに置いた。息を吐きながら首と肩を大きく回している。さっき昼食を兼ねた遅い朝食を済ませて、そろそろ眠くなってくる頃合いだろう。でも今日の涼はなんだかいつも以上に眠そうだ。
「疲れてる?」
「昨夜呼び出しがあって、あまり寝てない」
「寝たほうがいいよ。私のことなら気にしないで」
ただでさえ毎日大変な仕事なのに、その上寝不足だなんて心配になる。休日はしっかり休んでほしい。話したり触れ合ったりしなくても、そばにいられればいい。
「もう少し起きてる」
涼がそう言うから、そのままソファで一緒にくつろいだ。なんとなくテレビを眺めたり、私が学校や友だちの話をしたりした。涼は仕事の話はあまりしない。訊けば答えてくれるけれど、自分から話すことはほぼない。患者や診療について私に話すわけにはいかないもんね。
そのうちに、涼が私にもたれかかってきた。限界らしい。
「ちゃんとベッドで寝たほうがいいよ。そのほうが疲れも取れるだろうし」
「一緒に寝る?」
本気とも冗談ともつかない言い方に、ドキンと胸が高鳴った。
「大丈夫大丈夫。まだ何もしないから」
まだ、なんだ。そうだよね。いつかは。こうして部屋にきてる時点で覚悟は必要なんだと思う。でも、覚悟なんかしなくても私、涼なら……。
誘われるままベッドに入ってしまった。何もしないと言われても、やっぱり緊張してしまう。だって私は今、向かい合う形で涼とひとつのベッドで横になっていて、すぐ目の前に涼の顔がある。
「彩がそばにいると安らぐよ」
私はドキドキしてるのに涼はこの落ち着きよう。大人の余裕かな。
「あのときも思ったんだ。なんか安心するって」
喋り方がゆっくりになってきた。もう寝てしまいそう。
「あのとき?」
「ん……」
規則正しい涼の息遣いが聞こえる。それは次第にゆっくりになっていき、寝息に変わった。もう寝ちゃったんだ。相当疲れてるんだ。あのときっていつのことだろう。
手で涼の唇に触れてみる。今までどれだけの女性の唇に触れてきたのだろう。あの優しいキスを、私以外の何人の女性に与えたのだろう。涼を独り占めしたくて、過去にまで嫉妬してしまう。子どもだな、私。
そんなことを考えているうちに、気持ちがだんだん落ち着いてきた。涼の匂いもなんだか心地いい。安らぐってこういうことかもしれない。
私だけ目が覚めた。サイドテーブルの置時計で時間を確認する。三十分ほど眠ったようだ。涼はまだ夢の中にいる。お疲れの涼にはこのまま眠っててもらおう。私はそっとベッドから出た。
今のうちに買い物に行ってご飯を作ろうか。いつもは夕方に二人でマンションを出て、買い物をしてからどこかで外食をする。ファミリーレストランだったりイタリアンだったり。食事のあと、車で送ってもらって家に帰る流れだ。今日は特に疲れてるようだから、出かけずに家で食べられるならそのほうがいいだろう。それに毎回ごちそうしてもらうのも申し訳ない。お礼の意味も込めて今日は私が作ろう。
キッチンを見せてもらう。涼は基本的に自炊をしないから、最低限のものしかない。冷蔵庫の中は飲みものばかりだ。調理器具と調味料もチェックして、作れそうなものを考える。忙しい涼は、平日は昼も夜もコンビニ弁当を食べているらしい。栄養が偏ってる。ちゃんとしたものを食べさせよう。
涼はソファで脚を組み、雑誌を読みながら私の話に耳を傾けていた。雑誌といってもファッション誌とはかけ離れていて、深海のような色をした表紙に写真は一切なく、大小のサイズの文字がズラズラと並んでいる。右上に号数が見えたので、かろうじて雑誌とわかった。特集は『できる外科医のオペ記録』。
「あと、冗談だと思うけど、恋してる目だって言われた」
その難しそうな記事を読みつつ、私の話も頭に入っているというのか。
「たぶん本当。俺を見るときの彩の目はいつもハートになってる」
「な、なってない!」
涼までそんなこと言うなんて。二人とも私をからかってるの? それともまさか本当に? もし本当だったら私のせいでみんなにバレてしまう。
「大学生一人くらい知られても大丈夫だろ」
以前にも考えた、週刊誌の悪い見出しを再び想像してしまう。
「悪いことはしてない。堂々としていればいい」
「それはそうなんだけど……」
悪いことはしてない。好きだから付き合っているだけ。当人たちはそのつもりでも、まわりの目にはどう映るだろう。理解してもらえるとは限らないのでは。
「それよりあいつ、お前に気があるんじゃないのか」
鋭い。説明したのは出会いだけで、そのあとに書店で偶然会ってデートに誘われたことや、学校の帰りに待ち伏せされたことまでは話してないのに。
「実は、付き合おうって言われた」
涼が顔をしかめた。意外な反応を受けて、私は慌てて弁解する。
「ちゃんと断ったから! 好きな人がいて付き合ってることも伝えたから」
「ならいいけど。モテるね、彩ちゃん」
「知り合ったばかりだし、ノリで言ってるだけだと思う。軽そうだし」
「そうでもないんじゃないか」
「え?」
涼が読んでいた雑誌を閉じてテーブルに置いた。息を吐きながら首と肩を大きく回している。さっき昼食を兼ねた遅い朝食を済ませて、そろそろ眠くなってくる頃合いだろう。でも今日の涼はなんだかいつも以上に眠そうだ。
「疲れてる?」
「昨夜呼び出しがあって、あまり寝てない」
「寝たほうがいいよ。私のことなら気にしないで」
ただでさえ毎日大変な仕事なのに、その上寝不足だなんて心配になる。休日はしっかり休んでほしい。話したり触れ合ったりしなくても、そばにいられればいい。
「もう少し起きてる」
涼がそう言うから、そのままソファで一緒にくつろいだ。なんとなくテレビを眺めたり、私が学校や友だちの話をしたりした。涼は仕事の話はあまりしない。訊けば答えてくれるけれど、自分から話すことはほぼない。患者や診療について私に話すわけにはいかないもんね。
そのうちに、涼が私にもたれかかってきた。限界らしい。
「ちゃんとベッドで寝たほうがいいよ。そのほうが疲れも取れるだろうし」
「一緒に寝る?」
本気とも冗談ともつかない言い方に、ドキンと胸が高鳴った。
「大丈夫大丈夫。まだ何もしないから」
まだ、なんだ。そうだよね。いつかは。こうして部屋にきてる時点で覚悟は必要なんだと思う。でも、覚悟なんかしなくても私、涼なら……。
誘われるままベッドに入ってしまった。何もしないと言われても、やっぱり緊張してしまう。だって私は今、向かい合う形で涼とひとつのベッドで横になっていて、すぐ目の前に涼の顔がある。
「彩がそばにいると安らぐよ」
私はドキドキしてるのに涼はこの落ち着きよう。大人の余裕かな。
「あのときも思ったんだ。なんか安心するって」
喋り方がゆっくりになってきた。もう寝てしまいそう。
「あのとき?」
「ん……」
規則正しい涼の息遣いが聞こえる。それは次第にゆっくりになっていき、寝息に変わった。もう寝ちゃったんだ。相当疲れてるんだ。あのときっていつのことだろう。
手で涼の唇に触れてみる。今までどれだけの女性の唇に触れてきたのだろう。あの優しいキスを、私以外の何人の女性に与えたのだろう。涼を独り占めしたくて、過去にまで嫉妬してしまう。子どもだな、私。
そんなことを考えているうちに、気持ちがだんだん落ち着いてきた。涼の匂いもなんだか心地いい。安らぐってこういうことかもしれない。
私だけ目が覚めた。サイドテーブルの置時計で時間を確認する。三十分ほど眠ったようだ。涼はまだ夢の中にいる。お疲れの涼にはこのまま眠っててもらおう。私はそっとベッドから出た。
今のうちに買い物に行ってご飯を作ろうか。いつもは夕方に二人でマンションを出て、買い物をしてからどこかで外食をする。ファミリーレストランだったりイタリアンだったり。食事のあと、車で送ってもらって家に帰る流れだ。今日は特に疲れてるようだから、出かけずに家で食べられるならそのほうがいいだろう。それに毎回ごちそうしてもらうのも申し訳ない。お礼の意味も込めて今日は私が作ろう。
キッチンを見せてもらう。涼は基本的に自炊をしないから、最低限のものしかない。冷蔵庫の中は飲みものばかりだ。調理器具と調味料もチェックして、作れそうなものを考える。忙しい涼は、平日は昼も夜もコンビニ弁当を食べているらしい。栄養が偏ってる。ちゃんとしたものを食べさせよう。
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