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第1部
(回想)フェーズ0-1
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今日は風も冷たい。屋上に干された洗濯物のシーツが、バサバサと荒い音を立ててなびいている。その音に交じって主治医の声が聞こえた。
「何してるんだ、こんなところで」
手すりに寄りかかっていた私は振り返った。先生が自ら屋上に探しにきてくれるとは思わなかった。眉を吊り上げてあきらかに怒っている、なんてことはなく、いつもの穏やかな表情だった。ひとまず安心した。
検温の時間に私がベッドにいないと報せを受けたのだろう。先生は優しいから、もちろん私でなくてもこうして探しにきたはず。自惚れてはいけない。わかってるのに気持ちが抑えられない。
「退院、したくないです」
もうすぐ見納めになるはずの、大好きな白衣姿のその人を見つめる。入院した頃は、早く退院したいと思っていた。早く手術を終えて家に帰りたいと。それが今では真逆だ。
「どうして」
それ以上は説明することができなくて、私は口をつぐんだ。
黙り込む私に先生が近づいてくる。歩きながら白衣を脱ぐと、冷えた私の肩に羽織らせてくれた。あったかい。今の今までこの人を包んでいた白衣に包まれ、胸がきゅっとなる。消毒液の匂いに混じって、ふわりと彼の匂いがした。なんだか心地よくて安心する匂いだ。
「ここは冷えるから中で話そう。おいで」
子どもに言い聞かせるように先生が言った。私に背を向けて院内に戻ろうとする。どうしよう、行ってしまう。彼の背中に私は無我夢中で叫んだ。
「先生に会えなくなるのが嫌だからです!」
振り返った先生は驚いたように目を見開いている。当然だ。患者にこんなことを言われても困るだけ。きっと迷惑でしかない。もういい。どうせ無理なんだ。叶うはずがない。最初からわかっていたのに馬鹿みたい。恥ずかしくて悲しくて、ひどく惨めだ。涙が出てくる。あきらめるしかないんだ。その前に、最後にひとつだけお願いをさせてほしい。
「おとなしく退院するから、最後に、抱きしめてくれませんか」
一度その腕に抱きしめてもらえたら、それで満足。思い残すことはない。きっとあきらめられる。でももしかしたらそれすらも叶えてもらえないかもしれない。それほどに私とこの人の壁は高くて分厚い。
ゆっくりと先生が近づいてくる。その口から聞かされるんだ。現実を受け入れざるを得ない、拒絶の言葉を。私の腕に彼の手が伸びる。このまま連れ戻される――思わず体をこわばらせた瞬間、唇に柔らかい感触が押し当てられた。
何が起きたのかすぐにはわからなかった。私は抱きしめられたのではなく、先生にキスされた。
「泣きわめいてないし、セリフも違うんだけど」
「そうだっけ?」
思い出して顔を赤くする私を、涼は楽しそうに眺めていた。
あれが私のファーストキスだった。そのあとのことはよく憶えていない。呆然としている間に涼に病棟に連れてこられて、気づけば看護師さんに引き渡されていた。看護師さんも私を怒るわけでもなく心配してくれて、私はお騒がせしてしまったことを謝った。自分のベッドに戻った私は、さっきのあれはなんだったのだろうと、繰り返し思い返していた。
涼がどういうつもりで私にキスしたのかわからなかった。実は今でもよくわからない。退院したくないと駄々をこねる私を黙らせるためにしたんだと思っている。だとしたら今こうして彼の部屋で並んでソファに座っているのはなぜなんだろう。訊いてみようかな。
「あの、どうしてあのとき……」
「ん?」
口を開きかけて、私は思いとどまった。
「ううん、やっぱりいい」
やめておこう。はっきりしてしまうのは怖い。知らなければ夢を見ることができる。私としたくてしてくれたのだと。あれからも何度かしてるんだし。
「何してるんだ、こんなところで」
手すりに寄りかかっていた私は振り返った。先生が自ら屋上に探しにきてくれるとは思わなかった。眉を吊り上げてあきらかに怒っている、なんてことはなく、いつもの穏やかな表情だった。ひとまず安心した。
検温の時間に私がベッドにいないと報せを受けたのだろう。先生は優しいから、もちろん私でなくてもこうして探しにきたはず。自惚れてはいけない。わかってるのに気持ちが抑えられない。
「退院、したくないです」
もうすぐ見納めになるはずの、大好きな白衣姿のその人を見つめる。入院した頃は、早く退院したいと思っていた。早く手術を終えて家に帰りたいと。それが今では真逆だ。
「どうして」
それ以上は説明することができなくて、私は口をつぐんだ。
黙り込む私に先生が近づいてくる。歩きながら白衣を脱ぐと、冷えた私の肩に羽織らせてくれた。あったかい。今の今までこの人を包んでいた白衣に包まれ、胸がきゅっとなる。消毒液の匂いに混じって、ふわりと彼の匂いがした。なんだか心地よくて安心する匂いだ。
「ここは冷えるから中で話そう。おいで」
子どもに言い聞かせるように先生が言った。私に背を向けて院内に戻ろうとする。どうしよう、行ってしまう。彼の背中に私は無我夢中で叫んだ。
「先生に会えなくなるのが嫌だからです!」
振り返った先生は驚いたように目を見開いている。当然だ。患者にこんなことを言われても困るだけ。きっと迷惑でしかない。もういい。どうせ無理なんだ。叶うはずがない。最初からわかっていたのに馬鹿みたい。恥ずかしくて悲しくて、ひどく惨めだ。涙が出てくる。あきらめるしかないんだ。その前に、最後にひとつだけお願いをさせてほしい。
「おとなしく退院するから、最後に、抱きしめてくれませんか」
一度その腕に抱きしめてもらえたら、それで満足。思い残すことはない。きっとあきらめられる。でももしかしたらそれすらも叶えてもらえないかもしれない。それほどに私とこの人の壁は高くて分厚い。
ゆっくりと先生が近づいてくる。その口から聞かされるんだ。現実を受け入れざるを得ない、拒絶の言葉を。私の腕に彼の手が伸びる。このまま連れ戻される――思わず体をこわばらせた瞬間、唇に柔らかい感触が押し当てられた。
何が起きたのかすぐにはわからなかった。私は抱きしめられたのではなく、先生にキスされた。
「泣きわめいてないし、セリフも違うんだけど」
「そうだっけ?」
思い出して顔を赤くする私を、涼は楽しそうに眺めていた。
あれが私のファーストキスだった。そのあとのことはよく憶えていない。呆然としている間に涼に病棟に連れてこられて、気づけば看護師さんに引き渡されていた。看護師さんも私を怒るわけでもなく心配してくれて、私はお騒がせしてしまったことを謝った。自分のベッドに戻った私は、さっきのあれはなんだったのだろうと、繰り返し思い返していた。
涼がどういうつもりで私にキスしたのかわからなかった。実は今でもよくわからない。退院したくないと駄々をこねる私を黙らせるためにしたんだと思っている。だとしたら今こうして彼の部屋で並んでソファに座っているのはなぜなんだろう。訊いてみようかな。
「あの、どうしてあのとき……」
「ん?」
口を開きかけて、私は思いとどまった。
「ううん、やっぱりいい」
やめておこう。はっきりしてしまうのは怖い。知らなければ夢を見ることができる。私としたくてしてくれたのだと。あれからも何度かしてるんだし。
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