ドクターダーリン【完結】

桃華れい

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第1部

フェーズ1-1

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 パソコンの液晶モニターに表示されている検査結果よりも、それを見つめる医師に魅入っていた。
 私の主治医の神河かみかわ涼先生、二十九歳。ここ、臨海総合病院の外科医だ。身長百八十三センチの長身に、つやつやの黒髪、そしてこの整った顔立ち。白衣は三割増しでかっこよく見えると言われるけれど、この人の場合は元がいいから特にかっこいい。
「問題なし」
 診断が下り、私はほっと胸を撫で下ろした。
 私が手術を受けたのは、今から約一カ月半前の三月だ。術後二週間ほど入院して、四月の初めに退院した。今日は退院後の初回外来受診だ。
「いつも言ってるけど、体調に少しでも異変があったら言えよ」
 診察室の裏にいる看護師さんたちに聞こえないように、声を抑えて彼が言った。主治医としてではない親しげな言葉に心が躍る。
「うん」
 彼は私の主治医であり、そして恋人でもある。でもそのことは周囲には秘密なのだ。なぜなら私は彼の患者で、さらに十七歳の高校生だから。今も学校が終わってそのまま診察にきたから制服姿だ。医者が患者と付き合うだけでも問題なのに、相手が未成年でしかも高校生なんて御法度のはず。病院にバレたらきっと問題になる。そんな迷惑は絶対にかけたくない。
「次回は三カ月後の八月な」
「夏休みだから、いつでも大丈夫です」
とどっか行かないの」
 そのが何か言ってる。
「忙しい人なので」
 合わせると彼が申し訳なさそうに微笑んだ。
「あまりかまってやれなくてごめんな」
 また声を抑えて言った。私はぶんぶんと首を横に振った。彼は本当に忙しい。先日のゴールデンウィークも、急に病院から呼び出されてデートがキャンセルになった。医者なのだから仕方ない。付き合えるだけで幸せだからいいの。
「じゃあ、気をつけて帰って」
「ありがとうございました」
 診察が終わった。私は一礼をしてから席を立った。
「あ、伊吹いぶきさん」
 パソコンでカルテを入力していた彼が、手を止めてこちらを見た。名字で呼ばれるのは久しぶりで、逆になんだか照れくさい。
「お大事に」
 自然と口角が上がった。診察室から出ようと扉に手をかけようとしたとき、後ろからパタパタと足音が近づいてきた。
「涼、ちょっとこれ見てくれない?」
 振り返ると白衣姿の女の人が彼に書類を見せていた。とてもきれいな人だ。ダークブラウンのロングヘアを後ろでひとつに束ねている。顔は小さく、背が高くて脚も長い。まるでモデルさんみたい。この先生も外科医なのだろうか。私が入院していたときには一度も見かけなかった。それより気になるのは――。
 彼が私を見て小さく頷いた。私はスライド扉を開けて診察室をあとにした。
 どうして呼び捨てなんだろう。通路を歩きながら私はもやもやしていた。親しげだった。呼び捨てなのも、慣れている感じがしてごく自然だった。私はいまだに「先生」と呼びそうになるのに。何よりあんなにきれいな人。入院していたときに彼に恋人がいるならこんな人だろうな、とイメージしていた女性そのものだった。


「呼び捨て?」
 ドーナツを一口頬張った愛音あいねが聞き返した。
 放課後のドーナツチェーン店は、制服姿の学生客でにぎわっている。親友の愛音が報告したいことがあるからと学校帰りに寄った。先に昨日の診察についての話題を振られたから、帰り際の出来事を相談してみた。
「そう。なんか親しげだった」
 私と涼のことは、愛音にだけは話してある。彼女は私が入院している間、何度もお見舞いにきてくれて、彼と顔を合わせたこともある。
「新しくきた先生っぽいのに呼び捨てってことは、もともと知り合いだったんじゃない? 大学か研修先が同じだったとか。それだったら下の名前で呼び合うこともあるのかもよ。医者を目指す同志ってことで」
「なるほど」
「元カノの線もなくはないけど」
 あえて口にしなかったその可能性を指摘されて、心が重くなった。
「本人に訊いてみたら」
 本当に元恋人だったら、かなりのショックを受けると思う。あんなにきれいな人で、しかも一緒に働いているなんて気が気でない。
 落ち込む私に愛音がさらに追い打ちをかける。
「でもさ、浮気は覚悟しておいたほうがいいと思う」
 私はウーロン茶を飲む手を止めた。
「そう、かな」
「だって顔はいいし、背は高いし、医者だし、お金持ってるし、モテないわけないじゃん」
 そう、涼は完璧で、私とはかけ離れすぎていて、好意を持つことがおこがましいと感じるほどだった。だけど、私が涼を好きになったのは、外見や彼のステータスからではない。病気がわかり手術をすることになって、一番つらかったときに励ましてくれたからだ。そんなの医者として当たり前のことかもしれない。それでも優しくされるたびに、好きな気持ちはどんどん強くなっていった。
「もし浮気されたら、どうする?」
 浮気以前に涼が本当に私のことを好きでいてくれてるのかも、正直言って自信がない。彼はいつも優しくて私を不安にさせるようなことはしないけれど、あんなすべてを持ち合わせた完璧な人が、高校生の私を本気で相手にするだろうかという疑問が、常に心の中にある。それを言葉にはしたくなくて、私は愛音の話の本題を聞くことにした。
「愛音の話は?」
「ああ、そうそう。あのね、私、彼氏できた」
「え、あの大学生?」
「そう。なんとデートに誘われちゃった。彼のほうから」
「おめでとう!」
 私たちが通う高校のすぐ隣には系列の大学がある。その大学の学生に、電車の中で一目惚れをして片思いをしていると、愛音が以前に話してくれたことがあった。いろいろと試行錯誤をしながらアプローチしていたことも聞いている。それらが実を結んだんだ。
「これで私も彼氏持ち」
 愛音がうれしそうに顔の横に両手でピースサインを作った。自分のことのようにうれしくなる。片思いのせつなさは、私も最近嫌というほど味わったばかりだ。
「今月に大学の学園祭があるらしいんだけど、一緒に行かない? 紹介したいから」
「うん、わかった」
 どんな人なんだろう。私は電車ではなくバス通学だし、隣とはいえ高校と大学の正門は離れているから、会ったことはない。学園祭が楽しみだ。
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