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第4部 漫画・出版史
文具もたまにはカッコつける~ケシカスくん大長編~
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じーさんに次ぐコロコロの看板ギャグ「ケシカスくん」でも1年~数年ペースで大長編を行っていたことがある。
毎回95~96ページほどかかれるじーさん大長編とは違い、こちらはだいたい32ページ前後。じーさん大長編の3分の1ほどのページ数ではあるが、コロコロのギャグマンガが基本1話あたり15ページ前後であることを考えれば倍以上なので十分長編である(しかもケシカスは基本それより少ない12ページ前後なので約3倍弱である)。
じーさん大長編がメッセージ性が強い作風であるのと同じようにケシカスの長編にもメッセージ性がある場合が多い。じーさん大長編が読者に対してこれからの人生を生きる上でずっと大切なことを教えるような作風に対し、ケシカス大長編は子供たちが「今」を生きる上で大切なことをテーマとすることが多い。基本的に街や家でのじーさんと孫の出来事を描くじーさんに対して、ケシカスは学校での話をメインとし、じーさんの孫が友達とのやり取りがほぼないのに対して、ケシカスのボウズは学校のシーンをメインとする分それが多く描かれているため、ボウズは「等身大の現代小学生」舞台は「現代小学生社会の縮図」と言えるので「今を生きる子供たちへの今大切なメッセージ」を描くのがしっくりくるのは間違いない。
例えば4巻収録の第2弾「はじめてのおつカス」では学校にこっそりゲームを持ってきて盛り上がるクラスメイトのワルオたちの輪にゲームを持ってないために入れなかったボウズがソフトを盗んでしまい、攻められるのが怖くて学校にいけないボウズに代わってケシカスがソフトをこっそり戻すために単身学校に向かうというストーリー。
物語の中ではケシカスの目線から描かれた街並みが描かれており、転がってくる空き缶や待ち構えている凶暴な犬、そしてなぜか二度も出くわすヘビなどの困難を乗り越えながら学校にむかうまでが描かれている。歩道橋や人混みなど普通の人間なら大した困難ではない部分も小さなケシカスにとっては命がけの冒険。ケシカスとしても身を削って苦労を味わうことによって自分が「井の中の蛙…もといカス」であったことに気づき始め、これが後半へのキーとなっていく。
ボロボロになりながらボウズのために学校へひとり向かうケシカスの様子からはケシカスの「主人のために働く礼儀」を強く感じることができる。普段は迷惑かけてばかりだが、誰よりも持ち主であるボウズのことを思っているのだ。ドラえもんのジャイアンしかり、大長編でいいヤツになるキャラはコロコロの伝統か。
その後ケシカスが勝手に盗んできたゲーム機本体を取り返しに来たワルオたちにまたも謝ることのできないボウズに対してケシカスは自身の身を削った冒険から「一度や二度の失敗であきらめるな」「オレは身を削って大海を歩いた」と説いてボウズはワルオたちに本体を返し、ワルオたちも「ゲームを持ってないボウズをほっといて悪かった」と許してくれ、ボウズをゲームにさそってくれた。
このクライマックスシーンでこの回の最大のテーマである「一度や二度の失敗であきらめるな」「悪いことをしたらきちんと謝る」という子供たちの人生で特に大切と言っても過言ではないことが描かれている。
ケシカスがボウズに思いを説くシーンではイメージ画像として先生に怒られたり、試験に不合格になったり、学校のトイレで大をしてバカにされたりと子供たちに立ちはだかり、後に引きずるであろう困難が描かれており、これらはケシカス、そして村瀬先生から子供たちへの「これぐらいでへこたれるな!」という強いメッセージであることが見て取れる。
もうひとつ、友達付き合いをテーマとして描かれたのが8巻の「キミは消えてないか!?」
休み時間にサッカーをしていた際にオウンゴールしてしまったために以降ワルオたちからはぶられてしまったボウズがその悔しさで「サッカーなんか嫌いだ」といらぬ強がりを言ってしまい、久しぶりに誘われた際も「サッカーなんてつまらない」と言ってしまってそのまま完全に仲たがいしてしまう。
その後ボウズは親の都合で転校が決まり、これでワルオたちも悲しむだろうと思いきや一切構わずサッカーを楽しんでいた。だがボウズは自分が消えていることに気づいて最後はまた仲間に入れてほしいとワルオに頼んで仲直り。
「許しあえるのが本当の友達」「独りよがりでいても自分が消えていくだけ」という子供時代はもちろん、大人になってからも大切なことが描かれている。それを「休み時間のサッカー」というターゲット層にわかりやすい題材をとることにより、さらに共感しやすくなっている。
一方3巻収録の第1作では後のテーマと打って変わって「ボウズの両親の離婚の危機」というコロコロにして異色のテーマが描かれた。
ケシカスたちはボウズとともに離婚を食い止めるために市役所に向かい、ケシカスは消せないはずのボールペンで描かれた離婚届の字を消す。その様子を見て両親はボウズとの家族の思い出を思い出し、離婚を思いとどまった。
「離婚はボウズのため」と考えていた両親に対して「オレたちは持ち主の体温を感じながら生きてるのに息子の手を握らずにわかったふりしてんじゃねー」とボールペンの字に立ち向かっていくケシカスからもおつカスと同じく「持ち主への忠誠・主人のために働く礼儀」が見て取れる。
「消しゴムがボールペンを消す」そして「文房具が持ち主の両親の離婚を消し去る」という奇跡を起こしてそのままハッピーエンドかと思いきや、ここでケシカスがボウズにまさかの発言。
「今回オレはたまたまうまくいったが世の中にたくさんいるつらい現実が消せずに泣いてる子たちすべての悩みを消せるわけじゃない」「だがオレはほんの一瞬だけでもそんなやつらの暗い気持ちを消してやる!」
…ケシカスの読者の中にもこの回のボウズのように辛い家庭の事情を持つ子、いじめに苦悩する子、いっぱいいるだろう。そんな読者のために漫画家にできることは面白い作品を届け、少しでも暗い気持ちを晴れさせる手助けになること。完全に消し去ることはできないかもしれないけど自分の作品を読んでくれている間だけでもつらい現実を忘れてほしい!多くの漫画家たちが持っているであろう思いをケシカスに代弁させた形となった。
メタ発言はよくあれど、すべての漫画家の思いをここまで代弁させたのは漫画界でも例をみないはずだ。
ケシカス大長編もじーさんとはまた違った感動と笑いを生んできた。コロコロギャグの歴史に欠かせない一ページだ。
毎回95~96ページほどかかれるじーさん大長編とは違い、こちらはだいたい32ページ前後。じーさん大長編の3分の1ほどのページ数ではあるが、コロコロのギャグマンガが基本1話あたり15ページ前後であることを考えれば倍以上なので十分長編である(しかもケシカスは基本それより少ない12ページ前後なので約3倍弱である)。
じーさん大長編がメッセージ性が強い作風であるのと同じようにケシカスの長編にもメッセージ性がある場合が多い。じーさん大長編が読者に対してこれからの人生を生きる上でずっと大切なことを教えるような作風に対し、ケシカス大長編は子供たちが「今」を生きる上で大切なことをテーマとすることが多い。基本的に街や家でのじーさんと孫の出来事を描くじーさんに対して、ケシカスは学校での話をメインとし、じーさんの孫が友達とのやり取りがほぼないのに対して、ケシカスのボウズは学校のシーンをメインとする分それが多く描かれているため、ボウズは「等身大の現代小学生」舞台は「現代小学生社会の縮図」と言えるので「今を生きる子供たちへの今大切なメッセージ」を描くのがしっくりくるのは間違いない。
例えば4巻収録の第2弾「はじめてのおつカス」では学校にこっそりゲームを持ってきて盛り上がるクラスメイトのワルオたちの輪にゲームを持ってないために入れなかったボウズがソフトを盗んでしまい、攻められるのが怖くて学校にいけないボウズに代わってケシカスがソフトをこっそり戻すために単身学校に向かうというストーリー。
物語の中ではケシカスの目線から描かれた街並みが描かれており、転がってくる空き缶や待ち構えている凶暴な犬、そしてなぜか二度も出くわすヘビなどの困難を乗り越えながら学校にむかうまでが描かれている。歩道橋や人混みなど普通の人間なら大した困難ではない部分も小さなケシカスにとっては命がけの冒険。ケシカスとしても身を削って苦労を味わうことによって自分が「井の中の蛙…もといカス」であったことに気づき始め、これが後半へのキーとなっていく。
ボロボロになりながらボウズのために学校へひとり向かうケシカスの様子からはケシカスの「主人のために働く礼儀」を強く感じることができる。普段は迷惑かけてばかりだが、誰よりも持ち主であるボウズのことを思っているのだ。ドラえもんのジャイアンしかり、大長編でいいヤツになるキャラはコロコロの伝統か。
その後ケシカスが勝手に盗んできたゲーム機本体を取り返しに来たワルオたちにまたも謝ることのできないボウズに対してケシカスは自身の身を削った冒険から「一度や二度の失敗であきらめるな」「オレは身を削って大海を歩いた」と説いてボウズはワルオたちに本体を返し、ワルオたちも「ゲームを持ってないボウズをほっといて悪かった」と許してくれ、ボウズをゲームにさそってくれた。
このクライマックスシーンでこの回の最大のテーマである「一度や二度の失敗であきらめるな」「悪いことをしたらきちんと謝る」という子供たちの人生で特に大切と言っても過言ではないことが描かれている。
ケシカスがボウズに思いを説くシーンではイメージ画像として先生に怒られたり、試験に不合格になったり、学校のトイレで大をしてバカにされたりと子供たちに立ちはだかり、後に引きずるであろう困難が描かれており、これらはケシカス、そして村瀬先生から子供たちへの「これぐらいでへこたれるな!」という強いメッセージであることが見て取れる。
もうひとつ、友達付き合いをテーマとして描かれたのが8巻の「キミは消えてないか!?」
休み時間にサッカーをしていた際にオウンゴールしてしまったために以降ワルオたちからはぶられてしまったボウズがその悔しさで「サッカーなんか嫌いだ」といらぬ強がりを言ってしまい、久しぶりに誘われた際も「サッカーなんてつまらない」と言ってしまってそのまま完全に仲たがいしてしまう。
その後ボウズは親の都合で転校が決まり、これでワルオたちも悲しむだろうと思いきや一切構わずサッカーを楽しんでいた。だがボウズは自分が消えていることに気づいて最後はまた仲間に入れてほしいとワルオに頼んで仲直り。
「許しあえるのが本当の友達」「独りよがりでいても自分が消えていくだけ」という子供時代はもちろん、大人になってからも大切なことが描かれている。それを「休み時間のサッカー」というターゲット層にわかりやすい題材をとることにより、さらに共感しやすくなっている。
一方3巻収録の第1作では後のテーマと打って変わって「ボウズの両親の離婚の危機」というコロコロにして異色のテーマが描かれた。
ケシカスたちはボウズとともに離婚を食い止めるために市役所に向かい、ケシカスは消せないはずのボールペンで描かれた離婚届の字を消す。その様子を見て両親はボウズとの家族の思い出を思い出し、離婚を思いとどまった。
「離婚はボウズのため」と考えていた両親に対して「オレたちは持ち主の体温を感じながら生きてるのに息子の手を握らずにわかったふりしてんじゃねー」とボールペンの字に立ち向かっていくケシカスからもおつカスと同じく「持ち主への忠誠・主人のために働く礼儀」が見て取れる。
「消しゴムがボールペンを消す」そして「文房具が持ち主の両親の離婚を消し去る」という奇跡を起こしてそのままハッピーエンドかと思いきや、ここでケシカスがボウズにまさかの発言。
「今回オレはたまたまうまくいったが世の中にたくさんいるつらい現実が消せずに泣いてる子たちすべての悩みを消せるわけじゃない」「だがオレはほんの一瞬だけでもそんなやつらの暗い気持ちを消してやる!」
…ケシカスの読者の中にもこの回のボウズのように辛い家庭の事情を持つ子、いじめに苦悩する子、いっぱいいるだろう。そんな読者のために漫画家にできることは面白い作品を届け、少しでも暗い気持ちを晴れさせる手助けになること。完全に消し去ることはできないかもしれないけど自分の作品を読んでくれている間だけでもつらい現実を忘れてほしい!多くの漫画家たちが持っているであろう思いをケシカスに代弁させた形となった。
メタ発言はよくあれど、すべての漫画家の思いをここまで代弁させたのは漫画界でも例をみないはずだ。
ケシカス大長編もじーさんとはまた違った感動と笑いを生んできた。コロコロギャグの歴史に欠かせない一ページだ。
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