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第3部 アニメ・特撮総合史
クレしん映画・家族パワーの集大成~ケツだけ爆弾~野生王国~
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クレしん映画といえば「最終兵器は家族パワー」といった作品が目立つのが特徴的。
最後は家族の絆でピンチを乗り越え、家族の団結で悪を討つ。というのがひとつのお約束と言えるが、今回分析する2000年代後半の3作品は(金矛の勇者はちょっと違うが)それが顕著である。
2007年公開の「歌うケツだけ爆弾」。冒頭ではひろしの勤続15年(本作がクレしん映画15作目なのにちなむ)祝いの沖縄旅行を舞台に野原家の楽しいリゾートバケーションが描かれるが、その旅行中にシロのお知りに謎の物体がくっついて取れなくなってしまう。その物体こそ本作のキーアイテムである地球を破壊する威力の爆弾。この爆弾をめぐるしんのすけとUNTI、そしてひなげし歌劇団の三つ巴の争奪戦がテーマだ。
この作品で特徴的なのは先に書いたように初めてお互い対立する構図の複数の敵組織が登場すること。
隕石の落下やUFOの襲来を監視するUNTIは人類を救うために爆弾をシロごとロケットで飛ばそうと野原家に交渉を持ち掛け、ひなげし歌劇団は世間の注目を集めるためにシロの爆弾を手に入れようとする。
そしてシロと別れるのを拒み、シロを連れてただ一人逃げるしんのすけ。中盤~後半にかけて実質65億人(当時)の人類を敵に回したしんのすけのほぼ孤独な逃走劇が描かれる。
唯一の味方としてかすかべ防衛隊が助けてくれるものの、途中で風間くんが捕まってからは再び孤独な戦いに。
宇宙からの飛来物の監視を主とする故に科学的なイメージを持つUNTIに対してひなげし歌劇団は歌で洗脳してしんのすけたちからシロを奪おうとしたり、空中浮遊を使うメンバーがいるなどUNTIとは対称的にどこか妖術使いのようなイメージ。一言でいえば「UNTIがSF、ひなげしはファンタジー」(わかりにくい?)。
一方ひなげし歌劇団はUNTI側にスパイを送り込むなど策略家でもある。
本作はシロがメインであるが、中盤から後半にかけてフィーチャーされているのが「シロとしんのすけの友情」。
ひろしとみさえは迷いもありながらも人類のほうが大事だと泣く泣くシロをUNTIに渡す決断をするが、しんのすけはシロを守ろうとひとりシロとともに逃げる決断をする。その理由は「シロも家族だから」。
だが必死に逃げつづけたしんのすけはついにボロボロになって力尽きてしまい、シロは涙をこらえながら自らUNTIのもとに行くことを決意。シロだって本当は野原家と別れたくない。だがこのまま地球にいればしんのすけも野原家も春日部のみんなも消えてしまう…シロのしんのすけへの思いに加えてあまり深く描かれることのない、「シロの家族愛」も描かれている。
その後家族とともにUNTI本部に移動したしんのすけは上記のように「シロも家族」を強く訴え、ひろしやみさえもシロが欠ければ一家がバラバラになってしまうとしんのすけに賛同し、シロの救出を決意。ここからは「しんのすけとシロの友情物語」から「シロと野原一家の物語」になっていく。孤独な戦いから一家団結しての戦いになる。ここまでしんのすけとシロばかりフィーチャーされてたため出番が少なかったひろしやみさえの熱いアクションもしっかり描かれている。
クライマックスはシロの乗るロケットに乗り合わせたしんのすけとひなげし歌劇団のお駒夫人が対峙。ここでついにシロの爆弾が外れるわけだが、同時にロケットも発射。ピンチのシーンだが膨らんだ爆弾に顔がくっついたことでお駒夫人の化粧が外れてすっぴん(ただのオバハン)があらわになるというギャグも忘れない。だが2人と1匹は無事宇宙に放り出される前に無事脱出。落ちてきたしんのすけとシロをしっかりキャッチして抱きしめるひろしのシーンは「シロが無事戻ってきたことによる”野原家の完全復活”」を強くアピールすることに成功している。「普通の家族だから幸せなんじゃない、野原家だから幸せなんだ。」というメッセージをこのシーンで物語っている。
僕はこの映画を「道徳映画」ともいえる作品と考えている。地球滅亡は嫌だけどシロと離れるのはもっとイヤというしんのすけの気持ちとそれによって熱くなる家族の絆。ペットだって大事な家族。家族を救うために団結するさま。道徳の教科書に載ってもおかしくないと思う。というか全国の小学校の皆さん、ケツだけ爆弾を道徳の授業に取り入れてみませんか?
続いて2008年の「金矛の勇者」。ヘンダーランド以来12年ぶりに初代監督の本郷みつる氏が復帰した作品。
SF要素をからめながらも現実的な描写が多めだった(宇宙から飛来する爆弾が出てくる時点で現実的じゃないかもだけどさ)前作と打って変わって本郷監督お得意のファンタジーに徹した作品になった。
そのせいか大人のファンからはこの映画を「幼稚だ」ととらえる人も少なからずいる。幼稚もクソもそもそもこれはファミリー映画なのだが。
でも実際のところこの映画は子供には難解な部分が多かったりもする。
例えば後述のマタの封印後に改変された世界では「年金問題はすべて解決(当時は消えた年金が世間を騒がせていた)」と報じられるわ「日本のマナー法」という「電車内でのヘッドホンからの音漏れや携帯での通話、おにぎりを食べた国民は死刑」というかなり(というかめちゃくちゃ)極端な法律が施行されたり、女性専用車両ならぬ「男性専用車両」の導入、アクション仮面は「悪い怪人は全員やっつけた」と言ってなぜか教育番組に改変(各種規制の強化への皮肉か?)するなど現実社会の風刺がかなり盛り込まれており、本郷監督も電車のマナーや年金問題は自身の経験から話に取り入れたと当時のパンフレットで語っている。
これは親世代が観ればうなずくだろうが、子供世代にとってはなんのこっちゃであろう。
一方で子供を楽しませるファンタジー要素も忘れていない。だがそれと同時に不気味さも併せ持つのがこの作品の魅力。
特徴的なゲストキャラたち。ドン・クラーイ世界の住人たちは皆サーカスを彷彿とさせる格好でファンタジーな世界観を演出している。
だが同時にこの作品の持つ不気味さをより引き立てている。この作品でしんのすけが出歩いた夜の街は雲が渦巻いてて、月がふたつあって、建物がなんだか湾曲していて…ティム・バートン作品のような(実際に当時のパンフに載った絵コンテにもティム・バートン風になりすぎたとコメントが記されていた)、もしくはダリの絵のような、どこか不気味でどこか不思議。ファンタジーと狂気の共演とはこのことだ。
そんな夜の街にサーカス風の格好の人が突然現れたらもっとびっくりするのは間違いない。しんのすけが初めて会ったドン・クラーイの住人、マックと初めて対峙した際は特にその不気味さが強く出ている。
マックが不気味な曲を歌いながらどこか不気味に踊るのは子供たちにとってはかなりくるものがあるだろう。一方その歌詞の内容は「お金」に関して歌ったものであり「金があれば戦車も政府も買える」というかなり痛烈なセリフが出てくる。この辺もまた子供には難解だろう。
本作の悪役は上記のマックを含めて3人組。そのひとりひとりがしんのすけと1対1で対峙するシーンがあるのも特徴。悪役個々の活躍を入れることによりキャラクターの個性をアピールする狙いだろう。過去を振り返ればヘンダーランドではス・ノーマンやチョキリーヌがしんのすけと単独で対峙していたが、金矛の勇者の直近の作品においてラスボス以外の悪役が単独でしんのすけと対峙することはあまりなかったように思う。
プリリンはしんのすけ好みのナイスバディなおねいさん。だが性格は最悪。しんのすけに対抗するための最強の武器と言える美貌でしんのすけをだまして闇の扉を開けさせ、さらにはしんのすけに協力するマタに対して悪いヤツだとウソをついてだまし、しんのすけに彼女を封印させるなど見た目と裏腹にかなりの策略家でもある。
ラスボスのダークは白黒の顔にピエロのような衣装という不気味さの中にどこか滑稽さも感じさせるデザインだが、ドラゴンに変身することもできる強敵。実際冒頭でマタの父を葬ったシーンが描かれており、歴代の映画の中でも回想シーンの形でその強さを説明されるというかなり異色なキャラだ。
ファンタジーを強調する施策としてCGが効果的に使われているのも作品の特徴。
ダークたちの本拠地であるタワーや戦闘機にヘンジたマックとの戦闘シーンにCGが使われているが、ドン・クラーイ世界の不気味さや戦闘シーンの迫力を出すのにとても効果的であった。
とくにマック戦闘機との空中戦はCGならではの表現が生きている。機体の質感はのっぺりした感じなので好みは別れるかもしれないが「クレしんをCGにしたらこうなる」的なものとして受け取るべき(というかこの15年後に全編CGのクレしん映画が作られたわけだが)。空中アクションの迫力は本物だ。
この映画は後半に家族が活躍するシーンはあり、「家族パワー」は忘れてないがどっちかというとしんのすけが活躍するシーンのほうが全体的に多い。上記の戦闘機のシーンもそうだ。マタを含めたドン・クラーイ世界の住人には途中までしんのすけが日没後に単独で会ってたためにほかの野原家のメンバーはそのことを知らず、しんのすけが話しても信じてくれなかった。プリリンがマタ封印のために野原家に上がった時も「ア法」で時間の流れをゆっくりにさせてたためひろしたちは気づいていなかった。
だがマタを復活させた後はひろしたちも状況を理解し、終盤は野原家もマタと力を合わせてダーク一味に立ち向かう。
特に家族の団結がみられるのはダークドラゴンとの決戦時に変身した合体ヒーロー「野原メンX」。体に野原家それぞれの顔がくっついているというなかなかシュールな見た目だが、一家それぞれにちなんだ技を持っており、足はひろしが普段使う通勤電車に変形してスピードアップし、さらに「出張」の掛け声で新幹線になってよりスピードアップ。攻撃技もひまわりの「夜泣き音波」やみさえの「主婦の千切りパンチ」といった野原家の個性を生かしたものでトドメは伝家の宝刀・ひろしの靴下による「履きっぱなし靴下ドリル」。強大な敵との戦いにもギャグを入れてくるクレしん流。もっともクレしんらしい形で「家族パワー」を描けたのではないか。
だが最終盤でダークは生きていたことが判明し、マタも石化されてしまい、金の矛と銀の盾を携えたしんのすけとダークとの1対1の真の最終決戦が幕を開ける。
「最後は家族パワーで悪を討つ」作品が続いたから今回はしんのすけをひとりヒーローとして描こうというスタッフの思いがあっただろうか。家族パワーも大事だが子供の目線から考えれば自分と同じ子供のしんのすけをヒーローにしたほうが嬉しいだろうという考えはあったに違いない。
「家族パワー」もしっかり描かれていたが、最も描かれていたのは「しんのすけパワー」であった。だがファンタジーの世界で自分と同じ子供が悪に立ち向かう物語はいつの時代も子供心をくすぐるものだ。
最後に2009年公開の「オタケベ!カスカベ野生王国」。
この作品ではひろしやみさえをはじめとする春日部の住人たちがとあるドリンクを飲んだことにより動物に変身してしまう。ひろしはニワトリに、みさえはヒョウに。
最初はヒョウのようにジャンプしたりニワトリのようにコケコッコー言ったりと単にその動物の特徴が出る程度てあったが次第に体も動物になっていく。
だがしんのすけはかすかべ防衛隊に向かって「オラの父ちゃんと母ちゃん動物になった」と自慢するなど突然の両親の変身に戸惑うどころかむしろ大喜び。こういう状況も楽しむというしんのすけらしさが出ている。
この作品では「エコ」が大きなテーマとして描かれており、随所にエコをテーマにしたアイテムなどが登場するが、どっちかというと「エコを商売にする人間」や「過激な環境保護団体の活動」に対する風刺の要素が強い。
SKBEのボス・四膳守がしんのすけの住む春日部双葉町の町長に就任してからのこと、春日部の街では「節電」と称して突然ショッピングセンターの照明が落とされたり、「節水」として公園の水道が止められたり、自販機も冷蔵機能が止められ、車もペダルをこぐように改造されるなど極端なエコ政策が実施されて住人たちは困惑する。これはエコに限らず「自分の意見を人に強要してはいけない」というメッセージでもあるのではないかと僕は考えている。
表向きでは環境保護を訴える四膳が真に企むのは「人類動物化計画」。動物化ドリンクを世界中にばらまき、全人類を動物にすることで自然に還り、ありのままの地球を取り戻そうというあまりにも極端な計画だ。
しかし彼も元々は真面目に環境保護を考えていた。SKBEのほかのメンバーも本来なら真面目に環境保護を考えていた人間のはずだ。現に当時のパンフのインタビューでしぎの監督は「四膳たちは本当は悪い人じゃない」と語っていた。人は何かのきっかけで暴走すると狂気に包まれた凶器となる。四膳の姿からはそれが見て取れる。
そして後半はクレしん最大のテーマ「家族の絆」がもうひとつのテーマとして強く描かれる。
SKBEに連れていかれたみさえとひろしと対面するしんのすけのシーン。だがみさえたちはドリンクが完全にまわり完全に動物化してしまいしんのすけのことも忘れてしまっている。
完全に野生のヒョウとなったみさえはそこにいる人間の五歳児を我が子など知らず獲物を観る目で襲いかかる。だがしんのすけはみさえにどれだけ追い回されても、危険な目に遭っても自分のことを思い出してもらうために粘る。
そしてあるきっかけでみさえは記憶を取り戻す。そのきっかけはしんのすけのおケツ。おバカな演出でもそれで記憶を取り戻し、親子へ戻っていく。オトナ帝国の「今のニオイ」にも通じるシーンだ。
そしてクライマックスは春日部駅前を舞台に再集結した野原一家とキマイラのようなモンスターに変身した四膳との最終決戦。ひまわりはシロクマに、そしてしんのすけはゾウに変身して戦いに挑む。
そして戦いのさなかで四膳とヒロインのビクトリアは実は夫婦だったという衝撃の事実が判明。
彼が極端なエコテロリストへと変貌してしまった原因は他ならぬ彼女であり、水は出しっぱなしにするわ、服は無駄に買うわというエコとかけ離れた行動に失望し、そこから四膳は暴走してしまったのだ。
だが野原一家との戦いの中で四膳は「地球の愛=家族の愛」と悟り、最後は改心してビクトリアとともに新たなエコ活動の道を歩むことを決意していった。
これぞ「最終兵器は家族パワー」。過剰なエコ運動や過激な活動をしても地球は決して救えない。家族の愛こそが地球を救うのだ。まさに「愛は地球を救う」を強いメッセージとして訴えた。
最後は家族の絆でピンチを乗り越え、家族の団結で悪を討つ。というのがひとつのお約束と言えるが、今回分析する2000年代後半の3作品は(金矛の勇者はちょっと違うが)それが顕著である。
2007年公開の「歌うケツだけ爆弾」。冒頭ではひろしの勤続15年(本作がクレしん映画15作目なのにちなむ)祝いの沖縄旅行を舞台に野原家の楽しいリゾートバケーションが描かれるが、その旅行中にシロのお知りに謎の物体がくっついて取れなくなってしまう。その物体こそ本作のキーアイテムである地球を破壊する威力の爆弾。この爆弾をめぐるしんのすけとUNTI、そしてひなげし歌劇団の三つ巴の争奪戦がテーマだ。
この作品で特徴的なのは先に書いたように初めてお互い対立する構図の複数の敵組織が登場すること。
隕石の落下やUFOの襲来を監視するUNTIは人類を救うために爆弾をシロごとロケットで飛ばそうと野原家に交渉を持ち掛け、ひなげし歌劇団は世間の注目を集めるためにシロの爆弾を手に入れようとする。
そしてシロと別れるのを拒み、シロを連れてただ一人逃げるしんのすけ。中盤~後半にかけて実質65億人(当時)の人類を敵に回したしんのすけのほぼ孤独な逃走劇が描かれる。
唯一の味方としてかすかべ防衛隊が助けてくれるものの、途中で風間くんが捕まってからは再び孤独な戦いに。
宇宙からの飛来物の監視を主とする故に科学的なイメージを持つUNTIに対してひなげし歌劇団は歌で洗脳してしんのすけたちからシロを奪おうとしたり、空中浮遊を使うメンバーがいるなどUNTIとは対称的にどこか妖術使いのようなイメージ。一言でいえば「UNTIがSF、ひなげしはファンタジー」(わかりにくい?)。
一方ひなげし歌劇団はUNTI側にスパイを送り込むなど策略家でもある。
本作はシロがメインであるが、中盤から後半にかけてフィーチャーされているのが「シロとしんのすけの友情」。
ひろしとみさえは迷いもありながらも人類のほうが大事だと泣く泣くシロをUNTIに渡す決断をするが、しんのすけはシロを守ろうとひとりシロとともに逃げる決断をする。その理由は「シロも家族だから」。
だが必死に逃げつづけたしんのすけはついにボロボロになって力尽きてしまい、シロは涙をこらえながら自らUNTIのもとに行くことを決意。シロだって本当は野原家と別れたくない。だがこのまま地球にいればしんのすけも野原家も春日部のみんなも消えてしまう…シロのしんのすけへの思いに加えてあまり深く描かれることのない、「シロの家族愛」も描かれている。
その後家族とともにUNTI本部に移動したしんのすけは上記のように「シロも家族」を強く訴え、ひろしやみさえもシロが欠ければ一家がバラバラになってしまうとしんのすけに賛同し、シロの救出を決意。ここからは「しんのすけとシロの友情物語」から「シロと野原一家の物語」になっていく。孤独な戦いから一家団結しての戦いになる。ここまでしんのすけとシロばかりフィーチャーされてたため出番が少なかったひろしやみさえの熱いアクションもしっかり描かれている。
クライマックスはシロの乗るロケットに乗り合わせたしんのすけとひなげし歌劇団のお駒夫人が対峙。ここでついにシロの爆弾が外れるわけだが、同時にロケットも発射。ピンチのシーンだが膨らんだ爆弾に顔がくっついたことでお駒夫人の化粧が外れてすっぴん(ただのオバハン)があらわになるというギャグも忘れない。だが2人と1匹は無事宇宙に放り出される前に無事脱出。落ちてきたしんのすけとシロをしっかりキャッチして抱きしめるひろしのシーンは「シロが無事戻ってきたことによる”野原家の完全復活”」を強くアピールすることに成功している。「普通の家族だから幸せなんじゃない、野原家だから幸せなんだ。」というメッセージをこのシーンで物語っている。
僕はこの映画を「道徳映画」ともいえる作品と考えている。地球滅亡は嫌だけどシロと離れるのはもっとイヤというしんのすけの気持ちとそれによって熱くなる家族の絆。ペットだって大事な家族。家族を救うために団結するさま。道徳の教科書に載ってもおかしくないと思う。というか全国の小学校の皆さん、ケツだけ爆弾を道徳の授業に取り入れてみませんか?
続いて2008年の「金矛の勇者」。ヘンダーランド以来12年ぶりに初代監督の本郷みつる氏が復帰した作品。
SF要素をからめながらも現実的な描写が多めだった(宇宙から飛来する爆弾が出てくる時点で現実的じゃないかもだけどさ)前作と打って変わって本郷監督お得意のファンタジーに徹した作品になった。
そのせいか大人のファンからはこの映画を「幼稚だ」ととらえる人も少なからずいる。幼稚もクソもそもそもこれはファミリー映画なのだが。
でも実際のところこの映画は子供には難解な部分が多かったりもする。
例えば後述のマタの封印後に改変された世界では「年金問題はすべて解決(当時は消えた年金が世間を騒がせていた)」と報じられるわ「日本のマナー法」という「電車内でのヘッドホンからの音漏れや携帯での通話、おにぎりを食べた国民は死刑」というかなり(というかめちゃくちゃ)極端な法律が施行されたり、女性専用車両ならぬ「男性専用車両」の導入、アクション仮面は「悪い怪人は全員やっつけた」と言ってなぜか教育番組に改変(各種規制の強化への皮肉か?)するなど現実社会の風刺がかなり盛り込まれており、本郷監督も電車のマナーや年金問題は自身の経験から話に取り入れたと当時のパンフレットで語っている。
これは親世代が観ればうなずくだろうが、子供世代にとってはなんのこっちゃであろう。
一方で子供を楽しませるファンタジー要素も忘れていない。だがそれと同時に不気味さも併せ持つのがこの作品の魅力。
特徴的なゲストキャラたち。ドン・クラーイ世界の住人たちは皆サーカスを彷彿とさせる格好でファンタジーな世界観を演出している。
だが同時にこの作品の持つ不気味さをより引き立てている。この作品でしんのすけが出歩いた夜の街は雲が渦巻いてて、月がふたつあって、建物がなんだか湾曲していて…ティム・バートン作品のような(実際に当時のパンフに載った絵コンテにもティム・バートン風になりすぎたとコメントが記されていた)、もしくはダリの絵のような、どこか不気味でどこか不思議。ファンタジーと狂気の共演とはこのことだ。
そんな夜の街にサーカス風の格好の人が突然現れたらもっとびっくりするのは間違いない。しんのすけが初めて会ったドン・クラーイの住人、マックと初めて対峙した際は特にその不気味さが強く出ている。
マックが不気味な曲を歌いながらどこか不気味に踊るのは子供たちにとってはかなりくるものがあるだろう。一方その歌詞の内容は「お金」に関して歌ったものであり「金があれば戦車も政府も買える」というかなり痛烈なセリフが出てくる。この辺もまた子供には難解だろう。
本作の悪役は上記のマックを含めて3人組。そのひとりひとりがしんのすけと1対1で対峙するシーンがあるのも特徴。悪役個々の活躍を入れることによりキャラクターの個性をアピールする狙いだろう。過去を振り返ればヘンダーランドではス・ノーマンやチョキリーヌがしんのすけと単独で対峙していたが、金矛の勇者の直近の作品においてラスボス以外の悪役が単独でしんのすけと対峙することはあまりなかったように思う。
プリリンはしんのすけ好みのナイスバディなおねいさん。だが性格は最悪。しんのすけに対抗するための最強の武器と言える美貌でしんのすけをだまして闇の扉を開けさせ、さらにはしんのすけに協力するマタに対して悪いヤツだとウソをついてだまし、しんのすけに彼女を封印させるなど見た目と裏腹にかなりの策略家でもある。
ラスボスのダークは白黒の顔にピエロのような衣装という不気味さの中にどこか滑稽さも感じさせるデザインだが、ドラゴンに変身することもできる強敵。実際冒頭でマタの父を葬ったシーンが描かれており、歴代の映画の中でも回想シーンの形でその強さを説明されるというかなり異色なキャラだ。
ファンタジーを強調する施策としてCGが効果的に使われているのも作品の特徴。
ダークたちの本拠地であるタワーや戦闘機にヘンジたマックとの戦闘シーンにCGが使われているが、ドン・クラーイ世界の不気味さや戦闘シーンの迫力を出すのにとても効果的であった。
とくにマック戦闘機との空中戦はCGならではの表現が生きている。機体の質感はのっぺりした感じなので好みは別れるかもしれないが「クレしんをCGにしたらこうなる」的なものとして受け取るべき(というかこの15年後に全編CGのクレしん映画が作られたわけだが)。空中アクションの迫力は本物だ。
この映画は後半に家族が活躍するシーンはあり、「家族パワー」は忘れてないがどっちかというとしんのすけが活躍するシーンのほうが全体的に多い。上記の戦闘機のシーンもそうだ。マタを含めたドン・クラーイ世界の住人には途中までしんのすけが日没後に単独で会ってたためにほかの野原家のメンバーはそのことを知らず、しんのすけが話しても信じてくれなかった。プリリンがマタ封印のために野原家に上がった時も「ア法」で時間の流れをゆっくりにさせてたためひろしたちは気づいていなかった。
だがマタを復活させた後はひろしたちも状況を理解し、終盤は野原家もマタと力を合わせてダーク一味に立ち向かう。
特に家族の団結がみられるのはダークドラゴンとの決戦時に変身した合体ヒーロー「野原メンX」。体に野原家それぞれの顔がくっついているというなかなかシュールな見た目だが、一家それぞれにちなんだ技を持っており、足はひろしが普段使う通勤電車に変形してスピードアップし、さらに「出張」の掛け声で新幹線になってよりスピードアップ。攻撃技もひまわりの「夜泣き音波」やみさえの「主婦の千切りパンチ」といった野原家の個性を生かしたものでトドメは伝家の宝刀・ひろしの靴下による「履きっぱなし靴下ドリル」。強大な敵との戦いにもギャグを入れてくるクレしん流。もっともクレしんらしい形で「家族パワー」を描けたのではないか。
だが最終盤でダークは生きていたことが判明し、マタも石化されてしまい、金の矛と銀の盾を携えたしんのすけとダークとの1対1の真の最終決戦が幕を開ける。
「最後は家族パワーで悪を討つ」作品が続いたから今回はしんのすけをひとりヒーローとして描こうというスタッフの思いがあっただろうか。家族パワーも大事だが子供の目線から考えれば自分と同じ子供のしんのすけをヒーローにしたほうが嬉しいだろうという考えはあったに違いない。
「家族パワー」もしっかり描かれていたが、最も描かれていたのは「しんのすけパワー」であった。だがファンタジーの世界で自分と同じ子供が悪に立ち向かう物語はいつの時代も子供心をくすぐるものだ。
最後に2009年公開の「オタケベ!カスカベ野生王国」。
この作品ではひろしやみさえをはじめとする春日部の住人たちがとあるドリンクを飲んだことにより動物に変身してしまう。ひろしはニワトリに、みさえはヒョウに。
最初はヒョウのようにジャンプしたりニワトリのようにコケコッコー言ったりと単にその動物の特徴が出る程度てあったが次第に体も動物になっていく。
だがしんのすけはかすかべ防衛隊に向かって「オラの父ちゃんと母ちゃん動物になった」と自慢するなど突然の両親の変身に戸惑うどころかむしろ大喜び。こういう状況も楽しむというしんのすけらしさが出ている。
この作品では「エコ」が大きなテーマとして描かれており、随所にエコをテーマにしたアイテムなどが登場するが、どっちかというと「エコを商売にする人間」や「過激な環境保護団体の活動」に対する風刺の要素が強い。
SKBEのボス・四膳守がしんのすけの住む春日部双葉町の町長に就任してからのこと、春日部の街では「節電」と称して突然ショッピングセンターの照明が落とされたり、「節水」として公園の水道が止められたり、自販機も冷蔵機能が止められ、車もペダルをこぐように改造されるなど極端なエコ政策が実施されて住人たちは困惑する。これはエコに限らず「自分の意見を人に強要してはいけない」というメッセージでもあるのではないかと僕は考えている。
表向きでは環境保護を訴える四膳が真に企むのは「人類動物化計画」。動物化ドリンクを世界中にばらまき、全人類を動物にすることで自然に還り、ありのままの地球を取り戻そうというあまりにも極端な計画だ。
しかし彼も元々は真面目に環境保護を考えていた。SKBEのほかのメンバーも本来なら真面目に環境保護を考えていた人間のはずだ。現に当時のパンフのインタビューでしぎの監督は「四膳たちは本当は悪い人じゃない」と語っていた。人は何かのきっかけで暴走すると狂気に包まれた凶器となる。四膳の姿からはそれが見て取れる。
そして後半はクレしん最大のテーマ「家族の絆」がもうひとつのテーマとして強く描かれる。
SKBEに連れていかれたみさえとひろしと対面するしんのすけのシーン。だがみさえたちはドリンクが完全にまわり完全に動物化してしまいしんのすけのことも忘れてしまっている。
完全に野生のヒョウとなったみさえはそこにいる人間の五歳児を我が子など知らず獲物を観る目で襲いかかる。だがしんのすけはみさえにどれだけ追い回されても、危険な目に遭っても自分のことを思い出してもらうために粘る。
そしてあるきっかけでみさえは記憶を取り戻す。そのきっかけはしんのすけのおケツ。おバカな演出でもそれで記憶を取り戻し、親子へ戻っていく。オトナ帝国の「今のニオイ」にも通じるシーンだ。
そしてクライマックスは春日部駅前を舞台に再集結した野原一家とキマイラのようなモンスターに変身した四膳との最終決戦。ひまわりはシロクマに、そしてしんのすけはゾウに変身して戦いに挑む。
そして戦いのさなかで四膳とヒロインのビクトリアは実は夫婦だったという衝撃の事実が判明。
彼が極端なエコテロリストへと変貌してしまった原因は他ならぬ彼女であり、水は出しっぱなしにするわ、服は無駄に買うわというエコとかけ離れた行動に失望し、そこから四膳は暴走してしまったのだ。
だが野原一家との戦いの中で四膳は「地球の愛=家族の愛」と悟り、最後は改心してビクトリアとともに新たなエコ活動の道を歩むことを決意していった。
これぞ「最終兵器は家族パワー」。過剰なエコ運動や過激な活動をしても地球は決して救えない。家族の愛こそが地球を救うのだ。まさに「愛は地球を救う」を強いメッセージとして訴えた。
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