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第3部 アニメ・特撮総合史
オトナ帝国と戦国大合戦を称賛しているのは大人ばかり!!
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前回の最後に書いたように、僕はクレしん映画の中でも「オトナ帝国」と「戦国大合戦」ばかりが持ち上げられている風潮に首をかしげている。
決してこの2作が嫌いなわけじゃない。クレしん映画に駄作は決してない。僕もこの2作こそがクレしん映画の地位を向上させ、それまで「お下品」と切り捨てていた大人たちにもクレヨンしんちゃんという作品のすばらしさを認識させるきっかけとなり、やがてアニメ映画自体の地位向上のきっかけのひとつにもつながっていったと考えている。この2作はクレしん映画史はもちろん、アニメ映画史を語るうえでも外せない作品だ。
だがみんな大人目線でこのふたつを称賛しがちではないか?大人が観る映画として評価してないか?どうもこの2作品は子供が置いてけぼりな要素が強いのは否めない。もちろん子供が楽しめる要素も入っているが全体的に大人向けな要素が強いのもまた事実。クレしん映画は「子供も大人も笑って泣いて興奮できる映画であってほしい」と僕は思っている。だがこの2作はどちらかというと「大人が笑って泣いて興奮できる映画」、すなわち「子供」が置いてけぼりになってしまっている映画になってしまっていると思う。
まずオトナ帝国だが「昭和レトロ」がテーマとなっており、当時の子供たちの親世代にとって懐かしのアイテムが多数登場する。主要舞台である「20世紀博」は大阪万博のセットのある部屋や昭和の給食などのレトロメニューを味わえるレストラン、ウルトラマン風や魔法使いサリーなどの魔女っ子風などの懐かしの番組のキャラになりきれるスタジオなどなど春日部中の大人たちがよだれを出して涙するような20世紀のすべてがつまったテーマパーク。さらに20世紀博の開業以降は街中にも白黒TVやレコードなどのレトロアイテムが並び、その様子は親世代にとって子供時代・若かりし日をフラッシュバックさせる光景。この時点ですでに「子供向け」というよりは「かつて子供だった大人向け」と言えよう。
20世紀博の地下に広がるケンとチャコが暮らす「夕日町」もまた人情味あふれる商店街が栄え、優しさとぬくもりにに包まれた昭和を生きた人間の思い出をフラッシュバックさせる演出だ。当時の親世代も子供の頃まだ今のようにショッピングモールもなく、コンビニも乱立してなく、この街のような人情味あふれる商店街が買い物の中心だった世代がほとんどだったはずだ。そういった世代にあの日を思い出させる演出である。この点は特に子供は置いてけぼりだったであろう。
一方この映画で最も子供が楽しめるシーンと言えば中盤の子供だけになってしまったかすかべ防衛隊のサバイバルシーンだろう。
前作から引き継がれたかすかべ防衛隊だけの活躍シーン。前作は人の手つかずのジャングルだったが、今回は文明の発展によって生まれた街。これがまた違ったスリルを生んでいる。
悪ガキが占領する大人たちがいなくなったコンビニに潜入して食料を調達するシーンにサトーココノカドーで一夜を過ごし、しんのすけの手違いにより大人たちが子供狩りを始める8時ギリギリに起きる羽目になってしまい、店内に侵入した大人たちから命からがら逃げだした後、防衛隊が交代で幼稚園バスを運転して逃げていく…常に捕まるかもしれないというスリルと隣り合わせかつ味方になる大人もいない、大人は全員敵という子供たちにとってはこれほどドキドキするシーンはないだろう。
おもちゃの家に隠れたしんのすけの「屁意」のくだりは子供たち大喜びだろう。笑いも忘れないのがクレしんだ。
一方でここでは敵となってしまっているひろしやみさえは完全に幼児退行してしんのすけたちのことを忘れてしまっている。恐怖だけでなくもの悲しさを感じさせるシーンでもある。
だが終盤にかけてやはり「かつて子供だった大人向け」に戻っていく。
「今のニオイ」を使って子供になったひろしを元に戻すあの名シーン、幼少期から上京、就職、結婚、しんのすけの誕生、やがてひまわりも生まれ何気ない日常の中で埋まっていく家族の思い出のアルバム…このシーンも両親世代が自分の人生に重ね合わせながらしんみりと浸っていただくシーンだ。名シーンだが残念ながらぽかんとなってた子供たちは大勢いたことだろう。
その後記憶を取り戻したみさえとともにニオイが外に放たれるのを食い止め、21世紀を手に入れるための野原一家の戦い。タワーの上での野原一家とイエスタディ・ワンスモアとの攻防のシーンはタワーの上での命がけのスリリングなアクションという再び子供が楽しめるシーンに戻ったが、それでもエレベーターでのひろしの「オレの人生はつまんなくなんかない」など大人しか理解できないようなセリフも目立つ。
そしてこの映画を語るうえで欠かせないしんのすけがタワーを必死に駆け上がるあの伝説のシーン。オトナ帝国ではしんのすけたち子供を「21世紀の象徴」として描き、ケンとチャコをはじめとする大人を「20世紀の象徴」として描いているが未来を取り戻すために走りぬくしんのすけの姿はまさにその集大成というべきか。ラスボスとの戦いが肉弾戦とかではなく必死に装置を止めるためにボロボロになりながらひたすらタワーを駆けのぼるという冒険的かつ斬新な展開。ある意味この作品のラスボスはケンとチャコではなく「昔のニオイ」とも言うべきかもしれないがしんのすけは必死に走ることによって昔のニオイに染まった夕日町の人間の心を動かした。必死に走り続けるしんのすけの姿は子供たちにヒーローとして映すサービスシーンであろう。
昔のニオイがとまった後、チャコがしんのすけになぜ未来を求めるのかを問い詰めたシーンにおいてしんのすけが「家族ともっと一緒に居たいから」「大人になっておねいさん(チャコ)みたいなきれいなおねいさんといっぱいおつきあいしたいから」と答えたシーンは「現実の未来は醜い」と考えるケンたちと「未来が楽しみだ」と考えるしんのすけとの相違をうまく対比させたシーンだ。子供の目線から未来に期待することのすばらしさを訴えることによって子供たちにとっても「未来が楽しみだ」と思わせてくれるシーンである。ココも子供が共感できるシーンではあるが、このシーンをしっかり理解するためには「なぜ大人たちはそこまで現実の21世紀に憎悪をもっていたのか?」を理解できなければ感動が半減してしまうかもしれない。
…このようにオトナ帝国は決して子供が楽しめない映画とまでは言い切れないが、やはり「かつて子供だった大人向け」と言ったほうがしっくりくると言えよう。
実際平成生まれのしんちゃんファンの著名人はオトナ帝国の感想としてこのように評している(敬称略)。
「子供のときは昭和の話が出てきても『私、平成生まれだし、懐かしくないな』という感じだったけど、大人になって観たら、昭和を生きていなくても懐かしいという気持ちになった」(松村沙友理)
「子供の頃も良い作品だと思っていましたが、大人になってから見ると深い内容をより理解できました。あれこそ"大人に向けたクレヨンしんちゃん"だと思う。」(鬼頭明里)
…このようにやはり「子供のころ見ても面白かった」という声もあっても「大人になってより内容を理解できた」、とか「子供の頃よりも大人になってからのほうが泣けた」なんて声があるのも事実。皆大人の目線でオトナ帝国を評価しがちなのだ。オトナ帝国は多くのクレしんファンが否定できない名作だ。だがこの映画が「ファミリー映画」というよりも「パパママ映画」なのもまた事実。子供の目線から見てオトナ帝国という作品はどうなのかもを皆もう少し考えるべきだと思う。
続いて「戦国大合戦」であるが、こちらも「かつて子供だった大人向け」の要素が強い。
戦国時代というテーマだけあって、オトナ帝国以上にシリアス色が強めであり、そもそも時代劇という題材が子供受けはあまりよくない題材だ。
戦国時代を舞台にした作品はすでに雲黒斎の野望があるが、あちらはSF・ファンタジー要素も強く、後半はヒエールによって改変された現代での戦いとなる。本格時代劇というより時代劇という題材を使ったSFファンタジーというべき作品であり戦国大合戦に比べてバトル・アクション要素に比重を置いた作風であり、ファミリー映画としての色合いが強い作品であった。
一方で戦国大合戦は時代考証や当時の兵法の描写に比重を置いた「本格時代劇」(といってもタイムスリップものだし戦国の世を車で突っ走るシーンもあるけど)であり、故に全体を通してシリアス色が強い作風となるのは必然であった。
戦国大合戦の大きなテーマが「又兵衛と廉姫の恋模様」。戦国という波乱の時代に描かれる大人の恋模様。お互いがお互いを思っていても身分の違いから打ち明けられないためらい。「大人の恋」というファミリー向け映画としてはこれまた異例のテーマであり、子供の目線から考えればただでさえシリアスが続いて退屈な時代劇なのに余計退屈になってしまうだろう。
一方で子供が楽しめるシーンと言えば中盤におけるかすかべ防衛隊の先祖と思わしきそっくりさんとしんのすけとのふれあいのシーン。個人的にボーちゃんそっくりの「ぼうしち」がしんのすけと意気投合してくるくる回るシーンはお気に入りなのだが、あのシーンは戦国の世におけるひとときの安らぎだと思う。
そして怒涛の終盤。高虎軍との合戦シーン。リアルさに比重を置いたチャンバラ・合戦シーンは何回観ても燃える。こういう激しいバトルは時代劇に興味ない子供でも興奮するのは間違いないだろう。
さらにその中にもひろしが高虎軍の兵に対して刀でなく腕で振ってブルンブルンさせる健康器具で対抗したり、しんのすけが高虎に頭突き金的をくらわすシーンなどギャグもしっかり加えていた。ここまでギャグが少なかっただけに一番盛り上がるシーンでギャグを忘れず入れてきたことは得策だと思う。
見事又兵衛軍は高虎軍に勝利したが、しんのすけの訴えにより又兵衛は高虎の首を奪うことなくマゲ(もとどり)のみを奪って戦いは幕を閉じる。いくら本格時代劇とはいえ「敵とはいえ首をとるのはかわいそうだ」という子供たちの思いをしんのすけが代弁した形だろう。野原しんのすけが心の奥に持つ「優しさ」を感じさせるシーンだ。
作中では詳しい解説はなされてないが、武士にとってマゲをとられるのは「生き恥をさらす」行為であり、打ち取られるよりも屈辱的とされていた。
だがこの映画はハッピーエンドではない。戦いの直後、又兵衛は何者かに打たれ絶命してしまう。敵の大将の命を奪うことを見逃した又兵衛が逆に何者かに命を奪われてしまうという皮肉なラスト。そしてクレしん映画で初めて明確な形での登場人物の「死」が描かれるという異色の展開となった。
最後は廉姫が「こんなに人を好きになることは二度とないと思う、自分はもうほかのところに嫁がない」と又兵衛への思いを打ち明けて物語は幕を閉じる。
…もちろん戦国大合戦もまた説明不要の名作だ。だがただでさえ全体を通してシリアスな展開である上にシリーズで初めてバットエンドを迎えたという「子供も大人も楽しめる映画」のはずが「子供」が置いてけぼりになってる感は否めない。やはりこちらも子供の目線から見てどうなのかを評価する声がもっと欲しいものだ。
決してこの2作が嫌いなわけじゃない。クレしん映画に駄作は決してない。僕もこの2作こそがクレしん映画の地位を向上させ、それまで「お下品」と切り捨てていた大人たちにもクレヨンしんちゃんという作品のすばらしさを認識させるきっかけとなり、やがてアニメ映画自体の地位向上のきっかけのひとつにもつながっていったと考えている。この2作はクレしん映画史はもちろん、アニメ映画史を語るうえでも外せない作品だ。
だがみんな大人目線でこのふたつを称賛しがちではないか?大人が観る映画として評価してないか?どうもこの2作品は子供が置いてけぼりな要素が強いのは否めない。もちろん子供が楽しめる要素も入っているが全体的に大人向けな要素が強いのもまた事実。クレしん映画は「子供も大人も笑って泣いて興奮できる映画であってほしい」と僕は思っている。だがこの2作はどちらかというと「大人が笑って泣いて興奮できる映画」、すなわち「子供」が置いてけぼりになってしまっている映画になってしまっていると思う。
まずオトナ帝国だが「昭和レトロ」がテーマとなっており、当時の子供たちの親世代にとって懐かしのアイテムが多数登場する。主要舞台である「20世紀博」は大阪万博のセットのある部屋や昭和の給食などのレトロメニューを味わえるレストラン、ウルトラマン風や魔法使いサリーなどの魔女っ子風などの懐かしの番組のキャラになりきれるスタジオなどなど春日部中の大人たちがよだれを出して涙するような20世紀のすべてがつまったテーマパーク。さらに20世紀博の開業以降は街中にも白黒TVやレコードなどのレトロアイテムが並び、その様子は親世代にとって子供時代・若かりし日をフラッシュバックさせる光景。この時点ですでに「子供向け」というよりは「かつて子供だった大人向け」と言えよう。
20世紀博の地下に広がるケンとチャコが暮らす「夕日町」もまた人情味あふれる商店街が栄え、優しさとぬくもりにに包まれた昭和を生きた人間の思い出をフラッシュバックさせる演出だ。当時の親世代も子供の頃まだ今のようにショッピングモールもなく、コンビニも乱立してなく、この街のような人情味あふれる商店街が買い物の中心だった世代がほとんどだったはずだ。そういった世代にあの日を思い出させる演出である。この点は特に子供は置いてけぼりだったであろう。
一方この映画で最も子供が楽しめるシーンと言えば中盤の子供だけになってしまったかすかべ防衛隊のサバイバルシーンだろう。
前作から引き継がれたかすかべ防衛隊だけの活躍シーン。前作は人の手つかずのジャングルだったが、今回は文明の発展によって生まれた街。これがまた違ったスリルを生んでいる。
悪ガキが占領する大人たちがいなくなったコンビニに潜入して食料を調達するシーンにサトーココノカドーで一夜を過ごし、しんのすけの手違いにより大人たちが子供狩りを始める8時ギリギリに起きる羽目になってしまい、店内に侵入した大人たちから命からがら逃げだした後、防衛隊が交代で幼稚園バスを運転して逃げていく…常に捕まるかもしれないというスリルと隣り合わせかつ味方になる大人もいない、大人は全員敵という子供たちにとってはこれほどドキドキするシーンはないだろう。
おもちゃの家に隠れたしんのすけの「屁意」のくだりは子供たち大喜びだろう。笑いも忘れないのがクレしんだ。
一方でここでは敵となってしまっているひろしやみさえは完全に幼児退行してしんのすけたちのことを忘れてしまっている。恐怖だけでなくもの悲しさを感じさせるシーンでもある。
だが終盤にかけてやはり「かつて子供だった大人向け」に戻っていく。
「今のニオイ」を使って子供になったひろしを元に戻すあの名シーン、幼少期から上京、就職、結婚、しんのすけの誕生、やがてひまわりも生まれ何気ない日常の中で埋まっていく家族の思い出のアルバム…このシーンも両親世代が自分の人生に重ね合わせながらしんみりと浸っていただくシーンだ。名シーンだが残念ながらぽかんとなってた子供たちは大勢いたことだろう。
その後記憶を取り戻したみさえとともにニオイが外に放たれるのを食い止め、21世紀を手に入れるための野原一家の戦い。タワーの上での野原一家とイエスタディ・ワンスモアとの攻防のシーンはタワーの上での命がけのスリリングなアクションという再び子供が楽しめるシーンに戻ったが、それでもエレベーターでのひろしの「オレの人生はつまんなくなんかない」など大人しか理解できないようなセリフも目立つ。
そしてこの映画を語るうえで欠かせないしんのすけがタワーを必死に駆け上がるあの伝説のシーン。オトナ帝国ではしんのすけたち子供を「21世紀の象徴」として描き、ケンとチャコをはじめとする大人を「20世紀の象徴」として描いているが未来を取り戻すために走りぬくしんのすけの姿はまさにその集大成というべきか。ラスボスとの戦いが肉弾戦とかではなく必死に装置を止めるためにボロボロになりながらひたすらタワーを駆けのぼるという冒険的かつ斬新な展開。ある意味この作品のラスボスはケンとチャコではなく「昔のニオイ」とも言うべきかもしれないがしんのすけは必死に走ることによって昔のニオイに染まった夕日町の人間の心を動かした。必死に走り続けるしんのすけの姿は子供たちにヒーローとして映すサービスシーンであろう。
昔のニオイがとまった後、チャコがしんのすけになぜ未来を求めるのかを問い詰めたシーンにおいてしんのすけが「家族ともっと一緒に居たいから」「大人になっておねいさん(チャコ)みたいなきれいなおねいさんといっぱいおつきあいしたいから」と答えたシーンは「現実の未来は醜い」と考えるケンたちと「未来が楽しみだ」と考えるしんのすけとの相違をうまく対比させたシーンだ。子供の目線から未来に期待することのすばらしさを訴えることによって子供たちにとっても「未来が楽しみだ」と思わせてくれるシーンである。ココも子供が共感できるシーンではあるが、このシーンをしっかり理解するためには「なぜ大人たちはそこまで現実の21世紀に憎悪をもっていたのか?」を理解できなければ感動が半減してしまうかもしれない。
…このようにオトナ帝国は決して子供が楽しめない映画とまでは言い切れないが、やはり「かつて子供だった大人向け」と言ったほうがしっくりくると言えよう。
実際平成生まれのしんちゃんファンの著名人はオトナ帝国の感想としてこのように評している(敬称略)。
「子供のときは昭和の話が出てきても『私、平成生まれだし、懐かしくないな』という感じだったけど、大人になって観たら、昭和を生きていなくても懐かしいという気持ちになった」(松村沙友理)
「子供の頃も良い作品だと思っていましたが、大人になってから見ると深い内容をより理解できました。あれこそ"大人に向けたクレヨンしんちゃん"だと思う。」(鬼頭明里)
…このようにやはり「子供のころ見ても面白かった」という声もあっても「大人になってより内容を理解できた」、とか「子供の頃よりも大人になってからのほうが泣けた」なんて声があるのも事実。皆大人の目線でオトナ帝国を評価しがちなのだ。オトナ帝国は多くのクレしんファンが否定できない名作だ。だがこの映画が「ファミリー映画」というよりも「パパママ映画」なのもまた事実。子供の目線から見てオトナ帝国という作品はどうなのかもを皆もう少し考えるべきだと思う。
続いて「戦国大合戦」であるが、こちらも「かつて子供だった大人向け」の要素が強い。
戦国時代というテーマだけあって、オトナ帝国以上にシリアス色が強めであり、そもそも時代劇という題材が子供受けはあまりよくない題材だ。
戦国時代を舞台にした作品はすでに雲黒斎の野望があるが、あちらはSF・ファンタジー要素も強く、後半はヒエールによって改変された現代での戦いとなる。本格時代劇というより時代劇という題材を使ったSFファンタジーというべき作品であり戦国大合戦に比べてバトル・アクション要素に比重を置いた作風であり、ファミリー映画としての色合いが強い作品であった。
一方で戦国大合戦は時代考証や当時の兵法の描写に比重を置いた「本格時代劇」(といってもタイムスリップものだし戦国の世を車で突っ走るシーンもあるけど)であり、故に全体を通してシリアス色が強い作風となるのは必然であった。
戦国大合戦の大きなテーマが「又兵衛と廉姫の恋模様」。戦国という波乱の時代に描かれる大人の恋模様。お互いがお互いを思っていても身分の違いから打ち明けられないためらい。「大人の恋」というファミリー向け映画としてはこれまた異例のテーマであり、子供の目線から考えればただでさえシリアスが続いて退屈な時代劇なのに余計退屈になってしまうだろう。
一方で子供が楽しめるシーンと言えば中盤におけるかすかべ防衛隊の先祖と思わしきそっくりさんとしんのすけとのふれあいのシーン。個人的にボーちゃんそっくりの「ぼうしち」がしんのすけと意気投合してくるくる回るシーンはお気に入りなのだが、あのシーンは戦国の世におけるひとときの安らぎだと思う。
そして怒涛の終盤。高虎軍との合戦シーン。リアルさに比重を置いたチャンバラ・合戦シーンは何回観ても燃える。こういう激しいバトルは時代劇に興味ない子供でも興奮するのは間違いないだろう。
さらにその中にもひろしが高虎軍の兵に対して刀でなく腕で振ってブルンブルンさせる健康器具で対抗したり、しんのすけが高虎に頭突き金的をくらわすシーンなどギャグもしっかり加えていた。ここまでギャグが少なかっただけに一番盛り上がるシーンでギャグを忘れず入れてきたことは得策だと思う。
見事又兵衛軍は高虎軍に勝利したが、しんのすけの訴えにより又兵衛は高虎の首を奪うことなくマゲ(もとどり)のみを奪って戦いは幕を閉じる。いくら本格時代劇とはいえ「敵とはいえ首をとるのはかわいそうだ」という子供たちの思いをしんのすけが代弁した形だろう。野原しんのすけが心の奥に持つ「優しさ」を感じさせるシーンだ。
作中では詳しい解説はなされてないが、武士にとってマゲをとられるのは「生き恥をさらす」行為であり、打ち取られるよりも屈辱的とされていた。
だがこの映画はハッピーエンドではない。戦いの直後、又兵衛は何者かに打たれ絶命してしまう。敵の大将の命を奪うことを見逃した又兵衛が逆に何者かに命を奪われてしまうという皮肉なラスト。そしてクレしん映画で初めて明確な形での登場人物の「死」が描かれるという異色の展開となった。
最後は廉姫が「こんなに人を好きになることは二度とないと思う、自分はもうほかのところに嫁がない」と又兵衛への思いを打ち明けて物語は幕を閉じる。
…もちろん戦国大合戦もまた説明不要の名作だ。だがただでさえ全体を通してシリアスな展開である上にシリーズで初めてバットエンドを迎えたという「子供も大人も楽しめる映画」のはずが「子供」が置いてけぼりになってる感は否めない。やはりこちらも子供の目線から見てどうなのかを評価する声がもっと欲しいものだ。
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