スパルタ上司と甘くとろけるチョコレートキス

散りぬるを

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「はぁ~あ……」

 今日で何度目のため息だろうか。昼休みに入っても、気分は全く晴れない。頭まで痛くなるのは、ヘアセットをミスしたことだけが原因じゃないはず。

「どうしたの、紗和さわちゃん。朝からずっとため息ついてるじゃん」
「ごめんねぇ……今日だけ許して」
「良いのよ。みんな一緒」
「え?」
「気候変動か知らないけど、信じられないくらいの大雪だし、帰りのこと考えたら気が気じゃないって。このまま降り続けたら電車は運休だろうな。バスもタクシーも絶対混む。はぁ……憂鬱」
「それもそうなんだけど、それだけじゃないんだぁ」
「他になにかあるとしたら……もしかして、米山よねやま部長絡み?」
「当たりぃ」

 わたしは溶けるようにデスクに突っ伏して、隣にいる同僚のかなでを見た。
 奏は「あぁ」と、同情と納得が入り混じった声で笑った。傾聴の姿勢を取りながらも、鞄からお弁当箱とランチマットを出して昼食の用意をし始める。

「何かあったの? またダメ出しでもされた?」
「んーん。むしろダメ出しに慣れすぎて、そっちはダメージゼロでーす」
「さすが。米山部長のスパルタ教育を生き抜いただけはあるね」

 大手文房具メーカーの商品企画・開発部の部長――米山将彦まさひこは、わたしの上司。
 数々のヒット商品を生み出してきた彼は、28歳という若さで部長職に就き今年で6年目になる。
 こだわりが強くて妥協を許さず、完璧を求めてくる人だ。必要なことしか言わないし、雑談や冗談、社交辞令も一切ない。かと思えば、褒める時はしっかり褒めてくれるから、部下からの信頼は厚い。
 その上、外見も良いから女性社員にモテる、モテる。
 キリリとした威厳がありつつも涼しげな目元に、妙な色気を持つ声。身長はスラリと高く、余分な肉のない体つき。
 おまけに、なんか良い匂いがする。香水の露骨な香りではないけれど、深くてエロい匂い。

「商品企画のプレゼン資料の誤字脱字指摘に始まり」
「変換ミスって怖いよねぇ」
「言葉選びから内容の構成」
「おっきく赤丸を書かれて、すべてやり直しって言われたなぁ」
「さらには、サンプル品まで。ほぼ全部にダメ出しされてたもんね」

 毎年九月、商品企画・開発部では新人も含めて新商品のアイデアを出すことになっており、米山部長に選ばれたアイデアは商品化を検討される。今回はわたしの提出した案が選ばれ、商品化のためにプレゼンをすることになったのだった。
 わたしは身体を起こして奏に頭を下げた。

「その節は、お世話になりました」
「あははっ、良いってことよ」

 米山部長に資料を見せる度に指摘をされ、ヘコみにヘコんだわたしを奏はいつも飲みに誘ってくれた。聞きたくもないだろうに、愚痴まで吐かせてくれる。
 そのせいか、わたしの米山部長に対しての苦手意識はすべてバレてしまっていた。
 話しかけるだけでも、ものすごく緊張するし、次はどんな指摘をされるのかと身構えてしまう。

 米山部長の言葉遣いは穏やかだが、指摘内容は厳しく、要求されるレベルも高い。商品企画に専念させてくれるわけでもなく、通常業務は当たり前にバンバン振られた。当然と言えば当然なのだけど、誰も彼もが米山部長みたいな超人ではないことを知ってほしい。

「今日、ね……バレンタインデーじゃない」
「え、渡すの? 米山部長に?! あんなに鬼だ何だって言ってたのに?!」
「ちょっ、シーッ、シーッ! 声が大きいって!」

 慌てて周囲を見回すが、ほとんどの人は社員食堂に行っており、残っている人もイヤホンをつけながら昼食を取っていた。
 遠くのデスク、米山部長の席にも本人はいない。会議が長引いているようだった。
 ふぅと息をついて、奏に向き直る。

「変な意味で取らないでよ。結果的にプレゼンは上手くいったし、最後まで面倒見てくれて感謝してるの。来年度から本格的に動き出すことになったのも、部長が後押ししてくれたおかげだもの」

 それだけじゃない。
 ここでは明かさなかったけれど、米山部長からわたし個人宛に、週に何通か社内メールが届いていた。
 業務を減らしてくれないかわりに、進捗しんちょく状況を気にしてくれたり、具体的なアドバイスをくれる。それも、ちょうど行き詰まっているタイミングでだ。
 メールの最後にはいつも「くれぐれも体調には気をつけて、何かあればいつでも言ってください」と添えられていた。
 メールでは抵抗感も苦手意識も生まれなかった。

「で、なんとなく用意しちゃった」

 女子社員からということで、チョコレートの詰め合わせを男性社員向けに休憩室に置いてある。だから、個別で用意する必要はなかった。

「用意したものの、こういう形のお礼より、仕事で成果を出せって言われそうだなって」
「朝礼前に女子たちからチョコ貰ってたよ、あの人」
「ウソ!」
「ほんと」

 目を丸めるわたしに、奏はあっけらかんと答えた。

「普通に受け取ってたし。ていうか、毎年そうじゃない。気付いてなかったの?」
「すみません。万年、出勤時間滑り込みセーフの人間なんで」
「そうだった」

 わたしは背もたれに身体を預けた。一週間前から悩んでいたことが、急にバカバカしく思えてくる。
 一気に肩の力が抜けてしまった。
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