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最終章 勇者として
侵入
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何も考えず貴賓室へと転移した諒太。しかし、兵に見つかってはならないと気付く。誰も覚えていないのだ。だからこそ慎重に動くしかない。
「改変前と同じなら使用人の部屋だよな……」
リナンシー曰く寝込んでいるのだから、部屋にいるはずだ。従って諒太は記憶を頼りに再び転移する。
転移した先の小部屋。ベッドとハンガーラックがあるだけで他には何もない。
部屋の突き当たりにあるベッドにはソラが寝ていた。
「ソラ……?」
酷い寝汗である。リナンシーが予想した通りにソラはうなされていた。
一応は看病されているようで、ソラの額には濡れタオルがある。諒太はベッド脇の水桶でタオルを浸し、再び彼女の額へとそれを置く。
すると、薄く目が開いた。朦朧としたその弱々しい視線は記憶と異なる。諒太が知る彼女とは似ても似つかなかった。
「マスター……?」
小さな声で呼ばれると涙が出そうになる。彼女は覚えていたのだ。世界の記憶から切り取られた主人のことを。
「お久しぶりです……。お変わりないようで安心しました……」
一体どれくらいの年月が経っているのだろう。諒太の経験が全て過去となっているのなら、それこそ三百年が経過しているのかもしれない。
「悪かった。俺はお前を楽にしてやれる。テイムを解けば、恐らく症状は治まるだろう」
ソラの症状は本来あった記憶に三百年分の改変データが流れ込んでいるからだ。テイムを解けば彼女は書き換えられ、何もかも新しく生まれ変わるはずだ。
「嫌です……」
しかしながら、諒太の提案は却下されてしまう。苦しみから逃れられるというのにもかかわらず。
「三百年も待ったのです。マスターのお帰りをずっと……」
諒太は頷いている。それは新しく書き加えられた記憶の方であったけれど、混乱している彼女には区別できなかったのかもしれない。
「そうか……。なら無理にとは言わん。しばらくは苦しいだろうが、徐々に落ち着いてくるはずだ……」
リナンシーもマシになったと話していたのだ。情報の処理能力に差があるだろうが、ソラはレベルマである。時間経過により回復していくはずだ。
「マスターはまた旅立たれるのですか……?」
「俺は無断で聖王城に侵入してるからな。兵に見つかると厄介なことになる……」
長居はできなかった。ソラの様子を確認できたのだから、見つかる前に立ち去るべきだ。考えていたよりも良くしてもらっているようだし、諒太は彼女に別れを告げる。
「俺はもう行くよ……」
「また会いに来てくださいまし……」
「ああ、必ず……」
言葉とは裏腹に諒太はこの会話が最後だと考えている。現状でも聖王国に雇われているのなら、もう自分は必要ないのだと。
ソラが目を瞑ったのを確認し、諒太は再び濡れタオルを桶へと浸した。別れの言葉を告げる前に、もう一度だけ冷やしたタオルに交換してあげようと。
ところが、
「不審者!? 誰か来てください!!」
不意に部屋の扉が開き、メイドが声を上げた。どうやらソラの看病に来たらしい。
「ちょ、待て! 別に怪しいものじゃない!」
戸惑う諒太。慌てて弁明するも、間違いなく不審者である。病人がいる部屋に上がり込んでいるのだから。
直ぐさま駆け付けてくる兵たち。瞬く間に諒太は取り押さえられてしまう。
「怪しい奴め、どこから進入した!?」
兵は諒太を部屋から引きずり出そうとする。まだ諒太はソラのタオルを交換していないというのに。
「離せ! ソラの看病が先だ!」
「ソラ様にはメイドがついている! 貴様は牢獄行きだ!」
苛立ちが募る。先ほどまで諒太は崇められる存在だったはず。しかし、現状は明らかに不審者であって、敬意を払われる立場ではなくなっていた。
「うるせぇ! 手を離せ! 俺はソラのマスターだ!」
諒太は抗う。ソラのタオルを交換するだけ。もう二度と会うことはない彼女にできる最後の務めなのだと。
募る苛立ちと共に諒太は叫んでいる。
「俺は勇者リョウだ!」
この世界で初めてだった。周囲に勇者だと宣言したのは……。決して承認欲求ではなかったけれど、諒太は口にしている。
「俺は勇者なんだ!!――――――」
諒太の大声に兵は怯んだ。不審者が勇者であるはずもなかったというのに。
次々と現れる衛兵。このままだと諒太は牢獄に連れて行かれるか、或いは転移するしかなくなる。けれど、諒太は一歩として動くつもりはない。従魔に別れの挨拶を終えるまでは……。
「何事です!?」
ここで甲高い声が響く。
瞬時に集まった兵が割れる。畏まった兵を見る限り、現れたのは彼女に違いない。
「ロークアット……」
思わず口に出してしまう。諒太はこの世界線から抜け落ちた存在だというのに。
「貴様、無礼だぞ! 姫殿下に頭を下げろ!」
激昂する兵は諒太の頭を押さえつけようとする。けれども、諒太は少しも動くことなくただ彼女を見つめていた。
記憶にあるままの彼女。しかし、彼女が諒太を知るはずもない。不審者として現れた諒太のことなど……。
ロークアットは小さく顔を振っている。やはり不審者に名を呼ばれたことは不快だったのかもしれない。
ところが、
「リョウ様……?」
どうしてかロークアットは懐かしさすら覚える呼び名で返している。
唖然とする諒太。現在の彼女は諒太の主人ではなく、何の繋がりもなかったはずだ。
「俺を……覚えているのか……?」
問わずにはいられなかった。フレアやアーシェ、ダッドにウルムまで。誰一人覚えていない諒太をどうして知っているのかと。
頷くロークアット。表情を見る限り、冗談ではなく本気で諒太を知っているようだ。
「忘れるはずがありません。この三百年間において片時も……」
そういえば彼女はエルフであり、アルカナの世界にも存在する。書き換えられた世界線にて諒太は彼女と接点を持っていたらしい。
しばし考え込む。アルカナの世界が巻き戻って書き換えられたのは恐らくリナンシーに初めて会った頃だ。妖精女王の加護を受け、諒太は勇者になった。加えてお蔵入りとなるはずのイベントを発動させ、全体が矛盾を解消するように改変を受けたはず。
諒太がずっとアルカナでプレイしていたという設定の世界線。マヌカハニー戦闘狂旗団に所属していたのなら、ロークアットとの接点は一つしかなかった。
「迷子になったときか?」
それしか考えられない。元よりロークアットに関するイベントなど他にはなかったはず。
諒太の質問にロークアットは口を尖らせている。諒太は間違った返答をしたのかもしれない。やはり経験していないイベントは未経験のままなのだろう。
「迷子になどなっておりません!」
決まり文句が返されている。事あるごとに迷子を否定するのはこの世界線も変わらないらしい。
「お忘れでしょうか……? あのときも世話にはなりましたけれど……」
ロークアットは濁して答えている。どちらかといえば不正解。それだけは諒太にも分かった。
しかし、諒太は迷子の話を続ける。今のところ手がかりはそのイベントしかなかったのだ。
「クローゼットに隠れていたよな? アイスクリームにつられて出てきたんだ……」
アイスクリームはロークアット自身から聞いたこと。タルトから美味しいアイスクリームをもらったのだと。
「わ、わたくしはそんなに卑しくありません!」
「アイスクリームを手渡されるまで動かなかったんだろ?」
顔を真っ赤にして否定するロークアットだが、完全に図星を突いていたはずだ。意味もなくタルトがアイスクリームを手渡すとは思えない。イベントの最後はロークアットを自発的にクローゼットから出す必要があったのだろう。
ひとしきり怒ったあと、ロークアットは溜め息にも似た息を吐いた。
「認識はともかく、リョウ様の記憶にわたくしが存在していること。とても嬉しく存じます……」
やはりアルカナにある諒太の過去も改変を受けている。セイクリッド神の加護は過去であるアルカナにまで及んでいない。迷子イベントの時点でマヌカハニー戦闘狂旗団の一員とされているのは明らかだった。二人目の勇者に選定された事実は時を遡り、関係する情報を強引に当て嵌めてしまったようだ。
「兵よ、下がりなさい! この方は救世の英雄マヌカハニー戦闘狂旗団のリョウ様に他なりません! 加えてお連れの妖精はリナンシー様の分身体。国を挙げて歓待すべき方であり、無礼は許しません!」
ロークアットは声を張り、兵を下がらせた。更には諒太に頭を下げ、兵の無礼を詫びる。
「申し訳ございませんでした。この新兵たちはリョウ様にお会いした経験がないもので……」
「ああいや、俺こそすまん。ソラの様子が気になって転移魔法で来てしまった……」
悪いのは諒太だ。普通に正門から入っていたとすれば、このような騒ぎにはならなかったかもしれない。非があるのは諒太の方である。
「ソラの面倒を見てくれてたんだな? 感謝してる……」
「いえいえ! 彼女は仕事が早いのでとても助かっております。ですが、数日前から体調を崩しまして……」
話を聞く限り、ソラはアルカナの世界にもいるような気がした。いなければ辻褄が合わない。ロークアットと同じように三百年間に亘って生き続けているとしか思えなかった。
「もう数日寝ていたら落ち着くだろう。リナンシーもそう話していたし」
「それならいいのですが……」
時空を歪めし者の影響下にあるのはリナンシーとソラだけであろう。諒太とは異なり、記憶を書き加えられたのは二人しかいないはずだ。
「リョウ様、お食事は済まされましたでしょうか? 直ぐにご用意いたしますけれど」
意外な話になる。諒太は既に軽く食べていたけれど、ソラが世話になった手前、彼女の申し出は断りにくい。またセシリィ女王にも会っておきたいと思う。
「じゃあ、頼むよ。女王陛下にも謁見したいし」
「承知致しました……」
直ぐさまロークアットはメイドに指示を出す。とびきりのご馳走を用意するようにと命じていた。
兵もいなくなったところで、諒太はソラのタオルを交換する。強く絞ったタオルを彼女の額にそっと置いて、今もうなされているソラへと最後の言葉をかけた。
「幸せにな……」
よくよく考えると諒太は現状の関係リセットを望んでいたように思う。ルイナーを討伐したあと、別れを告げるのが苦痛に感じられたからだ。
しかし、実際に忘れ去られた世界では心が折れそうになった。誰も覚えていないなんて悲しすぎる。だからソラが覚えていてくれたことには感謝しかない。アークエンジェルのままであり、レベルマである彼女は諒太との冒険を覚えていることだろう。
夢とは儚いもの。明け方に見る夢の如き淡い冒険譚をソラはいつまでも覚えているはずだ。
「ロークアット、ソラをよろしくな?」
「また……どこかへ行かれるのですか?」
ロークアットは諒太の言葉を深読みしている。頼むということは自身が消え失せてしまうことを意味するのではと。
「俺は戦わなきゃいけない……」
そう言って諒太は静かにソラの部屋を出て行く。晩餐までの時間。過ごす場所は一つしかないのだと。
「ロークアット、少し話をしよう。是非、聞いて欲しい……」
諒太は全てを語るつもりだ。忘れ去られたこの世界で何が起きたのかを。
「短くも長い、とある勇者の英雄譚を――――」
諒太の話に頷くロークアット。確かに病人がいる部屋で語り合うべきではない。直ぐさま察知したロークアットは諒太の前へと進み、案内するようにしている。
密談に相応しい部屋。姫殿下の自室へと……。
「改変前と同じなら使用人の部屋だよな……」
リナンシー曰く寝込んでいるのだから、部屋にいるはずだ。従って諒太は記憶を頼りに再び転移する。
転移した先の小部屋。ベッドとハンガーラックがあるだけで他には何もない。
部屋の突き当たりにあるベッドにはソラが寝ていた。
「ソラ……?」
酷い寝汗である。リナンシーが予想した通りにソラはうなされていた。
一応は看病されているようで、ソラの額には濡れタオルがある。諒太はベッド脇の水桶でタオルを浸し、再び彼女の額へとそれを置く。
すると、薄く目が開いた。朦朧としたその弱々しい視線は記憶と異なる。諒太が知る彼女とは似ても似つかなかった。
「マスター……?」
小さな声で呼ばれると涙が出そうになる。彼女は覚えていたのだ。世界の記憶から切り取られた主人のことを。
「お久しぶりです……。お変わりないようで安心しました……」
一体どれくらいの年月が経っているのだろう。諒太の経験が全て過去となっているのなら、それこそ三百年が経過しているのかもしれない。
「悪かった。俺はお前を楽にしてやれる。テイムを解けば、恐らく症状は治まるだろう」
ソラの症状は本来あった記憶に三百年分の改変データが流れ込んでいるからだ。テイムを解けば彼女は書き換えられ、何もかも新しく生まれ変わるはずだ。
「嫌です……」
しかしながら、諒太の提案は却下されてしまう。苦しみから逃れられるというのにもかかわらず。
「三百年も待ったのです。マスターのお帰りをずっと……」
諒太は頷いている。それは新しく書き加えられた記憶の方であったけれど、混乱している彼女には区別できなかったのかもしれない。
「そうか……。なら無理にとは言わん。しばらくは苦しいだろうが、徐々に落ち着いてくるはずだ……」
リナンシーもマシになったと話していたのだ。情報の処理能力に差があるだろうが、ソラはレベルマである。時間経過により回復していくはずだ。
「マスターはまた旅立たれるのですか……?」
「俺は無断で聖王城に侵入してるからな。兵に見つかると厄介なことになる……」
長居はできなかった。ソラの様子を確認できたのだから、見つかる前に立ち去るべきだ。考えていたよりも良くしてもらっているようだし、諒太は彼女に別れを告げる。
「俺はもう行くよ……」
「また会いに来てくださいまし……」
「ああ、必ず……」
言葉とは裏腹に諒太はこの会話が最後だと考えている。現状でも聖王国に雇われているのなら、もう自分は必要ないのだと。
ソラが目を瞑ったのを確認し、諒太は再び濡れタオルを桶へと浸した。別れの言葉を告げる前に、もう一度だけ冷やしたタオルに交換してあげようと。
ところが、
「不審者!? 誰か来てください!!」
不意に部屋の扉が開き、メイドが声を上げた。どうやらソラの看病に来たらしい。
「ちょ、待て! 別に怪しいものじゃない!」
戸惑う諒太。慌てて弁明するも、間違いなく不審者である。病人がいる部屋に上がり込んでいるのだから。
直ぐさま駆け付けてくる兵たち。瞬く間に諒太は取り押さえられてしまう。
「怪しい奴め、どこから進入した!?」
兵は諒太を部屋から引きずり出そうとする。まだ諒太はソラのタオルを交換していないというのに。
「離せ! ソラの看病が先だ!」
「ソラ様にはメイドがついている! 貴様は牢獄行きだ!」
苛立ちが募る。先ほどまで諒太は崇められる存在だったはず。しかし、現状は明らかに不審者であって、敬意を払われる立場ではなくなっていた。
「うるせぇ! 手を離せ! 俺はソラのマスターだ!」
諒太は抗う。ソラのタオルを交換するだけ。もう二度と会うことはない彼女にできる最後の務めなのだと。
募る苛立ちと共に諒太は叫んでいる。
「俺は勇者リョウだ!」
この世界で初めてだった。周囲に勇者だと宣言したのは……。決して承認欲求ではなかったけれど、諒太は口にしている。
「俺は勇者なんだ!!――――――」
諒太の大声に兵は怯んだ。不審者が勇者であるはずもなかったというのに。
次々と現れる衛兵。このままだと諒太は牢獄に連れて行かれるか、或いは転移するしかなくなる。けれど、諒太は一歩として動くつもりはない。従魔に別れの挨拶を終えるまでは……。
「何事です!?」
ここで甲高い声が響く。
瞬時に集まった兵が割れる。畏まった兵を見る限り、現れたのは彼女に違いない。
「ロークアット……」
思わず口に出してしまう。諒太はこの世界線から抜け落ちた存在だというのに。
「貴様、無礼だぞ! 姫殿下に頭を下げろ!」
激昂する兵は諒太の頭を押さえつけようとする。けれども、諒太は少しも動くことなくただ彼女を見つめていた。
記憶にあるままの彼女。しかし、彼女が諒太を知るはずもない。不審者として現れた諒太のことなど……。
ロークアットは小さく顔を振っている。やはり不審者に名を呼ばれたことは不快だったのかもしれない。
ところが、
「リョウ様……?」
どうしてかロークアットは懐かしさすら覚える呼び名で返している。
唖然とする諒太。現在の彼女は諒太の主人ではなく、何の繋がりもなかったはずだ。
「俺を……覚えているのか……?」
問わずにはいられなかった。フレアやアーシェ、ダッドにウルムまで。誰一人覚えていない諒太をどうして知っているのかと。
頷くロークアット。表情を見る限り、冗談ではなく本気で諒太を知っているようだ。
「忘れるはずがありません。この三百年間において片時も……」
そういえば彼女はエルフであり、アルカナの世界にも存在する。書き換えられた世界線にて諒太は彼女と接点を持っていたらしい。
しばし考え込む。アルカナの世界が巻き戻って書き換えられたのは恐らくリナンシーに初めて会った頃だ。妖精女王の加護を受け、諒太は勇者になった。加えてお蔵入りとなるはずのイベントを発動させ、全体が矛盾を解消するように改変を受けたはず。
諒太がずっとアルカナでプレイしていたという設定の世界線。マヌカハニー戦闘狂旗団に所属していたのなら、ロークアットとの接点は一つしかなかった。
「迷子になったときか?」
それしか考えられない。元よりロークアットに関するイベントなど他にはなかったはず。
諒太の質問にロークアットは口を尖らせている。諒太は間違った返答をしたのかもしれない。やはり経験していないイベントは未経験のままなのだろう。
「迷子になどなっておりません!」
決まり文句が返されている。事あるごとに迷子を否定するのはこの世界線も変わらないらしい。
「お忘れでしょうか……? あのときも世話にはなりましたけれど……」
ロークアットは濁して答えている。どちらかといえば不正解。それだけは諒太にも分かった。
しかし、諒太は迷子の話を続ける。今のところ手がかりはそのイベントしかなかったのだ。
「クローゼットに隠れていたよな? アイスクリームにつられて出てきたんだ……」
アイスクリームはロークアット自身から聞いたこと。タルトから美味しいアイスクリームをもらったのだと。
「わ、わたくしはそんなに卑しくありません!」
「アイスクリームを手渡されるまで動かなかったんだろ?」
顔を真っ赤にして否定するロークアットだが、完全に図星を突いていたはずだ。意味もなくタルトがアイスクリームを手渡すとは思えない。イベントの最後はロークアットを自発的にクローゼットから出す必要があったのだろう。
ひとしきり怒ったあと、ロークアットは溜め息にも似た息を吐いた。
「認識はともかく、リョウ様の記憶にわたくしが存在していること。とても嬉しく存じます……」
やはりアルカナにある諒太の過去も改変を受けている。セイクリッド神の加護は過去であるアルカナにまで及んでいない。迷子イベントの時点でマヌカハニー戦闘狂旗団の一員とされているのは明らかだった。二人目の勇者に選定された事実は時を遡り、関係する情報を強引に当て嵌めてしまったようだ。
「兵よ、下がりなさい! この方は救世の英雄マヌカハニー戦闘狂旗団のリョウ様に他なりません! 加えてお連れの妖精はリナンシー様の分身体。国を挙げて歓待すべき方であり、無礼は許しません!」
ロークアットは声を張り、兵を下がらせた。更には諒太に頭を下げ、兵の無礼を詫びる。
「申し訳ございませんでした。この新兵たちはリョウ様にお会いした経験がないもので……」
「ああいや、俺こそすまん。ソラの様子が気になって転移魔法で来てしまった……」
悪いのは諒太だ。普通に正門から入っていたとすれば、このような騒ぎにはならなかったかもしれない。非があるのは諒太の方である。
「ソラの面倒を見てくれてたんだな? 感謝してる……」
「いえいえ! 彼女は仕事が早いのでとても助かっております。ですが、数日前から体調を崩しまして……」
話を聞く限り、ソラはアルカナの世界にもいるような気がした。いなければ辻褄が合わない。ロークアットと同じように三百年間に亘って生き続けているとしか思えなかった。
「もう数日寝ていたら落ち着くだろう。リナンシーもそう話していたし」
「それならいいのですが……」
時空を歪めし者の影響下にあるのはリナンシーとソラだけであろう。諒太とは異なり、記憶を書き加えられたのは二人しかいないはずだ。
「リョウ様、お食事は済まされましたでしょうか? 直ぐにご用意いたしますけれど」
意外な話になる。諒太は既に軽く食べていたけれど、ソラが世話になった手前、彼女の申し出は断りにくい。またセシリィ女王にも会っておきたいと思う。
「じゃあ、頼むよ。女王陛下にも謁見したいし」
「承知致しました……」
直ぐさまロークアットはメイドに指示を出す。とびきりのご馳走を用意するようにと命じていた。
兵もいなくなったところで、諒太はソラのタオルを交換する。強く絞ったタオルを彼女の額にそっと置いて、今もうなされているソラへと最後の言葉をかけた。
「幸せにな……」
よくよく考えると諒太は現状の関係リセットを望んでいたように思う。ルイナーを討伐したあと、別れを告げるのが苦痛に感じられたからだ。
しかし、実際に忘れ去られた世界では心が折れそうになった。誰も覚えていないなんて悲しすぎる。だからソラが覚えていてくれたことには感謝しかない。アークエンジェルのままであり、レベルマである彼女は諒太との冒険を覚えていることだろう。
夢とは儚いもの。明け方に見る夢の如き淡い冒険譚をソラはいつまでも覚えているはずだ。
「ロークアット、ソラをよろしくな?」
「また……どこかへ行かれるのですか?」
ロークアットは諒太の言葉を深読みしている。頼むということは自身が消え失せてしまうことを意味するのではと。
「俺は戦わなきゃいけない……」
そう言って諒太は静かにソラの部屋を出て行く。晩餐までの時間。過ごす場所は一つしかないのだと。
「ロークアット、少し話をしよう。是非、聞いて欲しい……」
諒太は全てを語るつもりだ。忘れ去られたこの世界で何が起きたのかを。
「短くも長い、とある勇者の英雄譚を――――」
諒太の話に頷くロークアット。確かに病人がいる部屋で語り合うべきではない。直ぐさま察知したロークアットは諒太の前へと進み、案内するようにしている。
密談に相応しい部屋。姫殿下の自室へと……。
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