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第二章 悪夢の果てに

騒動を収めたのは……

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「じゃじゃーん! 皆の者、静まるが良いのじゃ!」

 痣から飛び出してきたそれは妖精女王リナンシーに他ならない。かといってサイズは普通の妖精と同じである。何だか意味が分からなかったものの、面倒臭いあの妖精が非常に面倒な場面で現れてしまった。

「妾は妖精女王リナンシーじゃ! ひれ伏すが良い!」
 この場を混乱させるだけだと思ったけれど、諒太の心配は杞憂に終わる。リナンシーの姿を目の当たりにしたエルフたちは一様に頭を垂れていたのだ。

「リ、リナンシー様、どうしてここに……?」
 ロークアットでさえも恐縮しているようだ。どうにも諒太は困惑している。妖精界きっての残念さを持つリナンシーに、王女殿下が敬称をつけて呼ぶなどあり得ないのだと。

「おお、ロークアットか! 久しいのう。お主が迷子になって泣き喚いたとき以来じゃ!」
「その節はどうも……。ですが、迷子ではありませんし、泣き喚いてもおりません……。あと百年ほど前にもお会いしておりますよ? フェアリーティアをいただいたではありませんか……」
「そうじゃったかの? そんなことはまあ良い! 妾は婿殿が困っておるようじゃから顕現したまでじゃ! 婿殿には妾の加護が宿っておるからの!」
 リナンシーの言葉にはエルフたちだけでなく人族も驚きを隠せない。どうも妖精の加護について分かっていないのは諒太だけであるようだ。

「リナンシー様、婿殿とは一体どういった意味でしょう?」
「いやなに大したことではない。このリョウという男を妾は欲した。故に加護を与え、魂になったとして束縛する気なのじゃよ!」
 とんでもないことを言い放つリナンシー。刹那にロークアットの冷たい視線が突き刺さったのは語るまでもない。

「森の民たちよ! 妾は妖精女王リナンシーじゃ。妾の眷属であるリョウを悪魔呼ばわりとは何事であるか! この者は神に選ばれし勇者に他ならん! ついでにいうとこやつは妾のものじゃ! 譲るつもりはこれっぽっちもないぞっ!」
 意外なことにリナンシーはこの場を収めている。精霊に近い種族であるエルフたちは妖精女王を崇拝しているのかもしれない。もう誰も文句を口にすることはなかった。

「おいリナンシー、この痣はお前が出てくるためだけにあるのか?」
 変な痣をつけられた利点がまるでない。残念妖精が飛び出すだけだなんてデメリットでしかなかった。とはいえ今回に限って諒太は助かっていたのだが……。

「婿殿は気付かなかったのかえ? 妾は常に魔力供給してやったじゃろ? あれほどの魔法を連発しよってからに……」
 そういえば少しも気持ち悪くならなかった。諒太は常に残念妖精から魔力供給を受けていたのかもしれない。

「何にせよ、人族にエルフよ! ここは妾の顔を立てて引くが良い! 外が騒がしいのはかなわん。また婿殿に対する礼儀も心得よ。妾に逆らうというのならば、お前たちの国を不毛の地へと変えてやる。枯れ草一本残らぬ砂漠としてやるからな! もう二度と争うでないぞ?」
 諒太に纏わり付きながらリナンシーは脅迫紛いの話をする。国を丸ごと砂漠に変えるほどの力があるだなんて残念妖精らしくない。リナンシーこそが魔王なのではないかと思わず考えてしまう。

 意外なことに全員がひれ伏していた。妖精女王の言葉は想像以上に重く、ぽっと出の勇者とは比べものにならない威厳と権威があるらしい。
 ロークアットがスバウメシア兵を振り返る。彼女はこの機に乗じて、計画を遂行するつもりのよう。
「兵たちよ、妖精女王の言葉を真摯に受け止めましょう。勇者リョウを認め、我が軍は撤退いたします」
 今度は反論など上がらない。常に諒太を疑っていたソレルでさえも頷いていた。

「アクラスフィア王国も懸命な判断を願います。領土が砂漠になるだなんて望んではいないはず。我らはアクラスフィア王国の非道を許したわけではありませんが、人族そのものを恨んでいるのではありません。共に納得がいく戦後処理を始めましょう。改めて使者を送りますので、本件は王城までお持ち帰りください」
 これ以上ない落としどころであろう。アクラスフィア王国側には権力者がいない。戦後処理が後回しになるのは仕方のないことだ。かといってアクラスフィア王国は承諾するしかないだろう。彼らには楯突く余力などなかったのだから。

「それでリョウ様、少しお話がございます」
「ロークアット、横恋慕は許さんぞ! 妾のダーリンに近付くでない!」
「リナンシー様には関係ございません!」
 騒動としては一応の終息を見たものの、諒太にはまだ問題が残されているらしい。戦争終結の代償として痴話喧嘩に巻き込まれる運命のようだ。

 ロークアットはグイッと諒太の腕を引っ張り睨むように話す。
「リョウ様、くれぐれもあの約束をお忘れなきよう。世界線が変わらなければ、貴方様はわたくしのものです」
「ああいや、そうだな……」
 他に選択肢がなかった頃には一つの手だと思っていた。しかし、リナンシーが思いのほか使えるのであれば、有耶無耶にするのも悪くない。かといって念を押すロークアットには同意するように返すしかなかった。

「ウハハ! なんじゃ、ロークアット! 汝の想いは世界線如きに挫かれる柔いものか!? 妾の愛は粘性があり、強度も段違いじゃ! 従ってこの世の事象に左右されん! いつ何時もリョウは妾のものよ!」
 妖精女王リナンシーはどこまでも諒太に執着するつもりのよう。世界線が移行するのであれば縁はなくなるはずなのに、彼女の口調はそれを否定するようなものである。

「馬鹿妖精は黙れ。俺は同意した覚えなどない……」
「何と! 殺生じゃないか婿殿! ねっとりネバネバとした愛情を潔く受け入れよ!」
 目的を遂げた今となってはリナンシーの存在は邪魔でしかない。ここで諒太はリナンシーとの縁を明確に切っておくべきだ。

「そんなものは要らん。粘性を持った愛情など気色悪いだけだ……」
「ぐぬぬ……。婿殿はどこまでツンデレなんじゃ……」
 本当に妖精女王なのかどうか疑わしくなる。リナンシーがゲーム時代からお馬鹿ぶりを発揮していたのか不明だが、少なくとも面倒臭い性格として設定されていたのは間違いないだろう。

「フレアさん、とりあえず王様に説明を願います。以降は互いが不可侵であること。全てはスバウメシア聖王国の温情であること。同意できないのであれば、俺はもう人族に協力しません。全てを余すことなく伝えてください」
「う、うむ。私の一存では決定できないが、恐らくは王も分かっておられるだろう。王国はそれだけ疲弊している。またとない復興のチャンスだと伝えよう」
 アクラスフィア王国側もこれにて解決である。ロークアットとリナンシーの問題がまだ残っていたけれど、今日は知らぬ振りをしてそそくさと退散しようと思う。

「リョウ様、わたくしは明日もわたくしでしょうか?――――」

 ログアウトしようかというところで、ロークアットが問いを投げた。その質問は諒太にも分からぬこと。また居合わせた全員がその意味を理解できなかったことだろう。
「もちろん。君は君のままだ。ロークアットがこの世界にいて本当に良かった。たぶん君がいなければ、俺はこの世界で何もできなかっただろう。世界は憎しみ合い、自然と失われていたはず。どのような明日が来ようとも俺は君の存在に感謝したい……」
 心からの謝意を。見知らぬ人族を信じてくれたこと。多額の借金を受け入れてくれたこと。世界が不安定な状態にあると知ってもなお協力してくれたこと。ロークアットがいなければ、きっと何も成されていないはずだ。

「でしたら最後に素顔をお見せください。少しばかりの謝礼を所望します……」
 そういえば諒太は奇面を被ったままだ。顔バレは望むことではないけれど、ロークアットの願いであれば拒否などできない。

 諒太は小さく頷いてドワーフの奇面を装備から外した。視界が一度に広がっていく。
 夕陽に赤く染められた大地や黄昏ゆく大空。これは紛れもない現実だ。たとえ恒久に続くものではなかったとしても、諒太はこの瞬間を決して忘れないだろう。

「リョウ様、やはり無粋な仮面は似合いませんね?」
 クスリと笑ってロークアットが諒太に歩み寄る。意味もなく景色を眺めていた諒太も彼女が近付いていると分かっていた。耳打ちにしてはあまりにも近すぎるということを。

「ロ、ロロ、ロークアット殿下、何を!?」
 瞬時にソレルが声を上げる。今回に限っては諒太も彼と同意見だ。けれど、諒太は頭が真っ白になり固まっている。まるで身動きできなくなってしまった。

「フフ、これで謝礼は完了です! 思い残すこともありません!」
 悪戯に笑うロークアット。今も石化魔法を浴びたかのように諒太は突っ立ったままだ。さりとて何が起きたのかは理解している。思考はまだ追いついていなかったけれど、諒太は自然と唇に手を当てた。

 まだ感触が残っている。鼻腔をくすぐる甘い匂い。それは紛れもない現実である。夢にまで見た美少女とのアレを諒太は今し方したのだと思う。
「ロークアット……?」
 元の世界線に戻って欲しいと今も願っているけれど、この事実だけは引き継いでもらいたいと思う。人生初の経験がなかったことになるなんてあんまりだと……。

 呆然としてロークアットを見つめていると、脳裏に通知音が響く。
 しばし余韻に浸りたい諒太であったのだが、浮かれることを許さないと言いたげに、それは再び脳裏へと鳴り続けている。

【着信 九重夏美――――】
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