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第二章 悪夢の果てに

帰路にて

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 諒太は夏美と一緒に下校していた。
 授業とは異なり二人共がやる気マックスである。
「リョウちん、真っ直ぐ帰るの?」
「まだやることがあるからな。製作にどれだけかかるか聞いておかないと」
 ウルムに砂海王の堅皮を手渡したものの、オリハルコンについては代理依頼なのだ。一応は悪徳商会にも顔を出しておくべきだろう。

「ああそうだ。ナツの盾はオリハルコンを使うことにした。砂海王の堅皮は未実装の可能性があるし……」
「オリハルコンってそんなの持ってたっけ? あたしは攻略ページでしか見たことないよ?」
 どうやらオリハルコンは相当な低確率ドロップみたいだ。存在するのは事実らしいが、夏美でも実際に見たことがないという。

「うんちのことだ……」
 真実を告げた瞬間、夏美が固まった。予想だにしない回答であったようだ。
「えええ!? それってリョウちんのうんち!?」
「声量を下げろ。人聞きの悪い……」
 諒太は経緯を説明する。砂海王の堅皮はグレートサンドワーム亜種からドロップしたものであり、もしも未実装であった場合に夏美のアカウントが停止される恐れがあるのだと。だとすれば選択肢はオリハルコンしかないってことを。

「うんちかぁ。何だか恥ずかしいなぁ……」
「文句を言うな。加工済みであれば誰も気付かん……」
 元々の形もうんちと言うより盾に近い。消化不良品というだけで、勝手に夏美がうんちと呼んだだけである。

「ナツも準備しておけよ。イベント参加の登録は済ませたんだろうな?」
「まだだけど、ちゃんとするよ。今回ばかりはミスじゃすまされないし……」
 アーシェが失われたことは夏美も責任を感じている。移籍以上に彼女を悩ませているに違いない。
 会話をしながら自転車を走らせていると、二人はいつもの交差点へと差し掛かった。そこはさよならをする場所だ。過去とは異なり、互いが背を向けて走り去る地点である。

「じゃあね、リョウちん……」
 寂しげな表情を諒太は見逃さない。そういえば真っ直ぐ帰るかどうかを問われていた。
 恐らくは一人になりたくないのだろう。長い付き合いなのだ。諒太は夏美の気持ちを推し量っている。かといって時間が足りない諒太は夏美の側にいてやりたくても、優先順位を誤るつもりがない。たとえ夏美が涙していたとして、人命には代えられないのだ。

「おい、ナツ!」
 ところが、諒太は意に反して夏美を呼び止めていた。こんなときかけるべき言葉。無意識に名を呼んでしまった諒太はあとになってから後悔し、続けるべく台詞を探している。

「あんまり悩むな……。ここまで間違った選択なんて俺たちはしていない。アーシェを救うにはロークアットの助力が必要だったし、移籍の件だって最善を選んだ結果だ。ナツは何も悪くねぇよ……」
 寧ろ現状こそが最適解だと諒太は思っている。諒太がプレイするよりも前に夏美が移籍していたのなら、アーシェを救う術はなかったし、移籍しないという選択は夏美のモチベーション的に選べなかった。世界線を移行させるという難題に直面しているけれど、諒太は現状がどうしようもなくなったとは考えていない。

「だから、そんな顔すんな――――」

 夏美には笑っていて欲しい。脳天気なあの笑みこそがデフォルトで備わる彼女のスキル。周囲を明るく照らす太陽のような笑顔が戻ることを諒太は期待している。
「リョウちん……?」
 呆気にとられる夏美。心情を見透かされたのだと理解した。やはり長い付き合いである諒太には語らずとも察せられてしまうのだと。
 次の瞬間には夏美に笑顔が戻った。大きく花弁を広げた向日葵のような笑みが蘇っている。

「それでいい。お前は馬鹿みたいに笑ってろ。辛気くさい顔は似合わん……」
 クスッと小さな笑い声が届く。優しげな眼差しがジッと諒太を捉えている。
「リョウちん、サンキュ……。馬鹿は余計だけど元気でたよ。やっぱ、あたしはリョウちんがいいや……」
 笑みをたたえたまま手を挙げて夏美は自転車を漕ぎ出す。恐らくは照れくさかったのだろう。妙な話を付け加えてしまったから……。

 帰路を急ぐ諒太はずっと考えている。夏美の言葉が頭にこびりついて離れなかった。
「俺がいいとか何も考えてねぇな……」
 幼馴染みという微妙な関係は二人の立ち位置を安定させない。友達よりも確実に近しい仲でありながら、男女という関係にはほど遠かった。けれど、それは居心地の良い距離であったはずで、つかず離れずの関係こそが諒太たちに相応しかったはず。

 これから先はどうなんだろうと考えずにはいられない。三年という空白が夏美との関係にどう作用していくのか。諒太は男として成長し、夏美もまた女として成長を遂げていく。

 今までと同じ感覚で過ごすのは限界なのかもしれない。だとしたら先ほどの対応は正しかったのか、或いは重大な過失であったのか。

 見つかりそうにもない解答を諒太は考え続けていた……。
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