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第二章 悪夢の果てに

突然すぎる出会い

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 昼休みになり、諒太はトイレへと駆け込んでいた。授業中を寝て過ごしたせいか、既に睡眠不足も解消している。午後の授業も寝て過ごせば、セイクリッド世界での活動に支障はないだろう。

 手を洗ってトイレを出た直後のこと、
「うおっ!?」
 諒太は女子トイレから飛び出してきた人とぶつかってしまう。幸いにも諒太は転倒することなどなかったけれど、ぶつかった女生徒は派手に転んでいる。

「すまん、大丈夫か?」
 別に諒太は悪くなかったのだが、一応は男として倒れた彼女を気遣っている。
「ぁ……ぁりがとぅ……ござぃます……」
 転倒した彼女は何だか見覚えがある。メガネをかけたこの女生徒を諒太はどこかで見かけたはず。

 しばし思い出すように彼女の顔を眺めてしまう。すると彼女は諒太の様子を察知したのか自己紹介をしてくれた。
「ぁ、ぇっと……。藤波……彩葉です……」
 とても小さな声である。激しく記憶をまさぐるような氏名。最初はピンと来なかったものの、諒太は何とか記憶を掘り返していた。

「ああ、イロハか!?」
「ぁ……はい。ぉ話しするのは苦手なので……できればSNSで……」
 言って彩葉はスマホを差し出す。確かネット番長だと夏美が話していた。目の前にいるというのに面倒であるが、せっかくだからアドレス交換しておこうと思う。

 QRコードの交換が済むと直ぐさま諒太のスマホが鳴る。たった今交換したばかりなのに、早くもイロハがメッセージを送ってきたらしい。

『リョウちん君ちゃーす! 飛び出しちゃってごめん! 反省☆してんだよ!』
 諒太は本当に困惑している。この豹変ぶりはどういうことなのかと。付き合ってやる必要もない諒太は彼女に直接話しかける。

「それで聞きたいのだけど、イロハはまだアクラスフィア王国に所属したままなのか?」
 移籍したという話は聞いていない。また彼女が移籍するとも考えていなかった。何しろ諒太は石碑に見たのだ。勇者ではないラリアットまで裏切り者とされたことを。もしも聖騎士イロハまで移籍したとしたら、彼女の名前も石碑に刻まれているはずだ。

『もちろんだよ。ナツについて行きたかったけど、やっぱ愛着あるし。ラリアット君のことは全員が知らないフリをしてる。私や彼まで移籍したら騎士団が回らなくなるからね。騎士団は街道周辺の魔物を排除したり、特別なクエストが沢山あるし』
 まあそうなるだろう。ただし、ラリアットに関しては今後必ず移籍するはずだ。この先に居辛くなるのか、或いは気分転換のどちらかによって。

「それでイロハ、頼みがあるんだ。明後日にあるアクラスフィア王国とスバウメシア聖王国での戦闘イベントなんだが、ナツを守ってやってくれないか?」
『んん? どういうことかな? イベントは戦争でしょ?』
 どうやら彩葉は気付いていないようだ。戦争と銘打ったのは運営の誤魔化しであることに。

「それは違う。運営の目的は二つある。現状のセイクリッドサーバーを期待する状態にすることが第一の目的だ」
 このイベントが企画された真意。よくよく考えるとそうとしか思えない。勇者を交代させることに加え、対策を取るべき重大な問題をセイクリッドサーバーは抱えていた。

『期待する状態? 現状は運営にとって好ましくないの?』
「タイミング良くナツが移籍しただけ。恐らく運営はナツの移籍がなくとも同様のイベントを企画しただろう。なぜならセイクリッドサーバーは運営の意図とかけ離れた状態にあるからだ」
 躊躇していたのはまさに勇者ナツの存在だろう。抜きん出たステータスを持つ夏美がアクラスフィア王国に所属したままでは踏ん切りがつかなかったはず。

「このイベントは単なる戦争イベントじゃない……」
 それだけは明らかだ。相次ぐ不測の事態に現状のセイクリッドサーバーは修正を必要としている。

『運営はどちらかの勝利を望んでいるんじゃないの……?』
「残念だが運営は勝ち負けを気にしていない。何しろこのイベントは裏の意味合いの方が重視されているから。三国を巻き込んだスバウメシアでのクーデターイベントとは異なる。告知には討伐対象が明記されていないだろ? あのクーデターイベントでは終了条件としてセシリィ女王、或いは反乱軍司令官を討つことが明記されていたはず。対してこのイベントの終了条件は一時間という制限のみ。その意味合いは容易に想像できる」
『確かにそうだけど考えすぎじゃない? アクラスフィア王国とスバウメシア聖王国間だけで戦争するのよ? ガナンデル皇国のプレイヤーは参加資格すらないし……』
「告知をよく読んでみろ。不自然な内容がある。それが運営の意図だ……」
 諒太の説明に彩葉はスマホを操作し始めた。イベントの告知を見返してみるつもりなのだろう。

【イベント告知】アクラスフィア王国の進軍
【概要】勇者ナツのスバウメシア聖王国への移籍によりアクラスフィア王国は混乱していた。不穏な空気が満ちる中、アクラスフィア王はスバウメシア聖王国へ宣戦布告をする。場所はスバウメシア聖王国南部の交易都市サンテクト。ここで両軍が衝突することになる。一時間の制限時間内を戦い抜かねばならない。
【補足事項】該当勢力に所属するプレイヤーは前日までに参加意思を表明してください。また調整に不具合が生じる恐れがあるため、本日よりイベント終了までガナンデル皇国から対象二カ国への移籍はできません。悪しからず了承くださいませ。
 なお敵対勢力に対してのみプレイヤーキルは罪に問われません。同士討ちは通常通り罪人扱いとなりますのでご注意ください。展開により様々な報酬を用意しておりますので奮ってご参加くださいませ。
 注意)予告なく内容が変更される場合がございます。

 息を呑む彩葉。最初は流し見ただけだろうが、よくよく考えると不自然な項目があると分かる。
『移籍……できない?』
 彩葉も不自然さに気付いたようだ。ガナンデル皇国に所属するプレイヤーはどうあってもイベントに参加できないということを。

「いちご大福の内乱イベントでは参加しようと多くのプレイヤーが直前にスバウメシアへ移籍した。結果的にいちご大福の不正でイベントは中止になったが、今回のみ移籍を禁止する理由はプレイヤーに楽しんでもらうって意味合いが薄いからだ」
『確かにそうだ……。これじゃあガナンデル皇国のプレイヤーは蚊帳の外だね……』
「つまり運営はガナンデル皇国のトッププレイヤーを減らしたくない。逆にアクラスフィア王国とスバウメシア聖王国の戦力を削ぎたいと考えている」
 あからさまな排除が導く答えはそれしかなかった。いちご大福の内乱イベントで不具合があったなら仕方ないけれど、その内乱イベントは中止となっている。運営が直前の移籍による不具合を発見したとは考えられない。

「運営はガナンデル皇国のプレイヤーを参加させたくないんだ。なぜなら今以上にガナンデル皇国のトッププレイヤーを失うわけにはならないから。その理由はお前も告知で知っているはずだぞ?」
 恐らくは諒太の推測通りだ。運営はアクラスフィア王国とスバウメシア聖王国の戦力を少しばかりそぎ落としたいのだと。

 彩葉は考え込む。諒太が話す告知とやらを思い出そうとして。
『もしかしてガナンデル皇国移籍キャンペーン?――――』
 なかなか鋭い問いが返ってきた。この辺りは夏美とは違う。残念な幼馴染みの友達が優秀であって何よりである。

「数週間前のクーデターイベントでガナンデル皇国のトッププレイヤーは軒並み死に戻ったと聞いている。つまりは戦力均衡が取れていない。次なるイベント【三国大戦】へと向かうのにガナンデル皇国の戦力が問題となっている」
 この先に三国大戦が起きるのかどうかは不明だ。しかし、運営の思惑はそこに繋がっているとしか考えられない。プレイヤーがルイナー討伐に参加するだけであるのなら、所属がどこに偏ろうとも構わないはずだ。

 現状はアクラスフィア王国とスバウメシア聖王国間が争うだけ。しかし、上手く均衡が図れたならば三国大戦となるだろう。だとすればセイクリッド世界の改変を抑えるためにも、このイベントを成功させてはならない。

「ナツの移籍は戦力均衡に利用されただけだ……」
『三国大戦? そんなの計画しているっての?』
「ガナンデル皇国所属プレイヤーを除外したことで予想できる。現状の戦力では三国間で争えないだろ? 三つ巴の戦争に発展させたいと考えるべきだ」
『いやでも、王国と聖王国のプレイヤーを戦争で減らそうなんて考えるかな? 移籍キャンペーンをするんだし……』
 彩葉はまだ理解していないようだ。戦争イベントまで企画する意味。運営が見積もっている展開について。
 ならば諒太は告げるだけだ。移籍キャンペーンにどれほどの効果があるのかを。

「じゃあ、もし移籍キャンペーンが始まったとして、イロハはガナンデル皇国に移籍するのか?」
 彩葉はリアフレである夏美が移籍したというのにアクラスフィア王国に留まった。愛着があるという他愛もない理由をつけて。

「えっ?」
 諒太の質問に思わず声を発する彩葉。更にはゆっくりと諒太の方を向き、彼女は小さく顔を振った。

「だろ? 要は運営が考える活発な移籍がなされていない。特にトッププレイヤーの移籍は運営の想定を遙かに下回っているはずだ……」
 移動に制限のないスバウメシア聖王国は別として、レベルを上げなければ移動すらできないガナンデル皇国に愛着を抱くものは少ない。またドワーフの国という癖のある背景も移籍が進まぬ原因であろう。

「だからこそガナンデル皇国に所属するプレイヤーを排除した。全ては戦力均衡を図るため。アクラスフィアとスバウメシアのトッププレイヤーを減らした上で、運営はガナンデル皇国への移籍キャンペーンを大々的に発表するだろう」
『確かにその通りだわ。騎士団でも移籍キャンペーンは笑い話だったもの。仲良くなった人たちと別れることになるのは嫌だって……』
 移籍が進まぬのなら強い勢力を弱体化させる。それこそが戦争イベントの意図であった。

「このイベントはナツを晒し者にし、運営の失態を隠す目的で行われる……」
『運営の失態ってなに? このイベントでナツは狙われちゃうんだよ?』
 憶測にすぎない話であるが、諒太は予想される原因を口にする。ことの発端に関しては間違っていないだろうと。

「スバウメシア聖王国でのクーデターイベント。それが失態の始まり……」
 セイクリッドサーバーは運営の想定を超えてしまった。廃人プレイヤーが集まりすぎたことこそが、失態に繋がっている。

「ボタンを掛け違った原因はいちご大福が想定以上の早さでセシリィ女王の好感度を上げきったことだ……」
 恐らく起点はそこだと思う。結婚イベントからクーデターへは一連の流れとして計画されていたはず。

「運営は計画通りにスバウメシア聖王国のクーデターを戦争に発展させた。だけど早すぎたんだ。本来ならもっと多くのプレイヤーがガナンデル皇国にいる想定だった。だけど、運営は先延ばしすることなくイベントを実行してしまう。計画通りに全プレイヤー参加型の大戦にしてしまったんだ……」
 クーデターイベントはガナンデル皇国勢力にNPCを水増しして行われたらしい。しかし、質で劣る反女王軍に勝機はなく、ただ蹂躙される結果となってしまった。

『確かに他のサーバーでのクーデターイベントはガナンデル皇国とスバウメシア聖王国の所属プレイヤーに限定されてた。アクラスフィア勢力は除外されてる。それって私たちのイベントが失敗だったと運営が認めたってこと?』
「攻略ページにセシリィ女王の結婚イベントが載ってしまったからな。他のサーバーもセシリィ女王の好感度を上げ切ってしまった。恐らくクーデターイベントは前倒しになったはず。本来なら移籍キャンペーンのあとを計画してたんじゃないか? かといって他のサーバーでクーデターイベントを実施しないなんてできない。対策としてアクラスフィア王国所属のプレイヤーを排除したのだと思う」
 アクラスフィア王国は最初に所属する国であるため、プレイヤーが一番多く所属している。結果から考えるとその設定からして間違っているのかもしれない。

「いち早くイベントを発生させているセイクリッドサーバーは運営にとって試験的なモデルとなっているのかもしれない。だけど、今回の戦争は思いつきのようで、実のところはあらゆる想定を済ませている。だからこそ運営は勝利勢力への報酬について述べていない」
 勢力図を変えようとしているのは明らか。だが、それさえも試験的であるように感じられる。
 一時間という制限はイベントとして短すぎるのだ。不測の事態に陥らないようにと定められたはずである。

「運営はナツの移籍に乗じて、調整と勇者交代という二つの目的を遂げようとしているはず……」
 運営が理想とする状況。それはアクラスフィア王国とスバウメシア聖王国の戦力調整であり、夏美を勇者の座から降ろすことである。

『ナツは絶対に狙われるだろうけど、本当に運営が仕組んでいるの? ただでさえナツは移籍理由を知らないプレイヤーに叩かれてるんだけど?』
「勇者の交代は運営が期待するところであり、王国と聖王国の戦力を削ぐことは運営にとって理想的な展開なんだ。ナツの移籍はこれ以上ないタイミングであって、双方を成し遂げるまたとない機会であっただけ……」
 夏美がスバウメシア聖王国に移籍したことは運営にとって誤算だったはず。ガナンデル皇国と対立していたスバウメシア聖王国の戦力強化はイベントの進行に差し障りがあったに違いない。

『ナツのせいにするなんて許せない! 普通に戦争イベントで良かったはずでしょ!?』
「あまり運営を責めるな。元はといえば、お前たち廃人プレイヤーが運営の想定を超えたことが原因だ。それに一応は運営もナツのことを考えている。一時間という制限はナツが戦え抜ける時間でもあるんだ。ナツに参加してもらうための譲歩ともいえる。勇者が参戦しなければ盛り上がらないからな……」

 勇者ナツが参加しなければ中止もあり得る。しかし、諒太はイベントの中止を望まない。移籍した事実がある限り、王国と聖王国は対立を続けるはずなのだ。

「まあ安心しろ。俺はナツを死なせたくない。何より……」
 諒太はセイクリッドサーバーに集った精鋭たちを信じている。廃人プレイヤーの巣窟と化したセイクリッドサーバーならば、自身の期待に応えられるだろうと。

「俺は運営に一泡吹かせたいと考えている……」
 対策が後手に回っていることに加え、夏美に責任の所在を丸投げした運営は懲らしめてやるべきだと思う。運営の思い通りにしてやる必要などなかった。

『どうやるの? 私も協力したい!』
 アクラスフィア王国騎士団でも筆頭格であるイロハの助力は正直に有り難い。
 彼女が同意してくれるのならば、諒太は告げるだけだ。計画の全てを彩葉に伝えるだけ。

「ナツは中立を宣言する――――」

 運営にとっては嫌がらせになるだろう。両勢力を弱体化させようとしているのに、どちらにも勇者が荷担しないだなんてことは……。

 意表を突く話であっただろう。明かされた作戦内容に彩葉は驚きを隠せない。
『そんなことできるの? 戦争イベントなんだよ?』
「まあ宣言したとして殆どのプレイヤーに無視されるだろう。だが、ナツは誰も倒さないと決めた。盾を装備し一時間を耐え忍ぶつもりだ……」
 夏美の覚悟を伝える。敵を殺めなければ攻撃の手が緩むはずもなかった。しかし、夏美は誰も倒さない。あずかり知らぬところで少なからず死者は出るはずだが、被害を最小限に留めて両国の間に立つだけだ。

 頷きを返す彩葉。親友だという彼女は所属こそ違っても夏美の味方であるらしい。
『じゃあ、ナツのために私も一肌脱ぐよ。騎士団員たちに協力を要請してみる。運営に一泡吹かせる? いいじゃん! おもしろいじゃん!』
 きっと彩葉は諒太の想定よりも働いてくれるだろう。あとは夏美がどれだけ聖王国側の協力を得られるかどうかだ。夏美は嫌われるような性格ではないし、心配無用かもしれなかったけれど。

「それでイロハ、少し聞きたいんだけど、グレートサンドワーム亜種って聞いたことあるか?」
 ここで情報収集を始める。夏美と対等なプレイをする廃人プレイヤーであれば、新たな情報を知っているかもしれないと。

『何それ? 初めて聞いたけど……。レアモンスターであるグレートサンドワームに亜種がいるの?』
「ああいや、知らなければ構わない。いるかもなと考えただけだ。じゃあオリハルコンは知っているか?」
 どうもグレートサンドワーム亜種は本当にレアであるみたいだ。最悪の場合は未実装も考えられる。

『オリハルコンの情報なら見たよ! でも本当に激レアらしいね。何でも大型モンスターの一部からドロップするらしいじゃん? うちのサーバーでは聞いたことないけど……』
 彩葉によるとオリハルコンは実装済みのようだ。ならば夏美の盾はオリハルコンにした方が良さそうである。下手に未実装の防具を手渡すべきではない。

「そうか、ありがとう。イベントはよろしくな?」
『リョウちん君は策士だね? すっごく楽しみになって来たよ☆』

 ここで彩葉と別れる。ついつい長話をしてしまったけれど収穫は十分だ。イベントは必ず乗り切れる。望む世界線に戻ることを諒太は疑わなかった……。
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