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第二章 悪夢の果てに

世界線の矛盾

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「アーシェは亡くなったじゃないか?」

 諒太は言葉を失い呆然と頭を振っている。問い質そうと考えるも、小さく動くだけの口からは何も発せられない。
「リョウの頑張りには感謝している。だが、君には時間が足りなかった。ただそれだけのことだよ……」
 まるでアーシェを救えなかったかのように語られている。諒太は確かにリッチを討伐し、不死王の霊薬を手に入れたはず。意識を戻すアーシェを間違いなくこの目で見たのだ。

「街外れにアーシェの墓を建てた。想い人であった君が祈りを捧げてくれるのなら、アーシェも喜ぶだろう……」
 どうやらたちの悪い冗談ではなく、重い口ぶりから明かされる話は真実であるようだ。諒太の記憶と異なる話は一つの可能性にしか導いていない。

「世界線が変わった……?」
 そうとしか思えなかった。受け入れ難いことにアーシェの未来にまで夏美の移籍が影響を与えた可能性。しかし、原因が少しも分からない。アーシェが回復したのは一週間も前の話であり、夏美の移籍により影響を受けるはずもなかったというのに。

「フレアさん、お墓参りに行きます。参戦の返事はあとでも構わないですか?」
「ああ、構わない。我々はもう君に頼るしか未来がない……」
 フレアと別れ、諒太は一人墓地を目指す。一応は確認しておかねばならない。本当にアーシェが亡くなったのかどうかを。

 城下の外れにある小さな墓地。諒太は白い花が供えられた真新しい墓を見つけている。
【アーシェ・マキシミリアン 没16歳】
 残念ながら墓地には聞いていたようにアーシェの墓があった。ここに彼女が眠っているだなんて、とても考えられない。

「アーシェ……」
 そこはかとない罪悪感に苛まれている。何も語らぬ墓を眺めては溜め息を吐くしかない。
 救ったはずのアーシェが死んでしまうだなんて。夏美に移籍を勧めたばかりにアーシェが死んでしまった。選択を誤ったとしか思えない。諒太は世界の改変を甘く見すぎていた。

「どうしてこうなった……?」
 思い返してみても現状に導かれた過程が不明である。ここまで諒太は普通に戦ってきただけだ。夏美が移籍した以外に特別なことをしたつもりはない。

「俺は不死王の霊薬を手に入れたはず……」
 アーシェが重体となってから諒太はリッチを倒すと決めた。グレートサンドワームを討伐したあとはオツの洞窟に籠もりレベリングに励んだはず。謎の指輪による効果を得ていたけれど、何とかリッチを討伐できるくらいにまでレベルアップできた。

 過去が記憶の通りであるのならロークアットと共にリッチを倒し、彼女の幸運値にあやかりつつも諒太は不死王の霊薬を手に入れたはず。
 一体何が問題なのだろう。どうしてアーシェの回復に夏美の移籍が関係してしまうのか。諒太は目一杯に頭を悩ませていた。

「ロークアット……?」
 ふと脳裏によぎる。現状を説明する一つの解。考えられる中でアーシェの回復がなかったことになるのは、それが原因であるとしか思えない。

「現在のアクラスフィア王国はスバウメシア聖王国と敵対している。だとすれば現状における俺は……?」
 アーシェが回復したのは一週間前だ。だがしかし、夏美が移籍したのはセイクリッド世界において三百年前の話である。諒太がプレイする時間軸とは隔たりがあり、予想する通りであれば夏美の移籍は確実に影響を及ぼしているだろう。

「この世界線の俺はロークアットに出会えなかったのか……?」
 現状のスバウメシア聖王国は敵対国である。人族である諒太はロークアットとの邂逅だけでなく、スバウメシアでのレベリングすらできなかったのかもしれない。

 夏美の移籍により経験したはずの全てが矛盾を抱え、改変されるべくして書き換えられた可能性。矛盾を排除していくと、確かに諒太はリッチを討伐できない。ロークアットの助力がなければ、倒すことも霊薬を手に入れることもできなかったのだ。
「ロークアットとの繋がりがなければアーシェは助けられない。だからこそアーシェは亡くなったことにされた……」
 まさか結果を遡ってまで修正されてしまうなんて。阿藤の告白がこんなにも多大な影響を及ぼすだなんて。昨日の時点では少しも想定できなかった。

「俺はまだアーシェに何も返事をしていない……」
 今さらになって後悔している。少しばかりの勇気を持ってさえいれば、諒太はアーシェに会うことができたのだ。先延ばしにした結果、墓前での再会となっている。

「アーシェ……」
 意図せず涙が零れた。悔恨の念に諒太は苛まれている。

「許してくれ……」

 膝をつき項垂れた。諒太には懺悔するしかなく、一方的な感情を墓前に投げるしかできない。
 これ程までに無力を感じたことはなかった。先週の行動は全てが無駄となっている。目的としていたのは世界を救うことじゃなく、たった一人を助けることであったのだから。

 予想はできなかったとして、せめて矛盾について諒太は考えるべきであった。改変を軽んじた結果が救われたはずの命を奪っている。
「どうしてだよ……」
 吐ききれない溜め息と共に漏らす。けれども、諒太は思考を再開していた。どこで何を間違ったのか。三百年という時間経過がどれだけ遡り現状を再計算したのかと。

「遡った……?」
 ふと気付く。昨日までアーシェは生きていたこと。それが今になってなかったことにされた。それはつまり逆のシチュエーションも起こり得るのではないかと。
「俺とロークアットが出会う矛盾さえなくなればアーシェは助かる?」
 諒太はこの現状を変えられるような気がしていた。常に揺れ動くセイクリッド世界だ。元に戻すことだって不可能ではないように感じる。歴史の起点が同じであるのだから矛盾さえ解消できればと。

「ナツをまたアクラスフィア王国へ移籍させたらどうだ……?」
 正すとすれば三百年前に違いない。今の諒太にできることではないはずだ。世界線を戻す鍵は夏美が握っている。勇者ナツであればアーシェが生きる世界線へと移行させられるかもしれない。

「しかし、スバウメシアに移籍した事実は覆らないか……」
 既にスバウメシア聖王国に移籍した事実。夏美のプレイ履歴はどうやっても覆らない。それこそ時間遡行でもしない限りは不可能だろう。
「もう一度、アクラスフィア王国に移籍したとして、今度はスバウメシア聖王国が夏美に対して不信感を抱いてしまう。スパイ疑惑にまで発展しかねない……」
 再びアクラスフィアに移籍するのは選択として誤りだ。最初の移籍がなかったことにならなければ、今よりも関係が悪化するはずである。

「だとしたら、どうすればいい? 両国の関係改善さえなされたのなら現状を変えられるはず……」
 現状で確定しているのはアーシェが盗賊に襲われて怪我を負うことだ。経験したどちらの世界線も彼女は瀕死になっている。生死を分けたのは諒太がロークアットの助力を得られるかどうか。そこさえ改善できればアーシェは助かる可能性がある。なぜならアーシェが失われたこの世界線においても諒太は彼女を救うために尽力したはずなのだ。

『リョウの頑張りには感謝している――――』

 フレアは時間が足りなかったと話していた。それは決定的な証拠である。この世界線の諒太もアーシェを救おうと動いていたのは間違いない。結果は伴わなかったみたいだが、どの世界線にあっても彼は同じような努力をしていたはず。いつ何時も諒太はアーシェを見捨てたりしない。だからこそ、この世界線にいた自分自身とロークアットを引き合わせるだけで良かった。二人が出会うという過去を用意するだけで未来は変わるはず。ロークアットの助力を得られさえすれば、必ずや諒太は同じ結果に辿り着いたことだろう。

「まてよ……?」
 ここで疑問が思い浮かぶ。自身の状態がどうなっているのか。恐らくこの世界線の諒太は謎の指輪を得られていない。だとすれば昨日よりずっと弱くなっている可能性があった。

 諒太は恐る恐るステータスを確認する。

【リョウ】
【勇敢なる神の使い(勇者)・Lv93】

 驚いたことに諒太は昨日のままであった。明らかに世界線は異なっていたのだが、何の影響も受けていないようだ。20近くレベルダウンする気がしていたのに。
「どうしてだ? 改変の影響はないのか?」
 そういえばフレアにもらったアクラスフィア王国史も改変の影響を受けていない。どうしてか目まぐるしく変化する世界に諒太は取り残されていた。

「影響を受けないなら、どうしてロークアットとの出会いがなかったことになる?」
 矛盾の解消が世界線の移行に繋がったのは明らかである。しかし、諒太はその影響下にない。今回も世界線を越えたのは彼だけのようである。

「ロークアット側の問題かもしれない……。俺は覚えていたとしても彼女自身は改変を受けてしまう。記憶にない出会いは消去され、俺を取り巻く人たちにだけその影響が及んだのか? だからロークアットが俺を知らないという現状はアーシェの生存可能性を否定してしまう……」
 諒太は改変の影響を受けないどころか関与すらできないのかもしれない。キーマンとなっているのは確かだが、実際に世界線を動かしているのは周囲の人々ではないかと思う。諒太の言動に対して、彼らがどう動いているかによって世界が変わっていくような気がする。

 ステータス画面を眺めていた諒太はここで気付いた。彼自身が少しも改変を受けていないという明らかな証拠に。

【アクセサリ】誓いのチョーカー(青)

 その装備品はロークアットにもらったものだ。現状の世界線では出会っていないはずの彼女がくれたもの。どうしてかセイクリッド世界は諒太にある矛盾を残したままだった。

『ロークアット、返事をしてくれ!』

 直ぐさま念話を送る。ロークアットなら即座に返事をくれるはずと。しかし、当ては外れてしまう。彼女が対になるチョーカーを装備していないからか、諒太の声は脳裏に響くだけであった。

 やはり現状のロークアットにとって諒太は見知らぬ者のよう。出会ってもいない人間に誓いのチョーカーを渡すはずもなかった。
「これはロークアットに会いに行くしかないな……」
 改変を受けていない諒太ならばリバレーションが使えるはず。聖都エクシアーノへの訪問経験がなくなっているとは思えない。

「時空の精霊よ、我に応えよ。無限に拡がる大地。遙かなる稜線の頂……」
 エクシアーノ聖王城にある貴賓室を脳裏に思い浮かべる。呪文を詠唱しつつ転移先の景色を心に描くのだ。
「リバレーション!!」
 ロークアットにさえ会えたのなら諒太にもできることがある。両国の関係を正すだけの権力と思慮深さが彼女にはあるからだ。

 時を移さず諒太はエクシアーノ聖王城にある貴賓室へと転移していた。かといって問題がないわけではない。諒太は兵に見つかることなくロークアットを探さねばならない。
「まだ夕飯には早い。だとすればどこだ? 確か先日は……」
 ロークアットと出会える可能性は極めて低い。ならば諒太は先にセシリィ女王と会うべきだろう。昨日は公務じゃなくプライベートルームにいた。聖王城の中で知っている場所は限られているし、諒太を一目で勇者だと見抜いたセシリィ女王ならば会う価値があるはずだ。

 諒太は再びリバレーションを唱え出す。確実に問題は発生するだろうが、今の諒太にできることは権力を持つ人物に関係改善を訴えるしかなかった。
 少しばかり期待をし、諒太は詠唱を終える。

「リバレーション!――――」
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