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第十章 闇夜に咲く胡蝶蘭

お断りしますと言えたなら

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 いつもと変わらぬ講義を受け、一日が終わっていました。

 イセリナと共に帰ろうとしていると、

「アナスタシア、少し良いかい?」

 講堂を出たところで、私は呼び止められています。

 それはアルバート貴院長。会うのはレセプションパーティー以来でしたが、一体何の用事なのでしょう。

 私はイセリナと目を合わせます。すると彼女は頷いて、馬車で待っていると返事をくれました。


 アルバート貴院長に連れられて、私は役員室へと。

 ここは生徒会のようなもので、その生徒会長に相当する役職が貴院長というわけです。

「えっと、何の用事でしょうか?」

 もしかして貴院長選挙に出馬しろとかいう話でしょうかね。

 イセリナであった前世はルークが貴院長となれるようにお手伝いをする側でしたけれど、役員室に呼ばれるあたり彼は私を後継に選んでいるのかもしれない。

「そんなに警戒しないでくれ。実は夜会の誘いを送ったのだが、返事がなかったのでな。直接返事を聞きたいと思ってね」

 どうやら選挙に関する話ではないみたい。

 かといって、胡蝶蘭の夜会に関する話は今朝聞いたばかりです。私の手元に届くまで、どれくらいかかったのでしょうか。

「手紙は今朝、公爵様から手渡していただきました」

 言って私は鞄から手紙の山を取り出しました。

 髭が既に開封していたのには腹が立ちますけれど、彼は保護者のようなものなので仕方なかったりします。

「そんなに誘われているのか!?」

「いや、まだ見ていないので分かりません……」

 今朝の出来事なので、中身は髭に聞いただけ。自分で確認などしていません。

「公爵が貯め込んでいたみたいです。中も公爵が確認してますし」

「うーむ、まあ君は未成年だから仕方ないのだが……」

 アルバート貴院長は頭を抱えています。

 それが中身を公爵に検閲されたからなのか、受け取った手紙の量なのかは不明ですけれど。

「いつ頃、返事をもらえる?」

 割と積極的なアルバート貴院長。返事をするタイミングについて聞いています。

「中を確認しないことには……。まだ三ヶ月先の話ですよね?」

「それはそうなんだが、私は貴院長だからな。流石にパートナー不在で出席するわけにはならん。令嬢たちにも都合があるだろうし、ドレスなどの準備も必要だ。私は君を選ぼうと考えているのだが、君の返答次第では他のご令嬢に申し込まなくてはいけなくなる」

 まあそうか。貴院長なのにパートナーがいないなんて、格好つかないからね。

 早め早めに行動していくものなのでしょう。

「二年生に素敵な方がいらっしゃるのでは?」

 私の質問には眉根を上げています。

 どうも私は地雷を踏んだのかもしれません。

「いや、君と踊りたい。それだけの話だ。貴族院での思い出として……」

「でも、私は子爵令嬢でしかありませんわ。アルバート貴院長とは釣り合いが取れません」

 公爵家のご長男と子爵家の長女では格差がありすぎる。

 来賓の方々が小首を傾げるようなことになってはアルバートに悪いからね。

「身分は気にするな。分かった上で申し込んでいるのだ」

「私が気にするのです。アルバート様が揶揄されるようなことになっては……」

 世話になっているのが、ランカスタ公爵家なのです。

 クレアフィール公爵家のご長男と踊るなんてことになれば、髭が良い顔をしないのは確実だし。

 従って、体の良い断り文句は身分差ということになってしまいます。

「ランカスタ公爵から出席しないように言われているのか?」

「ああいえ、公爵様は早く決めろと話されていました。手紙を受け取るのが億劫みたいです……」

 髭は別に私の相手など気にしていないはず。既にイセリナがルークと婚約しているのですから。

「まあでも、私は夜会に出席するつもりがありません……」

 待たせても仕方がない。私にはそのつもりがなかったから。イセリナとルークが踊る姿を平常心で見られるはずもないのだし。

 これで諦めてくれるでしょう。誰かの誘いを受けるのではなく、私は夜会に出席しない旨を口にしているのだからね。

「どうしてだ?」

 しかし、アルバートは問いを重ねています。夜会への出席は令嬢の夢だとでも考えているのでしょうか。

 ここは適当な話をして誤魔化すべき。それでアルバートには諦めてもらいましょう。

「行きたくないから……」

 ところが、私は本心に近い言葉を発している。

 嘘を口にしようと考えていたのに、どうしてか感情をそのまま告げていました。

「行きたくない? 華やかなパーティーなんだぞ?」

 アルバートに分かるはずもありません。私の心情なんて。

 でもね、そういうところよ。行きたくない理由くらい推し量って欲しいの。

「私が踊りたい相手はもういないのです……」

 感情が昂ぶる。瞳には涙が溢れ出しそうになっていました。

 ホント、自分が嫌になる。ハッキリと口にできないこと。余計な誤解を招く言葉しか選べないなんて。

「それはカルロ殿下のことか?」

「違うわ! カルロじゃない。たった一人に振り向いてもらえたら、私はそれで良かったのよ」

 涙が零れた。流石にアルバートは驚いています。

 声を荒らげる私に。泣き喚く私に対して。

「誰……なんだ?」

 躊躇ったのは聞きたくなかったからでしょうか。

 かといって、私は答えられない。答えたくありませんでした。

 嗚咽を漏らしながら、首を振るだけ。私にできる回答はそれくらいです。

 本当に勘弁して欲しい。泣き虫な私を今以上に傷つけないで……。


 何も言わず、私は役員室をあとにしていく。

 今も涙を流す私に、すれ違う人たちは一様に驚いている。

 でも、止められない。涙は止まりませんでした。明確な感情はどれほど上書きしようと、直ぐに姿を現してしまう。

 時間が解決してくれるとは到底思えません。

 結局、私はイセリナに宥められながら、帰路へと就くのでした。
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