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第六章 揺れ動く世界線

覚悟の末

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「アナ、もう戻ってくるな」

 私は息を呑んでしました。思わぬ話に。予期せぬその台詞に。

 戻ってくるなとはどこを指すの? サルバディール皇国じゃなく世界線のこと?

 でも、それは私が意図して戻っているわけじゃないのよ?

「カルロ様、信じるのですか?」

「信じるも何も、俺はお前に寄り添うと決めた。だからこそ、俺の知らない場所から戻ってくるなと言っている。俺の隣にいろと命令しているんだ」

 溜め息が漏れてしまう。本当にカルロは馬鹿だな。

 どうして、こんな与太話を信じちゃうの? 

 私のことが好きだから? 私の話を信じてくれるの?

「私だって戻りたいとは考えていません。そもそも、この時間軸に戻ってくるとは考えていませんでした。私はルーク王子殿下と……」

 言って私は口を噤む。

 それは語ってはならない話です。カルロには知られるわけにはならない話でした。

「ルーク王子殿下がどうして出てくる?」

 迂闊な発言をカルロは見逃してくれませんでした。

 こうなると説明するしかない。私がどんな闇を抱えて、この世界線にやって来たのかを。

 長い息を吐きながら、私は記憶のままに述べていく。

「貴方の時間でつい先ほど話したでしょ? 私はルーク殿下に言い寄られていたのよ」

 あの世界線に戻るはずだった。そう予想していたのに。

「保存された時間帯はルーク殿下と出会って間もない頃だと決めつけていたの。何しろ私はその場面で殿下に唇を奪われていたから。ロマンス好きのアマンダはその場面へと戻すだろうとね」

 結果はまるで違っている。

 あらゆる選択を失敗したかのような世界線でセーブするとは考えていませんでした。

「カルロ殿下がキスしてくれて助かったみたい。頬へのキスでも保存してくれたのだから」

「君はルーク殿下と会いたくなかったのか?」

 質問が続きます。

 まあ私の気持ちを知っているからこそでしょうけれど、それは酷な問いかけだわ。

「この世界線に来るため、私はキスしようとしたルークに顔も見たくないと言ったのよ? こっぴどく彼をフッて、泣きながらお城に帰る彼の背中を見つめていた……。本当に心が壊れそうだったわ。愛する人の名前すら、口にしてはならなかったのよ。大声で嘘だと言えたのなら良かったのに……」

 もうカルロにも分かったことでしょう。私が二度とあの世界線を経験したくない理由が。

 嫌われることが前提だったのです。だからこそ、こっぴどく振ったのよ。

 でも、私は彼と同等以上のダメージを受けていました。

「やり直したい気もあったのは事実よ。彼が王太子候補から外れてしまうなんて、私は望まないから。別れは必然であったけれど、家を飛び出すまでにしておくことが沢山あったの。再び心を痛めても、綺麗に旅立つことができたと思う」

 もしも書き置きじゃなく、ダンツに私の考えを伝えられていたとすれば。

 もし仮にルークが王太子候補のままであればと。

「でもね、女神アマンダはこの世界線に期待をしているみたい。何しろカルロ殿下が頬にキスをしただけで保存しちゃったんだもの。最後は滅茶苦茶になってしまったけれど、きっと活路を見出せるはずよ」

 結果から考えると最低だったけど、この時間帯の私にはまだ時間が残されている。

 二年という準備期間があるはずです。

「滅茶苦茶な最後だって?」

「ええ、その通り。十七歳の頃に起きるはずだった大洪水と飢饉、疫病が一度に襲ってきたのよ。私は世界にとって重要な人を守れなかったの」

 その話はカルロにとっても他人事ではありません。

 災害に見舞われたのは隣国なのです。長雨や飢饉、更には疫病の蔓延まで考えられます。

「今回は絶対に守り切ってみせる。私は友達を救うし、あの子たちの笑顔も守るわ。難題の全てをクリアしてみせる」

 やるべき事は明確になった。

 飢饉や疫病、洪水対策は分かっているんだもの。前倒しで実行していくだけなの。

「カルロ殿下、私は今よりルイ・ローズマリー。貴方様が望むことを全て受け入れます。時間も身体も好きに使ってください。だから、私に協力を。助力してください」

 頼れる者はカルロ皇太子しかいない。故郷を離れた私にできることは彼に頼み込むことだけだ。

 私はどんな境遇だって我慢する。その覚悟を告げるだけなんだから。

「アナ、いやルイと呼ぼうか。俺は割と強引な男だけど、女性に対して無茶はしない。特に気になる人に対しては……」

 私が身体とか口にしたからでしょうか。カルロは首を振っています。

「それに安い女性は好きじゃない。今の君では俺の興味を惹けないだろう。協力する気になれん」

 予想とは異なり、カルロは私に協力できないといった話をしています。

 ぶっきらぼうで奥手なのは知ってましたけど、身体を売るような話は禁句だったみたい。

「すみません……。使命を遂げなければなりませんので。殿下の心証を害したのであれば、母国へと戻ります。申し訳ございませんでした……」

 まだ間に合う。カルロが協力してくれないのであれば、即刻戻るだけだ。

 ダンツの開墾を促し、薬の量産に入るしかありません。

「まあ、待て! 言葉が悪かった。君が追い詰められているのは知っている。俺は協力したいんだ。誰だって構わないといった態度が嫌なだけだよ……」

 言ってカルロは再び口づけをした。

 今度もまた頬じゃなく唇に。どうしてか私が語った通り、好きにするつもりなのでしょうか。

「身体をご所望ですか……?」

「わわ、馬鹿を言うな! 今のは謝罪だ! 君の境遇を知っていたのにキツく言ってしまったから……」

 割と強引なのに純粋でもある。カルロは慌てて弁明を口にしていました。

「ならばご協力いただけるので?」

「君は全てを語ってくれた。一人で抱え込むには大きすぎる使命だ。俺には罰のようにも感じられた。知ってしまった俺は見過ごせない」

 そうか……。カルロは私の業を罰だと感じたのね。

 まあ、その通りかもしれない。私は終わりのない無限の罰を受けているんだもの。

 まるで地獄にいるような気がしていたのは間違いではなかったのね。

「カルロ殿下、お金を貸してください。今度こそ、忌まわしい世界線に終止符を打つため、私は出来る限りのことをしたいのです」

 身体を好きにしていいといった理由はカルロにも分かったことでしょう。

 私にはお金が必要です。コンラッドを雇うだけでは行き詰まってしまうのですから。

「どれくらいだ? 飢饉対策だろうか?」

「少なくとも白金十枚は必要です。時間がないので人を雇うしかないのです。ただ私には返済できる術がありません」

 頷くカルロはようやくと意味合いを理解してくれたようです。

 借金のカタに身体を差し出そうとしているのだと。

「女神アマンダは何とも厳しい役割を君に与えたのだな……」

「仕方のないことです。受諾したのは私なのですから」

 嘆息するカルロを見る限り、私の要請が通るようには思えません。

 皇太子であったとして、小国が白金貨十枚をポンと差し出せるはずもなかったのです。

「俺の個人財産で白金貨二枚。今動かせるのはそれだけだな」

 どうしよう。一応は朧気な計画があったのですけれど、白金貨二枚ではどうしようもない。

 私は再考するしかなくなっています。

「ルイ、どうするつもりだ? 全てに対処するのは難しいと思うけど?」

「殿下、私を泣き虫な女と過小評価されていませんか? 私はこの世界線を選んだときから覚悟しておりますの」

 もう突っ走るだけだ。だから私は最大限の覚悟を口にする。

 カルロがどう考えようと、私の決意は変わらないのですから。

「私は死すらいとわない――」
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