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第二章 繰り返す時間軸

攻略

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「お兄様のことをどうお考えですか?」

 何だかよく分からない話です。

 ここにルークはいないし、第二王子フェリクスは当然のこと自室にあるベッドの上であります。

「ルーク殿下でしょうか?」

「はい、僕は貴方様とルーク兄様のご関係を知りたく存じます……」

 顔を紅潮させて聞くセシルを見る限り、その問いが恋愛感情に結びついていると思えてならない。

 前世を除けば、まともに話をした経験は今日が初めてであったはずなのに。

(まだ攻略を始めたつもりもないのに……)

 原因があるとすれば、クリアデータを反映したというレジュームポイントでした。

 前世で私はルークだけでなく、セシルにも交際を申し込まれています。

 中身が同じであるアナスタシアにセシルは面影を見ているのかもしれません。

(現状から考えると、それくらいしか原因がない)

 ルークに続き、セシルもまた簡単に攻略できたという事実。レジュームポイントについての推論は否定できません。

 だけど、少しも嬉しくない。

 イセリナ時代にはルークを落とすのに何年もアタックし続けた経緯があるからです。

 レジュームポイントが更新されただけで、簡単に好感度を得られるだなんて私には受け入れられない。

(ガッカリしちゃうな……)

 まるでチートです。BlueRoseの廃プレイヤーとして恥ずべきことだと感じています。

 強くてニューゲームはよくある話であったけれど、これでは本当にプロメティア世界はゲームと同じじゃないの。

 課せられた使命は明らかであったというのに、簡単な返答ですら私はできずにいる。

 私以外の全員がキャラクターであるとしか思えませんでした。

「アナスタシア様……?」

 セシルは私の返答を促すように言った。

 溜め息が漏れてしまいますが、一応は頷きを返しています。

 なぜなら私はクリアするだけだもの。どのようなクソゲーであったとしても。

 このセシルは何も悪くない。もしも悪質なものがあるとすれば、とても歪なこの世界だ。

 乙女ゲームと似通ったこの世界こそが全ての元凶に違いない。

「ルーク殿下とは何も。不意打ちでキスされましたけれど、私には何の感情もございませんわ」

「キキキ、キスでしょうか!?」

 非常に落胆した私だけど、一応はシナリオを進めていく。

 さっさとクリアして終わらせるだけ。やはり私には魅惑のエンドコンテンツしかないのだと。

「ええ、一年前でしょうか。火竜を討伐したあとのこと。殿下とレグス近衛騎士団長様が所領にいらしたときですわ。耳打ちするのかと思いましたが、私は唇を奪われてしまいましたの」

 記憶の通りに話しているうち、私は吹っ切れていました。

 もう確信を得ている。プロメティア世界には真実の愛など存在しない。

 この世界はゲームなんだ。

 攻略し続けるだけの恋愛ゲーム。チートありの仮想世界において、リアルな感情などあるはずもありません。

 全員が都合よく用意されたキャラクターなのですから。

 私は停滞する時間軸を動かすためだけに、セシルの婚約者となって彼に愛されるだけよ。

 だってゲームなんだもの。

 此度の攻略対象がセシルであっただけだ。

「アナスタシア様は嫌だったのですか?」

「文句を言ってやりましたわ。不意打ちで唇を奪うなと……」

 不毛な遣り取りにも感じます。大好きなゲームも二周目ともなれば、新鮮味がありません。

 スキップ機能がないのなら、ボタンを連打するような感覚で会話を進めるだけです。

「アナスタシア様は意外と隙があるのですね?」

 今思えばイセリナでのプレイは楽しかった。

 しかし、此度のプレイを私が楽しめるはずもありません。

 序盤にもかかわらず、エンディングが見えたクソゲーをプレイさせられているのですから。

「あの日は疲れていただけですわ」

 急激にやる気を失った私は適当な返事をする。

 真剣に考える気力がなくなっていました。

 どういった行動を取ろうとも、レジュームポイントに刻まれた感情が何とかしてしまうだろうと。

「アナスタシア様は素敵な人ですから、お兄様が気に入るのも理解できます。自然体でとても気さくな方。貴方の笑顔を見ていると、僕は嬉しくなってしまいます」

 どのような美辞麗句を並べられたとしても響かない。

 クリアデータに誘導された言葉とか聞きたくもない。

 盲目的に好意を示されるだなんて、私は望んでいないのよ。

 だから私は感謝を述べることなく、取り繕うように笑顔を見せるだけで返答としました。

「アナスタシア様、どこか具合が悪くあられるのでしょうか? それとも僕が何か気に触ることでも申し上げましたか?」

 どうしてかセシルは感情の機微に気付いていました。

 不機嫌だったのは事実ですけれど、ちゃんと笑顔は作ったし、悟られるほど表情には出ていないはず。

「私の具合が悪い?」

「アナスタシア様の笑みが曇って見えます。気のせいなら良いのですけれど……」

 どうやら本当に見透かされているみたい。

 彼はゲームキャラなのに。セシルは前世界線の記憶通りに感情を示しただけだというのに。

「僕は貴方様に心から笑って欲しいです」

 続けられた台詞は鈍い痛みを伴いながら私の胸を叩く。

 それは決められた台詞? それとも本心なの?

 疑念が私を襲いますが、セシルは尚も続けました。

「どうか笑ったフリはしないでください……」

 今度は胸が張り裂けそうなほど痛む。

 セシルは表情にすら出していない私の気持ちを推し量っていました。

 心情とは異なる笑顔によって、やり過ごすことなどできないみたいです。

(あれ……?)

 どうしてか私の瞳から涙が零れ落ちる。

 悲しくも嬉しくもなかったというのに。咄嗟に拭ってみたけれど、それは次から次へと溢れ出してしまう。

「わわ、アナスタシア様!?」

「ご、ごめんなさい……」

 感情が抑えきれない。

 泣き止もうと考えるほど、私の涙は零れ落ちる。

 それこそ堰を切ったかのように溢れ出し、最後には嗚咽を漏らしています。

「アナスタシア様、僕にできることがあれば何でも仰ってください!」

 心配するセシルに対して私は首を振る。優しくされるほど胸が痛んだから。

 私は馬鹿だ。千年から生きたこの世界を否定するなんて。

 そもそも私は知っていたのに。彼らにはちゃんとした感情があることを。

 好き嫌いだけじゃない。悲しみもあれば憎しみもある。怒り狂うこともあれば、驚いたり笑ったりもします。

 こんな今も悲しげに心配してくれるセシルは絶対にプログラムされたものじゃない。

「セシル殿下、私を叱ってください。怒鳴りつけてくださいまし!」

 私は確かめようとしている。セシルという人格が存在するのかどうか。

「どうして僕がアナスタシア様を叱り付けるのです? 涙を流されている女性には優しくありたいと思います」

 大きな笑みが向けられていました。何の打算も感じません。真っ直ぐな感情が私に届いています。

「じゃあ、褒めてください! 私は美しいと褒め称えてくださいまし!」

「アナスタシア様は少しお休みになられてはいかがですか? きっと心が疲れているのでしょう。今のアナスタシア様は混乱されているご様子。僕は心から笑う貴方が素敵だと思います。だからこそ、お休みになって再びその笑顔を見せてください」

 セシルは私が誘導した通りには返してくれませんでした。

 それどころか身体の不調を心配されています。

 叱ることも褒めることもせず、プレイヤーである私の命令に背いていました。

 小さく頷く私。確かに混乱していたと思います。

 なぜなら、感情にまかせて突拍子もないことを私は口走っていたからです。

「私は小さい頃、お姫様になりたかった……」

 意図せず語り出してしまう。

 それは千年以上も前の話。セシルには分かるはずもない昔話を始めていました。

「アナスタシア様は伯爵家のお姫様でしょう?」

「いいえ、違うの。真っ白なドレスを着た私を、素敵な王子様が迎えに来てくれるという夢があった……」

 子供の頃の夢。高宮千紗であった私はお姫様になりたいと願っていました。

「私と王子様は永遠の愛を誓う。国民全員が祝福してくれる盛大な結婚式……」

 お姫様どころか結婚すら叶っていない。

 高宮千紗の夢は儚く消えました。

 社会に揉まれて、いつしか夢を忘れた。でもそんな折りにBlueRoseと出会いました。

「日常を忘れられた。本当に楽しかった。きっと今も私は夢を見ているままなんだわ」

 心の整理がついていく。

 高宮千紗は死に、天界で女神と天使に出会った。

 そして再び生を受けた。夢のようなこの世界に。

「今も私はお姫様になりたい――――」

 セシルがどう受け取るのか分からない。

 でも私は気持ちを言葉にしたかった。幼女の夢が叶うようにと。

「アナスタシア様、少しいいでしょうか?」

 戸惑うような話をしたというのに、どうしてかセシルは笑みを浮かべたままです。まるで私の戯れ言を聞き流していたかのように。

 セシルは耳打ちするように近付く。涙を流したまま妄言を口にする私に対して。

「!?」

 私は唖然と固まっていました。

 なぜなら、セシルの唇が重なっていたから。

 あろうことか、セシルはパーティ会場の真ん中で私に口づけをしていました。

 背後からどよめきが聞こえる。悲鳴にも似た声までしていました。

 セシルの動向を追っていた貴族たちから。次のダンスパートナーに指名されようと待っていたご令嬢たちから。

「ででで、殿下!? なんて事を!?」

 刹那に我に返っていました。

 流石に公衆の面前で口づけだなんて看過できません。

 私は伯爵令嬢でしかありませんし、今はまだ相応しい相手ではなかったのですから。

「アナスタシア様、僕は貴方に心から笑って欲しい」

 真っ直ぐに見つめるセシルは今も私の感情を見透かしているかのよう。

「お姫様になりたいのでしたら、僕が叶えて差し上げます」

 貴方は気弱な第三王子殿下よね? ゲームでは一度も王様になんかならなかったよね?

 私の疑問を解消することなく、セシルは続けました。

「アナスタシア様が王座を望むのであれば、僕は兄をも超えてみせましょう」

 ゴクリと息を呑む。もう明確になっていました。

 分かっていたことだけど、プロメティア世界はゲームじゃない。

 BlueRoseを模倣した世界ではありませんでした。

 廃プレイヤーたる私がまるで知らないルートへ突入していたのですから。

「僕は王太子に選ばれます」

 気弱な王子殿下は常に第三王子殿下のままでした。王様になりたいと口にしたことすらなかったというのに。

 ルークに引け目を感じていたセシルはもういない。

 妾の子である後ろめたさ。セシルはもう感じていないのか、堂々と次の王となるために手を挙げたのです。

「アナスタシア様、僕は決めました。生まれて初めて王子という身分で良かったと思います。貴方の夢を叶えられるのですから」

 どうにも困惑したけれど、セシルは本気なのでしょう。

 焚き付けたつもりはないのですけれど、結果的に彼は王座を手にする決意を固めていました。

 兄弟による王位争奪戦だなんて複雑なシナリオは乙女ゲームにはなかったというのに。

「本気……でしょうか?」

「こんなこと冗談で言えませんよ。僕は二人のお兄様を尊敬しておりますから。それでも譲れないものがあります。その権利を得るためならば、僕は兄様をも超える。その上でアナスタシア様には選んで欲しいのです」

 奇しくも私は幼少期に望んだ純白のドレスを身に纏っている。

 夢に願ったように迎えが来るのかもしれない。私に愛を囁く王子様が……。

「どうか王太子セシルを選んでください」

 私は顔を振る。兄弟の争いなんて望んでいない。

 さりとて、もうそれは避けられないのかもしれません。

 王太子とは次期国王に指名された者の称号です。

 往々にして第一王子が選ばれるものでありますが、明確に宣言したセシルは動き出してしまうことでしょう。

 各諸侯の支持を取り付け、王太子となるために行動していくはず。

「どうして……私なのです?」

 聞いておきたい。この決断に至った理由を。私が選ばれる明確な根拠というものを。

「ルーク兄様が話しておられました。兄様は格好いい女性が好きらしいです。まあそれで、晩餐会の折りを楽しみにしていたのですけれど、その時に見かけた笑顔が眩しすぎました」

 晩餐会とは火竜退治のあとで催された食事会のことでしょう。

 ほぼ苦笑いだったと思うのだけど、セシルには眩しく見えたらしい。

 セシルは語っていく。アナスタシア・スカーレットのために、王位争奪戦を始める理由の全てを。

「僕は笑顔の素敵な女性が好きなのです。言葉は悪いですが面白い人が好き。愛嬌があるというか……」

 えっと、ただの好み? いや、それは分かるけれど、私は伯爵令嬢でしかないのよ?

 王子殿下が奪い合うような身分では決してないのです。

「私は伯爵家の人間ですよ……?」

「存じていますよ。だけど、それが貴方様を兄に譲る理由にはなりません。僕は愛したい人を選ぶ。そのあとの問題とか考えたくもない。またそれはルーク兄様も同じだと思います」

 どうやら、私が考えていたよりも、プロメティア世界はずっと現実でした。

 愛するという感情に障害はない。感情が芽生えたのなら突き進んでしまう。

 段階的に好意を抱くこともあれば、瞬間的に燃え上がる恋もある。

 いずれにせよ感情が生まれたのなら、人たちは心を偽らない。感情こそが人を動かす根幹であるのですから。

「考えさせてください……」

 それ以上の話はできませんでした。

 何だか思考が纏まりません。

 私の使命的には二つ返事で答えるべきであったというのに、本気の感情に気付いた私は使命だからという理由で選べませんでした。

 今もまだ会場中の視線を独り占めしている。

 ルークに気付かれていないのは幸いだけど、多くの貴族が私たちの動向を注視していたことでしょう。

「アナスタシア様、僕と踊って頂きありがとうございました。お陰様で、僕は生きる目的が得られた。王子として産まれた僕の宿命に気付けました」

 ジッと私を見つめる真っ直ぐな瞳。聡明な方であるのは前世からも知る通りです。

 レジュームポイントの推論はともかく、セシルは歴とした人格を持つ人間でした。

 だからこそ私は突きつけられた明確な想いに当惑するだけです。

 高宮千紗であった頃から、いやイセリナとして生きた人生でも真面目に捉えなかった感情というものを考えさせられています。

 ゲームでも攻略でもない愛の形。私はいつになれば理解できるのでしょう。

 愛し愛されることはプログラムされたことではない。

 答えなどあるはずもない愛について私は思考し続けていました。

 一つだけ分かったこと。

 揺らぐことすらないセシルの視線は、朧気でありながら一定の結論に誘っています。


 もう攻略じゃない――のだと。
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