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第一章 前世と今世と

ランカスタ公爵領ラルクレイドにて

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 王家の保養地をあとにしたイセリナは、往復で十日間をほぼ馬車で過ごすという上位貴族らしくない休暇を過ごしていた。

 ところが、イセリナは元気一杯である。

 何しろ、とても興味を惹く同年代の少女と出会ったから。

 父ゼクスが気に入るだなんて滅多矢鱈とあることではないし、自分自身も仲良くなれそうな気がしていた。

「裁縫士、生地はこのディープブルーにいたしますわ!」

 イセリナはランカスタ邸に戻るや、公爵領の中心地であるラルクレイドへと繰り出している。

 懇意にしている服飾店にて早速と約束のドレスをオーダーしていた。

「イセリナ様!?」

 どうしてかイセリナは声をかけられている。

 ランカスタ公爵領内ではあったけれど、気安く声をかけられるイセリナではなかったというのに。

 振り向くや、声の主が判明する。

 イセリナに声をかけたのはランカスタ公爵家の南西に隣接する伯爵家のご令嬢であった。

「オリビア、このような場所で珍しいですわね?」

 伯爵家のご令嬢オリビア・アドコックは幼い頃からイセリナを慕う者の一人だ。

 アドコック伯爵領は元々王領である。

 宮廷貴族であったアドコック子爵が伯爵に陞爵した折り、賜った所領がランカスタ公爵領の南西であったのだ。

「実は大好きな劇団がラルクレイドで公演中なのです。宿を取っておりまして、公演が始まる夜までは大通りを散策しております。まさかここにイセリナ様がいらっしゃるとは……」

 オリビアは確かにアドコック伯爵からイセリナとの関係について口うるさく指示されていたけれど、お家事情とは関係なく彼女はイセリナを慕っている。

「その生地はイセリナ様のドレスを仕立てるものでしょうか?」

「いいえ、これはプレゼントするための生地ですわ。先日、面白い子と出会いまして、あまりにも小汚い格好でしたので、ドレスを贈ることにしたのです」

 意外な話にオリビアは驚いていた。

 イセリナの交友範囲は決して広くない。悪名高い父親のせいで、イセリナに近付こうとするものは限られているのだ。

 交友どころか、彼女を敵視する令嬢も少なくなかったというのに。

「イセリナ様が気に入られるご令嬢とかどのような方でしょう?」

「あら? それなら紹介しますわ。かといって田舎の世襲貴族ですからね。こちらまで出てくるのは難しいかもしれませんわ」

 余計に分からなくなる。どうして、そんなご令嬢と親しくなるのかと。

 所領以外は王都くらいしか行動範囲のないイセリナ。田舎貴族と出会う場面などあるはずもない。

「どこでお知り合いに?」

「んん、まあ平たく言えばお父様のお仕事関係でしょうか。ワタクシも同行しておったのですわ」

 ようやくオリビアは経緯を理解した。

 要はそのご令嬢も父親の付き合いで来ていただけなのだと。

「公爵様とパートナー契約を結ばれるような貴族様ですか。所領運営を学ばれるために付き添いされるだなんて、意欲のあるご令嬢様なのですね?」

「ああいえ、そういうわけではございませんわ」

 どうしてか否定されてしまう。

 せっかく納得したというのに、オリビアは困惑させられている。

「その令嬢こそが、お父様のパートナーですわ」

 目が点になっていた。

 ランカスタ公爵は一癖も二癖もある人物だ。相手を見る目は厳しく、用心深くもある。

 そのような公爵が田舎のご令嬢と仕事をするなんて考えられない。

「本当でしょうか?」

「面白い令嬢だと言ったでしょ? アナスタシアはワタクシが知る如何なる令嬢とも異なります。何しろお父様を出し抜こうと策を講じて来たのですから」

 オホホホと上機嫌なイセリナ。

 彼女自身も目を疑ったのだ。まさか父であるランカスタ公爵に一杯食わせようとする令嬢が存在するなんてと。

「それは公爵様の不興を買うことになりませんでしたか!?」

 後日談として策が語られるのであれば、ご令嬢が講じた策は見抜かれてしまったはず。

 ランカスタ公爵の力をもってすれば、田舎貴族など瞬く間に廃爵とされてしまうだろう。

「逆ですわよ? お父様は大層アナスタシアを気に入りました。誰も予想できない策だったのですわ。ワタクシが一言申し上げなければ、今頃公爵家は何の価値もない岩山を白金貨五枚で購入していたことでしょう」

 再びイセリナの高笑いが木霊する。

 まるで自分がランカスタ公爵を救ったかのように。

「ワタクシもアナスタシアを気に入りました。田舎に閉じ込めておくのは惜しいですわ。とりあえず都会に出てこれるようなドレスを贈ろうと思いましたの」

「それでもディープブルーのドレスだなんて、まるでイセリナ様のイメージですね? 凛々しく聡明なお方なのでしょうね」

「いえ、アナスタシアはどちらかといえば可愛らしいですわね。この生地は本人の希望ですわ。ワタクシはピンク色が似合うと感じたのですけれど、どうしてか深い青色を望んでおりますの」

 アナスタシアという令嬢。オリビアは気が強いのだと思った。

 なぜなら、青色はイセリナが好んで身につけている。公爵令嬢であるイセリナと衣装が被るなんてあってはならないことなのだ。

 それがたとえ、色味だけであったとしても。

「私もお会いしてみたいです……」

「ええ、オリビアにも紹介いたしますわ。きっとまた面白いことになるでしょう」

 アナスタシアという令嬢についての話が終わると、オリビアは少し表情を曇らせてイセリナの耳元で囁く。

「それでイセリナ様、キャサリン様がまたイセリナ様の話をしております。イセリナ様に理由もなく悪口を言われたと。王城にて騒ぎ回っているとお父様が話しておりました」

 キャサリンとはランカスタ公爵領の東隣にあるデンバー侯爵家のご令嬢である。

 過去にランカスタ公爵から詐欺紛いの取引を持ちかけられたこともあり、両家の仲はすこぶる悪い。

「ワタクシは二週間近く留守をしていたのよ? キャサリンの悪口を言っている暇などありませんわ」

 今回に関しては潔白である。王領どころか公爵領にすらいなかったのだ。

 完全に濡れ衣であり、イセリナは相手にしようとしなかった。

「イセリナ様、どうかお気をつけください。キャサリン様は貴方様を完全に敵視されておりますから……」

「気にしませんわ。何を言われても、あの子はワタクシを無視できない。何しろワタクシは彼女の誕生パーティーに誘われておりますからね。面と向かって文句を言えないだけでなく、気を遣っているのです。そのような弱者に、ワタクシが何かされるとは思えません」

 密告のような話だが、イセリナは笑い飛ばしている。

 王家ならばともかく、キャサリンは侯爵令嬢なのだ。何も気にする必要はないと考えていた。

 しかしながら、イセリナの認識は甘かったと言わざるを得ない。

 自身が悪役令嬢であったことを知らぬ彼女は思い違いをしていた。
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