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第一章 前世と今世と

イセリナ・イグニス・ランカスタ

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 王家の別荘地。それは透き通るような湖の畔にありました。

 王家の持ち物ではあるけれど、申請さえ受理されたのなら下級貴族でも利用できます。

 もっとも利用料金はうちの子爵家に払える金額ではないのですけれど。

「記憶のままだわ……」

 美しい小川が流れる花畑の一角に純白の邸宅が見える。

「んん? アナスタシアは王家の別荘に来た経験などないだろう?」

「アハハ! そうだったわ! 子爵邸はどう見ても馬小屋だもんね?」

「ほっとけ。お前の実家なのだぞ?」

 睨むダンツを余所に、私は門の前にいる守衛へと話しかけた。

「スカーレット子爵家の当主をお連れいたしました……」

 メイドではないのだけど、令嬢といえる格好でもない。

 一応は正装をしたダンツを立てておくべきでしょう。

 守衛は公爵家の人間だったようで、直ぐさま私たちはランカスタ公爵が待つ部屋へと通されている。

(ちいっとばかし緊張しちゃうね……)

 使用人がこの扉を開くと、私は前世の自分と対面することになる。青き薔薇の成長を嫌でも見せつけられることでしょう。

 子爵家とは異なり、少しのノイズもなく大扉が開かれていく。

 仄かに甘い香りが漂う。鼻腔をくすぐるその匂いは前世で好んで使っていた香水に違いありません。

「失礼いたします」

 ボロボロのスカートの裾を上げてランカスタ公爵に挨拶を済ませる。

 私に続いてダンツが深々と頭を下げた。

 あらら? かなりテンパっている様子。もう既に期待できそうにないわ。我が父は完全に呑まれている感じです。

「わざわざすまないな。儂がゼクス・イグニス・ランカスタだ……」

 威圧感を振りまいてダンツを萎縮させる髭。時代も時代ならパワハラだよ。

 これでも私の父上なのよ。そんなに上から見下ろさないでくれるかしら?

「ランカスタ公爵、初めまして。父の業務を手伝っておりますアナスタシア・スカーレットと申します」

 身なりはともかくとして、礼儀だけは完璧に。

 既にダンツが役に立たないのだから、私が矢面に立つしかない。

「ほう、優秀な娘がいると話には聞いていたが、うちの娘と同い年には見えぬ落ち着きだな」

 一応は貴方の娘でもあったのですけどね。

 残念ながら現在において、優秀なる貴方の娘は敵方についておりますの。

「イセリナ、こちらへ来なさい」

 髭がそういうと、奥の部屋へと繋がる扉が開く。

 ようやくとご対面だ。青き薔薇イセリナ。貴方が信頼できるかどうかを見極めてあげるわ。

「っ……」

 ガチャリと扉が開くや、私は息を呑んでいた。

 何度も鏡で見ていたはずなのに。毎日その姿を見ていたはずなのに。

「イセリナ・イグニス・ランカスタですわ」

 眼前に現れたご令嬢に私は見惚れている。

 見慣れた美しい金髪や見覚えのあるドレス。その美貌や堂々とした態度まで。

「あら、可愛い子豚ちゃんね……?」

 完全に呆けていた私だけれど、イセリナの声に意識を戻していた。

(あれ?)

 明らかにおかしい。私とイセリナは初対面なのです。だというのに彼女は知っていました。

 それはブルーローズファンの間で呼ばれていた愛称。私がファニーピッグのアナスタシアだと、どうしてか彼女は知っていたのです。

(まさか、これが反映された結果ってこと……?)

 新たな世界線においてイセリナは私じゃない。

 けれども、アナスタシアの愛称を知っているわけ。女神アマンダが話していたレジュームポイントへの反映に他なりません。

(今の私は子豚と称されるような体型じゃないし……)

 私は第三王子セシルを口説かねばならないのです。

 彼を射止めるため、体型には細心の注意を払っているのよ。だからこそ、子豚だなんて印象を持つはずがないの。

「お初にお目にかかります、イセリナ様。私、体型には気を遣っておるのですけれど、太って見えるのでしょうか?」

 ここは確認するしかない。

 私の中で確定事項であったものの、彼女自身がどう考えているのかを知るために。

「あら、そういえばそうね? 服装はともかく、貴方はどちらかというとお痩せになっていますわ。どうしてか貴方を見た瞬間に子豚ちゃんという言葉が口を衝いてしまったのです」

 言ってイセリナはあろうことか子爵令嬢アナスタシアに対して頭を下げている。

(嘘でしょ……?)

 どうにも不可解でした。高慢ちきな悪役令嬢が非礼を詫びたのです。

 しかし、この行動により私の憶測は真実味を帯びていく。

(このイセリナは……)

 冗談じゃないよ。この世界線は前世界線の結果を反映したとかいう単純なものじゃないわ。

 女神アマンダが語ったような生温い世界線とは違う。

 アナスタシアの通り名を知っていたことや、イセリナの処世術に疑いはなくなっていました。

 それは一つの解答にしか導いていない。


 このイセリナは私自身だ――――。
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