一から十までの距離:雨に濡れた夜~僕が未来を見つけるまで~

森崎こはん

文字の大きさ
16 / 25
本編・中盤

中盤9(玖音視点)

しおりを挟む
 書類上の職場のユニットバスで目が覚める。こんな目覚めの悪いのはいつ以来だろうか。玖音は足音に気を配りながらメインルームへ入る。

「寝てたなら良かった。」
逃げていない事に謎の安心感を覚え、ベッドで寝ている三国を横目に、その部屋を出て自宅へ向かう。あの少年のは無責任な事をしてしまったと思いつつも、これ以上一緒に行動すれば、彼の人生を破壊するどころか、命まで危険に晒す。


 自宅へ戻ると、予想通り父親が待っていた。加えて、三国の荷物をリビングにまとめてあった。

「遅かったな。」
「よく、ここに戻れたね。それにご丁寧に荷物までまとめてもらって。」
「私には美学がある。」
「そりゃどうも。ところで、僕をカシラにするって話は無効になったの?」
「いいや、期限内に達成出来れば……の話。期待している。」
期限は来月半ばだが、この口振りだと今週中には彼の計画は完遂させるようだ。

「自分で潰す気満々なのに?」
「私には美学があるのだよ。」
玖音は話が通じないと見切りを付けて、荷物一式を持って家を出た。元から胡散臭いどころか、破滅的な人ではあったが、今回ばかりは全く目的が分からない。数間組を畳みたいだけなら、こんなに面倒な手順を踏む必要は無いのに。


 三国の寝ている部屋に車で戻る。なぜ父は三国を執拗に狙っているのか。これまでの事を考える。三国の家で、父が部落に関わっていることがバレた。その上、その家は薬物騒動の拠点の一つになっていた。つまりは、父が薬物騒動を知っていたことにはなる。それを隠すために拠点を燃やそうとしたのか?その日に傘下組織からの援助ができないようにした上で、玖音と三国に穣岳会へ行かせて、何かしらの危害を加えるつもりだったのだろう。それにしては大掛かりすぎる。

「おはようございます。」
三国が起きたらしく、背後から声がする。

「おはよう。カバンとか回収しておいたから。」
せめて、持ち物くらいは全部返しておこう。何かを返すために訪ねる事のないように。

「最後……なんですね。」
寂しそうな声で三国が言う。これまでの玖音の人生の中で唯一、約束を果たすことなく、手放してしまった子だ。

「行こうか。」
周囲に気を配りながら、玄関を出ると、父が立っていた。職場のビルなので当然と言えばそうなのだが、別の意図を感じる。

「探した。それだけ。」
そう言い残すと、目の前から去ってしまった。おそらく、ここに三国を匿っても意味がないと言いたいのだろう。そして、「美学」とやらのために今は手出ししなかっただけなのだろう。

「君の安全を確保できるのは、高校と駐在所の中だけだ。」
三国に念を押す。しっかりとした証拠が無い以上、我々反社が手出しできない公的権力で保護できるとしたら拾尾の家しかない。


 三国を高校へ送る。この時期のは珍しくはないが、土砂降りの雨だ。つい昨日までからかって遊んでいたのが嘘のように静かな車内だった。無言で三国を車から降ろすと、職場へ向かった。


 職場に着くと、普段通りのデスクが出迎える。予告して一日空ければあんなに散らかることは無い。

「あ、玖音おはよう。」
漆野が呑気に挨拶をする。
「おはよう。」
「なんか、体調でも悪い?昨日、寝かせてもらえなかったの?」
漆野にしては珍しく、心配そうに声を掛ける。

「んー、まあ。考えごと。」
「そっか……相談になら乗るよ?」
「いや、家庭の事情ってやつ。」
「そっか」と漆野が返事をすると、目の前の仕事に取り掛かった。

 昼が過ぎる。世間の昼休みにアポを取る客が多いせいで、玖音の昼休みは午後三時を過ぎる。食事を取りながら、パソコンで地域ニュースを見ると、部落での火災が目に入った。

「嘘だろ。」
写真を見てすぐに三国の家だと分かった。詳細を読むと、三国は無事だったようだ。何の「美学」かは知らないが、親父もえげつない事をする、と玖音は父に軽蔑の念を抱いた。一方で、これで三国が合法的に保護されるのではないかと、少し安心した。

「玖音、どうしたの?」
デスクに戻ってきた漆野が、背後から近寄る。彼もパソコンの画面を見て驚く。

「え!あんなところで火事?うわぁ……」
他人事のようにニュースを見る。実際、彼にとっては他人事だが。

「あ、そうだ。玖音はご飯食べた?まだなら一緒にどう?」
同僚に向ける和やかな笑みで、玖音を誘う。

「止めとく。人と食べるの嫌いなんだよ。」
「人は食べるのに?」
玖音の耳元に漆野が近づき、囁く。こいつの精神構造もなかなか謎である。そうやって距離が近いから、他人に交際してると思われるのに。

「人肉は食べないよ。人を何だと思ってんの。」
漆野の顔を手で払うと、コンビニで買っておいた食事と共に談話室へ向かった。

 玖音は食事を摂るが、全く味がしない。三国に対して果たせなかった責任と、手放す時に感じた『続き』に対する執着が頭を過る。

「まあ、でも、取り敢えずは目先の『外来マフィア』を潰そう。」
こういった事態に備えてならず者を手懐けておいて正解だった。『外来マフィア』を叩きのめせば、若頭の条件である薬物事件はクリアはできるはずだ。

「でも、親父は知ってたんだよな。」
わざわざ玖音に課題に出すということは、「部下の統率」という課題にも確実に一枚噛んでいる。つまりはどこかで玖音の邪魔をしてくると思っておいた方がいい、ということだ。

「あのマスターはどうだろ。」
親父については『賭け』と言っていた。そもそも、マスターに一人前として認めさせるには何が必要なのだろうか。玖音の人生の中で初めての挫折、座礁感。

「僕って意外と何にも出来てないんだな。」
味のしない食事を終えると、仮眠を取った。


 気持ちが沈んでも時間は進む。いつも通り仕事をこなし、退勤する。作戦を練ろうと、いつものバーへ向かう。

「おう、来たのか。」
マスターがカウンターから声を掛ける。

「来たよ。」
いつものように、カウンターへ座る。土砂降りだったせいか、客は玖音しかいなかった。

「ほう?しおらしいじゃないか。」
「そう?まあ、そうだね。」
「気味が悪い……」
マスターは眉間に皺を寄せる。玖音はぼんやりとしながら、壁のメニュー表を見ていた。

「そういや、マスター。ウチの親父の賭け事について知らない?」
「お前に勝ち目なんてぼぼ無かっただろ?」
「よく知ってるね。結局、あの人にとって何が『勝ち』で何が『負け』なんだろうね。」
「知らん。あれを人間の価値観に当てはめるな。お前も大概だが。」
「酷いなぁ……」
対外的な笑顔も作れないまま、玖音は飲み物を注文する。目の前に酒が置かれても、なかなか口を付けられない。

「お前にとっての『勝ち』は何だ?」
「んー、組の存続……かな?」
「どうでもいいだろ。お前がいなくても組は存在する。そもそも、お前はトップに向いてないだろうが。」
「いや、そんな……」
玖音は反論しかけて黙る。根回しと後ろ楯を用意するのも、責任を負いたくないからである。組の構成員の命運を預かるのは責任が重すぎるかもしれない。

「好きでも無い奴も好きな奴も、どっちにも行けるように、気を持たせて宙吊りにして。」
「耳が痛いねぇ。」
「それくらい選べ。他人の為なんてものは存在しない。賭けに勝ちたいのもなにも、お前自身の為だろ。」
「そうだね。」
玖音は目の前の酒を飲み干す。

「一気飲みするんじゃねぇ。倒れるぞ。」
マスターは柔らかい微笑みで玖音を見つめた。


 身を隠すための部屋に戻る道中、漆野に出会った。

「漆野なにやってんの?」
会社のビルの裏口、玖音が隠れ家にしている部屋へ続く階段に、漆野が傘を差さずに座っていた。

「あ、玖音だ。家の鍵をデスクに忘れたみたいで、帰れないの。」
「事務所にも入れないってことか。こんな雨の中、ご苦労様。誰かに電話すれば良かったのに。」
「玖音に電話したんだけど、出なかったから。」
「いつも電話に出られる程暇じゃないの。三階の事務所行くよ。」
ずぶ濡れの漆野を部屋に上げる。玖音の荷物からタオルを取り出し、漆野に渡す。

「今、ここに泊まってるの?」
頭を拭きながら、漆野が問う。玖音はベッドの端に腰掛け、考え事をしていた。

「家業の関係で。」
「へえ。」と返事すると、漆野が玖音を押し倒す。

「何?濡れるから嫌なんだけど。」
「玖音はあの私物の子、どう思ってるの?」
「どう……か。私物だと思ってる。」
出来れば手元に置いておきたい。突き放してしまったが、取り戻したい。

「へえ。じゃあ、オレは?」
「大学時代からの親友。いまは同僚……って感じかな?」
「オレは親友以上が良いんだけど、ダメ?」
「そういう強引なところがダメ。なんか、そそられない。」
漆野の腕を玖音の肩から外し、ベッドから起き上がる。ずっと傷つけないようにしていたが、ずっと気を持たせている方が傷つけてたのかも知れない。

「そっ……か……。」
一人になった漆野は玖音に背を向けて立つ。漆野はそれなりに幸せになって欲しいとは思うが、幸せにしたいとは思えない。でも、三国は自分が幸せにしてあげたい、自分以外が三国を護れる訳がない。それだけの差。

「そっか……」
「下の事務所開けるから、鍵取ってきなよ。」
通常の事務所を開けると、漆野は鍵を取って戻ってきた。

「玖音、おやすみ。また明日ね。」
漆野は雨に打たれながら、去っていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

  【完結】 男達の性宴

蔵屋
BL
  僕が通う高校の学校医望月先生に  今夜8時に来るよう、青山のホテルに  誘われた。  ホテルに来れば会場に案内すると  言われ、会場案内図を渡された。  高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を  早くも社会人扱いする両親。  僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、  東京へ飛ばして行った。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。 漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。 陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。 漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。 漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。 養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。 陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。 漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。 仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。 沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。 日本の漁師の多くがこの形態なのだ。 沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。 遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。 内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。 漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。 出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。 休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。 個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。 漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。 専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。 資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。 漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。 食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。 地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。 この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。 もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。 翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。 この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

処理中です...