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2 旅立つ勇者と蚊帳の外
第13話 旅のお供に
しおりを挟む足早に立ち去る双方が人波に紛れて見えなくなった頃、片方から大声が上がった。
「痛え!」
「スリだ!」
腕を抑えてうずくまるのは清潔感のある、身なりが整った若者だ。そのかたわらの路上へ落ちた自分の財布を慌てて拾い上げ、おじさんが再び叫ぶ。
「スリだッ! そいつを捕まえてくれ!」
職業として人の懐を狙う集団もいる。その端くれである若者が身をひるがえして、通りを駆け出す。こんな、あからさまな失敗は初めてだ。
財布を受け取る役目が初仕事だった相棒も、突然のことについ、若者と同じに走り出してしまっていた。若い二人は周囲の冷ややかな視線に追われて、人でごった返す通りを逃げる。
腕を抑えながら走る若者は、何がなんだか分からないままだ。地味な装いの旅人らしい奴とぶつかったと思ったら腕をひねり上げられ、すったばかりの財布を落としていた。
逃げた二人は大勢の野次馬に行く手を阻まれ、取り囲まれて、騒ぎに駆け付けた警備兵に捕らえられた。救世主覚醒のお祭り騒ぎに乗じた犯行は、不運と幸運にも、勇者に出逢った者たちの未遂に終わった。
騒動でにぎわいが増す通りを離れ、路地に曲がる。しかしそこも目論みは外れて、なかなかに人が多かった。
通行人の空きっ腹を刺激するような香りが、あちこちから立ち昇っている。細い路地に露店や惣菜屋が集まっているようだ。この盛況ぶりを見ると、大都市だけあって独り身で自炊をしない者たちも多く暮らしているらしい。
持ち帰りの露店だけではなく、中で軽食を出す店や定食屋、夜は酒場になるような飲食店が通りの両側に建ち並んでいる。路地に差し掛けられた大小の看板で、より狭くなった空を見上げた。
この辺りは、神殿の屋根から見た気がする。
行き交う人の合間を抜けて、先を急ぐ。
この先に馬車が並んで走れるような、広めの通りがあったはずだ。歩道も広かったから人ごみも、ここよりは和らぐだろう。
足取りはようやく、はやる心と同じに軽くなった。
その足を止める。急停止させた違和感の元に目をやった。くたびれた頭巾と伸び過ぎた前髪の奥から、漆喰塗りの壁を見つめる。
古びた定食屋の軒先に、張り紙があった。
『おはぎ ぼたもち あります』
おはぎと、ぼたもちが、並んで記されている。
日本の知識では、おはぎも、ぼたもちも同じ和菓子で、季節によって名前が変わるものだったはずだ。
萩の花と牡丹が咲く時期に名前を変えるか、通年でどちらかを名乗るかするものだと頭に浮かぶ。
「ぼたもち三に、おはぎ二、頼む」
汚れた前掛けの職人風なおじさんの声が、呼び込みのように路地へ響いた。
おじさんの声に誘われたようで、おはぎも、ぼたもちも良く売れている。この定食屋の名物らしい。
おはぎ二個、ぼたもち三つ入り、片方だけを十個など、次々と客が通りがかりに買っていく。その都度、店先に立つ看板娘が長机に置いた箱から、おはぎとぼたもちを注文分取り出して、紙に包んで渡していった。
なにが違うんだろ?
興味をひかれて思わず、軒先へと近付く。先客たちの合間から平たい箱の中をのぞくと、そこにはちゃんと見た目が違った二種類の和菓子が、左右に分けられて詰められていた。
小ぶりでこしあんが、おはぎ。大ぶりでつぶあんが、ぼたもちだ。
「お客さんは?」
前の客が黒鉱硬貨を釣り銭入れに置いて、おはぎの包みを受け取るのを横目に、看板娘が次の客へたずねる。
声をかけられたのは、自分だった。たまたま客足が途絶えた時に、軒先の端に突っ立っていたからか。考える間もなく、気付いたら注文していた。
「おはぎひとつと、ぼたもちひとつを」
「はい。おはぎひとつと、ぼたもちひとつ。お客さん、初めてですよね。きなこ付けます?」
曖昧にうなずいて返事する。包み紙に自慢の品を手早く載せた看板娘は、箱の横に置いてあった深鉢からひとさじ、きなこをすくって、おはぎにかけてくれた。
この世界のおはぎには、なにかをかけてもらえるようだ。きなこの鉢の横には黒ゴマも用意されていた。ただし、どっちがおまけされるかは、その時の看板娘の気分によるらしい。
黒い硬貨四枚と引き換えに、薄茶の紙に包まれた、おはぎとぼたもちを受け取る。意外と重みのあるおやつを手に、その路地を出た。
あれ?
定食屋の窓辺の席、フォークに刺したぼたもちにかぶりついていた眼鏡の青年が、首をかしげる。
窓の外に一瞬、何か気になるものを見かけた気がしたのだが、好物に夢中だった彼はよく見えなかったそれを、誰か知り合いでも通りかかったのだと思って、すぐに忘れた。
「本当よく食べるね。見てて気持ちいいや」
出来上がったばかりの、ぼたもちとおはぎが詰まった大きな箱を手に、店主が常連へ話しかける。
「ここの、おはぎとぼたもちは絶品だからね。おばあさまと奥さま、大切にしなよ」
常連客のお決まりの返答に店主は「尻に敷かれた俺も大切にして欲しいよ」となげきながら、軒先へ売り物を運んで行った。売り子を父に代わってもらって、看板娘が空箱を手に戻ってくる。
「ライオミットさん。そんなにお腹すいてるなら定食も食べればいいのに」
「今日は特に、これが目的だからね。お祭り騒ぎの時にしか、いっぱい作ってくれないし。今回はどうしようかなと思ったんだけど、思い出したら無性に食べたくなっちゃうからさ。ここのは」
ライオミットは最後の一皿を食べ終わると、持参の重箱に詰めてもらった、お土産のおはぎとぼたもちを大切に抱えて店を出て行った。木目がきれいな特注の重箱二段は、大好物でいっぱいだ。
看板娘は、テーブルに積み重なっていた五枚の皿を手に少し呆れた様子で笑い、厨房へと向かう。これで大盛りの定食も平らげる、がたいの良い職人さんなら彼女のお眼鏡にかなうところなのだが、青白い顔をしたライオミットは少々趣味ではないらしい。
大の甘党の常連客が眼鏡を取るとかなりの男前であることを知っている面食いの大女将と女将は、厨房の窓の前を通りがかりに手を振ってあいさつするライオミットに満面の笑みで、あんこが付いた手を振り返して見送った。
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