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7 駆け出し勇者と深き森
第14話 神話を目撃す。
しおりを挟む「あらーーーー、これがヒュドラですか。壮観ですね」
伝説の魔物の咆哮に自身も絶叫してしまったアデリアは、耳をふさいだ姿勢のまま、かなり優秀で飛び切り変わった森の民を見上げた。
信じられない。
そんな感情がむき出しになった彼女の視線は、神話からよみがえったヒュドラでなく、笑みを浮かべて景色を見やるシュリッキに向けられている。
「ずいぶん余裕がお在りですわね。あんなものが復活してしまったではないですか!」
髪と同じ青紫の瞳で先発調査隊隊長ののんきな横顔を射抜いて、アデリアはとがめた。声が震えたが、その口調にはいつもの強気が残っている。
「それで、どうするおつもり? 私たちは、これからあれを相手に、どう打って出るのか。考えをお聞かせ願えるのかしら?」
たずねておいて耳をふさいだままなのはおかしいと、ようやく気付いたようだ。
自身の悲鳴からも耳をふさいでいたアデリアは両手をひざに下ろし、脇に挟んでいた杖を右手に握った。空いた左手でつい、側のギルウェイの腕をつかむ。
遠く森の向こうから聞こえてきた木々の軋む音に、状況判断のためにと上った大木の枝。そこに腰かけさせたアデリアの背を支えて、不安定な場所に片ひざを付くギルウェイは、遠くに見える魔物に目をすがめた。
「首が一斉に、森の奥の方へと向かっているが……何を追ってるんだ?」
背負ったリュックから取り出した望遠鏡を目に当てて、より鮮明にヒュドラの観察をしている昔なじみにたずねる。アデリアに答えようともしないで観察に夢中になっていたシュリッキは、見えたものをやっと、二人に報告した。
「結束している場所へ向かってるようですね。そこが怪しいと睨んだのですか。さすが、勇者さまです」
枝の先、ぎりぎり人の重みに耐えられるだけの太さしかない場所に直立しているシュリッキへと、二人の視線が再び向かう。
「え、何て言った?」
ギルウェイが聞き返したことを無視して、シュリッキは声を上げた。
「わ! すごい! 二つ同時に、首を落としましたよ!」
アデリアとギルウェイも思わず、その目を森へとやった。宙に立ち上がった二匹の大蛇の胴から、それぞれの頭が離れて落ちる様が目に入り、疑問を束の間忘れてしまう。
森へと落ちながら巨大な蛇の頭部はばらけ、それが再び煙のようになびいて集まると、赤紫と黒の首に戻る。
ヒュドラは三つの頭を森へと繰り返し突っ込んでは、何が起きたか、首を宙へと飛ばされた。
魔物の巨躯が動くにつれ、木の梢はざわめき、頭から離れたところでも揺れて倒れる樹木の様子が見て取れる。
再生するとは話に聞いていたが、このようなものを目撃することになるとは想像していない。しばし二人は呆然と、遠くで繰り広げられる異様な光景をながめた。
ただし、望遠鏡を持ってはいない二人の目に映るのは、伝説の怪物の首がおもしろいように斬られて飛んでは、また元通りになる姿だけだ。
そんな異常な光景を作り出している者までは、さすがに遠くて、しっかりとは見えない。
「一体、何が起きてるのよ……誰がこんなこと……」
アデリアのつぶやきに当人も森の民の採取係も、はたと気付く。ギルウェイ係長は大きく息を吸い、それをすべて吐くようにしてつぶやいた。
「勇者。勇者様か! あの人が!」
アデリアに言葉はなかった。口を間抜けにぽかんと開けて、貴族の令嬢らしからぬ形相で、王立捜査機関の調査研究開発室室長を見つめる。
望遠鏡から方時も目を離さず、口元に笑みをたたえている森の民の横顔を見るうちに、魔術師協会の精鋭である攻撃魔法の使い手に、いら立ちがよみがえってきた。
「わざと黙ってたわね! どういうつもり? 勇者様にはルクリアが、ルクリア・オーレリンがとんでもない失礼をしでかしてるのよ! このまま家がどうにかなったら責任取ってくれるんでしょうね、シュリッキ室長!」
「君への責任はギルウェイが、どうにかすると思いますが」
無責任な発言で昔なじみの首をかしげさせたシュリッキは、まだ望遠鏡に片目をやったまま、左手でポケットを探った。ベストの一番大きなポケットから先ほど見つけた物が取り出される。
「この箱、この箱でどうこうは、もう難しいかもしれませんね。ご意見はありますか? 僕は魔法の専門家ではないもので」
自分に向かって差し出された石の箱を、アデリアは受け取った。ひざに杖を置き、両手にのせたその箱は、王都の屋敷の自室にある自鳴琴よりも小さい。
これにあのヒュドラが入っていたとは信じられないくらいに小さな箱を、アデリアは見つめた。
水の攻撃魔法では並ぶ者なしと言われているアデリアは封印など使おうと思ったことすらないのだが、彼女の父は防護魔術の研究家であり、王都の防衛を担う一員として知られている。
封印魔法は、防壁や障壁を張り巡らせ結界を施したりする防護魔術に分類されるものではないが、それらに役立つ技術として研究も盛んだ。
ただし、父の娘として一応学んでおいた知識からしても、これがどんな作用をもたらして、伝説の怪物ヒュドラを封じ込めていたのかは分からない。精鋭魔術師である自身もさすがに専門外であると認めて、アデリアは素直に感想を告げた。
「分からないわ。石材そのものに何かの魔法を施したのなら痕跡があっても、おかしくないのだろうけど。この箱には、そんな痕は見えない。本当にただの入れ物として、少し変わった材料で作ってあるだけな感じがするわね」
石を薄く切って板にした物を金属の鋲で繋ぎ、銀の蝶番でふたを付けている。鍵が付いていたような跡もなく、簡単に開けることが出来る構造の物で怪物を封印していた古代の技術が、魔術師にも森の民にも想像がつかなかった。
「ですよね。この箱に閉じ込められてたんじゃないのかな。じゃあ、箱に入ってたものは何なんでしょう? 不思議です」
ようやく望遠鏡から目を離したシュリッキは、昔なじみにそれを差し出す。
「見ます? おもしろいですよ」
勇者を格好の見世物にしているとしか思えない。そんな屈託のない笑みで差し出された望遠鏡を、ギルウェイも手に取った。
仕事熱心で真面目なあまり、華やかな話題や浮ついた話とは縁遠い彼も、救世主様のお姿をとなると話は別だ。片目をつぶり、望遠鏡をのぞく。
「信じられないな」
くっきりと見えた光景への感想は、そのひと言に尽きた。
突っ込んでいく巨大な蛇の頭へ向かって、剣を振るう。白い刃が閃き、紫の大蛇の首はすっぱりと斬れて、胴からずれた。
のたうつ胴から落ちると共に、斬り落とされた頭が塵へと変わって、風になびくように宙を舞う。
故郷の街の近くで見た、洞窟から飛び立つコウモリの群れのごときに舞い上がった塵は、うねるように空を覆うそれが何かを知らなかった少年をおびえさせたその時のものよりも遥かに禍々しい姿で、よみがえった。
再生したヒュドラの頭から目を離さず、勇者は樹上を跳ぶ。頭巾が脱げてあらわになった白金の髪をきらめかせて、救世主は再び、森の梢に消えた。
フィドルは携帯用の双眼鏡に目を当てたまま、つぶやく。
「信じられない。人のやるようなことではないぞ、あれは」
「ええ、さすがと言うべきかしら。塔を斬ったとは聞いていたけど。あんなことになってるなんて」
見張り台に固定された据え置きの双眼鏡をのぞくルクリアは、ただただ深くため息をつく。
二人が旅の仲間となれるのかを賭けて戦った手合わせの時には、目覚めし救世主は神剣を、まだ手にしてはいなかった。
だがその手合わせで勇者様に今のような戦い方をされていたら、模造刀どころかその際と同じ素手でも、剣や魔法を使う間もなく負けていただろう。
「あんなことになるなんて……もっとしっかり、森を見張っておけば」
ロレッシュの言葉に、森番の二人は少年へ振り返った。
緩やかに吹いてくる風に、森の民の少年は顔をしかめる。季節外れの生温かくもある風が吹き付ける見張り台で、はしごを上がってきた若き森番は、遠く神話の化け物を見つめた。
「ああ、俺たちに責任がある。盗掘者を見逃してしまったからな」
「そうね、森番になったからには新米も何もないわ。やることをやるだけよ」
フィドルに続いて語ったルクリアは、笑みを見せた。
「それで? 私たちはどう動くの、ロレッシュ?」
森番の要は、お前だ。
そう言って鼓舞してくれる二人を前に、森の民の少年は角の生えた頭をうなずかせた。両親が遺してくれたお守りでもある角飾りの、白く塗られた金属の花が、長くなってきた陽射しに光る。
「ここからの避難は、ほぼ完了しました。他の集落にも手配済みとのことです。あいつを森の外へは出さないと勇者さまが約束してくれました。僕らも、それにならうのが良いかと思います」
ロレッシュの提案を理解して、フィドルとルクリアは腰に下げた剣と杖にその手をやった。
「あれを森のふちへと近付けさせないように動く、ということだな」
「首ひとつ分くらいは、こっちに任せてもらわないとね」
「大蛇退治。子ども芝居では弓は要らないって言われましたけど、本物では違うってところ、見せてやりますよっ」
気合を入れて拳を握る少年に、大人二人が何とも言えない表情を浮かべた。それに構わず弓術士は、気概を述べる。
「伝説を、ここで塗り替えてやりましょう!」
「ああ、そうだな、その意気だ!」
「そうね! そんな感じで挑むといいかもしれないわね」
大層な意気込みに思わず声を上げて笑ったフィドルとルクリアは、ロレッシュの強気な意志に、どこまでも付き合うつもりだ。
どうあっても生身で挑むような相手ではない怪物がうごめく景色を背後に、森番たちは意気揚々と見張り台を下りていく。
深き森のふちの大樹。その幹は人が、人間も亜人も大勢が集まって腕を伸ばし、互いの手を繋がなくては囲めない。
森に住まう者たちからは、空を支える柱とも呼ばれる、太古からこの地に根を下ろす巨大な針葉樹。
その幹と幹を結ぶ木製の通路は大樹に張り付くようにして建てた家々を繋ぎ、大きく広げた枝から枝へと、縦横無尽にめぐらされている。
天を衝く大樹の木陰に、まるで宙に浮いたかのごとくにして集落が築き上げられた景色は壮観だ。しかし、森の中心地へと向けて建てられた木の家のどこにも、人の気配はなくなっていた。
伝説の怪物が復活するなどと聞いても信じ切れずに、それでも避難の準備をしていた村の者たちも、あの咆哮と姿を家から目にすれば不満を口にしている暇もない。祭りに出掛けなかった者たちも最低限の荷物をまとめて、急いで我が家を出て行った。
木の板が軽やかな音を立てる通路を走り、ロレッシュは森から外へと目をやる。
平原の祭りの広場やその向こうの町の方へと畑や牧場の間の道を急ぐ人々の姿に、ここで生まれ育った少年は逸る鼓動を押さえるようにして胸に手を当てた。
その道を、二つの棺を担いだ行列が帰ってくる光景が、弓を担いだ新米の森番の目に浮かぶ。
息子が魔法を使えると喜び、採取係にと弓の練習を勧めてくれたのは、森番の父母だった。
何が起きるか分からないのは、森での採取も外での見回りも同じだ。それでも皆を育んで恵みを与えてもくれる植物たちよりも、人と戦う方が危険であると、両親は分かっていたのだろう。
今度は違う。自分も戦える。何より、二人がいてくれる!
付いて来てくれる仲間の足音を耳に、ロレッシュは地上へ向かう。神話の怪物の復活と勇者の戦いぶりを目にしてか、早まった鼓動は収まりそうにもない。
それを伝説に挑む高揚感からくるものだと言い聞かせて、少年は大地に、深き森へと足を踏み出したのだった。
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