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7 駆け出し勇者と深き森
第11話 終わりが始まり
しおりを挟むほの暗い地下の空気はしっとりとしていて、わずかに暖かい。
森番小屋の台所の床下収納の奥から細い階段を降りて来たのだが、かび臭いとか空気が薄いとか、悪い雰囲気はひとつもなかった。どうやら、森番の三人が定期的に掃除をしてくれているらしい。
艶やかな石が積まれた壁で形作られた横穴は、人が並んで通れるくらいの幅と高さがある。小屋から持ってきたカンテラの明かりを森番の少年が掲げると、半円の空間の真ん中に円柱の台座があり、そこに白い胸像がのっていた。
「これ……誰ですか?」
誰もその疑問についてを言葉にしないので、最後尾からたずねてみる。
この質問は、ここにいる者たち共通の思いだったようだ。みなが、こちらへ目を向けた。長ったらしい前髪で隠した瞳を、足元へとそらす。
いや、だから、知らないから聞いたんだって。こっち見られても答えられないよ。
いささか緊張した空気を和らげるように軽く笑って、シュリッキ隊長が代わりに答えてくれる。
「そうそう、不思議ですよね。勇者さまの遺物なのに、女性って」
再び、みなの目は胸像へと向けられた。こちらへ横顔を見せる女性の像は、明かりに白く光って見える。
「この辺りで信仰されている、大地を司る女神様かなって間違える方もいるんですけど。この彫像になってる人は、聖女。前の前の前の、勇者様にまつわる人ですね」
ああ、あれか。あの厄介な奴のか。
ということは……この人が、そうなのか!
みなが、まじまじと見つめる胸像の横顔を、改めて細かく観察する。
軽く引き結んだ口元、すっと通った鼻。すっきりとして見えるが意志の強そうな眉に、意外としっかりしたあごの線。
確かに、緩やかに伸ばした長い髪と女性であるということを除けば、どことなく、彼に似ていた。
救世主降臨神殿召喚神術神官協会主席神官長補佐官兼、勇者の世話役。
セオ・センゾーリオの、ご先祖様ということだ。
つまりこの彫像の人物が、聖女リオ、か。
白一色の石像の、髪を桃色に瞳を淡い緑にすれば、さらによく似て見えるはずだ。立体のせいか、史料に合った挿絵の肖像画よりも、こちらの方がセオっぽい。
セオは聖女リオの直系ではないらしいのだが、全体の雰囲気というか、少し見上げるようにしている横顔からして、確かに似ているなと感じる。血のつながりっていうのは不思議なものだ。
ちなみにセンゾーとは、そのまんま、先祖という意味らしく、偉人を祖に持つ者だけに許された姓らしい。その偉人の名とセンゾーを組み合わせたものが家名となるそうだ。
分かりやすいが、名のある先祖のことをいちいち持ち出されて、なんだか面倒そうでもある。そのせいかセオ以外で、この仕組みの姓名を名乗る者に出会ったことは、まだない。
「そう、気になってたのよ。聖女リオの像が、どうしてここにあって、しかも隠されているのか。王都や生まれ故郷とか、縁がある土地なら分かるんだけど」
ルクリア・オーレリンは胸像に目をやって話した。その横でフィドルはルクリアと同じく、白い聖女の像を見つめて、話にうなずいている。
森番の二人はここに赴任した時、森の民や長老たちなどに森のほこらのことを教わったのだろう。父母がかつて森番だったロレッシュが、何かを思い出して「あ!」と声を上げ、それを聖女の像に向かって説明し始めた。
「あのお祭りです! 小さい頃に聞きました。三代前の勇者さまが早生柊祭りにやって来て、お願い事していったことがあるんだって!」
嫌な予感しかしないな、この話。
相手の承諾も得ずにか? そりゃ、聖女も、そんなもの隠しとけってなるだろうよ。
思わず出たため息に、再びみなの注目がこちらへ集まる。
ため息の意味に気付いて慌てて目をそらすのは、神殿の覚醒の間にもいた森番の三人。事情を知らない採取係の係長と王立の防衛組織に属する魔術師は、何事かと、こちらへ目を向けたままでいた。
ギルウェイ係長とアデリア・オーレリンから顔をそむけ、瞳を泳がす。
この、数秒でも目を見つめた相手を魅了するという金色の瞳を使って無理矢理どうこうしなかっただけ、寵愛という名で美化された付きまとい行為を繰り返していた奴を、褒めてやるべきなのだろうか。
「で、これを持ち出さないと、たぶん。この中の物を目当てに、ヒュドラがここへ来てしまうと思うんですよね。覚醒する際に必要な膨大な量の魔力吸収の媒介としては、勇者さまの髪や爪って、うってつけですし」
シュリッキ隊長が説明することに、改めて背筋が寒くなる。
想う相手の像の中に、そんなもの入れるなよ! 怖いよ!
まだ見ぬヒュドラよりも、この勇者の器に過去にいた奴の方が、相当怖い……。
そいつの念をきれいさっぱり払拭させるためにも、さっさとこの像は外へ持ち出した方がいいだろう。というか、即刻処分してやりたい、こんなもの。
みなに敬られるようになった聖女の頼みであっても、勇者が作らせた物だというだけで、この胸像を誰もごみ箱行きには出来なかった。だからこそ、こんなところに隠しておいて秘密にさせていたわけだし。
これを今こそ処分できるのは、人違いでも勇者にされた、この自分しかいない。
「よし、持って出ましょう! 盗掘者がいつ動き出すかも分からないので!」
人の間を縫い、前へ出る。森番の三人は多少慌てて身を引いたが、残りの二人は、こちらを呆然とした目でまだ見つめていた。
その目がシュリッキ隊長へと同時に向けられる。聖女の像の側に立った先発調査隊の責任者は「えへへ」と声に出して笑うと、遺物持ち出しの許可を与えてくれた。
森の民が依頼した、王様の信頼厚い冒険者で、本当はただの通りすがりの、人違い勇者に。
「はい、お願いします。すぐに、作戦決行です!」
その作戦については、何も聞いてはいなかったと思うのだが。まあ、何となくで、内容は分かる。
聖女の胸像を持った勇者が、深き森のどこかにひそむ伝説の怪物をおびき出す、いけにえになればいいってことだな。
頭がいくつもある大蛇のいけにえか。日本の神話が思い出されるが、そっちの話とは大きく違うことがある。
退治した八岐大蛇から出てくるのを待たずとも、神剣なら、こっちの腰に下がってる。
神が鍛造したこの白い剣は、望めば何でも斬れるって触れ込みだ。この異世界で、地球の別の地域の神話の怪物と同じ名の、ヒュドラと呼ばれる魔物も倒せるのだと望もう。
神剣の柄に通した鈍色の輪っかが、賛同するように微かに鳴った。
ちょっと屈んで、台座にどっしりと据えられた胸像を抱き上げる。接地面が浮くまでは重く感じていたが、両手で抱え上げると思ったよりも軽く感じた。
本当にこんなことしていいのか、って思われているんだろうな。
魔術師の妹アデリアと、森の民のギルウェイ係長は、ただ黙ってこちらの背を見送った。
いつの間に持ってきていたのか、シュリッキ隊長が、台所にあったテーブルクロスを広げて横を歩く。赤の格子柄のそれに胸像を包んだ。見知った者に似ている像を抱えているのも、どうなのかと思っていたので助かる。
中身が聖なる遺物だとは思えない、可愛げのある見た目のものを両手に、狭い階段を早足で上る。森番小屋に出て、そのまま外へと向かう。じわりと陽が落ち始めた森の光景のどこにも、不穏なものはないようだ。
ただ、丘を吹き上がってくる風がぬるい。
深き森の奥底から、天にも届きそうな大樹の合間から届く、風。
風が知らせてくれるものに気配を感じる。得体が知れない何かの気配、というか、違和感だ。
「結構近くまで来ているかも。いや、大きい? そして長い?」
横に立ったシュリッキ隊長が不揃いに切った髪を揺らし、頭をかしげる。上位種の植物食植物たちを見分ける方法のひとつとして、さすがの隊長は魔力を感じ取れるらしい。
「正確な場所は、無理ですか?」
「そうですね。森のそこら中で、こっちへ注目するような感じがしてますけど。今の状態では、どこから狙っているのかは突き止められないなあ」
もしかして、魔植物が魔力を求めてこちらへ向ける、殺気のようなものを感じてたってこと?
危険な森の中心地で寝泊まりして育ったシュリッキ隊長のすごさを改めて感じつつ、彼の指示を仰ぐ。
「ここからどう動きます? こちらは独りで森をうろつき、みなさんはあまり奥には入らずに周囲を探索して、それぞれで手掛かりを探すのがいいとは思いますが」
「うん、その案でいきましょう! 僕はギルウェイとアデリアさんと、森の中へ。森番のお三人は、ふちの捜査と警戒にあたって下さい。すでに他の採取係や組合員さんたちから各集落へ避難の準備と、ヒュドラのことや盗掘者についての情報が欲しいとは伝えてあります」
振り返ったシュリッキ隊長が笑顔で語ることに、勇者派遣の森番の三人も、さすがに表情を硬くした。広い森のさらにそのふちは、たった三人だけで守れる範囲ではない。
「大丈夫です。こちらの町には警護の騎士たちと精鋭の魔術師さんにも来てもらってますし、保安兵詰所にも連絡は入れてあります。そこから周辺の街や村の各所へ、警戒や支援要請はすでに伝わっているはずですよ」
シュリッキ隊長の言葉を待っていたかのように緑の丘へと、保安兵に王国の騎士が一人付いて、こちらへ向かって歩いて来るのが見えた。
よし、ここはみんなに任せよう。
「三人は、ここで彼らの話を聞いてから、どう動くか判断を。では、すぐに出ます。時間を稼ぎますので、その間に備えをお願いします。森の外へは絶対に、出さないようにしますから」
彫像を抱えて一歩前へ大きく出たところで、足を止める。
「あ、これ、預かってて下さい。壊れ物とか入ってるわけじゃないんですけど。蛇に呑まれたりしても、あれなんで」
腰から鞄を外し、その場に置く。胸像の包みをまた抱き上げ、頭を下げる。
下げた頭を戻して、森のほこらの森番小屋をすぐに後にしたが、なぜだかみんなに呆れた目で見送られた気がした。
なんでだよ。どうなるかなんて分からないじゃないか。
こっちはどうせ無傷だろうけど、丸呑みにでもされて鞄と中身が溶かされちゃうとか、嫌に決まっている。まだ使ってない粉末調味料もあるのに、もったいないだろう。
丘を吹き上がってくる生ぬるい風の中を駆け下る。一気に森へと突っ込んで、大樹の間を奥へと走った。
どこにも動く植物たちの姿はない。確かな気配はまだ、感じない。しかし、もうすぐそこに何かがひそんでいるのだということだけは確信出来るほどに、深き森は静かだった。
落ち葉と草を踏んで走る、自分の足音だけを耳に、静まり返った森を駆けた。
箱がひとつ、転がっている。ふたが開いた空っぽの箱だ。
黄色味がかった石の板を、同じような色をした金属の鋲が繋ぎ、ひとつの箱として組み上がっている。地の底にあっても錆びずにいた銀の蝶番が、開いたふたの内側から傾いていく陽射しを返す。
反射した光は木の梢を照らした。人の手では届きそうもないそこへ、誰の物なのか、手袋が片方、引っかかっている。
皮の手袋は周囲の枝葉と共に、形を保てず、泥のようになって溶け落ちた。
地べたに落ちたそれは、周囲の草と落ち葉をも溶かす。灰なのか塵なのか、濁った色をした煙が立ち上り、付着していた場所に痕を残した。
同じ痕が点々と、森の中に残る。真っ黒な焦げたような跡は、どこからともなく吹く風になでられると細かな塵へと変わって、空気に溶けた。
瞬く間に、塵に変わる痕跡。
そんなものを大地に残すのは、魔物であると決まっている。
不意に、大木の幹の途中にある太い枝が、何かに押しのけられた。揺れてざわめく葉の影から、べっとりとしたものが、木の根元へと吐き出される。
黒い泥のようなものの中に、わずかに輝きを残した剣がある。柄は溶け、刃はこぼれ、放った光はすぐに消えて、くすんだ鉄のかたまりと化した。
汚泥か墨で染められた大河のように、暗く濁ったうねる痕は、木々の合間を蛇行しながら続いていた。痕跡が塵と消える端から、新たに大地へと痕が刻まれる。
己へと向かってくる、美味そうな気配に誘われて。見えざる大蛇は森を進んだ。
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