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7 駆け出し勇者と深き森
第8話 祭りを前に
しおりを挟む出来立ての料理が、店先の大皿へと盛り付けられていく。
味付けした野菜と薄切りの肉を、小麦粉の薄い皮で包んで揚げたもの。同じ皮で果実のペーストやジャム、クリームを巻いた棒状の揚げ菓子。好きな具材を包んで、その場で蒸し上げて作る大きなまんじゅう。
食べ歩きに良さそうなそれら以外にも、各店自慢の味付けと競うようにして工夫がされた煮物にスープに麺、ご飯にパン。
町の住民や森の周囲の人々が集って開かれる屋台が各種、開店の準備をしている。飛行船を停めた郊外にまで先発調査隊のすきっ腹には耐えがたい、美味しい香りが漂って来ていた。
出店の合間に作られた通りを、準備のため、人がせわしなく行き交う。ちらほらと見える着飾った客の姿とはまた異質の揃いの制服を着た騎士が二名、町の保安兵たちに事情を話し、彼らの詰所へと向かっていた。
先発隊の同僚たちと分かれ、うら若き魔術師はひとり、通りを歩む。
「いらっしゃい! 魚の煮込みの串焼きは、うちの名物ですよー」
早く来た慌て者の客と勘違いした店主が、晴れ着と見紛う仕立ての良い上着を羽織った魔術師に声をかけた。
ふくよかな、よく似た体格の親子が営む屋台を横目に魔術師は険しい表情を崩しもせず、先を急ぐ。その背を追うように香ばしい匂いが漂った。
本当は腹が空いている。きつく寄せた眉の五割は空腹のせいだ。
それでもアデリア・オーレリンは、腹の虫の抗議の鳴き声よりも、いら立ちの解消を優先させた。目的地に向かって一直線に、深き森に面したこの町の、もう一方の外れを目指す。
彼女が早足なのは腹の音を誰にも聞かせたくないからだろう。王立の組織に属していることを示す腕章を付けた己が、始まってもいない祭りの屋台で買い食いなどと意地も張っている。
意地っ張りは今に始まったことではないようだ。得体の知れない植物の研究をしている室長が用意したお昼など自身の口には合わないと、何かの葉がぎっしりと挟まれたパンを無言で断ったつけを払ってはいる。
心配性の母が外套のポケットへ知らぬ間に突っ込んでいた焼き菓子をひとつ、口にしただけ。すべての支度を母や使用人がやってくれて育ったせいか、アデリアは一人で買い物をしたこともなかった。
歩調はさらに早くなった。ほとんど走るようにして魔術師は通りを行く。いら立たしい腹の中で、虫がまた鳴いた。
それもこれも、あなたのせいよ、ルクリア・オーレリン!
見当違いなアデリアのいら立ちの矛先が向かうのはいつも、彼女の姉だ。
アデリアよりも優秀であると言っているも同じに、両親の称賛をまず最初に受ける姉。相反するとされ、同時に取得することが難しいとされる攻防の魔法を同等に扱い、妹よりも先に、アデリアの腕章と名誉を得るはずだった姉。
そして、勇者様のお声がけを受けたにも関わらず、長年の彼女の希望を読んだかのように救世主の命で王都を離れ、家を出て行った姉。
ルクリア・オーレリン。
何もかもを、アデリアの望みをすべて先に叶える、目の上のたんこぶ。
アデリア・オーレリンは血を分けた姉ルクリアのことを心底、邪魔だと思っていた。なにしろ、今現在も姉は妹の邪魔をしている最中だ。
調査地が深き森であると聞き、両親は自慢の娘がどうしているのかをその目で見てきて欲しいと、もう一人の自慢の娘に頼んだ。先発隊として派遣されるついでに、だ。
王命に家の雑用が加わってくるなど笑い者ではないか。
今頃、自身を話題に魔術師協会の誰かがお茶をしているのかと思うと、アデリアの眉間のしわは、ますます深くなる。空腹が怒りを増幅させているのかもしれないことにすら、彼女は頭が回らなかった。
青紫の髪を振り乱し、ほとんど駆けるように通りを闊歩する。怒れる魔術師にはその腹立たしさが幸いし、祭りの準備に湧く町の者たちの声は耳に入らずに済んだ。
髪型と色のせいで分からないようだが、彼女は確かに誰かに似ている。
誰かと誰か以上によく似た親子が串焼きを並べながら、にこやかにそんなことを話して、祭りの準備を進めていった。
フィドルは布で磨いた片手剣を蔦模様の飾りが付いた鞘に収め、机へ置いた。椅子に立て掛けてあった別の片手剣を手に取ると、腰帯に吊るす。
それを目にした魔術師の娘は名家の令嬢らしからぬ口調で、元剣闘士のフィドルを評した。
「あなたも本当、お人好しよね。それも売るって、だめじゃない?」
これから武器屋に売りに行く片手剣は、フィドルが勇者の仲間候補に選ばれた時、街の代表から餞別として贈られたものだ。
凝った細工に申し分ない切れ味。良いものであるのは分かるが、それは勇者様と対面する際の失礼なき装いに必要であるのと、この元剣闘士の男へ高価な装備を贈るほど手をかけている者がいますよという、匂わせに過ぎない。
眉をしかめたフィドルは手放す片手剣に視線を落として、静かな声で語った。
「備えておいた方がいい。この森で冬を越すんだ。良い魔道具がいる」
「それはそうだけど」
やる気のなさそうな口調で言葉を返す魔術師のルクリアこそ、盗賊や山賊に落ちぶれる者たちが多くなる冬を見越して、あらかじめ備えておくべきだと同僚に意見した張本人だ。
深き森の中に点在する村々に、警告と通信用の、発火しない光弾が撃てる簡易的な魔銃を身銭を切って配ったのも彼女である。
剣の切れ味で戦力が変わるのではないかと懸念する魔術師に、元剣闘士は答えた。
「こっちの剣でも充分だ。森の民が磨いてくれたからな」
「そろそろ、町へ行きますか?」
フィドルの言葉に応えるように森番小屋の戸口に姿を現したのは、狩人兼弓術士の、森の民の少年だ。仲間二人の顔が自分へ向けられると、白い花を模した角飾りを着けた頭を、ロレッシュは盛大に傾けた。
「あれ? お二人とも、いつもの格好で出かけるんですか?」
今度は、フィドルとルクリアが首をかしげる。なぜと口に出さなくても、二人が同じ疑問の言葉を頭に浮かべているのは一目瞭然だ。
厚手の上着に簡素な防具、何の飾りもない片手剣。堅苦しさが苦手なフィドルは用意された盛装一式など、とっくに売り払ってしまっていた。
防御力は申し分ないが女神の装飾がされていて幾分重い盾も、頑丈で扱いやすいだけの籠手に変えている。盾になるなら鍋のふたでもいいくらいにしか思っていないほどの軽装だ。
魔術師がよく着るありきたりな外套に、上下揃いの黒い服と、青い魔法石の付いた杖。ルクリアがここへ来てから変わったものといえば、さらに短くした赤い髪だ。
毛先が躍るようにうねる髪が目立つ、地味で着古した服。勇者の御前で着るために両親が仕立てさせた盛装は旅に不要だと、王都の家に置いてきていた。
いつもの格好といえば、髪からのぞいた右の角に装飾品を飾っている以外、弓を背負い、矢筒を腰に下げている森の民も変わらないのだが、これから共に出かける仲間がいつもの装いなのは少年には意外だったようだ。
「もう! ちょっとは、ちゃんとしてくださいよ! 二人とも無頓着すぎるんですよ!」
「祭りに出るわけじゃないからなあ。正装が必要なのか?」
「買い出しよ。お祭り騒ぎで掘り出し物がないか、見に行くだけよ」
「早生柊祭りですよ。厳しい冬を共に過ごす、運命の人を見つける時期ですよ!」
ルクリアの口調を真似するように反論した少年へ、大人二人が諭す。
「森の外で見つけるの? 危なくない? 森の民の子も集まるの?」
「早くないか、まだ。あと二年もないんだったか? 成人してからでも遅くないだろ?」
姉か母か、兄か父か。数年前に両親を亡くして独りになったロレッシュには、過保護な二人の言葉が嬉しくもあり、面倒でもある。
「すでに遅いんですよ! 森の民は十代になったら運命の相手の一人や二人、見つけてても当然なんですっ!」
「……二人は、だめだろう」
「運命の人、なのよね?」
あきれた声音で諭すフィドルとルクリアに、ロレッシュは言い放った。
「二人は良いですよね! お似合いですもんね! 剣士と魔術師で!」
「いや、仕事仲間だろ」
「そう、仕事仲間よ」
一拍置くこともなく、答えが返ってきた。きょとんとした瞳をロレッシュへと向けるお互いを見やることもなく、フィドルとルクリアが交互に話す。
「森番の役目は、勇者様に託された重要な任務だ。俺はこの仕事に賭けている。やるべきことだからな」
「この役目にはこの三人が相応しいって、信んじて送り出してくれた勇者様の期待に応えないと。それが一番のやるべきことよ」
「ロレッシュ。森の民のお前の願いを勇者様が聞き届けて下さったから、今があるんだ」
「あなたこそ、森番の要なの。私たちは、ただの補佐。あなたの未来が大事なんだから」
至極当然の答えを口にした二人には、なんの動揺も照れもない。少年が口にしたことの意味が二人揃って分かっていなかったようだ。
「これだから、だめなんだっ!」
突然に叫んだロレッシュは仲間二人の手を取ると、小屋の表に駆け出そうとした。フィドルは慌てて空いた手で、机の上の剣を手に取る。
「ちょっと何? 急いだ方がいいの? 引っ張らなくても行くわよ、お祭り」
「そうだ、心配だからな。お前を独りで行かせるわけないだろ。急ぐと転ぶぞ」
弓術士の少年を真ん中に、魔術師と剣士が、それぞれの右手と左手を取られたまま引っ立てられていく。森の際を見渡せる丘の上から駆け下る三人は、知る人が見れば、ロレッシュとその両親の姿を思い出すだろう。
この時、町に向かって丘のふもとの畑の道を歩いていた農家のおばあさんは、新たな森番として勇者様が寄越した二人を赴任当初から、夫婦なのだと勘違いしていた。
ただの仕事仲間だと顔色も変えず、同じ質問を面倒だと思うこともなく、おばあさんへ繰り返し、一言一句間違わない返答をする二人の姿を、ロレッシュは何度となく目撃している。その度に人知れず少年が舌打ちしているのを、ルクリアとフィドルは気付いてもいなかった。
とにかく、どうにかして、この二人をくっ付けないと!
本当は己の運命の人など、ロレッシュには、どうでもいいことだ。
二人の力がいる。
活躍が国中に轟く、あの勇者様に認められた二人が、このままここにいてくれれば、森を襲う者もいなくなるはずだ。フィドルとルクリアから剣と魔法を学ぶ者が現れて、立派な狩人や戦士が幾人も育てば、賊に脅かされてきた暮らしも、未来も変わる。
ただ単純に三人での共同生活が楽しいのも、ロレッシュが要らぬお世話を焼こうとしている動機ではあったのだが。
深き森へ永住してもらうぞ大作戦を決行すべく、ロレッシュは祭りの会場へと足を早めた。
少年の言いなりに町へと連れて行かれる両脇の二人は、自身に向けられたたくらみには露ほども気付かずにいる。何の魔道具を揃えるべきかの会話で盛り上がり、間から上がった舌打ちが聞こえずにいた魔術師と剣闘士の行く手には人だかりがあった。
ものめずらしい飛行船へと向かう人たちの波に呑まれ、三人の姿は見えなくなる。青紫の髪をなびかせ、人通りを避けて路地に曲がった魔術師の姿は、森番たちの目には映らなかった。
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