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6 旅行く勇者と外の人
第14話 輪は繋がる。
しおりを挟む霧に煙る早朝の村の道を、馬のひづめが音を立て、林の奥へと駆けた。
馬と配達員が向かう先に小屋がある。傾いた屋根には不釣り合いな、見るからに頑丈そうな煉瓦の煙突が目印の家だ。家主も煙突と同じ、見るからに頑丈で気難しい、ひげの老人だった。
「お手紙です!」
馬から降りながら、配達員が家へと声をかける。窓辺に見えていた影はすでに立ち上がり、戸口の方へと家主が歩むのを、速達便の騎手も確認していた。
木の扉が開き、ひげの老人が大きな背を少し丸めたまま、外へと出て来た。
制帽の下からのぞく束ねた赤毛を揺らし、配達員が笑顔で前に進み出る。走る時以外では少し臆病な彼女の相棒は、見知ったはずの老人の月日熊のごとき様子にたじろいで手綱を引っ張り、二歩下がった。
この王国の山のあちこちで見られる、至極無害だが力は強い熊を思わせる老人は、村に越して来てから何度も、この配達員からこうして荷を受け取っていた。
しばらくぶりに手紙を届けに来たのがこの若い女性だと知ると、老人は差し出された手紙の宛名を確認しながら、彼女の方を見ることもなく問いかけた。
「あの話は本当か? 少し前に聞いたんだが、ただのうわさだと思っていた」
根っこから明るい性格だ。賊に狙われるような速達便の騎手まで務められる、芯の強さも持っている。配達員は豪快に笑って答えた。
「そうそう、ほんと。お払い箱ってやつ。まあ、仕事に戻れたから良かったけど」
「……では、なぜ。呼び出した、お前さんを」
受け取りの証に、手紙と一緒に差し出された書類へ名を記しつつ、老人はたずねる。配達員は二度ばかりうなずいて語った。
「さあね。賊の撃退っていったって、たまたまよ。同僚の仇っていうか、この魔銃のおかげ。無事のお礼にお参りぐらいするじゃない。気に入ったって言われてもね。こっちも仕事があるし」
手紙をひっくり返し、誰から来たものか分かっている差出人の名を一応確かめて、老人はさらにたずねた。
「では、なぜ。首にしたんだ、お前さんを」
「うんうん、それそれ。おかしいわよね」
配達員は笑う。届け先の老人たちだけでなく若い者にも人気の彼女の笑顔は、霧に閉ざされた周囲を明るくするようだった。
しかし老人は眉をひそめたまま、手紙をにらみつけている。次の手紙はもう少し先に届く予定であったからだ。
神官長たちから口止めされていることは話せないが、元の仕事に戻された理由はその限りではない。速達便の騎手は朗らかに、お払い箱の真相を告げた。
「地域に必要だから、なんだって。薬品なんかの緊急配達も請け負ってるじゃない、速達便って。いないと困るに決まってるだろうって言うのよ、勇者様」
明るく笑う配達員の顔を見つめ、老人は太い眉をしかめた。
「おかしいな」
つぶやかれた言葉にまたうなずきながらも、配達員は世間話を続ける。こういった遠方の情報を届けるのもまた、彼女たちの仕事だ。
「もしかして知らないの、勇者様のご活躍。新聞は燃やす前に読んだ方がいいですよ。山賊退治に人買い、塔の斬り落とし。あ、石化鳥も倒してたって話題になってるわね、今」
それは知っておる、というのが老人の返答だった。
窯にくべる前でなくとも、たまに取り寄せる新聞は隅から隅まで読んでいて当然だ。近隣や王国の目立った話題以外も載った十枚以上はある厚いものは、定期購読はもちろん、一部ずつの購入でも、それなりの費用がかかる高級品である。
新聞に硬貨を払えない者は街角の掲示板に張られる、主要な情報が載っただけの、かわら版と呼ばれるものを見るしかない。当初は王都の建物の屋根瓦に似た色をした大判の紙に書かれていたことからそう呼ばれるようになった、紙面が一枚きりのものだ。
届け物を終え、勇者の仲間候補をお払い箱にされた速達便の騎手は、相棒に乗って颯爽と村を後にする。
馬がその前を通り過ぎた村のかわら版には、最新の情報として、二日ばかり前の南部の都市での出来事も載せられていた。
小屋に戻り、老人は手紙の封を切る。
内容は変わらない。王都に来ないかという誘い。研究がどうのというより、旧知の仲で独り身を貫く魔導師を心配しての、ありがたい誘いだ。
魔術師の中でも魔道具に特化した者は魔導師と呼ばれる。王都での勤めが嫌になり、市井で店を開いてからずっと、この友人とだけは連絡を取り合って来た。訳あって店を手放し、ここへ隠れ住むことになった時も、この友が人知れず手を貸してくれたのだ。
手紙の最後は、すでに知っていたことと、それに付随した驚くべき情報で締められていた。
ドワイド・ギーニングは捜査官の手によって逮捕。
赤は、今、勇者様の手に。
深く、長いため息が吐かれた。
安堵、そして、新たな不安。
魔導師の老人は机の上に置いた手紙の隣へ、横に長い箱を引き出しから取り出した。灰色の布地を張り付けた手製の箱を開ける。
収めるものの型を付け、くぼませた箱の内側には綿を敷き、外と同じ布を張ってある。すでにこの世にはないとされている分も、ここに収める場所を作ってあった。
全部で五つ。ここにすべてが揃う日は来ないだろう。今この箱の中には二つだけ、まったく同じ色味と大きさをした金属の輪が収まっていた。
上に二つ、下に三つ分。それぞれの輪の端が重なるようにして置くことが出来る、そのくぼみに収まっているのは、上と下にひとつずつだけだ。
風と水。黄と青。
老人が友と、この鈍色の五つの輪っかのことを話す時は、色を呼び名に使う。
外からはまったく同じにしか見えない輪の区別は簡単だ。それぞれに呼応するであろう属性を宿した魔石を近付け、魔法を発動させてみるだけでいい。
魔法の属性が同じなら金属であるはずの輪が、すぐにもそれぞれを示す色で染まるからだ。
赤、青、黄、緑、黒。
緑と黒はとうの昔に失われ、赤は勇者の手にある。
赤、火を現す魔道具の輪は老人の不手際によって取引の材料となり、悪党の手に堕ちた。
罠に嵌められた弟子の命と引き換えに赤の輪っかを渡したのには、相応の理屈がある。
火は、人の歴史が始まって以来、その扱いを常に学び、制し、暮らしを発展させてきたものだ。もしこれが何かに使われるとなっても、その対処法は今までのそれで賄える部分があると魔導師は考えた。
水と風の巻き起こすものに引けは取らない威力であるとはいえ、まだ人に、制御出来る部分はある。そして、制御しやすいものへと利用されるはずだ。
例えば、火焔の魔道銃。
勇者は、どうであろうか。その力を制することは出来るのだろうか。
魔導師の老人は部屋の隅に積まれた、四つ折りにした新聞を見やった。
年寄りの杞憂に終わりそうではある。そこに綴られている話題からは、かつて、血まみれ勇者などと揶揄された者の気配はない。
何より、持つ者を選ぶとされた古の魔道具が、その手に渡ることになったのである。今の勇者がそれに値するのだということを信じてみるよりほかない。
老人は箱のふたを閉じた。古の力を秘めた五つの輪っかを収めるためのものを、鍵も何もない、ただの引き出しに仕舞う。
これを持っていると否応なしに、自身も日の目を浴びることになるかもしれぬ。しかしそれはまだ先、今ではない。
「朝飯にするか」
老人は窯でなく、薪ストーブに火を入れた。やかんにお湯を沸かし、隣でストーブの天板へ直に固いパンをのせて焼きながら、ふと思う。
沸かしすぎた茶葉で作る、不味いミルクティーが懐かしかった。
何者かによって売り払われた魔道具を盗んだと依頼者に疑われ、師に迷惑はかけられぬと姿を消した弟子のことが、老人の頭をよぎる。
仕事についての手際と感覚は良いのだが、お茶一杯満足に入れられない不器用な男が無事でいるのかは、顔見知りがほぼいない老人の数少ない憂いのもとだった。
何ものせていないパンをかじり、失敗のない紅茶を飲む。当たり障りのない一日を始める老人は、ひげに付いたパンくずを払いながら、ただ待つことにした。
制作者不明の古代の道具。それが本当に持つ者を選ぶというのなら、選ばれし者がここへ現れるのを待てばいい。
机の上に置いたままの手紙を、銀の瞳がにらんだ。
手紙の返事は滅多に出さない決まりになっている。というか、そういう決まりを筆不精でもある老人は作った。送った手紙が返送されることがなければ、それが無事の証だ。
ここで、時が来るまで身を隠すという意思は、それで伝わる。
旧知の友は聡い。尾長金剛洋鵡にして魔鳥の賢者と呼ばれる者にも並ぶという、知見を持つ人。
それが、救世主降臨神殿召喚神術神官協会主席神官長ネフェル・イルジュツという男だった。
「そうですか、それはありがたいですね。私としても安心です。お頼みしますよ」
ネフェル主席神官長は、もう一度、お願いしますと頭を下げて、通信を切った。
地球の日本から来た救世主様と同じく、そこにはいない声だけの相手に向かって下げた頭を上げる。白い頭と口ひげをめぐらせ周囲を見やれば、各所の通信機と繋がった魔道具が、立てた木材に分厚い木の板を渡しただけの簡素な棚に並んでいた。
救世主降臨神殿の、主席神官長専用通信室。
年代も形式も異なる通信機が並ぶ様は、圧巻だ。そこに友との専用通信機があればよいのだが、いつ何時呼び出されるか分からないものなど側には置いておきたくないという相手には、手紙でのやり取りを約束させるだけでも苦労した。
やり取りなどといっても、向こうからの返信は滅多にあるものではないのだが。
友の身を見守ってくれるという連絡が、今は何よりもありがたい。
ネフェル神官長は通信機の棚から、戸口へと歩んだ。
先ほどの通信の相手は、自身が探していた人物の知り合いが思ったよりも近くにいたことに驚いたと言った。
ただし、それが本当であるのかは、当人だけが知る。魔道具の知識がある者として、彼が主席神官長に早くから目を付けていてもおかしくはない。
ありとあらゆる情報を集めることに長けているその人は、国王の捜査機関に所属していながらも、神殿側の者とも親しくしていた。
否、役目のため、相手にはそれと知らせず馴染むような者でなくては、潜入捜査官など務まるものではない。
友人の所在をたずねるコアソン捜査官からの連絡にはもうひとつ、言伝があった。
神殿宛ての速達便の受け取りを、主席神官長補佐官に伝えておかなくてはならない。またにぎやかなことになるだろうかと、ご老人は考えた。
思ってもみないようなことが起こってばかり。
それに笑みをこぼしている自身に気付くと、主席神官長はさらに笑顔になった。
「まさか、このような成り行きになるとは」
ささやくような声で、誰もいない部屋に独り言を残す。ネフェル・イルジュツは裾の長い灰色の外套で塵ひとつない床を掃いて、通信室を出た。
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