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6 旅行く勇者と外の人
第8話 気晴らしにもならない。
しおりを挟む帽子のつばと長ったらしい前髪で目も見せない客の質問に、ヴェラはあからさまな不満を浮かべ、眉根を強く寄せた。頬を紅潮させ、彼女は高らかに復讐の時が来たことを告げる。
「せいせいするに決まってるでしょう! こいつの何もかもを終わりにしてやれるのよ! この男を地獄に叩き落すために、あたしは今まで、生きてきたんだから!」
ヴェラが両の拳を強く握り、叫んだことは、気が晴れるかとたずねた勇者の望む答えではなかったようだ。救世主はじっと壁の一点を見つめて、また、ため息をつく。
「なるほど。分かっているようで、分かってないわけだ。おかしいな」
小男の捜査官の仲間か助手かだと思っていた客の言葉の方こそ、語られた内容とその意味が分からず、ヴェラはひどく顔をしかめて問いただした。
「なに? なにが言いたいの? あんたに、なにが分かるっていうのよ。あたしのなにが!」
「分からない。悪いが、まったく、分からない」
帽子のつばを細かく左右に振って答えながらも、その目は一点を見つめていた。白っぽく輝く金の髪が、ぽつぽつと語ったくちびるをなでるように揺れる。
見るからに不満げに突き出された、それでも形の良いくちびるから次に語られたのは、それをいぶかし気に見つめるヴェラが仇の息子へ、散々使っていた言葉だった。
「馬鹿だな。君も馬鹿だということは分かった。あ、いつも思うんだよね。人のバカを、馬と鹿と一緒にしちゃ悪いなって。そうだ、なんで、バカを馬鹿って言うか、知ってるか?」
ぼんやりと制御室の中空を見やりながら、場違いな話題をしゃべる勇者は、一歩二歩と前へ歩んだ。
「なによ? なんなの? 意味が分からない! あんた、なんなのよ! あたしのなにが、バカだって言うの!」
ヴェラがわめき、悠然と迫って来る者から思わず身を引く。背後のもうひとつの扉へとその身を預けかけ、そこへ踏み留まって否定した彼女の声は、悲鳴のようにも聞こえた。
「ここのことを、父親が残したものの力を、よく知っているのなら。分かっていなけりゃ、おかしい。分かっていてそれをやろうとしてるから、君はバカなのかと聞いているんだ」
勇者は語りながら左手を伸ばし、側の黄色い取っ手を押し上げた。聞き慣れた轟きが制御室と古びた工場に響き渡り、機械が静まり返る。
とどめを刺されたかのように悲鳴を上げて、ヴェラは取っ手へと飛び付こうとした。
その青い瞳の眼前で、白い刃が下から上へと振るわれる。音もなく振るわれた神剣は壁の制御盤をすり抜け、黄色い取っ手の根元だけを斬り払った。
「はい」
「はい」とひと言、手渡された物を、復讐者は見つめる。溶解炉の始動と停止を切り替える要の部品は、バタークッキーのような明るい黄色をして、ヴェラの冷たい指先にのった。
「制御しきれないほどに膨らんだ魔力は、溶解炉の熱すらも魔陶石を通じて魔石へと取り込ませ、増幅器の効果をさらに加速させる。魔石と魔陶石、そこの循環だけでは押さえきれなくなった力は溶解炉ごと、この工場も親の仇の悪党も、君も何もかもを飲み込んで爆発する」
白い剣の切っ先を静まり返った制御室の床に音を立てて下ろすと、勇者は推測の結末を語った。
「ここだけじゃ済まないよな? この周り、誰も住んではいないんだったっけ?」
勇者は、手の中の物に視線を落としたまま微動だにしないヴェラの、解かれて広がった後ろ髪を見ながら続けた。
「君の方こそ知ってるだろう。ここに何年と通って働いているなら、ここまでの道筋に、この周囲に、街にどれほどの人が暮らしているか! 分かってるはずだよな?」
「……は、は、はず、分かってる、はず? それが、それがなんなの……何だって言うのッ! どうして邪魔するのよ! さっきからなんで、あたしの、邪魔をするの!」
ヴェラは用をなさない取っ手を放り捨てた。投げられた物は窓ガラスを割り、下へと落ちていく。粉々に砕けたガラスと共に。
さびた床に取っ手が叩き付けられた甲高い音が聞こえ、破られた窓から熱気が入り込んだ。張り詰めたやり取りに鎮まったのか、怒りに我を忘れていた復讐者が冷えたようにも感じていた制御室の空気が蒸し返される。
「そんなもの知ったことじゃないッ! この男が、この男が悪いんだから! あたしはこいつを、この悪魔に裁きをくれてやるの、それだけよ! あんたには、なにも分かりはしない! だから邪魔をするなって言ってるのよ!」
叫び、身をひるがえし、ヴェラは扉へと駆けた。体当たりで押し破るかのように扉を開いて駆け出した彼女の前へと、一歩跳んだ影が、その身を滑り込ませる。
衝撃波が起こす乾いた音に、死神の代理人も身をすくませた。その耳に、舌打ちが聞こえる。
「新手か。銃を何丁、余分に用意してるんだよ。服が、破れたぞ」
ひどくため息を吐いて、勇者は神剣を振るった。縦に一閃。いら立たしさを現しただけのように無造作に振った一太刀で、作業通路を駆け付けて来た男の手から銃が飛ぶ。
硝煙を上げていた拳銃が手の中から消え、護衛は立ち尽くした。そちらへは目もくれず、洒落た装いの救世主は身代わりに撃たれた自身の、右の腰の辺りを確かめている。
外套の下の高価な背広には穴が開いていた。焼け焦げた穴を指先がなでると潰れた銃弾が転がり出て、床の格子の間から落ちていった。
「ああ、嫌だ。これだから嫌だ。なんで、平気で人を撃てるんだろう。わけが分からない」
愚痴をこぼしながら勇者は階段を下りた。斬られて欠けたのとは反対側の作業通路を、ため息を吐きながら歩む。前方に現れた護衛を数えつつ、背広姿の勇者は自身と同じく場違いな装いの連中の元へと、歩を進めた。
その背を見下ろし、ヴェラはその場にへたり込む。悠々と歩む得体の知れない客が盾となり、命拾いしたことだけしか理解が出来ない。
自分に代わって撃たれたはずの者が平然と、立って歩いている。二度三度と闇雲に振るった白い剣を背中の鞘へと戻し、作業通路を歩む後ろ姿を見つめるが、混乱した彼女の頭は上手く働かなかった。
計画はだめになり、バカ呼ばわりされ、撃たれて死にかけ、訳の分からなさに座り込んで動けない。復讐の最大の一手は、もろくも切り払われてしまった。あっけなく、簡単に。
とことこと軽やかな足音がして、ヴェラは重い頭をそちらへめぐらせた。
半眼の小男が側へ立つ。目の下の隈を一層ひどくして、潜入捜査官はようやく、黙りっぱなしだった口を開いた。
「最後の最後にツイていたようですねえ、あなた。まあ、不本意な救われ方ではあるのでしょうけど」
誰かに倣ってか、小さくため息を吐き、コアソン捜査官はヴェラの方を見ずに、我らが救世主さまへと目を向けたまま続けた。
「ちょっとそのまま、しばらく大人しくしていてくださいねえ。うろうろされても困りますので」
ぽかんと開けて、小男を見上げていたヴェラの口に、一滴しずくが飛び込む。針のない極小の注射器から飛び出したそれで途端にめまいに襲われ倒れる容疑者を、力持ちのコアソンが受け止めて、階段にその身を横たえた。
頑丈な皮の帯で出来た手錠を彼女の片手にし、一方を側の手すりに留める。コアソンは制御室へと振り返り、もう一人の首謀者へとたずねた。
「さてと。ドワイド・ギーニング、全責任者は他でもなく、あなたです。もう少し詳しく、お話を聞きたいのですよ。魔銃や発魔動機、その他の何かを、あなたに発注した相手について」
階段を戻り、制御室の扉をふさぐように捜査官は立つ。部屋の中に留まるドワイド・ギーニングは黙したまま、コアソンを見下ろした。
「知っていることだけいいのですよ。ご子息に、可憐な森の精霊さんのことを吹き込んだ者についてとか。あなたが絶対に見過ごしてはおけない者の話をねえ」
捜査官から目を移し、窓の外へとギーニングは顔を向ける。集まって来た護衛と、ぐずぐずと構内に残っている不貞の輩を前に、粋な装いの若者は微動だにせず、そこにいた。
「そうだな。あれぐらいのものは用意せねば、太刀打ち出来ぬだろう。そんな奴らに関わってしまったことが、失敗か」
「あなたの失敗は、そもそもの生き方に問題があるだけだと思いますがねえ」
答えたコアソンに、わずかに目を向けただけで、ギーニングは窓の外から目を離さなかった。
森の民を荷の護衛に付けた貴族。ばらばらに頼まれた、繊細で複雑なようでいて単純な機構の大型の部品。違法な銃を数十丁に、魔道銃を数種。それらを運搬するためでもある発魔動機を何台も。
依頼主は幾人かに分かれている。しかし、彼らを意のままに動かしている者については素性も何も知れぬままだ。
手掛かりはひとつ。関わっている者には亜人の出が多いということ。
ドワイド・ギーニングは素直に話した。
「黒幕、真の依頼主は分からん。相当に強力な、古代兵器を欲しているということ以外ではな。それを近代に合わせた仕様に作り直そうとでもいうのだろう。部品の構造から見ても、量産する気でいるのかもしれん」
「ほう。まだ、そんな奴がおりましたか」
ギーニングは小男の亜人へと、視線を落とした。顔は前へと向けたまま動かした目に、自身以上に感情の見えない笑みが映る。
悪党には分からなかったが、その笑みは見た目そのままの意味で浮かべられていた。
心の底から呆れているのだ。自身の生まれ故郷でかつて起こったことから何も学ばない者が多いという、そのことそのものに、心底呆れて、コアソンは笑みをたたえていた。
「まあ、百何十年以上の前のこととなると、国の外のことでなくても、ぴんとは来ませんからねえ。平気で、その材料を提供するわけですか、金に変わるのなら」
笑顔のままだが、捜査官が目の前にいる者とその先の何者かに怒りを向けているのは見て取れた。ギーニングはそこから目を背け、窓の外、自身の夢の始まりであった場所で今まさに起こっていることへと意識を奪われた。
「あなた方が怒らせてるものが何か。それをよく、その目で見て、覚えておいてください」
コアソンも制御室の戸口から、ぼんやりと赤く照らされた工場を見やった。
「あれが。この世界を去りし創造の神々が遺した、意思というものなのかもしれませんねえ。ずいぶん軽快に遊んでらっしゃいますが」
作業通路の中ほどで相手と向き合う。撃った弾は外れたのか、場違いな服装の客は、平然と立っていた。
殴りかかる。拳銃はどこかへ飛んで行ってしまった。相手が剣を背中の鞘に収めている今のうちに、素手で立ち向かうしかない。
そうして出した右の拳は瞬時に外へと払われた。右腕を振り払われた反動をもろともせず、護衛の男は左の握り拳をえぐるようにして、相手の腹へと打ち出す。
どうしようか。そんな風に考えて首をかしげたように、男の目には見えた。
相手は彼の背後、あらぬ方へと瞳を向けている。白っぽい前髪の影から見えた金色の目は、次の相手を品定めしていた。
次? 終わった。
男がそう思ったと同時に握り拳は取られて腕を引かれ、前のめりになった上体に下からひざ蹴りが入る。
折った体を、右の拳を払った手で引っ張り上げられた。背中をつかまれ、体をくの字にした男はそのまま引きずられるようにして背後へ、作業通路を持って行かれる。
うめき声すら上げられない男の耳に、方々から慌てた声が聞こえた。
腰や懐から抜き放った銃がどれも、ただの鉄のかたまりと化していたからだろう。投げ捨てられたそれらが鉄格子の床に落ち、派手な音を立てた。
彼らに勝算を与えていた飛び道具はない。後は己の腕を信じるだけだ。鍛えた体に自信がある、背広越しでも分かるくらいに胸板へ厚みのある男が前へ出た。
いくら鍛え上げているからといって、自身と同じだけ体重がありそうな同僚を受け止められるかは分からない。いきなり投げ付けられた大の男から思わず身を引いて胸を反らしたところを、蹴られた。
宙を振り払うように払われた相手の右足が、厚い胸板を叩く。
軽やかに見えたそのひと蹴りは、息を詰まらせるのには充分なほどに重かった。左側の手すりに叩き付けられ、その反動で前へと折った体を、無防備な背中を踏まれる。
転がった同僚の側へ前のめりに倒れる男には見えるはずもない。広い背中を踏み台に跳んだ上等な装いの客は、まだ赤い真四角の鉄板が流れる上を越え、隣の作業通路へと降り立った。
途中が欠けた通路から雇い主の待つ制御室へと向かおうとしていた護衛の前に、それは立った。
貴賓室の廊下で一度、見かけている者だと、護衛の男は気が付いてはいた。ただこの護衛は、店の客のその姿を見たというだけで吹っ飛ばされてきた相棒に視界をふさがれ、廊下に転がり、あっという間に腹を殴られ気を失っていた。
だから今度も「あっ」と叫ぶ間もなく片が付いたのは、仕方がないことなのだろう。
洒落た外套の裾をひるがえし、降り立ったと同時にしゃがみ込んだ相手は、前をふさがれていたわけでもないのに男の視界から消えた。すぐに、男の腹に突き上げるような衝撃が加えられる。
どちらかといえば細身の、粋な装いの若者は、腹に軽く突っ張りを入れた勢いそのまま護衛の分厚い体を抱え上げるようにして持ち上げ、数歩走った。作業通路を引き返す男たちに、無抵抗な同僚の体を投げ渡す。
目を疑うような光景に身がすくんだ一人が、飛んで来た男の足に巻き込まれ、倒れて一緒に転がった。鉄の格子の作業通路から、塗り固められた床へと転がり出る。
その辺りにいて様子をうかがっていた者たちは、出入り口へと向かう通路の奥へと身を引いた。
作業部屋から廊下を通って再び構内へと戻って来ていた粗暴の悪い連中は、身の置き場をどうするか、考えあぐねている様子だ。
戦う相手は、たったの一人。雇い主が違うだけで、邪魔者を消すという仕事は変わらない。しかし、工房の主の護衛たちと共闘してまで戦うべきなのかは決断が付かなかった。
後払いで約束された法外な報酬が惜しいとはいえ、幾分か手に入れた前金をふいにしてまで、ここに留まるべきではないのではないか。
無法者とはいえ金の勘定にはするどい連中は、請け負った仕事をこれ以上続けるかを迷っている。投げられ転がされた護衛たちが何やらうめきながら立ち上がる様子を目に、及び腰でその場に立ち尽くしていた。
連中の内の一人だけが場違いな装いの客をまだ、獲物として品定めしていた。作業通路を落とされる前には、しっかり見定めようとも思わなかった相手を、上から下までながめ回す。
あいつは変だ。亜人か? あの距離を跳ぶなど、ただの人間がやれることではない。
そう、あいつは……。
「お前、あの時の!」
粗暴な輩の一人から上がった声に帽子のつばを、わずかに上げる。
昼間の市で会った男へ目をやった勇者は、面と向かって姿を見ているにも関わらず、まだ気付かれていなかったことを知って、誰にも届かないくらいの声でつぶやいた。
「目立つのか目立たないのか、どっちなんだ? この前髪」
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