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6 旅行く勇者と外の人
第2話 公然と潜入
しおりを挟む玄関内の応接間を抜け、扉を入る。
高い天井に二階席もある広々とした空間では、客たちが食事を楽しんでいる。昔はこの広間が商工会の内輪だけの催しで舞踏会や表彰式などを行う場になっていたが、今は誰が入ってもいい、されど服装に規定はある一流の料理店として利用されていた。
着飾った客たちが思い思いに料理と会話を楽しむ中へ、一階奥の舞台から生演奏が流れている。
食事と会話を邪魔しないような抑え目の音楽に心地良く身をゆだねて今宵の客が話題にしているのは、国のあちこちで各々が見聞きしたことへの感想や、これから先に注目を集めそうな未来の出来事への好奇心だ。
製造業の先行きや取引での市場の変動、新たな産業になりそうな発明の話題に、鉱山で見つかったという大粒の宝石のことから、それらに目がないご婦人方の昨今の流行りまで。
仕事や生活への愚痴が多い町の食堂などとは違って、こちらの方が幾分か景気が良さそうだというだけで、街のどこにでもありふれた、日常の会話が行われていた。
ひとつだけ、話題に足りないことといえば、勇者にまつわるものだろう。
二階席を貸切る者への配慮からか、絶妙に、王国中で今一番の関心事になっているはずの話が避けられている。
給仕係はもちろん、店の客にまで暗黙の了解を強いる顔の広い男は、決まりの席に腰を落ち着け、食後の一服を楽しんでいる頃だ。
広間の一階の見回りを終え、その行程で漏れた席をめぐりつつ、玄関へと戻る。その途中で常連客たちと、あいさつを交わした。
彼らは今日も上機嫌だった。上等な食事と酒に酔いしれ、この世の憂さをひとときでも忘れるための集いなのだと、客の老紳士は語る。
客の多くに共通した願いでもある夢現のひとときを実現させるため、店の入り口で訪問者に目を配るのが役目だ。
盛装規定などと言ったって、形式的なものだった。割高に設定された店の雰囲気を愉しむために来ている客への配慮である。
もちろん服装の値段は別にして、不審者だと判断した客は通さないのが当たり前だが、この店の場合、お得意様にとっての障害か否かが判定の基準だ。
武器の所持を無しにするなら、この店の支配人の最もな上客である、二階席の男の連れも追い出さねばならない。特別待遇の彼ら以外は、持った金貨の枚数に差があるだけで、あまり代わり映えのない普通のお客様方だ。
今し方、階段を上って玄関から入って来た若者など、この店の典型的な客だった。
上等な装いが着慣れないのか、やたらに背筋を伸ばし、周囲をうかがうように帽子のつばをめぐらせている。
この店の玄関の吹き抜けや広間への扉は、初見の者だと礼拝堂かと見紛うほどだ。雰囲気に気圧されても仕方はない。
若い人が着るにしては良いものだが、落ち着いて見えるあまり地味な装いとも取れる姿に、特徴を与えるためなのだろう。長い白金の前髪で、顔を半分隠している。舞台役者や芸術家、主義主張のある学生などに多い、自分を異質に見せたがる者だと見受けられた。
連れがいないのが気になるが、今宵もちらほらと貴族の令嬢や商家の娘が食事に来ている。中の誰かと待ち合わせているのかもしれない。
そういった伝手で社交場に潜り込んで、街の有力者に取り入ろうという者は年齢性別問わず、この店以外でも見かける、ありきたりなものだ。
おろしたての外套の裾を整えて、初来店の客は従業員が開けた扉を潜り、広間へ歩んで行った。
そろそろ上着だけは玄関で預かるようにした方がと、支配人に進言すべきかを考えている。
上客の中には玄関脇の受付で、かさ張る上着を預けていくこともあるが、大半の者たちはそれらを着たまま中へ行く。
主の警護などで同行している者は物騒な手荷物を目立たせないようにとの配慮で、あえて着込んだままでいることもあるのだが、一般の客はその限りではないだろう。
警護兵として街の門も預かったことのある身としては、少し気がかりだ。ただの痴話喧嘩に刃物を持ち出すような者も時にいる。
流行りの芝居だと、熱に浮かれた若い女性が取り合う役が似合いのさっきの若者は、こちらが常連客のあいさつに答えている間に、姿を消した。
お帰りになる客を通すために従業員が押さえたままにしている扉の合間から、二階席への階段に向かったように見えたのだが、違ったらしい。店の奥の化粧室辺りから連れ立って出て来たご婦人方が、何やら楽し気に会話をしながら席へと戻って行く。
やはり待ち合わせか。個室の方へと行ったのだな。
そこまで話が進んでいるのなら、首尾よく目当ての者へと近付けるだろう。そのうち店の話題のひとつになるかもと思いつつ、広間への扉の前に立ち、次から次へと訪れる客の品定めの仕事に戻った。
「お客さま、何をお探しでしょうか?」
営業中は人気のない、ごみ置き場へ向かう通路にて、見るからにでこぼこな二人が向き合っていた。
向き合うとは言っても客にたずねた方は、つま先立ちしよとも身の丈が相手の背広の胸の辺りまでしかなく、丸っこい顔を真上になるほどに上げて話している。左手に丸盆、右手にグラス。水滴が付いたそれらは、どちらも空だ。
たずねられた方は視線から目をそらすようにして、薄暗い廊下の天井へと顔を向けた。長ったらしい前髪が頬の横を流れ、のぞいたくちびるが少々尖る。
「うーん。大っぴらな場所で質問した方が、面倒なことも少ないかなと、思ったもので……」
「どうせ大事になるのだから、ですか? まあ、なりますけどねえ。貴方さまがご登場になると、もれなく」
盆を片手に給仕係は、嘆息した。背広とつば広帽の客も、ため息をこぼす。
公然の正体となると服装を変えたくらいでは隠しきれないのかと、ため息をついたお客さまへ、給仕係は目を上げた。
「貴方さまがご自由になさるのが一番効果的であるのは間違いなさそうではありますがねえ。ご活躍をこの目でと思った眼前で、どんぱちやられても、目立たないことが信条のわたくしには少々、刺激が強すぎます」
給仕係は持っていたお盆を、自身の口元を隠すように掲げた。
仕事に障りがあるので迷惑だと暗に諭しているようでいて、そうなったらそうなったで成り行きを楽しむつもりでいたらしい。どちらへ転んでも、含み笑いの彼にとって成否は同じであるのだろう。
ただし、ひとつだけ不満があったようで、隈で縁取られた半眼をするどくすると、客へ問うた。
「気付かれていないとばかりに思っていたのですが、もうご存知でしたか、わたくしのことは? 自分から姿を現しておいてなんですが、まったく驚かれないのは寂しいものなのですがねえ」
明かりのほとんどない暗がりの廊下であっても、ほのかにきらめいて見える白っぽい前髪の奥で、客は金色の眼をしばたかせた。
「あー、いや、ここに来るまでの間で、そうなんだろうなと分かっただけで。さっきまで、声をかけられるまでは、知らなかったですよ。潜り込んでいる人が、すぐ側に居るってことは」
濡れた外套の右袖を左の袖で拭きつつ、粋な装いの客は語る。
答えながら先ほどの出来事を思い返す。給仕係の鮮やかなお手並みには感服させられた。
盆で運んでいた水のグラスに、なぜか袖が引っ掛かった。周囲や床を濡らすことなく、片袖だけ濡れる。二階席への階段に足をのせる寸前のことだった。
こちらの手に当たったのだろうか。盆の中に倒れたグラスをつい元へ戻してやると、お礼を言われて後退るほどに恐縮され、拭くものをと奥を指し示された。
化粧室から出て来た女性たちが、濡れた袖と困惑するこちらを見て、ひそひそと何かを話している。
お召し物の乾燥が必要ですねと給仕係は言い、そのまま自然の成り行きで人目を避けるように奥へ奥へと通されて、店の裏側にまで連れて来られた。
その間に、目ざとい方である客は、先導する男の正体へ思い当ったに過ぎない。目立って小柄な人物と面と向かって会話するのは、これが二度目だからだ。
亜人の血を引くが故に、この体格なのだと新米に教えてくれたのは、面倒見の良い熟練冒険者だった。目の前の給仕係は、その冒険者と同じ血筋を引いた者なのだろう。
そして、彼は冒険者でなく、別の仕事を選んだわけだ。
「そうでしたか。わたくしのことに気が付かなかっただけで、潜入している者がこの街にいるということはご存知でしたか。ま、それに気付かぬような方ではないと、知ってはいましたが」
ごみ置き場へ出る扉の隣、小脇にお盆を挟んで部屋の戸を引きながら、給仕係は白状した。
「では、以後お見知りおきを。わたくし、コアソンと申します。潜入捜査官として食べさせていただいていますよ。貴方さまの、このお国にて」
給仕係に就職中の潜入捜査官コアソンの案内で、後に続いて掃除用具庫に入った客は、引き戸を閉めると深くお辞儀した。
「これはどうも、ご苦労様です。お仕事のご迷惑になってしまって申し訳ない。あ、自分が勇者です。よろしくお願いいたします」
なんでしょう、調子が狂いますねえ。
話に聞いていた感じより、さらに数段、謙虚さに異常があると、捜査官は判断した。
もしかして、騒ぎになりたくないばかりに、ご自分が紙面をにぎわしていることを気に病んでいるのですか。
要らぬ謙虚さの原因に思い当り、コアソンは礼を返す。
「勇者さまのご活躍の報告には、すべて目を通しておりますよ。あの屋敷の件では、こちらこそ、ご迷惑をかけてしまいましたねえ。庭師として潜入した時にはまだ準備もなされていない時分で、まったく手がかりがつかめなかったもので、被害を大きくしてしまいました」
上手く驚かせることが出来た。
普段は感情が見えない潜入捜査官が、にたりと笑う。勢いよく頭を上げた勇者は、子どものように首を振った。
「いいえ、そんな! そうだったんですか! なんか無茶苦茶なことになって、すみません。あんな変な、派手にやったせいで捜査を邪魔しちゃってるとか、もっと、おかしなことになってはいませんか?」
なぜに、そうなるのでしょうか。
世間で騒がれないというだけで、ご自身より周りの方が数段上手く仕事をやっているのだと思い込んでいる節がありますねえ。この、ご謙遜勇者さまは。
近くの棚にお盆とグラスを置いたコアソンは、部屋の奥に横向きにして積まれている戸棚へ歩んだ。
「邪魔など何ひとつ有りませんよ。むしろ好都合。慌てた連中ほど、ぼろを出しやすいですからねえ。上に立つ者は覚悟もそれなりで違いますが、下の者は虚勢を張ったり、恐れを煽られたりで、隠し事を知られまいと行動が違ってくるものです。口も軽くなります」
話しながら、開けた戸棚の中身を取り出す。
側の手押し車に作業服のつなぎを置き、コアソン潜入捜査官は手早く、それに着替え始めた。畳んだ給仕係の制服は、洗濯物でも回収しているかのように、手押し車の下に吊るされた布袋へ詰める。
空になった棚の戸を閉め、掃除用具が載った手押し車を動かしてずらすと、その後ろへあった戸を掃除係は開けた。中の物に、勇者は声を上げる。
「あ、それ!」
「そう、それです。こちらへ持っておきますねえ。間違って、ごみに出されては洒落になりませんよ。お高いものなんですから」
店の外のごみ捨て場の側の、生い茂った植え込みに隠してあった白い袋と肩掛け鞄を、制服を詰めたのとは別の回収袋へ仕舞い、掃除係は手押し車と共に客の元へと戻って来た。
棚に置かれたお盆も濡れたグラスも、きちんと天板の上へ回収する。潜入捜査官コアソンはごく当たり前の顔をして、勇者へ告げた。
「はい。では行きましょうか」
掃除用具庫の戸を開けて、廊下に誰もいないのを確認し、客は部屋を出た。それに付いて出て来た掃除係が、薄暗い廊下に立つ場違いに上等な身なりの客へと声をかける。
「お客さま、迷われましたか? 上階へは、こちらからも参られますよ。従業員用でお見苦しいものかと存じますが、ご案内いたします」
掃除係に連れられて、客は階上へと向かう。
工業地帯で魔陶石や、それを使った発魔動機を扱う工房が集まっているせいか、王都の店舗でもめずらしい、自動昇降機が店の裏には備えてあった。
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