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5 旅は道連れ、世は捨てて
第20話 お約束
しおりを挟む「お前様は、古いものが好きだったのかの?」
トリサンに聞かれて、改めて考える。自分が知らない、以前の自分のことを。
「そうですね……行ったこともないらしい、どこか遠いところの知識は浮かびますね。記憶がないので定かではないですが」
「記憶か」とつぶやき、トリサンは顔を引っ込めた。
この、神々が創造した器の中に、鳥の賢者の目で何が見えたのかは分からず仕舞いだ。
「さてと、町まで参ろうかのう。途中で、おやつの時間じゃなあ」
忘れてなかった。
朝食も無しのまま遺跡調査もしてもらったし、忘れようもないか。記憶にはないが、見かけたり食べたりして懐かしいと感じたお菓子を蓄えてある。
「瓦みたいに固いせんべいがありますよ。噛み締めると、卵と小麦粉と砂糖の甘みが広がります」
「それは美味! ちびちび、かじりがいがありそうじゃ。楽しみだの」
トリサンがうきうきと、右肩で跳ねるように上下する。おやつが待ち遠しい子どものような賢者を肩に乗せ、丘を下った。
赤い鳥と出会った方を、ふと振り返る。魔鳥の賢者も、それに気が付いた。
「ありゃあ、あれじゃな。お約束じゃな。勇者殿の出番の」
「行きます」
「あいよ」と答えたトリサンは肩から羽ばたいて、舞い上がった。それと同時に一気に駆け出し、宙に赤い鳥を残して荒れ地を走る。
元来た方、前方には、こちらへ向かってくる二頭立ての幌馬車が見えた。荷台の後ろと両脇に、男を乗せた馬が数頭、後を追って来る。
右脇のは護衛か。後ろを気にしつつも、速度を落として迎撃するかをためらっているようだ。やらないのは追手の方が数が多いからだろう。
馬車と馬は丘の方へ、まっすぐこちらへ走って来ていた。こっちもまっすぐ、そちらへ駆ける。距離はぐんぐんと縮まる。向こうの詳細が明らかに、よく見えるようになってきた。
まずいな、飛び移られる。
はためいた荷台の幌の隙間から、馬車の後部の様子が見えた。馬に乗った追手が、刀傷か何かで破れた幌布に手を伸ばすところだ。
跳ぶ。揃えて踏み出した両足に、駆けて来た全力をのせる。
「おっさん、前っ!」
護衛の叫びに、後ろを気にしていた御者のおじさんが、こちらに気付く。二頭立ての馬たちは全力で走れという指示に精いっぱいで、こっちをうかがう余裕はない。馬車を引き、汗でじっとりと濡れた彼らの上を、跳び越える。驚いて固まったおじさんの左脇を抜ける。
幌で覆われた荷台に荷物は少なかった。木箱が三つばかり左端へ積んである。後は寝袋とか毛布、水の樽と桶などの野宿の必需品。それらを横目で見て、荷台に足を踏み入れたばかりの、賊を蹴る。
何も分からないままに賊は吹っ飛んだ。右手で神剣をすばやく抜き、仰向けに飛んだ奴に向かって振るう。ただし、斬るのは下の荒れ地。
神風でえぐられた枯草たっぷりの土のかたまりが下から浮き上がり、地に叩き付けられかけた男を襲う。土砂に包まれ、男は転がった。何度も転がりながら、後ろへ遠く小さくなる。
まあ、痛いのは痛いけど、衝撃吸収は出来たと思うよ。
「もう一人? 二人だったよなッ?」
馬車の右後ろを追って来る、馬上のひげ面が仲間へ叫んだ。それへ、もう一人が答える。
「どうでもいい! さっさと殺っ!」
お決まりの台詞を叫びかけた左の奴を、神風で斬った洋弓銃ごと、鞍から吹っ飛ばす。手の中の手綱も断っておいた。
悪い、そっちの着地は考えてなかった。
運が良いのか悪いのか。お決まりの台詞の奴は、枯草の吹き溜まりに落ちた。盛大に草をまき散らし、その場に伸びる。背負っていた荷で落下の衝撃を押さえつつも、急激な海老反りに息が詰まったらしい。
奴が乗っていた馬は左に逸れていった。全力疾走を強いる奴がいなくなって徐々に速度は落ちていくが、それでも馬車の後を付いて駆けて来る。
お馬さんはやっぱり、走るのが好きなんだな。じゃあ、楽に走らせてあげないと。
振り落とされた仲間にただ呆然と視線を送るひげ面へと、荷台から跳ぶ。もみあげに繋がりそうなひげを擦るように、魔鳥のごとくに肩へ乗る。そのまま右へと力を込めて蹴る。
斬る。
神剣を男へ向かって斜め下に振り、腰の剣共々、手綱を斬った。馬から振り落とされる男を踏み台に、さらに後方へ跳ぶ。
ぽっかりと大口を開けて、三人目の賊は、こちらを迎えた。狙いを付けたその胸に着地する。そいつが右手に握っていた銃を、跳びながら左に持ち替えておいた神剣で斬りつつ、賊が離さない手綱を取った。
蹴られた衝撃で握り込んだんだろう。手綱を放さないばかりに、男は馬の右側に振り落とされて宙ぶらりんになる。仰向けで悲鳴を上げる男の両足は、枯草をかいて土に引きずられた。
後ろ向きで鞍にしゃがみ、少し様子を見たが、賊は手を離そうとしない。無理もないか。投げ出されるのも怖いだろうからな。
手綱を引いた。馬もさすがに真横へ何かを引きずっていると走るのは嫌になるようだ。速度を緩めて、歩みも止める。
馬が大きく息をついたと同時に、賊も手綱から手を離した。音を立てて荒れ地に倒れた男へ、鞍の上からたずねる。
「馬車を襲った目的は? 金や荷じゃないな。目撃者の始末か?」
笛が鳴るような音を立て、男は盛大に息を吸った。
図星か。
「後で詳しく聞かせてくれ」
それだけ頼んで、鞍から男へ飛び降りる。腰骨辺りに着地すると、賊は悲鳴を上げた。
馬はそれに驚き、二歩、三歩と前へ出る。もだえる男に迷惑そうな目を向けて、馬はさらに遠ざかった。このお馬さんにとって、この男は、心配するような相手ではないということだろう。
騎手を失った他の二頭も遠巻きに、こちらへと歩んでいた。その後ろへ一頭、荷台から蹴り落とした奴のものだったらしい、他のより足の速そうな馬が駆けて来る。さらにその後方から、荷車を引いた大柄の馬が走って来た。
荷馬車の御者台で、光が反射する。
あ、構えてくれたのか。狙いやすくて助かる。左手の白い神剣を、地面すれすれから右斜め上へと振る。
何も見えない。
そうか、確かに変だな。
風刃だったら、魔法の風は形で見えていた。風の形が見えないのは、これは神風だからなのか、それの変形だからなのかな。
一瞬だけ考えている間に、こちらへ迫る荷馬車から、鈍色の何かが飛んだ。
小銃だったらしい。長めの銃身が切れて吹っ飛び、驚いた御者の男の体が跳ねるように動くと、残った部分を放り投げる。
そっちへ駆けた。跳び上がった御者に合わせるように、手綱を引かれた馬も歩みを止める。荷馬車はゆっくりと止まった。
御者台から立ち上がり、のけぞるようにして荷台へ上った男は、荷を見回して結局、腰の剣に手をかけた。
そちらへ走りながら軽く、白い刃を振るう。
音を立て、男の剣は鞘ごと荷台に落ち、端から転がって枯草に埋もれた。真っ二つになった腰帯も一緒に武器をなくした賊は、声もなく立ち尽くす。下着一枚になりかけたズボンを慌てて、手で押さえていた。
「大人しくしててもらえるか? あんまり、というか全然。誰か殴るのは好きじゃないんだ」
背後から馬が駆けて来る音が近付いて来た。幌馬車の護衛のものだろう。ここを片付けたら町へ向かわないと。魔鳥の賢者さんと同じく、追われていた人たちは、そっちに用があるみたいだし。
荒れ地のそこここで身動き出来ずにいる、この不届き者たちの目的は違ったようだが。
瓦のごときせんべいをかじる音が左の耳元で、ずっと聞こえている。
なるほど。この状況なら、無口な方でいるわけですか。
さっきから一言も語らず、こちらの話を聞いているトリサンは、朝食兼おやつをかじる手、じゃなかった、足を止めた。
「ほうほう。ご推察の通りのようだの。ひげ男が目をそらしおったわい。こいつらは、あの遺跡に用があったようじゃな」
こちらの胸の前へと垂れた赤い尾羽が、風にゆったりとなびく。進行方向とは反対側を監視しつつ、おやつを楽しんでいた魔鳥の賢者は最後のひとかけらをくちばしに突っ込むと、ご機嫌に体を上下させた。
「あれ狙い、だったんでしょうね」
まだ、おくちにおやつが入っているらしく、無言でトリサンは何度もうなずく。荷台を振り返ると、こちらも無言の男たちが、ぎょっとして身を縮めた。
縄で縛って転がした男たちの代わりに幌馬車へ運んだ荷を見れば、あの丘を掘り起こす気で荒れ地にやって来たことは、すぐ分かる。
つるはし、鍬、シャベル。小さな木箱の中に並んだ、爆薬の筒。
詳しく聞かせてくれと約束させた男から聞き出したことによると、この連中は、各地の遺跡や墓地を荒らしまわる盗掘者だった。あの丘の遺物に興味を持っているという、見ず知らずの相手から依頼され、手がかりになるような物が出ないかの事前調査を請け負ったらしい。
調査とは名ばかりの、ただの盗掘なわけだけど。
人に見られて困る仕事であるのは当然だが、絶対に見つかるなとの命も受けていた。そんな連中が丘に向かっているところで、町への近道にとこの日に限って、いつもは滅多に通らない荒れ地を選んだ幌馬車が遭遇してしまったそうだ。
同じく近道でもしているのかと思った護衛が、荷馬車と男たちの様子から犯罪の予兆を感じ取り、幌馬車を先へ走らせた。そして、口封じを狙っていた賊との追いかけっこが始まったのだという。
破れた覆いを脇にまとめ、後部を開け放した幌馬車の後を付いて、荷馬車を走らせる。早くもなく遅くもなく、走りは馬に任せた。
手綱をただ持っているだけだが、馬車を運転したのは初めてだ。仕事に慣れた専門家に任せるのが一番である。
「見事じゃの。うまいうまい」
おやつを食べ終わったトリサンの感想に、右へと首をかしげる。
「瓦せんべいのことではないよ。お前様のことだよ、バイロ殿」
「ああ、それですか。結局、逃れようはなさそうですよね。何かに巻き込まれるのは」
次から次へと事件に遭遇する。人違いでもこの体が、この勇者の器こそが救世主なんだから仕方ない。この世を救うため、勇者は目覚めさせられたんだし。
「お嫌かな? 面倒ごとは」
トリサンは、かしげて離れた耳に寄り添うように、体をくっ付けた。頭巾でくちばしを拭いているようなのだが、気のせいか?
それは別にいいとして、勇者に面倒ごとは付き物だとしても、思うことはある。
「嫌、ですよね。こんなことが、あちこちで起きているのかもと思うと」
「そっちか。ほんに優しいの、お前様は。救世主の鏡じゃな」
くちばしを拭き終わったのか、救世主の鏡の頭にトリサンはよじ登る。後ろの連中をながめるのにも飽きたらしく、幌馬車とその前方に見えてきた町へと顔を向けた。
その真っ赤な頭を突然、こっちの白っぽい前髪の前へと下ろす。
「殺しはせんのだな、悪党でも」
賢者にそう問われて、再び悪党の方へと振り返る。
荷台の連中は縛られて転がったまま、後部へとにじるように動いた。会話が聞こえていたらしく、馬車の揺れ以上に体を震わせている。荷台から落っこちたり逃げ出さないように、奴らを縛った縄はまとめて、御者台の手すりに結んでおいた。
この連中や今までの奴らとの、戦いを振り返る。
神剣の扱い方に慣れていない自分が、むかっ腹を立てたせいで馬鹿なことをしでかさないかを、ずっと心配してはいたけれど……相手を殺すという選択肢が、どこかで浮かんだことはなかったと思うのだが。
一番ではないが、誰も殺さない、死なせない大きな理由は、これだよね。
「そんなことしなくても。簡単に倒せますけど」
そこまでの強敵であるのか、そうでなくては助けられないのか。そんなことを必要に迫られて、この手で、望めば斬れる剣でやらなきゃいけない日が来るのかな。
冗談じゃないんだが。
「ほほほ、なるほど。お前様らしいの」
トリサンは軽く笑った。顔をのぞきこんでくるのをやめ、頭上に戻って伸びをするように上下に動く。
頭をつかんで、このまま飛んでいく気ではなかろうか。小さく丸く、微かに尖った爪が布ごしに、こちらの頭を何度もつかんだ。
なんだろう? なでられてるのかな?
違った、ちゃんと座り直した。よれた頭巾が心地悪かったらしい。
そんなことをしていると、荒れ地の向こうの町が近付いてきた。
空堀らしきものをめぐらせた中に建物がある。白い土壁が質素ではあっても、どっしりとしていて、この上なく丈夫そうな家々が見えた。
幌馬車も荷馬車も、心なしか速度を上げた気がする。
「はあ、帰ってきたあ。もう安心だ」
馬のひづめの重なる音に、速度を上げて横に並んだ馬上の護衛を見上げる。鞍の後ろへ手綱と縄を繋いで馬たちを引き連れ、護衛の青年はひと安心した顔を、こちらへやった。
「ほんとに助かりましたよ、旅の人。トリサン賢者にもまた会えて、ついてたんだな、俺たちは」
荒れ地の町にちょくちょく顔を出すトリサンは、住民からは訪れると幸運を呼ぶ、お守り扱いされているらしい。町ではいつ来ても良いように常備された、種やお菓子のお供え物が待っているそうだ。
「じゃ、お先に失礼するぞ」
とんと頭を蹴られ、魔鳥の賢者は飛び立った。
速い! そりゃ、飛ぶと疲れるわ。
羽ばたきひとつ、力強いそれで風を起こし、赤い鳥は高々と天へ舞う。
それから一直線、まだ全容が見渡せる町へと魔鳥は飛んで行く。土壁の町の、せんべいに似た色をした瓦葺きの屋根の上空をぐるりとめぐると家々の合間に、空飛ぶ賢者の姿は消えた。
「とんでもない旅のお守りを連れてましたね」
護衛の彼の言葉に、苦笑いして答える。
「おやつを求める旅の道連れにされていただけです」
でも、賢者直々の授業も受けたし、これって幸運なのかな。
幸運のお守りか。
塔の町の女神の祈願所でも、みんな旅のお守りだって、角と翼の生えた馬の焼き印が押された木の札を買っていた。自分のものはもちろん、旅に出る誰かのために買い求めている人も多かった。
優しいと言われたが、当たり前のことではないのかな。みなや自分が無事に、家や大切な誰かの元へと帰り着くことを願うのは。
どこの町、どこの道でも見かけるのだ。子どもやお年寄りの手を引いて歩く人たち、連れ立って語りながら街道を行く旅人。
そんな相手はいない、独り足早に通り過ぎる者たちにも、急いでたどり着きたい目的地に、帰りたい場所があるのだろう。
目的となることを探している人も多いはずだ。
その人たちみなが無事であれと祈るのは、変わったことではないと思ってるんだが。
自分は色々と変わっているんだった。じゃあ、実際は違うのかもしれない。我が我がの見本のような、後ろの奴らと同類も多いのか。
自分だってそうか。この旅の目的も、逃れようのないことだから請け負っただけだ。この世界を見ては回りたいが、たどり着きたい場所もない。
後ろの奴らがまずたどり着かなきゃならないのは、牢屋だな。
その先にどこか、まっとうに暮らせる場所があるといいが、それを見つけ出せるかは、こいつらの心がけ次第だろう。
そこまでは請け負わないよ。そこまで無駄にお人好しではない……と思ってはいるんだが、これも違うのか?
がたりと音を立てて、前方の幌馬車が揺れた。空堀にかけられている木の橋に差し掛かったのだ。
町の門へと向かう幌馬車について、荷馬車は勝手に駆けて行く。前へ出た連なった馬たちも、見知らぬ町を目指していた。
今日はお疲れだったな。彼らがゆっくり休めそうな、のどかで心地良さげな町には今度こそ、何の事件も起きそうにはなかった。
ほんとに今度こそ、何も起きなかった。確かに、幸運だ。
応援ありがとうございます!
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