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5 旅は道連れ、世は捨てて
第4話 汚れものの始末
しおりを挟む先導の男は後ろをちらちらと横目で確かめつつ、歩を進めた。少し遅れた所で無精ひげの男が列の脇に付き、側の荷を見張る。
小さな包みを抱えただけの若い女性は、こちらをながめ回す見張りの男の視線から逃れるように、ただ足元を見て歩く。
彼女の後ろへ十人ばかり、この辺りではあまり見かけない模様が入った粗末な身なりの娘たちが同じように小さな手荷物を旅支度にして、草の生えた道を歩いて行く。
皆、顔色は暗い。木々の合間に見え隠れする彼女たちの横顔は、家を旅立って来た時とは違って、打ちひしがれていた。家を出るよりほかなかった娘たちの歩みを進める力になっていたのは、わずかな希望だ。
もしかしたら、これから行く場所では、荒れ地の集落や谷間の掘っ立て小屋のような家では到底望めない暮らしが出来るかもしれない。先導の男に聞かされた話が真実であるならばの、望みの薄い希望だった。
「おい! まだ戻って来ないのか?」
先導が最後尾の仲間に聞く。娘たちをしんがりから見張っていた若い男は、腰の剣に片手をのせたまま、後ろへ顔をやって答えた。
「いや、付いて来てないな。見に行くか?」
先導の男は大きく首を振りながら、いら立った声で指示する。
「いいや、もう少しで湖だ。そこで待つ」
後もう少しだった。湖畔の寂れた集落についたら、ここまでの報酬が手に入り、しばしの休みとなることもあれば、そのまま荷を別の所へ送り届ける場合もある。先導役は休みが欲しかった。もっと言えば、別の仕事が欲しい。
この頃、手入れが厳しいのだ。現国王になってから昔のような商売は格段にやりにくくなったと言われている。
警ら兵隊が国中の町村をほぼ残らず見回るようになり、男が目を付けた名もなき人里も次々と保安兵や自警団が駐留して、無防備ではなくなっていた。何人もの同業者が捕まり、何十年という刑罰を受けている。
そろそろ潮時というやつだ。甘い汁なんてものにあり付けたことはない。せいぜい安酒をあおるくらいでしのいできた。出来ればこれを最後にと決めたから、こんな大人数で動いている。
厳格な出来高制なのだ。違法な仕事のくせに。
先導の男は、また背後を気にした。
雇った見張り役は四人。無精ひげのと小太りの男が列の右手側を、しんがりが左側を固めている。もう一人は足を引きずり遅れ出した娘の側へ残したが、曲がりくねった獣道を進むうち、姿が見えなくなっていた。
余計な手出しをしてなきゃいいがと舌打ちする。草が生えているとはいえ一本道だ。迷いようはない。湖の手前で待っていれば、そのうち追い付くだろうと先導役は考えていた。
だから、先に待っている者がいるとは思ってもいなかった。
先導の男は顔を前へと戻した。開けてきた木々の合間に、誰かが立っている。身なりは旅人のようだが陽の光を受けてきらめく湖水を背にしているせいか、姿形が陰になり、はっきりと顔はうかがえなかった。
止まれと右手を挙げて先導の男が合図する。そんな合図など露知らない娘たちを、前方にいた見張りの二人が抑えた声で短く怒鳴って静止させた。しんがりの若者は、前で何が起きているのかと乱れた列の後ろから顔をのぞかせる。
「ちょっと、いいですか?」
声をかけてきた旅人は、水に長いこと浸かり皮がむけて白くなった細長い木を杖のように突いて、行列の方へと歩みながらたずねた。
「うみはどっちか、知ってます? しょっぱい方なんですけど」
穏やかな口調とは裏腹の何か異様な雰囲気に、無精ひげの男が剣を抜く。陰と目深にかぶった頭巾で顔が見えない旅人は、そっぽを向いて、整った横顔を先導役に見せると告げた。
「みんな、すぐにその場で、しゃがんでてもらえるか?」
誰に向けての言葉か、その場の誰にも分からなかった。
しかし、次に突然起こったことで驚いた娘たちはその場にへたり込み、結果的には旅人の言う通りになっていた。
一歩踏み出した旅人は、杖にした木を支えにして高く跳ぶ。先導の男を飛び越え様にひと蹴りすると、そこを足場に無精ひげに躍りかかった。
抜いておいた剣を振るう間もなく、杖代わりの木で脳天を一撃される。よろけた男はさらに左肩を蹴られ、身をひねりながら藪へ倒れた。男の代わりに娘たちが叫び、次々とその場にしゃがみ込む。
「そのままで」
身を縮こませた先頭の娘に至極冷静な声で告げると、その脇に着地した旅人は身を屈めたまま、右手の中で滑らせるようにして、一気に木の棒を突き出した。
みぞおちを突かれた小太りの男は一声短くうめき、体を折る。思わず力が入った指が引き金を押し込み、洋弓銃から発射された矢が男の足元の土に刺さった。
弓を持った男の左肩を左手でつかむ。それをひねるように振りながら立ち上がった旅人は、自身の倍の重さはある男を左手一本で道の脇へと放り投げた。
すぐさま、右手の木の棒を背後へと薙ぐように振るう。
しゃがみ込んだ娘たちの頭上を空気を震わす音を立て、棒が横切る。杖代わりにしていた木の棒は、剣を抜いた先導役の右脇へ叩き込まれた。間髪入れず、棒のひと振りを追うように跳んだ旅人の左手が、先導役のあごをえぐるがごとく押し込まれる。
手のひらを叩き込まれた先導役は、道の脇の立木に向かって吹っ飛ばされた。背中を打ち付け、木の根元に転がる。しばらく目覚めそうにない。
先導役がさっきまでいた場所へ立った旅人は、その身へ向かって振るわれた刃を回転して避ける。身をかわし、無精ひげの男の真横に並んだ。
剣を握った右腕を左脇で挟むと右手の棒を左でも持ち、男の腕を上から木で押さえ、ひねり上げた。しゃがれた悲鳴と共に男の手から剣が落ちる。
「加減が分からないな。このままじゃ折れるか?」
すぐ側で誰に聞かせるでもなくつぶやかれた言葉に男は青ざめ、無精ひげの生えたあごを伝い、脂汗が落ちた。
ひねられた腕が前へと引っ張られ、見張りの男は宙を舞った。背中を地面に盛大に打ち付けた男は幸いに、骨はどこも折れなかった。
ほとんど一瞬といってもいい時間で、武器を持った男が三人、獣道の脇に転がることになった。それを独りでやってのけた旅人は、その手の物干し竿を、一人立っている若い男へ向ける。
しんがりの若者は腰から鞘ごと抜いた剣を、地に放りながら叫ぶように宣言した。
「ちがう、違う! 戦う気はない! 俺は、俺は捜査官なんだ!」
まだまっすぐに木の棒を若者に向けたまま、旅人は少し首をかしげる。顔の半分を覆った白っぽい前髪が揺れ、あっけにとられてやり取りを見つめる娘たちよりも整った顔が半分だけ見えた。
若者は必死に弁明する。
「捜査で、こいつらに接近してたら誘われたんだよ、見張り役に。あんたは、あんたは何者だ?」
ただの旅人や冒険者という訳ではないと、若者の直感が告げていた。
「……神殿、神殿の視察官だ」
旅人は下ろした棒を片手に、うめいて転がる無精ひげの元へ向かい、その腰の縄の束を乱暴に引き抜くと、それで男を縛り始めた。男の剣で余った縄を切り、腰から鞘を奪って武器を収め、離れたところへ放る。
若者もそれに倣い、腹を押さえてもだえていた小太りの両手を、そいつの襟巻で縛り上げる。両足は腰帯で拘束した。
気を失った先導役を残った縄でぐるぐる巻きにしている旅人へと、捜査官だと名乗った若者はたずねた。
「神殿の視察官って、こんな仕事もするのか?」
ただの木の棒を手にしたまま、辺りを見回した旅人は答えた。
「見かけて放っておけるような状況じゃないだろう」
腰の剣を抜くこともなく事を収め、先導役の剣と鞘も拾っている旅人へ、若者はさらに質問した。
「女の子を見なかったか? もう一人、見張り役がいるんだ。そいつは」
「もっと向こうに転がしてある。危ないから、あの子は湖の側で待っててもらってる」
それを聞いて、道に座り込んでいた娘たちから悲鳴にも似た歓声が上がった。先頭の若い女性が小さな包みを抱きしめるようにして自身の肩を抱き、震える声でつぶやく。
「良かった、レウア、無事なのね。良かった」
一番年長であるらしい彼女が立ち上がると、他の子たちもそれに従った。
「まだ歩けるか? 少し離れた場所なんだが」
「ええ、大丈夫です」
彼女の答えを聞き、旅人は湖の方へと手を指し示した。
「こっちだ。武器を使える人はいるか? 魔物とか獣とかはいないみたいなんだけど、護身用に持って行った方がいいと思う」
旅人の言葉に二人、手足は細いが体格が良い子が手を上げた。離れたところへやった剣をその内の一人が取りに行き、旅人からは先頭の女性がもうひと振りを受け取る。
「これも。狩りとかしたことあるんなら」
捜査官と名乗ってはいるが、いまいち信用しきれないのだろう。若者が差し出した洋弓銃を、剣を仲間に任せた娘が距離を取りながら受け取る。彼女が仲間たちの元へと向かってから、若者は自分の剣を拾って腰に下げた。
「こいつらはここへ置いて行けばいい。一日くらい放っておいても大丈夫だ。自分たちだけ、ちゃんと食ってたみたいだし」
彼女たちの足が進まないのは空腹のせいもあることを見抜いていた旅人は、転がした男たちにそう吐き捨てて、湖の方へと歩む娘たちを先に行かせた。ここでもしんがりを勤めようとする若者と並ぶ。
「なあ、あんた本当に、視察官か?」
捜査官の質問へ、旅人も質問で返す。
「そっちこそ。何なら、証明は出来る。主席神官長直筆の書を見せようか?」
「分かった。こっちの証明は無理だぜ。身元が分かるもんなんか持っててられないからさ」
並んだ二人に背を任せて湖のほとりを歩き出した娘たちは、少し離れた道の上に小さくうずくまる少女の姿を見つけると、そちらへ駆け出した。
「レウア! ケガしてない? 大丈夫なの?」
「お姉ちゃん! ごめんなさい!」
足を引きずりながら、少女は皆へと走った。そこへ駆け付けた年長の女性が、少女を抱き締める。じっと耐えていた涙がこぼれ、レウアはしゃくりあげながら仲間たちに謝った。
「ごめんなさい、わたしだけ、逃げようとして。ごめんなさい」
仲間たちは姉妹を囲み、そんなのいいのと口々に、一番年下の少女を気遣った。
彼女たちは自身の身を案じつつも心配でならなかったのだ。足を痛め、一人、見張り役と取り残されたこの子の無事を。痛めた足をさらに引きずってでも逃げねばならなかった少女のことを。
「これを。みんなで食べて」
旅人は鞄から取り出した紙袋を、手前のおさげの子に渡す。この道行きで皆の姉代わりでもあったらしい年長の娘に、伸ばしっぱなしの前髪の奥から目をやりながら指示を与えた。
「この道をこのまま向こうに歩いてくと町に出る。見えないか、向こうの山のふもと。そこの保安兵でもいいし、神殿の治療施設でもいい。施設の方がいいか。視察官からのと言えば信じるだろうし、みなの世話もしてくれると思う。知らせを頼む」
「ええ、分かりました。でも、あなたは?」
聞かれた旅人は、その顔を後ろに突っ立った捜査官に向けた。
「あいつらはどこへ行くと言っていた?」
若者は、一瞬だけ挑むように向けられた金色の瞳にわずかに動揺しつつも、ここまでの旅路で手に入れた情報を的確に話した。
「こっちの先の漁村だ。今は漁師も、ほぼいないらしい。荷運びとか渡し舟とかで成り立ってるそうだ」
うなずいて旅人は、その手の木の棒をレウアに差し出した。
「杖に。そうだ、これも。のどが渇くだろうから」
鞄から水筒を取り出し、近くの別の子へと渡す。
白地の、底が厚い水筒は浄化機能が付いたものだ。清浄の効果を持たせた魔陶石が底に内蔵されていて、水を入れて振り、しばらく待つと安全な飲み水になる。
飲んでいいかの判別は、水筒のふたに注ぐと内側の色で知らせてくれるようになっている。透明が安全の印だ。水そのものが透明でも、ふたに色が付くなら、まだ飲めない。
水筒の説明を終え、コップがないことを謝り、さらに銅貨を数枚彼女たちへ握らせて、旅人は反対方向へ、今歩いて来た方へと歩き出した。早足で先を行く背に、若者が慌てて声をかける。
「俺は? あんた独りで行くのか?」
旅人は足を止めず、ちらりと後ろへ目をやって答えた。
「あの子たちの護衛をしてくれると助かるが。捜査はどうするんだ?」
捜査官の若者は一度、こちらを振り返りつつ町へと向かう娘たちを見やってから、旅人の後を追った。
後ろを付いてくる急いだ足音を耳に入れながら、さらに歩調を早める。
ここで人買いを見つけるとは思わなかった。急いては事を仕損じるなんて日本では言うが、急いだほうが良いに決まっている。
頭に浮かんだ地球のことわざで焦りを戒めつつ、勇者は先を急いだ。
たぶんこの先には碌なことがないだろうと、心の底から嫌気が差しながら。
応援ありがとうございます!
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