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4 情けは勇者のためならず
第20話 開放
しおりを挟む風が通り抜けると、静寂が辺りを包んだ。その静けさの中で上がった息を飲む音に、賊の男は振り返って、窓辺に立つ首領を見上げた。
何が?
そう言葉にする前に、何かが起こり始めた。
否。すでに起こったことの結果が現れようとしているのだ。この塔の最上階の部屋で。
壁に一本、線が入った。線から上、窓枠から天井までの光景が、見上げる男の目に迫ってくる。
目がおかしくなったとしか思えない。男は何が起きているのか考えることも出来ず、ただただ目を見開いていた。
石積みの塔の厚みの分だけ天井と壁が男の方へと迫りくると、その分かれ目から光が差し込んだ。
横一線と床に、太陽の光が差す。音もなく差し込んだ夕刻の濃い光は、じゅうたんと石の床を染め上げていった。盗賊の首領は窓辺から飛び退き、部屋の隅で頭をかばう。
天井が、壁が、塔の上部が斜めに、崖に向かって滑り落ちていく。
ようやく思考が現実に追い付いた時、男の頭上へ、一気に空が開けた。賊の男は遅れて床に伏せ、ソファーに転がったままの元見習い神官は、ただ天を仰ぐ。
ミュルエルが仰いだ宙から、人影が降り立つ。
滑り落ちる天井、塔の屋根から跳び、ソファーの側の机に音を立てて着地したその者は身を起こす。
一瞬遅れて、塔の周辺を揺るがすほどの地響きと轟音が、街を襲う。崖下から噴き出すように舞い上がった土ぼこりが周囲を覆った。
あーあ、やり過ぎた。
塔をなぶる風に乗って、土ぼこりが流れて晴れる。天井を失った塔の最上階は見晴らしが良かった。街の塔の中では低い方だが、崖の際で向こう側が開けているし、緩やかな丘が連なるそっち側に窓がもっとあれば、この物件は眺望で人気が出ただろう。
窓うんぬんじゃ済まなくなっちゃったけど。
ちょっとだけ、天井の端をちょっとだけ、切り落とすつもりだった。なんでこんなことになったのか、今は考える時間はない。
床に伏せた男が、こちらを振り仰ぐ。机の端に置いたその手からすばやく剣を蹴り飛ばし、背中に跳び降りる。ひよこから学んだ攻撃に不意を突かれた賊は「ぐえっ」と鳴いた。
跳ね上がった賊の体から飛び降り、もうひと蹴りして転がしたら、頭をかばうように交差した両手に向かって、小隊長から借りて肩掛け鞄に突っ込んでおいた拘束具を振る。
腕に当たった途端、ばねか何かが外れたような音を上げ、分厚い革の板は賊の手に巻き付いた。強く巻き付いた革製の輪っかは端を引っ張っても、びくともしない。
なにこれ。便利だな。
冒険者に傭兵、旅人も、護身用に武器の携帯が許されている。武器を持った相手の自由をすばやく奪うことこそ、治安を守る人たちにとって最も有効な自衛の手段だ。
警護兵たちが、こちらの腰の剣や手のやりどころを気にするのは、そのためだろう。賊や無法者に攻撃されそうになったら、この拘束具で手足を打って、相手を動けなくするのだ。
ぼーっとしてちゃ、だめだった。
ソファーに仰向けになったミュルエルの腕を取り、右へ大きく放り投げるようにして、自分もその場から身をひるがえす。
攻撃を空振りした賊の女の右腕が、ソファーの座面に刺さった。座面の底まで突き破るほどの一撃を引っこ抜くと、ちぎれた布と綿が舞う。
床に転がっていた男は、この威力をよく分かっているようだ。動かせない腕で無理くり体を起こすと転びそうになりながら、巻き込まれないように階段へと逃げて行った。
後ろ手でミュルエルを壁際に下ろし、獣人と相対する。豪快なやり口に似つかわしくない清楚な服装だが、銀色の爪のするどさと、にらみつけてくる目付きが女の本性を物語っていた。
盗賊は大きく前へ出て、今度は左腕を振りかぶって来た。こちらも左で逆手に持っていた神剣を引き上げ、右手を刀身に添えて防御する。
耳にきんと来る高音と、突風を受けたような全身を襲う衝撃。いつぞやの大斧まではいかないが、長い爪の一撃はかなり重かった。
そりゃ、こんなもの当たりたくないと仲間も逃げるわ。
爪というか腕を振りかぶっての攻撃って、熊か何かの獣人か?
神剣で押し返す。賊はソファーの向こうへと飛び退いた。
向こうへの反動と身をえぐるような衝撃は、爪が折れそうなほどだったんだろうな。無意識にか左腕を右でかばいつつ、賊は叫んだ。
「くそがッ! 何なのよ、お前ッ!」
怒りと困惑を吐き捨て、獣人は次の攻撃に移った。かたわらの円卓を両手でつかみ、こちらへ投げ付ける。見るからに重そうな、木製の分厚い天板のテーブルが、やすやすと宙を舞った。
神剣ですくい上げるようにして、円卓を薙ぐ。
端は知らない。
天板の端が神剣にかかり、軌道を変えた円卓は部屋の隅へと飛んだ。
頑丈な円卓は壊れなかったが、それが壁に当たった衝撃で、飾ってあった小さな額縁が外れて落ちた。枠だけでガラスは無く、詳細な馬の絵が入った額が壊れなかったことに安心する。
だから、そんなことに気を回してる場合じゃないんだって。
円卓で目くらましをしている間に階段へと駆けた賊を、ひと跳びで追う。
盗賊の左腕に拘束具を叩き付けた。腕を取られて体が振られた賊は、さすが獣人ということか、すぐに体勢を整え踏ん張ると、振り向きざまに右手を繰り出す。
爪を神剣で防ぐが、左手一本では勢いまで殺せない。押し込まれた勇者の器はそのまま振られ、塔の外へと出た。
あ、まずい。
拘束具を握っていた右手を離す。壁にできた切り口に、その手をかけた。つるりとした切断面に危うく手が滑りそうになる。両足を塔の壁面に着けて、体を止めた。
このまま落ちてもなんともないだろうが、ここへ上って来る手間と時間が惜しい。壁にかけた右腕に力を込めて一気に体を引き寄せ、同時に塔を蹴る。
躍り上がって、塔の部屋に戻る。その勢いのまま、蹴りを見舞った。落ちたと思った相手が眼前に舞い戻り、目を見開いている獣人の胸へ。
ああ! まずい、まずい、マズイっ!
蹴りを喰らって吹っ飛んだ賊の女は、天井を無くした部屋を横切り、窓に残っていたガラスを割って、塔の正面側にその身を躍らせた。
もちろん、後を追ってる!
蹴った足をソファーの背もたれへ、そこを踏み台に、さらに前。伸ばした右手は、賊の左腕に繋がった拘束具の端を、かろうじてつかんだ。
すでに落下し始めた亜人をこちらへと引き寄せつつ、残った壁の内で踏ん張る。神剣、仕舞ってる暇がない。こっちにはもう引き上げられない!
窓枠に、拘束具の端を叩き付けた。
上部が切り取られた鉄の窓枠へ、拘束具の反対側が巻き付く。
輪っかになった頑丈な革の板は、人ひとりを充分支えられるようだ。勢いで開いた窓に片腕一本でぶら下がることになった女は悲鳴を上げたが、暴れて拘束具が外れてもと思ったようで、窓枠にしがみつくと大人しく吊られたままになっていた。
塔の中、下の階から物音と怒号、降伏しろとの声が上がる。傭兵と双剣、トーラオさんとレイオンさんに、警護兵も駆け付けてきたようだ。下へ逃げたのと何名か残っていた奴らが捕まったんだろう。
塔の周囲からも、ざわめきが聞こえた。止まれとか近付くなとか、危険ですと注意を促す声が、ここまで聞こえてくる。
馬のいななきに視線を落とせば、馬車とぶち馬の側でツノウマが、手綱を持つ厩務員に角砂糖をもらっていた。そこへ顔を寄せる他の三頭も、ごほうびのおこぼれを狙っているらしい。
また馬を、ものすごく驚かせてしまった。なにかお詫びをしなくては。助けてもらったし。
警護兵や保安兵たちが、すぐに周囲の人員整理を始めていた。
賊から聞き出さなくても居場所は一目瞭然か。結局、派手な騒ぎを起こしてしまった自分の不甲斐なさにうなだれていると、イアンの声がした。
「ミュルエル! 無事か!」
声にならない叫びで、こちらの足元にいるミュルエルが幼なじみに答える。小さく神剣を振って、さるぐつわと縄を解いた。
「イアン! イアン、遅いっ!」
下で賊の捕縛や後始末をしているらしい他の者に先駆けて、最上階の部屋に折れ耳と顔を出したイアンに、すかさず文句が投げ付けられた。
遅い遅いと文句を言いながら、幼なじみの胸に飛び込んだミュルエルは、イアンの胸倉をつかんで揺さぶっている。元気な様子で良かった。
「落ち着けって! もう!」
ミュルエルの猫耳と頭を両手でなでまわし、どうにかこうにか揺さぶりを止めると、イアンはこちらへ顔を向けた。
天井は跡形もなく無くなった。空が広がる、塔の最上階。壁の上にしゃがんだ旅人は、その手の白い剣を腰の鞘に仕舞った。
両刃の剣はいつの間にか、さわりもしなかった革の鞘の中へ納まっている。穏やかな夕刻の風になでられ、日を浴びた長い前髪が光をまとい、そよいでいた。
イアンは、つばを飲んだ。口が乾いて、これからたずねる言葉が出てきそうになかったからだ。
さすがに幼なじみには分かるのだろう。いつになく緊張し、鼓動が早くなったイアンの様子に気付いたミュルエルもその顔を、天から現れた旅人へ向けた。
「あんた、あ、あなたは……その、まさか」
急に立ち上がった旅人にどきりとして、イアンは再び口を閉ざす。
塔の壁の上に立った旅人は、二人に背を向けた。右に左にと何かを求めるように視線をめぐらせると、街の中心地のひと際高い塔へと目をやって、答える。
「いや、ただの、ただの人だ」
それだけ答えると二歩三歩、壁の上を跳ぶように歩き、ただの人は塔から飛んだ。隣の屋敷の屋根へ跳んで降りた旅人を追うことも出来ず、イアンはその目で追った姿がまだそこにあるかのごとくに、夕焼けが広がる空を見つめる。
ミュルエルはイアンの胸に収まったまま、小さく、幼なじみにしか聞こえない声でつぶやいた。
「ただの人って……」
そう言った旅人が、その言葉で自ら説明していた。ただの人であるという、誰かのことを。
空から舞い降りた者がいなくなると同時に、斬り落とされた塔やその周囲は一層騒がしくなる。人だかりが苦手だという、ただの旅人をその日それから、ここで見た者はいなかった。
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