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3 人助けは勇者の十八番
第10話 これぞ勇者の定め
しおりを挟む風もないのに枝葉がざわめき、その音が次第に大きくなっていく。立木が一本ゆっくりと斜面に倒れ、他の木々を擦りながら転がっていった。
大きく茂った枝と葉が大風のような音を立て、静まり返った山へと最後を知らせる。ざわめきのうるささで、それまでの周囲が異常なほど静かであったことが分かっただろう。
鳥たちを追い払った原因が自分の闇雲な攻撃にあることを、魔獣は気付いただろうか。木の倒れる音でその場を離れたナレジカは、注意深く視線と耳を周囲へ向けながら気配を探っている。
厄介なものがまだすぐ側にいることを、魔獣は分かっていた。
しばらくの静寂が訪れた後、微かな物音と気配に魔獣は角を向け、身構えた。木が一本倒れたことで開けた視界の中に、人影が現れる。
手負いのナレジカの前に枯葉を踏みしめ現れたのは、武器を構えた冒険者だ。
小柄な体躯はひ弱さよりも、斜面のそこここへ転がった岩のような重量感を備えている。狙い撃てば風刃が確実に当たりそうな的であったが、魔獣は角を即座には振るわなかった。
冒険者の手にあるものこそ、力を溜めて狙い撃たねばならぬ危険な代物だと、野生の勘が働いたのだ。
ジグドは、手負いのナレジカの真正面から引き金を引いた。胴当てに押し付けるようにして構えた洋弓銃から、赤く光った矢が放たれる。
防護魔術は使えないジグドが使用できる魔法は、炎の燈火と名付けられた初級のものだけだ。
灯りにも焚き火の火付けにも使える火の魔法は、実は加減が難しい。卵を焼けば黒焦げにしかねない威力を持っているのだが、ジグドはそれを、弓につがえた金属の矢にともらせることが出来た。
赤く熱せられた矢が魔獣へ飛ぶ。即座に反応し、下から上へと振るわれた角から風の魔法が放たれる。
ジグドの洋弓銃には防壁代わりの煙幕が仕込まれていた。矢を発射すると同時に矢じりで擦られた筒の先が燃え、煙幕が噴き出す。薄紅色の煙が矢の軌道を追うように広がるが、ジグドを覆うほどにはならないうちに、ナレジカの風刃が迫った。
魔法の矢の威力を相殺するためか、魔獣の風刃は今までよりも、するどく重い。直に触れてはいない地面の枯葉もごっそりと舞い上がり、風の刃の中で粉々に砕ける。
枯葉色に染まった風刃は、欠片を燃やし火の粉を散らす矢を巻き上げるようにして飲み込むと、煙幕をかすめてジグドを襲う。
「ジグドさん!」
頭上からの声にせかされる寸前、ジグドは右に跳んでいた。
「ぐうっ!」
「キャキュン!」
同時に声が上がる。一人は地に転がり、一頭は身をひるがえし跳んだ。
風刃が解けた。白い一閃に刃の風は消え、塵と灰になった枯葉の欠片が舞った。淡く薄紅色に煙る簡易防壁は、陽射しに溶け込むようにして消える。
魔法の風の突端が触れた左肩は肩当てが吹っ飛び、服が破れて、皮膚が薄く裂けていた。地面に転がったジグドは、眼前に迫っていた風刃にきつく閉じてしまっていた目を開ける。
大きく飛び跳ねて、光の差し込まぬ木立へとさらに後退るナレジカが見えた。魔獣の銀に光る大きな角の合間からは、綺麗に短槍だけが無くなっている。
やってのけたのか、あれを。
ジグドは眼前の出来事に、ただただその目を見張った。
何があったか、突如倒れていく木にナレジカが気を取られている間に、茂みに隠れた自分の元へとやって来た即席の仲間の提案を、ジグドは承諾した。
こちらがおとりとなって攻撃する間に魔獣を襲うという無茶苦茶な提案ではあったが、魔法の矢と煙幕のこともあり、充分に成功が望めると思ったからだ。
ただ、ひとつだけジグドが信じていなかったことがある。
角は切り落とすものだと思っていた。
「刺さってるのを、どうにかしますので。その後はすぐ逃げてください。木の後ろとか岩の陰とか、そこなら風刃は届かないので」
そうは言っていたが、本当にやれるとは思わなかったのだ。あのたった一瞬で、複雑に伸びた角の間から、槍だけを抜くなんてことが出来るとは。
そんなことが出来るなら、魔獣の角を切り落とす方が遥かに簡単なものだと熟練冒険者には思えていた。だからほんの少しだけ、煙幕があることにも安心して、回避行動を取るのが遅れてしまったのかもしれない。
ジグドは魔獣と自分の間に立つ、仲間の後ろ姿を見上げる。
その手の白い剣の切っ先が風刃に届かなければ、己の肩から先が斬り落とされていたかもしれなかった。
協力を仰いだら、先輩冒険者はすぐに提案を飲んでくれた。火の魔法を矢に込められると教えてくれ、おとりになろうと言ってくれた。
成功の確信はあった。
この騒ぎの原因となった投てき器を結構な速さでナレジカに投げ付けてみた時、魔獣の風刃は完璧に、それを捕らえて真っ二つにした。
即座に反応しなければならない攻撃を真正面から受けると、痛みを感じている間がないほどの速さで、魔法の刃を正確に振るうことが出来る。
足を止めての一撃の間に頭上から急襲し、神剣を振るって槍だけを斬り飛ばしてしまえば、角も無事で、ナレジカをこれ以上消耗させることもないと。
ジグドが洋弓銃を構えた刹那、茂みの陰から飛び出して地を蹴り、大木の幹を足場にして、ナレジカへと飛躍した。
ジグドの頭上を飛び越えつつ身をひねり、思った以上の威力だった風刃を斬る。威力を見切るのが遅れたせいで、残った刃がジグドを襲うのを止められなかった。
さらにひねって姿勢を変え、着地に意識を向ける間もなく、最大限に腕を伸ばした。
ジグドの負傷を無にするわけにはいかない。ナレジカの両の角を薙ぐように剣を振るう。かろうじて切っ先は槍にかかり、穂先と柄が切り離された軽い感触だけで、短槍は角の根元から抜け落ちた。
それでも、散々痛めつけられた頭上には響くものだったらしい。目の前に降って来た人間と痛みに驚いて魔獣は鳴き声を上げ、ひと跳びで側から消えた。すごい跳躍力だ。
ナレジカが着地したのは、神剣で切り開いた斜面の向こう。じっとこちらを見つめてきたが、さらに跳んで木立の陰へ身を沈める。たぶん、追撃してくるのかを見極めようとしているのだろう。
神剣を鞘に仕舞ってもよかったのだが、また風刃が飛んで来た時のことを考えると、それは出来なかった。その代わり、もう攻撃するつもりがないと分からせるため、白い剣を下ろして見せた。
魔獣は静かにたたずんでいた。しばらく見つめ合ったのち、突然に跳ねて、木立の闇に姿を消した。銀の角の光がちらちらと木々の合間に見え隠れしていたが、すぐに何も見えなくなった。
「……おーい、おーーーーい、ジグド、どこーーーー?」
カムルの声だ。ナレジカは彼の接近に気付いて去って行ったのだろう。
さすがに愛されしものの加護は魔獣には効かないようで、しばし見つめあっていても意思の疎通も出来なかったし、馴れてもくれなかった。助かった。
ジグドがカムルを呼び寄せ、倒木の側で仲間が集う。スタウが監視するように後ろへ付いて歩いて来たからか、切羽詰まっていても、新米冒険者はこれ以上手負いの魔獣を探そうとはしなかった。
「どうしたの」と、ここだけ開けた斜面の様子を見回しながら聞いてくるカムルの問いには上手く答えられなかった。まだまだ、人付き合い初心者からは抜け出せそうにもない。
抜け出す気があまりないから、当然ではあるのだが。
「足は痛めていないからいい」と断るジグドを「怪我人が何言ってんの」とカムルが強引に背負い、冒険者仲間と同行一名は、集落を目指した。その道中で新人から、成功を逸り無茶なことをした訳を聞く。
不注意から小火を起こしてしまい、家の補修で借金が出来たうえ、借家から追い出されそうになったところを、冒険者の旧友にすすめられて初仕事をすることになったそうだ。
山の麓の街に住んでいる彼は元々田舎の出で、狩人の手伝いをし、ナレジカを狩った経験があったことから、つい手を出してしまったのだという。
運が向いてきたと思った幸運な出会いが実際は、己の命の終わりを招きかねない事態だったことを、熟練冒険者が仲間の背から、こんこんと言って聞かせる。
何よりも不注意を繰り返している彼では、慎重さこそが実は必要な冒険者には向かないと先輩二人の意見もあり、新人はこのまま街へ戻って次の仕事を見つけることになった。
冒険者組合への借金も出来たわけだし、家もなくなるのなら住み込みの仕事がいいだろうと、ジグドが働き口を紹介してやることになって、我々はそのまま集落から山の麓の街へと向かい、しばらく旅路を共にしたのだった。
街で別れる際には、ジグドからはなむけの言葉をもらった。
「お前さんはこれからも独りでやっていけそうだ。でも、なにか手助けがいるなら遠慮せずに、この間みたいに言ってきてくれ。俺でよければ、いつでも手は貸すよ」
「……いや、そんな。いえ、こっちこそ、怪我させるようなことに巻き込んでしまって、すみませんでした」
自分の無茶苦茶さ加減に付き合わせてしまったのが間違いだった。頭を下げるとジグドが背伸びし、こちらの肩を叩く。
「なに言ってんだ。こっちこそ悪かったな、お前さんを信じてやれなくて」
ジグドは笑うと「こんな傷、もうどうってことねえよ」と左腕を上げて、手を振って去って行った。
財布の布袋には、ジグドとスタウ、カムルから、協力者へのお礼としてもらった銅貨三枚が増えた。一人銅貨一枚とか安すぎると、みんなはごねたが、元がそう多くない魔物の生息調査の報酬なのだ。これ以上はもらえない。
使い道のない金と銀の硬貨が入りっぱなしだし。
それから財布は少しも軽くならず、街道を歩き、村を通り過ぎ、古い山道を登り、野宿の後、山賊に出くわして今に至る。
で、どこで勇者の仕業とばれたんだ。
速達便の騎手か、農家のおじさんか、ジグドさんなのか?
応援ありがとうございます!
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