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3 人助けは勇者の十八番
第10話 初心者たち
しおりを挟む急な斜面に絡まりあうようにして生えた木々の合間に、魔獣はいた。
暖かそうな薄茶の体毛に覆われた体は、銀に輝く細かい毛で彩られている。
アカシカの方はまだ見ていないのでなんとも言えないが、体だけ見れば確かに、このナレジカもただの鹿に見えた。地球のトナカイとは、また違うようだ。
低木の茂みに見え隠れするその角は、ただの鹿というには、あまりにも立派だ。太い木の枝を二本ばかり折ってきて、無造作に頭へ載せた風にも見える。
体長の半分ほどまで伸びた角は細かく枝分かれした先へ行くほど、銀に光っていた。細かい銀の毛が体よりもさらに密に、みっしりと生えているのだろう。
尾根を背に急斜面の上の方から下を見やると、木々でいくらか遮られてはいたが、色々と観察することができた。
角の合間に持ち手の突起が引っかかった、槍というよりは銛に近い、金属がむき出しの武器。槍の穂先がわずかに刺さった角の根元からにじむ、血の赤。
いら立たしげに頭を振れば枝葉が擦れる音が上がり、またキウキュウと微かな鳴き声が上がる。たぶん、痛みを堪える抑えた鳴き声が、そのさえずりのようなものらしい。
そして、小さな葉っぱが生い茂った低木の木陰から、手負いの魔獣をうかがう若者。
新米冒険者は無事なようだ。茂みの陰に寝そべり、姿勢を低くして、隙を探している。逃げるためじゃなく、魔獣を狩るための隙を。
元気そうでなによりですけどね。
ここからはほぼ背中しか見えない冒険者の手元には投てき器、かな。
ナレジカの角に引っかかっているものとはまた別のするどい金属片が、洋弓銃のそれに似た発射装置へ準備してある。薄く磨き上げられた刃と一体となった柄も金属でできた小刀は、確実に急所を切り裂くためのもののようだ。
武器の準備が防衛のためなら、後は仲間がやったように腰帯に引っかけてある煙幕を使い、時間を稼いで逃げ出すのが一番だろう。
見つかってしまったら最後、怒りのあまり闇雲に攻撃してくる怖さはあるとはいえ、怪我を負っているから深追いはしてこない。襲撃者さえ周囲から排除してしまえば、こうして今のようにナレジカも身をひそめ、傷を癒す方を大事にするはずだ。
手負いの獣をこれ以上怒らせたって、得することは何もない。
枝分かれした角の間に刺さった短槍を、どうにか抜いてしまえれば傷は深くなさそうだし、群れを追ってここから去ってゆくだろう。
じゃあ、まずは邪魔者を、もっと静かにさせなきゃな。
緊張のあまり、息をするのも辛かった。
ただ、どうにかしてこの勝負に勝てば、後はどうにでもなる。魔獣の角が、いや肉や毛皮もどれほどするのか分からないが、調査の依頼のわずかな報酬とは比べ物にならないものが手に入るのだ。
相手は傷を負っている。
角の攻撃は確かに危ないが、煙幕で何発かは防げる。後はただの鹿と同じ。風魔法の攻撃後に近距離から撃ち込めば、装甲が厚い獣ではないし、倒せるはずだ、きっと。
後はどうやって、あいつの気を引き、隙を突くかだ。何か、魔獣の前へ飛び出して来てくれたら……。
え、どこから?
葉っぱと共に、そいつは舞い降りてきた。俺の手元に。
投てき器を踏みつけられ、武器を握った手が動かせない。側に立った、そいつを見上げる。
見たことがない奴だ。冒険者だとは思うが、おっさんたちの仲間だろうか。
「ちょっと静かにしてて。これ以上怒らせると、まずいだろうから」
声をひそめて話す奴の目深にかぶった頭巾と白い前髪の奥は、下からでもよく見えない。突然目の前に振ってきたおかしな奴は、俺を見ようともせず、頭を木立に向けていた。
「もう怒ってるか。まずいな」
枝葉を擦る音がする。魔獣の方だ。こいつのせいで居場所がバレた!
「みんなが探しに来てるから上へ行っててくれ。静かに頼む。引き付けるから」
引き付ける? おとりになるって?
「だから。これは置いていけって」
武器を握りしめた手の動きが足の裏から伝わったのか、そいつはさらに、かかとへ体重をかけた。
「ほら! 煙幕を。来るぞ」
急にそんなことを言われても間に合わない。知らずに上げていた上半身を慌てて伏せる。
頭上で風が轟いた。ばらばらと何かが、丸めた背中に振ってくる。
「いつまでも隠れてはいられないな」
平然とした声に驚き、顔を上げた。枝や葉か、残骸が頭から落ちる。
藪の上半分がなくなっている。どうやってあの風刃を避けたのか、そいつはそこにまだ立っていた。
奴は足の側に下げた白い剣を、そのまま落とす。何の音も立てず、白い剣は投てき器を貫いた。
刃物が真っ二つにされる。解体にも使えると値が張った薄刃のナイフと、組合から貸し出された初心者向けの武器を、一瞬にしてダメにされた。
「じゃあ、しっかりな。上に行って、みんなと合流するか、このまま山を下りてくれると助かるよ」
藪を飛び出し、木立の斜面を駆け下りて行く。右手の剣には俺の武器を串刺しにしたままだ。奴を追うナレジカの姿が木立の合間に見え、枝葉が揺れ、どこかで木が倒れるような音がした。
何だったんだ。訳が分からない。
残った藪から顔を上げる。側の立木に大きくえぐられた跡が、斜めに付いていた。それも二か所、並んだ二本の木に、左右対称に跡がある。
何があったのか、まったく分からない。ただひとつだけ分かったのは、この威力では煙幕も一撃分しかもたなかっただろう、ということだった。
「おい! 大丈夫か、怪我は?」
「すごい音したけど、なにがあったの?」
声へ向かって、自分でも血の気が引いていることが分かる顔を上げる。
斜面の上から見知った顔が、こっちをのぞいていた。そんなに長い付き合いでもない連中の顔だが、いくらか知っているというだけで安心している自分に気付いた。
枝に飛び付いて体を引き上げる。すぐにそこから斜向かいの大木へ跳ぶ。太い枝の上に立って振り返ると、ついさっきまでいた枝が風の刃に切り落とされたところだった。
近付く隙が無い。
魔獣ナレジカは闇雲に角を振るっているようで、正確にこちらの行く手を読み、そこへ攻撃を仕掛けてくる。
その正確な魔法攻撃があと一歩で当たらないのは、やはり肝心の角に痛みが走るからだろう。動き回るもの相手では、痛みでひるんだ一瞬があだになり、攻撃がずれてしまうのだ。
こうして息をひそめていると撃って来ないのは、傷をかばっているからか。
落ちた枝葉で視界と音を遮られ、こちらを見失ったのか、ナレジカは少し離れた木立の辺りで周囲をうかがい、たたずんでいる。
何発も魔法を撃つのは案外に、魔獣であっても疲れることのようだ。あまりにも興奮しすぎると死んでしまう恐れもある。前に出て風刃の滅多打ちに遭うのは、例え槍を取ってやれても、ナレジカの深手になる行為かもしれない。
このままそっと気付かれないように近付いて、気付かれないまま角から槍を取り除くには、どうしたらいいだろう。食べもしないものを狩るのは、どうにも性に合わないし、せっかくの立派な角を無しにするのも気が引けた。
他の生き物や人里を片っ端から襲うような凶暴なやつなら話は違うが、群れや自分に手出ししない限りは暴れないと、熟練の冒険者が語っていたのだ。ここは静かにやり過ごしたい。
魔獣のことを教えてくれた人のことを思い出したせいか、唐突に、その気配に気付いた。
どこかにナレジカの隙を突く術がないかと、周囲に目を配っていたおかげかな。ここからいくらか離れた辺りで確かに、茂みが微かに揺れた。
ナレジカは耳をぴくりと動かしはしたが、まだ気付いていないようだ。
神剣を振るって魔獣に投げつけた武器の残骸が、どうなったかを思い出し、ひとつ妙案が浮かぶ。
協力が必要だ。この無駄な騒動を、一瞬で終わらせるために。
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