転生勇者は連まない。

sorasoudou

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3 人助けは勇者の十八番

第2話 人助けは朝飯後

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 片手鍋の底で油が弾ける。白身のふちは香ばしく焼けてきた。黄身にはしっかり火が通って、自分好みの食べごろだ。


 好み、か。


 記憶にない以前の日常を、自分の緩んだ口元から推測する。
 まあ、この口も作り物みたいな顔も、本当の自分じゃないのだが。


 木のフォークで焼けた玉子をひっくり返しつつ端に寄せ、空いたところへ固くなったパンを置く。生えたカビを取った跡があちこちに見えていても、起き抜けの腹が鳴った。


 この頃、ちゃんとお腹がすく。ぼたもちとおはぎを食べた辺りから食欲も覚醒したらしい。
 寝ないと体に悪いぞと心の声にさとされなくても、きちんと眠れるようにもなった。毛布にくるまって地面に転がると秒で寝られるし、起きたい時に瞬時に目覚めることもできる。
 ……今日はちょっと寝坊しちゃったけど。


 真四角のパンは片面を軽く、焚き火であぶっておいた。まだらに焦げ目が付いたその上へ、焼き上がった玉子をそっと乗せる。パンの角をフォークで刺し、ぐるりと回して鍋底に広がる卵の旨味が出た油を残さず吸わせたら、少し遅めの朝食の出来上がりだ。
 焚き火から鍋を外し、中身は地面に置いたパンの包み紙へと移す。今日はケチャップをかけていただきたいところだったが、魔王討伐の旅に瓶詰めは向かないということで、持ち歩くのはあきらめている。

 異世界も調味料は結構、豊富だ。醤油があるから、ぽん酢も作れる。柑橘系のものを何か手に入れた時に試そうと思っている。ケチャップは無理でもトマトソースくらいだったら、材料さえあればその都度作れるだろう。
 それらを好んで食べていた自分のことは記憶になくても、作り方は思い出せた。軽くて丈夫な容器を用意して保存の問題さえ解決すれば、ケチャップだって持ち運ぶことは可能だ。


 ただ、そんなことに時間をいてはいられない。調味料製造よりも先にやることがあるからだ。ケチャップの詰め替え以上に面倒なことをやらなきゃならない。魔王討伐とか。


 面倒ごとを考えるのはひとまず置いておいて、熱々の目玉焼きのっけパンにかぶりつく。
 縄張りに近付く人をも追い回すという野生のとりの卵は、その肉以上に味が濃いらしい。焦げと油の旨味だけでもこれほど美味しいのだから、調味料を欲しがるのは贅沢というものだ。黙々と朝食を楽しむ。

 食べ終わると包み紙を火にくべた。側では、ちょっと油が浮いているが片手鍋に湯が沸いている。携帯用の小さな茶筒を開け、中の粉茶を鍋に振り入れた。大きめの木のスプーンで混ぜたら、それですくってお茶を飲む。


 ほっとする。元の世界と同じ味だからだなと、頭に浮かぶ言葉が告げる。


 茶葉はこの国ではよく採れるものらしく、どこの町や村に行っても安価で手に入ってありがたい。
 いつかの勇者が凍結乾燥フリーズドライと似た技術を魔法で再現させることに成功したそうで、色々な保存食ができ、飲み物の素は粉にして販売することも定着した。

 やっぱり、コップは買うべきか。

 毎回思うことを今日も思い、何度目かの買い忘れを少し悔やみながら、ゆっくりと食後のお茶をいただく。冷めてきた鍋へさらに息を吹けば、やけに整った自分の顔が揺れてゆがんだ。


 水面や鏡に映る自分の顔をまだ見慣れないが、この感覚を大事にしている。そこに違和感を感じるのが、人違いでここにいる自分であるという確認になるからだ。


 お茶を飲み終わると乾いた布で使った物たちを残らず拭く。鍋の取っ手をたたみ、茶筒と油の缶は食器類をまとめて入れる袋へと仕舞う前に、もう一度ふたをきつく閉める。
 茶葉と違って、油は高い。同じアブラナという名の植物でも花そのものの蜜が油であるというこれは、次の収穫のため半分を種まで育てなくてはいけないせいで、どれだけ植えても収穫量が増えないそうだ。
 だから高い。それを知らずに、蜜が油とはと好奇心に負けて買ってしまった。次は固形の、もっと安い油にしなくては。


 道具を鞄へと片付けたら、街道を旅する者たちに用意された宿泊所を出るため、火の始末をする。
 宿泊所などと言っても、ここのそれは山道の側の、ちょっとした空き地だった。中心には煮炊きするための穴が掘ってあって、石でふちを囲ってある。さびで覆われたシャベルで、底に残る炭と化した焚き木や真っ黒に焦げた石へと、穴の隅に寄せてあった砂をかけた。

 こういった休憩所はこの国の各地にあって、場所によっては石積みの立派なかまどが何個と並び、小さな小屋がいくつも建ち、保安兵事務所まで備えられた所もあるそうだ。
 地面の穴ひとつきりのここは行き来のしやすい立派な街道が谷間にできて以来、さびれてしまったのか、最近使ったような跡は無かった。


 ここにたどり着く間も到着してからも、昨晩からずっと自分以外の人には会っていない。
 ごみごみしていなくて空気は美味しくて、実に快適な場所だったが、ここでのんびりしているわけにもいかなかった。



 ほら、今みたいに。どこからか、悲鳴が聞こえたりするし。



 問題を起こすのはなにも、魔王だけではない。ここまでの旅路の経験で思うに、この世界でも変わらず、ただの人が悪さをする方が圧倒的に多いとみえる。


 この世界でも、などと言ったが、この世界以外の記憶が。『前』などと呼んでいる地球については、知識以外の記憶がない。
 本当の名前すら知らない自分のことを、なにひとつ思い出せはしない。思い出と呼べるような感情のこもったもので、自身の記憶がよみがえることもない。
 覚醒して数日経ったが、自分が日本のどこで生まれ、どう生きていたか、まったく心当たりがないままだ。


 ただし、好みの朝食の作り方を舌と手が覚えているくらいだから、はっきりと思い出せることもある。
 ひとりぽっちの山中で野宿することに安らぎを覚えるくらい、自分が人嫌いであることだ。
 そして、出会う者が善人ばかりとは限らないという、人の世が嫌になるような事実ぐらいは覚えるまでもなく知っていた。


 なんて考えているうちに勝手に動いた足は山道を駆けって、昨日後にした村の方へ戻っていた。村からだいぶ来ていたから当然だが、急坂のてっぺんから見つけたのは、馬車から降りた旅人だった。

 馬車があるとはいえ、山道を旅するには無謀なほどに薄着の少女だ。追っ手につかまれた赤い肩掛けがはだけ、日に焼けた肩があらわになる。
 それへ笑みを浮かべた粗野な若者は、山中にそぐわない派手な服装と手にした山岳用の刀から、この近辺をねぐらにしている賊とみた。


 人気のないところへ久しぶりに来たせいで足が進み、肝心の目的地を通り過ぎていたらしい。あっちから出てきてくれたおかげで、知らない異世界の知らない山で迷子になるのは避けられたようだ。


 石が転がる荒れた山道に足を取られた少女が、ひざをつく。山賊の若造が少女の肩に手を伸ばした。
 生木をぶった切る刀で斬りつけないで、汚い手で押さえ付け捕まえる目的は言わずもがなだ。思わず、舌打ちが出てしまった。

 顔を上げた少女がこちらに気付き、「助けて!」と声を上げる。

 それには悪いが、少女の側を、走って通り過ぎる。
 すぐにも助けなきゃならないのは馬車の御者、道に引きずり下ろされた、おじいさんの方だ。


「斬れ」


 本当は言わなくてもいい命令を言葉に、声にした。
 望むだけで、いかなるものも斬ることが叶うという神剣を抜いたが、失敗しない方が良いに決まっているので、人が相手ではつい言葉にしてしまう。

 右腕を伸ばすようにして斬り上げた白い刃は、長剣を振り上げた山賊の男の背をすり抜け、相手の得物を綺麗に叩き斬った。
 鈍色にびいろの刀身が飛び、山道の石に当たって弾かれ、転がる。


 なにが起きたか理解できないのは、こっちを見上げるおじいさんも、こちらに背を向けた山賊も同じ。手に残った長剣の半分を見上げた賊が後ろに立ったこちらを振り返る前に、両手で握った神剣を、真横から振り抜く。


 白い剣で力いっぱい横っ腹を殴られた山賊その二は、悲鳴も上げずに道に倒れた。
 動揺と痛みで山道に転がるひげ面の男が言葉にならない声で、つばを飛ばしつつ、怒鳴る。かろうじて「何だ!」と叫んだのは分かったが、それに答えてやってる暇はない。
 背後の怒声に、振り向きざまから闇雲に剣を振るう。


「斬る」


 振り抜いた切っ先が山岳刀の刀身を斬り飛ばしたが、残った部分が勢いそのまま、こっちの右腕に振り下ろされた。


 痛みはない。ただ、ぶつかった衝撃で自分の顔がゆがむ。
 端正に整えられたこの顔の眉間にしわが寄ったのを、見開いた相手の目に見て、我に返る。慌てて目をそらし、白金に揺れる前髪に金色の瞳を隠した。


 それにしても、さすが朽ちない器だな。


 本当は相手の刃なんぞ、この体にはなんの痛手にもならないのだが、物騒な物は無いに越したことはないし、他の人の命を取られても困る。
 それで誰かと戦うとなると、なんでも切れる神剣で真っ先に相手の武器を叩き斬るのが、やり方として身に付いた。どんなものも切れる様を見せておいて、お前も切れるぞと脅すのが常套句となったわけだ。


 腕を切りつけられた衝撃は、すぐに消えた。
 裂け目ができた上着と違って、傷ひとつ付かない腕を見せつけるように振り、神剣の白い刃を山賊その一の首へと当てる。

 真っ白な刃はただの陶器のようで、いつ見ても、なにひとつ切れる気がしない。実際、斬ろうと思わなければさっきのひげ面、山賊その二の背のように、真っ二つにならずにいられる。

 山賊その一は、乾いて割れた唇を間抜けに開きっ放しにして言った。


「なに……何者、なんだ?」


 思わずつぶやいただろう、その言葉。
 それは自分も何度か思うことだったが、その疑問への答えはこっちより、この世界に生まれ生きるそっちの方がよく知っているはずだ。



「知らないのか? お前たちの救世主さま、なんだってよ」








 
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