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2 旅立つ勇者と蚊帳の外
第7話 腕を振るう
しおりを挟む勇者が何用に使うのか分からなかった、だだっ広い部屋は、宴の場に変わっていた。
壮行会とでも言えばいいのか、部屋に集められた一同は、各々の前に用意された食事へ舌鼓を打っている。
「素朴だけど、美味しいわね」
戦闘用の正装から晩さん会用の盛装へ着替えた魔術師は、上品な手つきでさじを静かに動かすと、クリームシチューを再び口に運んだ。
ほくほくのじゃがいもの優しい味わいと牛乳の甘さが、手合わせ前からずっと緊張していた胃をいたわってくれる。父に反抗し屋敷を飛び出した少女の頃、かくまってくれた元乳母の手料理をふと思い出した。
気慣れない上等な服に居心地の悪さを感じていた元剣闘士の青年は、手で持って食べていい、分厚いカツサンドを頬ぼっていた。
もう一品、大きなうろこがパイ生地のように重なって、ぱりぱりに揚がった白身の揚げ物が香味野菜と一緒にパンに挟まれた緑鱗魚サンドも皿に確保してある。
緑鱗魚は彼の地元では高級魚として知られていた。それを庶民が食べるような軽食にするのは贅沢の極みだ。感想は、これ以外に出ては来なかった。
「美味い」
「ほんと、おいしいです。勇者さまが作られたなんて……光栄です」
信じられないを光栄だと言い換えた狩人の少年は、木のお箸でかぼちゃの煮物をつまんで、もうひとつ口に運んだ。
お団子状に揚げたかぼちゃに鳥のひき肉の入った醤油のあんが絡まって、何個でも食べられてしまう。勇者様由来の調味料である醤油は森ではあまり手に入らないものだったが、不思議と懐かしい味がして、少年の頬は緩んだ。
先ほど勇者から告げられた決定に動揺していた者たちは、いつしか料理と、この場を楽しんでいた。
勇者様の手料理を食べられるなんて、身に余る待遇だ。その栄誉には一握りの者しかありつけない。
それこそ、勇者様の仲間でもない限りは。
「さすが、勇者バイロ様ですな。みなの心をつかみ、和やかになされるのに、このようなことをお考えになるとは」
つかんだのは心じゃなくて、胃袋みたいだけどな。
勇者は人差し指で己のあごをかきつつ、ネフェル神官長の賛辞に、曖昧にうなずいた。
「このようなお心遣いを分け隔てなくなさるとは! せっかくの手料理、手合わせの礼も兼ねて夕食をとおっしゃられるまで、候補者の方々の慰労など私には思いも付きませんでした。勇者様のお心の広さには涙が出る思いです」
深々と頭を下げ、目頭を押さえているのは世話役セオだ。桃色の頭を見やりつつ、変に何かやったらこういうことになるんだったと、勇者は軽く後悔した。
貧乏性勇者は、食材を無駄にしたくなかっただけだ。
初めにこういうのを作りたいと勇者自らがやっては見せたが、大人数用の料理を作り上げたのは、神殿で調理業務を担っている神官見習いや調理人たちである。緑鱗魚の固いうろこが油に弱く、揚げると衣として食べられることを勇者に教えてくれたのは、料理を本職とする彼らだ。
あれが、まずかったんだな。
勇者は反省した。この世界の人の口に合うのか不安になり、補佐にとくっ付いて来て離れない神官長補佐官に、ひとくち味見をさせたのがいけなかったのだ。
ただでさえ懐いているに等しいやつを餌付けしてはいけない。
「私も作れるようになりますので!」と、セオは熱心に手帳に何事かを書き込んでいた。味の好みを知ったからか、緑の瞳をらんらんと輝かせていたのが勇者には思い出される。
勇者の言うことは絶対じゃなかったのかよ。独りにしてくれって言ってんのに、このままじゃ付いてくるぞ、この勢い。
まさか、この世界での世話役という役職には、背後霊や守護霊的な要素が付与されるとかいうんじゃないだろうな。気合の入った背後霊なんかいなくても自分の身ぐらい自分で守れるだろう、この身体なら。
ぐだぐだと心中で愚痴る勇者の困惑をよそに、セオは我が主の斜め後ろへ控えて、みなが救世主様の手料理を楽しむ様子を愛おしそうにながめている。
主席神官長ネフェルは、この場が思ったよりも混乱せずに終わろうとしていることへ安堵した。我らが救い人と二人きりで話した時のことが思い出される。
「なるほど。仲間候補として集まった者たちを、勇者様推薦の強者として各地に派遣なさるのですね」
ネフェル神官長の言葉に勇者バイロは深くうなずき、広い場所が用意できるなら手合わせをしたいと発言した意図を認めた。
勇者と立ち会って、ひとつも攻撃を当てられず負けたも同じなら、当然に。勝ったか良いところまで戦えたなら、最良な人材として。勇者と戦った勇敢な者、勇者様の推薦を受けた有能な者たちとのお墨付きを与えて各地へ送り出す。
「魔王が復活するなら、どこにどう被害が出るか分からないですよね。歴代勇者の史料にも魔王がどんなことをしてきたかは書いてあるとは思うんですけど、それに全部目を通す間にも何があるかは分からないですし。それなら、あちこちに誰か腕の立つ人でも送っておいて、何かに備えてくれていた方が良いんじゃないかと思うんです」
足置きにちょこんと座って、うなずきながら語る勇者は、まだ知らないこの国の隅々を見やるように中空へ顔をやったまま、また考えを話し始めた。
「いなくなった勇者の魂がどういうつもりで、ここへ人を集めたのかは知りませんが。勇者が認めた者を、勇者が派遣するなら、受け入れる方も行く方も面子ってやつは保てるかと思うんですよね。どう思います? 主席神官長」
勇者様にそうたずねられた時、一も二もなく、ネフェルは即座に賛同した。
人嫌いだと宣言した人違い勇者様が求めているのは、人払いだろう。自分が約束したわけでもない見知らぬ大勢を側に置きたくはない。
この度の勇者様はその一心で仲間候補の一掃を図っている訳だが、それは主席神官長にとっても都合の良い提案だった。
絶対的な存在、救世主にして勇者の庇護を求めている者たちが得ようとしているものは、魔王の起こす災厄からの防衛だけではない。
勇者に約束されている絶対的な権力は、その仲間にも波及する。そして、彼彼女らの縁の者にも。
勇者様は絶対である。
そう信じ、それを声高に支持する者たちの中には、そうして勇者を絶対な存在とすることで利益を得ようと目論む者も少なくない。そうした者たちが勇者を後ろ盾に権威を振りかざそうとすることを、主席神官長は危惧していた。
特に、救世主覚醒の予兆と同じくして各地から続々とお声がけを頂いたとの報告が届くようになった時から、ネフェル・イルジュツが、勇者様のお目覚めに高揚よりも憂鬱さを感じていたことは否めない。
それがどうだろう。人違いであると告げられた衝撃が収まると、事の成り行きがネフェル神官長の望む方へと動いていくように思われる。
神に願いが届いたと言えば、たやすいのかもしれない。しかし、召喚神術が何たるかをよく知る主席神官長だからこそ、安易にそれを信じることはなかった。
ネフェルは宴の間の片隅にたたずみ、温かな料理の香りと密やかで熱を帯びた人々の語らいに包まれている心地良さを感じていた。それでいて自分だけ、どこか遠くにいるようにも思える。
ここに集う者たちをまとめて追放することも出来るというのに、人嫌い勇者は、それを選ばなかった。
それどころか、どこに誰を送り込むか、料理の合間も考え続けていたようだ。晩餐までのわずかなひと時に着替える間も惜しんだのか、薄ら汚れた礼服に前掛けをした勇者から見せられた派遣計画は、主席神官長の助言が必要ないほど的確なものに仕上がっていた。
手合わせ希望者の名簿に目を通した時の勇者の言葉が、ネフェル神官長の耳に蘇る。
「治安が良くないのかな。盗賊なんかの討伐とかが魔物退治の功績より多いですね。こういうことで困っている村とかは、防備が薄くて魔物なんかにも狙われるかも……候補地は挙げられますか? そこから決めていきたいと思います。今この時も、賊が出て大変かもしれませんから」
本当に、不思議な方ですね。今度の勇者様は。
ネフェルが細い目をさらに細めて見つめた勇者バイロは、さすがに前掛けこそ外していたが、世話役へ宴席に不足してきた飲み物の補充やその他の適当な用を言い付けて、自分の側から追い払っているところだった。
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