転生勇者は連まない。

sorasoudou

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2 旅立つ勇者と蚊帳の外

第8話 今宵の宴

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 そろそろ部屋に引っ込んでもいいですか。


 世話役に言い付ける用事も見つけ出せなくなり、勇者がそんなことを頭の中でつぶやいた頃、広間の外から鈴の音が何重にも響いた。

「あ、忘れてた」

 勇者のつぶやきを消すように重なる鈴の音は大きくなり、そこへ太鼓や笛、弦楽器の音色が加わる。宴の間のざわめきは消え、テラスへ続く掃き出し窓へと皆の目が集まった。

 視線が集まるのと同時に、ぴたりと音は止む。窓が音もなく開いた。

 夕闇に落ちた窓の外。銀の長い髪をきらめかせ、若い女が立っていた。彼女が踊り、回りながら広間に進み出る。豊かな毛並みが銀に輝く尾が揺れて、両手に握られた鈴を通した銀の輪が音色を奏でた。

 音楽が再び奏でられる。大小様々な楽器を持ち、きらびやかに着飾った者たちが踊り子の後へと続く。掃き出し窓が次々と開かれ、奏者と踊り手が続々と宴の席の合間へ進む。

 窓から最後に広間へ進み出たのは、蜻蛉とんぼの羽を模したようなレース編みの翼を背に付けた少女。妖精のような姿は今宵演じる役なのだろうが、青い髪に紫の瞳がはかなげで本物に見せている。
 覚醒の間で、踊り子と共に勇者へ祝辞を述べた少女は、その時にも広間の観衆を魅了した涼やかな声で歌い始めた。



 この風のささやき、この花の香り、水の調べ、陽射しのきらめき。
 この世のはかなさ、この身の移ろい。我らの声よ、届け、御霊に。
 神々に愛されしものよ、我らが救い人、勇ましき方よ。
 世界を越え、我らの元に。その手を我らに、祈る子らへと。



「ご降臨に感謝いたします、勇者さま」

 少女はひざまづき、眼前の勇者へ緩やかにお辞儀をした。
 歌姫に続いて踊り子を始め演者全員がひざを折り、深々と礼をする。宴の広間の隅の隅、目立たないように柱へ隠れようとしてし損なった勇者が、礼に答えて小さく頭を下げた。

 下げた頭を勇者は戻したが、白く輝く金の前髪の向こうにうやうやしく礼をし続ける大勢の姿が見える。宴席の者たちも歌に誘われるように勇者に注視し、我らが救世主の言葉を待っていた。何か言わないと、この場は収まりそうもない。


「えーーっと、いや、その、こちらこそ、慰問公演の巡業を受け入れてくれたそうで、感謝してますよ。今晩もこうして、余興を申し出てくれたので、旅立つ方たちにも良い贈り物になったかと……みなさんの公演の成功も目に見えるようで、何よりです」


 勇者が壁や天井、吊るされた照明へと視線をさまよわせながら語った賛辞には、そこはかとなく、ここでお開きにしたそうな響きが込められていた。

 勇者との手合わせを辞退した者の多くが踊り手や奏者など、芸術を職にする者たちだ。覚醒の間での彼彼女らの着飾りようは仕事柄の正装でもある。
 必要以上に薄着でも、それは見る者を魅せるため。ただし、魔王討伐にさっさと出掛けたい勇者からすれば、戦闘力が低そうな肌も露な薄着の仲間は必要としていない。

 きらびやかな美男美女たちには、魔王の復活に怯え、王様の病に不安を感じているだろう人たちの慰問を頼んだ。
 そうやって早々と厄介払いを済ませたつもりでいた勇者としては、今宵の催しで自身が巻き込まれるのは想定外だ。


 しなやかに腰をくねらせ銀の尾を振ると、踊り子が進み出て、少女に並んだ。


「勇者様。今宵は我らのわがままを聞き届けていただき、ありがたく存じます。我らが一同、慰問公演のご提案で勇者様の優しさに触れ、胸が震える想いでおります。勇者様をお慕いする民の不安を少しでも和らげるよう、皆で力を尽くしますことを約束いたします」


 踊り子が再び頭を下げたが、勇者は次に何と言って返したらいいのか思い付かなかった。それを見計らったように少女が口を開く。


「今宵はこのまま宴の興を、わたくしどもが盛り上げてみせますので、勇者さまはごゆるりとなさって下さいませ」


 少女が服の裾をつまみ、優雅にお辞儀をして見せると、奏者が一斉に楽器を鳴らす。先ほどの調べを早い曲調に変えた軽快な音色を奏で始めた。

 踊り子は銀の髪と尾をなびかせ、ひと跳びで奏者の中へ加わると、鈴を鳴らして合いの手を入れ、宴席を仲間たちと踊って廻った。
 歌姫の少女は、もう一度勇者へお辞儀をし、羽を揺らして音楽と踊りの輪の中へ加わる。少女が紫の瞳で去り際に一瞥いちべつした勇者は、すでに皆から背を向けていた。


 勇者は天井に向かって息を吐くと、改めて柱の陰へ身を隠す。


 にぎやかな場は、やっぱり苦手だ。何より人に注目されたくない。
 みなが楽しければ、それでいい。こっちを構う者もいなくなるだろう。自分がこのまま消えても誰も気にしないなら、それで良し。今の内にいなくなっておかなければ!


 ……まさか、何かやらかして逃亡でもしてたのか?


 広間の隅の柱の陰に身をひそめていると、記憶にない地球での自分が犯罪者であったかのように思えてくる。
 勇者は、そんな己へ首を振った。

 ただの人見知りか、引きこもりだと信じよう。

 人知れず宴の間から出て行こうとして、勇者は柱の陰から抜け出した。


「お部屋にご案内いたします」


 思わず跳び上がりかけ、柱に身を寄せる。午後に散々聞かされた見知った者の声に若干怯えながら、勇者はそっと振り返った。
 誰よりも恭しく頭を下げて勇者を待つのはもちろん、世話役のセオ・センゾーリオだ。


 背後霊で確定。


 勇者が自分を亡霊に判定したとは露知らず、従者は主人を案内し、神殿奥へと歩を進めた。






 
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