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第4章 使徒か女神か

第4章7話 悪役令嬢 VS 聖騎士(後編)

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 矢継ぎ早に供給される土魔法への対策を事前の準備も無しに講じるのはレグルスとて容易ではない。
 どうアプローチするかを僅かな時間の中で模索が続く。

 だが、そんな暇をむざむざ与えるエリーゼではない。
 
「さあ、その綺麗な顔をフルボッコにしてやるわよ! 大地よ! 『礫烈射グラヴェルストレイフ』」

 咆哮するように魔法を行使したエリーゼの前に並んだ三枚の魔法陣から拳大の礫雨が容赦無く降り注ぐ。

 時計回りに走って回避するがこの魔法は魔力を注いだ分だけ掃射が続くので、どんどんと追い詰められていく。

「ちょこまかと鬱陶しいわね。狙うの面倒くさいから今すぐ止まりなさいよ」

 なんとか掻い潜っているとはいえ、レベルが上がったことで三箇所への同時攻撃も可能な礫の嵐が獲物を喰らうのは時間の問題だろう。
 避けている本人もそれはよく理解しているので早々と次の手を打つ。

「『銀竹アイシクルレイン』。悪くない攻撃だったが、あと一条足りないようだ」
「ちっ……!」

 驚異的な挙動で苛烈な弾幕をやり過ごしながら詠唱を完遂したレグルスがここで反撃に転じた。無秩序に並んだ数十のつららが三度、エリーゼへ向かって飛来する。

 彼女の等身と変わらない全長を誇る鋭い氷の矢弾の魔法は標的を狙うというよりは無造作にばら撒いて攻撃する。一発避けても避けた先にも次弾が来るので密度こそ高くないが、かえって回避しづらい特徴がある。
 ただでさえ氷属性の使い手は少ないが、その中でも初見殺しの魔法であり、並大抵の者では被弾は避けて通れないだろう。

 ただし、エリーゼはその枠には収まらない。

「当たら、ない、わよ!」

 『礫烈射グラヴェルストレイフ』の制御を手放して数度だけ軽やかにステップを踏むとつららは掠めることすら無くエリーゼと交差する。

 ランダムな配置に見えるこの魔法だが第一波と第三波は同じ並びをしている。また、第一波の中心にある一本だけは必ず攻撃目標に直撃するコースを通る。さらに同じところを通るつららは一本も無い。

 従って、第一波を回避した後、すぐに通過点の裏に入り、第二波通過後元の位置に戻ると『銀竹アイシクルレイン』は綺麗に避ける事が出来るのだ。

 蝶のように舞う最小限の回避行動であっさりとつららの放射を突破されて、レグルスの眉間に僅かだがしわが寄る。
 彼としては最低でもここで防御に魔法を使わせておきたかったが、よりによって足さばきだけで凌がれてしまいアドバンテージは変わらずにエリーゼが握っている。

「貴女は何者だ?」

 依然としてエリーゼへの接近を試みるレグルスが疾駆しながら抱いた疑問を投げ掛ける。

「はあ? 私にまでストーキングするつもりなの? あんた、見境無いわね」
「いや、それだけは絶対に無いが」
「それはそれで腹立つわね。大地よ! 『土隆壁グランドウォール』」

 すぐそこまで迫って来た相手から逃れる為にエリーゼは自分の足元を隆起させる。
 地響きを上げながら瞬く間に七メートル程の高さを持った絶壁が完成し、高所を取ることに成功した。
 二階建ての家屋程の高さもある断崖は大波のような形をしており、エリーゼの立っている部分は大きく突き出している。

 だが、大きな障害を前にしても聖騎士は猛追の手を緩めはしない。
 全速力のエネルギーを利用して勢い良く跳躍するとエリーゼの頭上を超える高さに到達し、いとも容易く崖の上へと踊り出る。
 
「さあ、どうする。流石に魔法は間に合わないだろう?」
「もちろん、逃げるのよ!」

 反撃に注意しながら着地と同時に長杖を振り降ろそうと宙で構えを取っていたレグルスに構うことなく、エリーゼは紅蓮のようなツインドリルを揺らしながら踵を返してその場から去っていく。
 レグルスに数段劣る速さだがそこは折り込み済みで崖の反対側の斜面に向かってスライディングし、滑らかな岩肌を勢い良くすべって逃げおおせた。
 
 反対に高台を奪ったレグルスはこれを好機と捉えて追撃の準備をする。

「『氷柱花槍アイシクルジャベリン』! 最早逃げ場は無い。観念するが良い」

 砕けた宝石の破片のような形状の氷塊が空中に浮かぶと、パキパキと音を立てながらどんどん巨大化してゆく。
 青みがかってクリアな氷は鋭く尖った凶器が醸しだす独特の美しさを孕んでいた。

「聖職者ともあろうものがそんな長くて太くてカチカチの物を女の子に向けるなんて言語道断ね」
「女の子? 私には見えないが、どこにいるんだ?」
「いい度胸ね。やっぱ、あんた埋めるわ。化石にしてやるから、覚悟しなさい」
「この期に及んでそれだけ大口を叩けるのだから大したものだ。だが、少しでも動けばこの氷槍が貴女を穿つだろう。もはや私の勝利は揺るがない」
「だったら撃てばいいじゃない」
「素直に降参しろ。むやみに女性をいたぶる趣味は無い」
「ふん。どうだか」
「今投了しても五聖剣ペンタグラムソードを相手にここまで健闘した事実は賞賛に値する。それで十分では?」

 エリーゼに向けられた大氷の剛槍は太い所では小さな馬車くらいの大きさはあろうかというところまで成長していた。
 距離も十メートル程しかないため攻撃の到達までに魔法を発動するのは間に合いそうにない。

――あの場面で使用した魔法が防御で無ければ、どちらに転んでいたかはわからなかった。見かけ以上の危険性があると本部に報告を入れるべきだな。台下との間柄も考慮するなら引き入れるのも手か。

 勝利を確信していたレグルスは先の事も見据えて相手の良い返事を待った。

 だが、首元に刃を突きつけられているような絶体絶命の状況でエリーゼはにやりと笑った。

「そんな事抜かして人を舐め腐ってるから、どいつもこいつも足元をすくわれんのよ。まあ、こっちはそれを待ってたんだけど」
「待っていた……? この状況を?」
「厳密に言うとあんたが勝ったつもりになっていい気になるのをよ。このまま持久戦なんて怠い展開はお断りだわ」

 ただの強がりだろうと、断じるには余りにも不気味なその佇まいにレグルスにも小さな迷いが生じる。
 追い込んでいる筈なのに何故か嫌な予感がした。

「一体何を――」
開放リリース!!!」
「なっ!?」

 企んでいる、と問おうとした途端に気が付くとレグルスは地下訓練場の天井を眺めていた。
 上を見上げた覚えは無いのに視界が変わっていた。

 原因は彼の足元にある。
 どっしりとした岩の崖が唐突に瓦解していた。
 足場を失ったレグルスは背から落下している真っ最中にある。

 魔法で築き上げられた物体は時間が経過すると消滅する。だが、行使者の意思で消し去る事も可能であり、この場合は詠唱等は不要なのだ。

 慌てて氷塊の剛槍を叩き込もうと敵影を探すが崩れ落ちながら消失していく瓦礫と砂に阻まれて、姿を捉えることが出来ず歯噛みする。

「ちいっ!」
「大地よ! 『速石砲ストーンキャノン』」
「下だと!? くっ!」

 落下するレグルスよりも高い位置に忽然と展開した魔法陣から先程数十メートルは吹き飛ばした岩の砲弾が放出される。

 空気を切り裂いて突進する岩塊を再び杖の腹でがっちりと防いではいるが、今回は角度が違う。地面と水平に受けたからこそ流す事が出来たのであって、このままの向きで撥ねられてしまうと地面に叩きつけられてしまう。

 だがレグルスにそれを回避する策はない。
 故に間もなく背中に来たる衝撃に備えつつ速やかに立て直しを図る為、この後の展開をいくつか考えていた。

 真正面から来る岩の砲弾を力で受け切ればまだ勝ち目はあるはずと百戦錬磨の猛者である彼はこの一瞬で逆転の戦略を頭の中で練り上げた。
 捕らぬ狸の皮算用とはつゆ知らずに。
 
「ばーか! こっちが本命よっ!」
「なっ!?」

 落下する瓦礫の脇からエリーゼが飛び出す。

 身体能力の高いレグルスと違い深刻なダメージを受けて魔力容量が枯渇すると、戦う手段がエリーゼはどうにかして残量が半分を切らないうちに勝負を決めたかった。
 だが、レグルスを遠距離で仕留めるのは至難の業であると諦めた彼女はカウンター狙いに切り替える事にしたのだ。

 しかし、最初の攻防で『速石砲ストーンキャノン』を杖で防ぐという化け物じみた反応を目の当たりにしたエリーゼは普通の攻め手では、取り逃がす恐れがあると考えた。
 そこで自分を囮にして高台に誘導した後、逆に魔法を本命と思わせる事で自身がフリーになる時間を捻出し、崩れながら消滅する瓦礫の隙間を縫って死角に潜り込み背後から殴りかかるという強攻策に打って出たのだ。

 そして、外で高みの見物をしていたラズさえもこの突撃には驚嘆の声を上げる程の大胆不敵な奇策は見事に嵌まった。

 天才と名高い彼の頭脳を学力不足の心配されるエリーゼが可愛らしいステッキをフルスイングして強打する。

「がはっ!? ぐおっ!?」

 前世でたまに行ったバッティングセンター以来の豪快なひと振りは近接戦闘が不得手な彼女の細腕とはいえ低レベルの戦士くらいなら盾の上からねじ伏せることが可能な威力がある。
 急所への一撃という事もありレグルスの防御を崩すには十分だった。

 身体が地面に叩きつけられると同時に杖を弾いた岩石弾が腹部に直撃する。
 
 まるでボールのようにレグルスの身体が跳ねて転げるのを肩越しに見送ったエリーゼの背後に制御を失った氷槍が落下してきて砕け散った破片が石畳の上に散らばってゆく。

「じゃ、後は埋めたらノルマ達成ね」

 敵には容赦しない派のエリーゼは地に伏した騎士へ静かに短杖の先を向けた。
 だが、土を操作する魔法でトドメを刺そうとしたその時、うつ伏せで倒れていたレグルスは顔だけ起こすと杖先をエリーゼに向け、奇襲を仕掛ける。

 レグルスの魔法鎧マジックアーマーは既に機能を停止していた。

 元々ギルバートから受けたダメージの修復が完了していなかったのもあるが、『速石砲ストーンキャノン』の貫通力の前には教会が保有する最上位の防具を持ってしても、防ぎきることは出来なかった。

 一度完全に障壁が消滅すると再展開には一定値以上の魔力を注ぐ必要があるのだが、その間は自然回復する魔力量以上の魔力を持っていかれるので最悪の場合は魔力欠乏マジックエンプティに至る事もある。

 従ってもう魔法を連発出来ない状況に追い込んだエリーゼが圧倒的優位に立っている。ここから戦況をひっくり返すのは奇跡に近い。

 もはやレグルスになりふりを構っている余裕は無かった。

 手負いの獣のような眼差しがエリーゼの姿を捉えると同時に女神聖教のエンブレムがついた杖を突き付けて短く唱える。

「『心凍滅却フリージングバーン』。禁じられしこの魔法。その身で存分に味わうがいい」

 始まりは微細な変化である。
 身震いする冷ややかな空気がエリーゼの周りで緩やかに渦巻いていく地味な物。
 魔法の効果としては実にちんけな様子だったが、たったそれだけの現象を見逃さなかったエリーゼは血相を変えて対抗の魔法を紡ぐ。

「やばい!? 大地よ――」

 しかし、詠唱の途中で冷気の渦は嵐のように勢いを増し、エリーゼは中に閉じ込められてしまう。
 更にそれから数秒も経たずにガラスを割ったような耳をつんざく音が鳴り響いた。

 激しい冷気の爆発が発生し、蒸気にも似た真っ白い煙が膨張して消えると効果範囲内にあったあらゆる物が氷漬けになっている。

 円を描くように凍てついた地面の中心には先程まで奔走していた少女の形をした氷像が静かになった壇上で侘しく佇んでいた。
 厚い氷に覆われ、表面には霜がついていて顔はよく見えないが、エリーゼを象っているのは明白だ。

 状態異常の一種である『凍結』は非常に厄介である。身動きが全く取れなくなるので、一度掛かってしまうと自力での解除はほぼ不可能。

 だから冒険者の間では『凍結』に掛からない事が最大の『凍結』対策だったりする。

 苦労の末に氷獄へと封じ、チェックメイトを掛けたレグルスは動けなくなった敵にゆっくりと歩み寄る。全身に打ち付けられた後が残る痛々しい姿にも関わらず立ち振舞は優雅だ。

 やがて杖が届く距離へと達したところでおもむろに立ち止まり口を開く。

「ここまで一方的に追い込まれたのは初めてだ」

 攻撃を受けた瞬間から詠唱を開始していなければ、必殺の魔法とはいえ当てるのも難しかったかもしれないとレグルスは渋面を作った。

 歯向かう者は全て真正面から斬り捨ててきたレグルスが恥を忍んで不意打ちを仕掛けたのは、エリーゼら感じ取った脅威が過去の敵を凌駕していたからに他ならない。
 
 だからこそ残虐さ故に、非常時以外の使用を控えるよう厳命されていた切り札まで持ち出した。
 神の名のもとに刃を振るう聖騎士が敗北を喫するなど絶対にあってはならないのだ。

「貴女はとても強い。だが……我こそは主の為に生き、主の為に死ぬ聖騎士なり! 潔白なるこの正義……大義無き者に阻めはしない! はあっ!」

 返事をすることすら叶わない相手にレグルスは渾身の力を振り絞って権杖で薙ぎ払いを放つと、岩石を強打したような音が響き、氷に包まれていた頭部が地面をゴロゴロと転がった。
 
 だが、この戦いの場を整えたマジックアイテムは起動したままである。
 ギルバートを下した時とは様子が違い、怪訝な顔をしたレグルスがエリーゼに目を戻してある事に気が付く。
 妙な事に破壊した首の断面が鼠色をしていた。
 まるで岩のように。

「そんな馬鹿な……ただの石くれだと!? 待て、ならば一体何処へ消えた!?」

 右を見ても左を見ても上を見上げても敵の姿は無く、冷静沈着な彼でも忽然と人が消えてしまっては酷く狼狽していた。
 だが、エリーゼは意外な場所から姿を現す。

 レグルスから少し離れた地面がごごごという音を立てながら直径にして二メートル程の大きな穴がぽっかりと口を開く。そして、そこからせり上がって登場したのはステッキを地面に突き刺した無傷のエリーゼである。

「ここよ。ったく、聖騎士のくせに死んだフリなんかしてんじゃないわよ」

 前世の知識から危険性を理解していたエリーゼは初めから『凍結』を警戒していた。だから凍気による攻撃が発動したら、すぐに『地創アースクリエーション』で遮断するという対応策を常に念頭に置いて行動していたのだ。

「炸裂までの刹那で地の底へ逃れたというのか……はっ!?」

 地を割って派手に姿を晒したエリーゼに目を奪われている間に、レグルスの下半身が土砂を集めて固めただけの荒々しい柱の中に飲み込まれていた。
 何とか脱出しようともがくがびくともしない。

「そ、見ての通りよ。ついでに私っぽい形のデコイも作って、時間を稼がせてもらったわ。ホイホイ釣られてくれて大助かりよ」
「……いくら何でも対応が早い上に、的確すぎる。秘匿している『心凍滅却フリージングバーン』の存在すら、あたかも初めから熟知しているように私には見えた」

 冷気がちらついた時点で凍結の魔法と見抜き、油断を誘うダミーまで設置して身を潜めるなど咄嗟の判断にしてはあまりにも手際が良すぎるとレグルスは疑念を抱いていた。

「いま一度問う。貴女は一体何者なのか?」
「……ただの田舎貴族の令嬢よ。女の子の事を根掘り葉掘り聞いてくるなんてサイテーよ」
「ただの令嬢相手に五聖剣ペンタグラムソードここまでやられたと? ふざけるな。魔女め」
「人聞きの悪いこと言わないでくれるかしら。じゃあ、お終いにするわよ」
「まだだ。まだ終わら――せ……ぃ……」

 パキパキ!

 唯一の武器である権杖を腕だけで投げつけようと構えた瞬間、頑丈なはずの足元に亀裂が走る。
 幾重にも損傷の広がった石畳が僅かな荷重にも耐えられずバラバラに砕けると、レグルスは虚空へと投げ出された。

 重力に引かれて深淵へとまっすぐに落下する騎士を追うように大きな岩がガラガラと崩れ落ち、闇の広がる深い穴を瞬く間に塞いでゆく。

「悪いけどこっちの仕込みは終わってんのよ」

 実は緊急回避の為に『地創アースクリエーション』で地下に潜り、稼いだ時間でせっせとエリーゼ像の真下を空洞にしてから一仕事終えた炭鉱夫のように地上へ顔を出し、そのまま魔法を維持していた。
 そして、最後に薄く残してあった石畳をさらに削ってレグルスを深淵へと引きずり込んだのである。

 宣言通りにエリーゼが完膚無きまでにレグルスを生き埋めにしたところで舞台を囲っていた障壁が消滅すると、一人歓喜に湧くラズが走りだす。自称トレーナーの彼女が誰よりもこの勝利を喜んでいた。

 大金星をあげたエリーゼが静かに拳を上げ、彼女の親友が大興奮で抱きついたその姿を見ながら、一人の男が心悲しそうに呟いた。

「……何故……何故誰もオレに声をかけないのだ……!?」

 一人寂しく激闘の行く末を眺めていたギルバートは虚しさのあまり溜息を吐いて目を瞑った。
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