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第5章 今夜は初夜

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結婚には、勢いが大切だって、本当らしい。

目の前には、折橋さんの名前と印鑑が押された婚姻届けが、広がっている。

「さあ、つむぎ。早く。」

昨日まで、つむぎさんと呼んでいた折橋さんは、人が変わったように、私を呼び捨てにしている。

一日で、こんなにも世界は変わるんだろうか。


「ああ。今日が休みで、本当によかったね。」

折橋さんは両手を広げながら、外の天気を伺っている。

あの~、お兄さん。

急に人の家に来て、それはないんじゃない?


「婚姻届けを出したら、直ぐに僕の部屋へ引っ越そう。楽しみだね、つむぎ。」

ワクワクしているのは、折橋さんだけですと言ったら、悲しい顔をされるかな。

昨日の夜、思い余って告白したのが運の尽き。

そのまま、奥さんになるねと言われ、頷いてしまったが為に、今に至る。


でも、折橋さんを好きな事に、嘘はない。

私は婚姻届けに、自分の名前と印鑑を押した。


「よし!区役所へ、直行だ!」

「待って下さい。」

私は、折橋さんの腕を掴んだ。

「婚姻届け、出すだけですか?」

折橋さんは、目をパチパチさせている。

「……結婚式、って事?」

「はい。」

少なくても私は、結婚式をしたい。

両親にも、晴れの姿を見せてあげたい。


「そうだな。落ち着いてから、盛大にやろう。」

「せ、盛大……」

私は思わず、頭を横に振ってしまった。

「盛大じゃなくてもいいです!本当に普通に!」

「普通って何?一生に一度の事なんだから、思い出に残るモノにしようよ。」

折橋さん、何だかグイグイ事を進めようとしているのは、気のせいなんでしょうか。


「ああ、今から楽しくなりそうだ。」

私よりもウキウキしている折橋さんを横目に、私はリムジンに乗って、区役所へとやってきた。

二人で婚姻届けを、担当の人に渡す。

「はい、おめでとうございます。」

「ありがとうございます!」

一人テンションの高い折橋さんを置いて、私はまだ他人事のように、思えてしまう。

それはただ、紙一枚に名前を書いただけだからかな。


「つむぎ。今から、折橋つむぎになったんだね。」

「はあ。」

他の場所を見たって、何も変わってはいない。

「まだ、実感が湧かない?」

「うん。」

わずか、10分足らずでリムジンに戻って来た私は、この間に名字が水久保から折橋に変わった。

って、言っても誰が信じるんだろう。

「まあ、女性はそうだよね。でも、直ぐに実感が湧くよ。」

「うん。」

さっきから私、うんしか言っていない。


折橋……五貴さんには悪いけれど、実感が湧くのは、大分先だと思う。

と、考えていた矢先だ。

リムジンは、五貴さんのマンションに着き、いつの間にか私の荷物も、まるで今まで住んでいたかのように、なじんでいた。

「ええ!?」

「ははは!驚いた?さっき僕達が区役所に行っている間に、皆に運ばせておいたんだ。」

「皆!?皆って、誰ですか!?」

「皆って、知らない?小さい頃から、面倒見てくれてる人達。」

「知らないです!って言うか、そんな人達、普通はいません!!」


さすが御曹司。

影には、何人もの使用人がいるんだ。


「それよりも見て、つむぎ。僕達の新居だよ。」

五貴さんに誘われて、リビング、キッチン、バスにベッドルーム。

ウォークインクローゼットまで、見せられた。

「どう?気に入ってくれた?」

「はい……」

ワンルーム暮らしだった私にとっては、こんな広くて綺麗なマンションで暮らせるなんて、夢みたいな話だ。


そして気づく!

一番大事な事。

「あの、五貴さん。」

「どうした?」

いつの間にか、置かれていたソファーで、くつろいでいる五貴さんの隣に座った。

「ここにも、その……使用人の方と言うか、皆さん、いらっしゃるんですか?」

五貴さんは、ニコッと笑った。

「いるよ。」

「えっ!?どこ!?」

私は、辺りを見回した。

でも、見える場所には、誰もいない。

と言うか、一人?

それとも何人かいるの?

それすらも、分からない。


「ただね。彼らはとても優秀で、僕達がいる時には、姿を見せないようにしているんだ。」

姿を見せない……まるで……

「……忍びのような人達ですね。」

「ははははっ!」

途端に五貴さんが、お腹を抱えて笑いだした。

「忍び!つむぎは、面白い事を言うね。」

別に笑わせるつもりはなかったけれど、好きな人がこんなに笑ってくれるなら、すっごく嬉しい。


「それじゃあ、夕食は別に皆が、作ってくれる訳じゃないんですね。」

「ん?言えば、作ってくれるよ。」

言えばって、どうやって?

私が、首を傾げた時だ。

五貴さんが、パンパンッと手を打った。

「お呼びですか?ご主人様。」

「きゃああああ!」

ついさっきまで、私達の後ろには、誰もいなかったのに!!


「あっ、呼び方変えた?」

「ご結婚されたのですから、坊ちゃまと呼ぶのは、不適切かと。」

「ははは。気が利くね。」

肝心の五貴さんは、まるでそれが当たり前のように、会話を続けている。

私なんて驚き過ぎて、まだドキドキしてるって言うのに。


「突然だけど、今日の夕食、今から作れる?」

「お任せ下さい。」

そしてその使用人の人は、真っすぐ台所へと行った。

そこで初めて、男性の人だと言う事が、分かった。

「お、男の方なんですね。」

「心配しなくていい。彼はなんでも、できるからね。」


その人がガチャと、冷蔵庫を開けると、今日引っ越してきたばかりだと言うのに、食材がたくさん入っていた。

「まさか、買い物も!?」

「ね。大丈夫でしょ?」

そう言って五貴さんは、ニコニコしている。

しかも、その人。

サッサと食材を出すと、トントンと軽快な音を立てながら、それらを切って行く。

絶対に、私以上に料理は上手いはずだ。


「今日の、夕食は何?」

「シーフードグラタンでございます。」

「そうか。」

五貴さんは何か考えると、急に立ち上がった。

「つむぎ、ワインセラーに行こう。」

「ワイン、セラー?」

私は、目が点になった。


「ほらほら。」

五貴さんに腕を引かれ、私は廊下へとやってきた。

「ここだよ。」

「ぎゃっ!いつの間に!?」

普通のマンションの廊下に、ワインセラーがあるなんて、見た事がない。

しかも、何でさっき家の中を見た時に、教えてくれなかったの!?


「つむぎは、ワイン飲める?」

「いえ、その前に飲んだ事が、ありません。」

「そうか。そっちか。」

五貴さんは、数あるワインの中から、赤ワインを一本取り出した。

「これなら、初心者向けだ。」

ちらっと見ると、名前にシャトー何とかと、書いてある。

「そ、そ、そそそれって……」

「ん?何?」

「高いワインなのでは?」

「あっ、分かる?」

五貴さんは、これ見よがしに、ラベルを私に見せた。


「いや、ダメです!高いワインを飲んだ事もない私に!」

「そんな事ないよ、つむぎ。一番最初に飲むワインはね、いい物を選んだ方がいいんだよ。」

五貴さんは私の腕を掴むと、ダイニングの椅子に、私を座らせた。

「ワイングラスを、二つ。」

「はい。」

使用人兼料理人の人が(名前は知らない)、知らない間に、ワイングラスを持って立っている。


「ちょっと待ってね。今、開けるから。」

五貴さんは、ソムリエナイフでコルクを抜くと、その匂いを嗅ぎ始めた。

「あの、それで何か分かるんですか?」

ワインならまだしも、コルクの匂いを嗅ぐなんて。

「分かるよ。ワインが痛んでないかがね。」

「へえ……」

なんだか五貴さん、ソムリエみたい。

「そこまで知ってるなんて、意外ですね。」

「そうかな。」

五貴さんはボトルを持つと、グラスにワインを注いだ。

しかも、1~2cmしか注いでいない。


「これしか、注がないんですか?」

「最初はね。これで、テイスティングするんだよ。さあ、飲んでみて。」

「はい。」

ワインを飲む前に、息をゴクンと飲んだ。


人生初めての、ワイン。

五貴さんが、私の為に選んでくれたワイン。

しかも、高級なシャトー何とか。

また、手が震えてきた。


「大丈夫?手が震えてるよ?つむぎ。」

「だ、大丈夫……」

カタカタ震えながら、ワインを一口飲んで見た。

口の中で、葡萄の甘味と、渋味が混ざる。

そして、ほんのりとアルコールが鼻から抜ける。

「美味しい……」

「だろ?」

私達は、見つめ合いながら笑った。

「よかった。」

五貴さんは、ほっとしているようだった。

「もしかしたらつむぎは、勢いで結婚するって言ってくれたんじゃないかって、思ってね。」


ああ、バレていたのね。

私は、気が遠くなりかけた。


「だから僕と一緒にいて、楽しそうにしてくれている様子を見ると、安心するよ。」

「五貴さん……」

こんなイケメンの社長に、そんな事言われるなんて!

体がとろけそうになる。


「私も。」

ハニカミながら、五貴さんを見つめた。

「五貴さんって、社長だし、お金持ちの御曹司だし、身の回りの事って、全部お手伝いさんがやってくれてるんだろうなぁって、思っていた。でも、私の為にワインを用意してくれたり。すごく嬉しい!」

私が笑顔を見せると、五貴さんも微笑んでくれた。


「もう少し、ワイン飲める?」

「はい!」

こんな幸せな時間が来るのなら、もっと早く結婚すればよかった。
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