憧憬坂~薄紅の頃~

日下奈緒

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第15話 おままごと

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冬になり、寒さも盛りさというのに、征太郎の道場はそれを忘れるくらいに、熱気に満ちていた。

直之が、自分の達の同級生を連れてきて、一人残らず入門させたからだ。

今まで、子供達だけを教えていた征太郎も、今度は直之達のような年代も教えるようになり、遅くまで仕事をするようになった。

美和子は、直之の気持ちには応えられないと言ったが、直之は全く動じなかった。


「お兄さんに勝てるようになったら、また言いに来ます。」

逆に、落ち込む様子はなかった。

そして、美和子と征太郎はと言うと……


その日も、いつもと同じ時間に起きた美和子は、庭で竹刀を振っている征太郎を見かけた。

「兄さん、おはよう。」

征太郎は美和子に気づく。

「おはよう、美和子。」

急いで美和子が、茶の間に向かうと、征太郎もちょうど庭から、戻ってきたところだった。

「珍しいわね。兄さんが朝から、素振りしているなんて。」

「今日は少し早く、目が覚めてしまってさ。」

二人の姿を見かけた瞳子は、女中に声をかけると、二人の朝食を持ってきてくれた。

「美和子はまだ起きないから、先に召しあがったら?と言ったのに…」

「うそ…」

「今日だけではないのよ。ここ最近ずっと。」

母親の言葉を聞いて、美和子は征太郎に対して申し訳ない気持ちになった

「私を待ってて下さったの?」

「うん。」

征太郎は当たり前の事、を問われた時のような返事をした

「気にするな。俺が美和子と一緒に、飯を食いたいだけなんだ。」

征太郎はそれからもずっと、朝は美和子を待ってから、一緒に食事をするようになった。

この時期から、美和子はある決意を固めていた。

自分の将来を考えた時に、美和子は学校の先生になりたいと、思うようになった。

もちろんそれには、師範学校に通わなければならないし、女が通える学校も限られていた。

美和子の家から通える師範学校もあったが、全国から生徒が集まるので、試験に合格するのも、一筋縄ではいかなかった。


「美和子、風呂に入れるぞ。」

いつものように、風呂から上がってきた征太郎が、障子越に声をかけてきた。

美和子は、障子を開けた。

「あ、ごめん。勉強の邪魔したか?」

「ううん。私はもう入ったわよ。」

「えっ!いつの間に…」

美和子は、自分の部屋の中を指差した。


「火を起こしてあるの。温まっていったら?」

「ああ。」

征太郎は美和子の部屋に入ると、火鉢の側に座った。

征太郎が美和子の机に目をやると、たくさんの本が積まれていた。


「ずいぶん勉強するんだな。」

「うん…」

美和子も火鉢の側に座った。

「兄さん、私ね。師範学校を受けようと思っているの。」

「へえ…」

「学校の先生になりたいんだ。」

初めて自分の夢を語った美和子は、なんだか照れくさそうに笑った。


「美和子ならなれるよ。」

「本当?」

「うん。いい先生になれると思うよ。」

征太郎にそう言われると、とても励まされた気分になった。

「でもね。お父さんになんて言おうと思って。」

「そうだな。高校を卒業したら、美和子を結婚させるつもりだからな。」

「そうよね…」

美和子の難しそうな顔を見た征太郎は、そっと美和子の背中を触った。


「もし、お父さんが反対したら…」

「絶対反対するわよ。」

「はははっ。その時は、俺が美和子の味方になってやるよ。」

美和子は何気ない、征太郎との会話の一つ一つが、光り輝く宝物のように思えた。

「さて、俺は部屋に戻るか。」

征太郎は立ち上がって、障子を開けた。

「勉強頑張れよ。おやすみ、美和子。」

「おやすみなさい…」

そう言った美和子は、とても寂しそうだった。


「美和子?」

美和子は、征太郎の瞳に映る自分の姿を見て、夏祭りの夜を思い出していた。


あの日から、自分の姿を兄の瞳に見てから、目の前に立つその人を、恋しくて恋しくて仕方なくなったのだ。

「今日はもう少し…兄さんと一緒にいたいな…」

征太郎は急に、美和子が可愛く見えて、その場でぎゅっと抱きしめてしまった。

そしてそのまま、美和子の部屋に入ると、後ろ向きで障子を閉めた。


そして征太郎は、美和子の机の上のろうそくを、吹き消す。

真っ暗な部屋の中で、月明かりだけが、二人を照らしていた。

「兄さん…」

「明かりがついてたら、誰かに見られるかもしれないから。」

そう言って征太郎はまた、美和子を強く抱きしめた。


征太郎は、自分で自分が分からなくなっていた。

美和子は確かに、恋をしているかもしれないが、所詮、恋人の真似ごとをしていれば、そのうち飽きると思っていた。

そうおままごとのように……

それが今では、自分が妹の美和子を、放したくなくなってきている。


「今日は、二人で寝ようか。」

「二人で?」

「子供の時みたいに、枕を並べて。」

美和子は征太郎の間近で、微笑んでくれる。

「うん。」

二人は一緒に同じ布団に入ると、互いに向き合った。


「兄さんの枕、取ってこなくていいの?」

「いいよ、俺のは。美和子の枕で寝る。」

「じゃあ、私はどうするの?」

征太郎は左手を、美和子の頭の下に置いた。

「腕枕してくれるの?」

「ああ。」

征太郎は既に、眠そうにしていた。

「おやすみなさい、兄さん。」

「おやすみ…」


その日の夜、美和子は征太郎の寝顔を見ながら、夢路についた。

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