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第9話 溢れる想い
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「おはよう、美和子。」
「おはよう、お母さん。」
次の日の朝。
美和子の、よく眠れなかった夜は終わった。
「ふぁ~、眠い…」
美和子は、大きな欠伸をした。
いつもの朝、いつもの朝食、のはずだった。
「でかい、欠伸。」
美和子は慌てて、口を押さえた。
「おはよう、美和子。」
「…おはよう、兄さん。」
美和子は口を押さえながら、征太郎の隣に座った。
「まだ口を押さえてるのか?」
「うん…」
美和子の心臓は、大きな音を立てて、口から出そうだった。
「さあ、ご飯に…」
瞳子も台所から来て、立ち止まった。
「何やってるの?美和子。」
瞳子は征太郎も見た。
「さあ?」
征太郎も さっぱりという顔をした。
「そんなことしているってことは、朝ごはんはいらないのね。」
瞳子は家政婦が運んできたご飯を、食卓に並べながら言った。
「食べる。」
美和子は急いで、手を元に戻した。
瞳子と征太郎は、そんな美和子を見て、クスクス笑っている。
「いただきます。」
いつもと同じように食べているつもりが、手が震えてうまく食べられない。
隣に、兄さんがいる。
ただそう思うだけで、美和子の神経、全てが征太郎に向かっているような気がした。
美和子の通う女学校では今の時期、夏休みの間に決まった結婚相手のことで、話が持ちきりだ。
「あなたの婚約者は、どんな方なの?」
「私はね、政府のお役人さんよ。」
「私はね、実業家の方だわ。」
「私はね…」
そして卒業までの一年と半年の間。
花嫁修業をするのが、これからの彼女たちの楽しみなのだ。
「ねえ、美和子さんのお相手は、どんな方?」
同級生の一人が聞いてきた。
「ああ…」
「もう、もったいぶらずに教えてちょうだい。」
美和子は笑顔で答えた。
「私はまだ決まってないのよ。」
「…そうなの?」
同級生が不思議がるのは無理もなかった。
この時期までに、相手が決まらないのは稀だった。
「ごめんなさい。私、余計な事をお聞きしたかしら。」
触れてはいけない話題に、触れてしまった。
同級生は、そんな顔をした。
「いいえ。そういうあなたは、どんな方がお相手なの?」
美和子は、全く気にしてなかった。
「私は…貿易商の方となの。」
「そう。じゃあ、花嫁修業は外国の言葉も、勉強されるの?」
「ええ、亜米利加の言葉を少々…」
「大変ね。頑張って。」
「…ありがとう。でも…意外だったわ。」
「えっ?」
美和子は聞き返した。
「私美和子さんは、真っ先にお相手が決まるものだとばかり思っていましたわ。あっ、決して嫌味とかではなくて…」
美和子は同級生の、その言葉に救われた。
そこへどこからともなく、佐樹子が近づいてきた。
「美和子さんにはね、心に決めた方がいらっしゃるのよ。」
「ちょっと、佐樹子さん。」
美和子は驚いた。
「ええ!美和子さんったら!」
同級生も、驚いている。
「皆さんは親が決めた方と、結婚されるんでしょうけど、美和子さんは恋に落ちた方と、結婚するのよね。」
佐樹子の言葉に、周りはどよめいた。
「その為に、お相手の方はお兄さんの道場に通って、認めてもらうのに必死なのよね。」
同級生の、声にならない悲鳴が聞こえてくる。
それも仕方ない。
ここにいるほとんどの人が、恋など知らずに結婚していくのだから。
その中で自分の為に、足しげく通っているなどと聞いてしまえば、本やおとぎ話の世界のようだ。
「その男の方、なかなかね。」
「そこまで美和子さんの事を好きなのね。」
「いつの間にそんな方…」
みんな興奮気味に話をしている。
「佐樹子さん、誰の事を言っていると思えば、直之さんの事?」
「ええ。他に誰がいるの?」
佐樹子に逆に聞かれた美和子は、少したじろいだ。
「もしかして……本当に誰かいらっしゃるの?」
佐樹子も興奮気味だ。
「ははは…」
美和子は、笑って誤魔化した。
まさか、言えまい。
自分の好きな人は兄さんなのだと、母親違いの兄弟なのだと。
想いが通じない相手だと知っていても、恋焦がれる気持ちが、
この世にはあるのだと。
そして、夜になった。
今夜は、綺麗な月が浮かんでいる。
美和子は部屋の戸を開けて、飽きるまで月を見上げていた。
そこへ風呂から上がり、部屋に戻る征太郎が来た。
「美和子、風呂空いてるぞ。」
「うん。」
美和子は一向に、動く気配がない。
「入らないのか?」
「そんな事ないわ。もう少ししたら入る。」
「早くしないと、他の誰かに取られるぞ。」
「いいわよ。」
「なんで?」
「もう、兄さんは~。今日の月はとても綺麗だから、もう少し見ていたいの。」
征太郎は空を見上げた。
「本当だ。今夜の月は綺麗だな。」
そう言って征太郎は、美和子の隣に座った。
美和子はまた、心臓が高鳴りだした。
「最近、なんかあったか?」
「最近?」
美和子には、征太郎の質問に、思い当たるふしはなかった。
「何もないけど?」
「うそつけ。最近の美和子は何か変だ。」
征太郎は下を向いた。
美和子は征太郎から、顔を背けた。
まさか兄さんに恋しているから、変になっただなんて、本人を目の前にして言えない。
「何でも言ってくれよ。たった二人だけの兄妹なんだから…」
征太郎は寂しそうだ。
「兄さん…」
美和子は自分の横で、寂しそうにしている兄を見ると、胸がきゅうっと締め付けられた。
「直之のことか?」
「直之さん?」
「美和子、もしおまえが直之のことが好きなら、もう俺は反対するつもりはないよ。」
美和子は言葉を失った。
「あいつはいいやつだ。きっと美和子の事を、幸せにしてくれる。」
美和子の顔から笑顔が消えた。
「美和子?」
「どうして……そんなことを言うの?」
征太郎は美和子の気持ちが、分からなかった。
「どうしてって……美和子の幸せを考えているからだろ?」
「私の幸せ?」
「そうだよ。美和子の好きな人と結婚するのが、おまえの幸せなんだから。」
「私の好きな人は、直之さんじゃないわ!」
美和子は思わず、叫んでしまった。
「…他にいるってことなのか?」
征太郎の質問に、美和子は大きくうなづいた。
美和子はもう言ってしまいたかった。
この気持ちを言うことができれば、どんなに楽になれるんだろう。
「そうなのか……美和子にもそんなヤツがいるのか。」
征太郎はそう言って、遠い月を見上げた。
兄は一体、どんな人を想像しているのだろう。
妹の好きな人が、まさか自分だとは、絶対に予想はしていないはずだから。
「どんな人なんだ?美和子の好きな人は。」
美和子は征太郎を見つめた。
「私の…好きな人は…」
優しい微笑み。
好きだと伝えたら、この微笑みはどう変わるのだろう。
「美和…」
「…好き。」
美和子の声は震えていた。
「私…兄さんのことが…好きなの…」
はっきり自分の気持ちを言葉に出すと、身体の中からどんどん、気持ちがあふれ出してくる。
「はっ…はははっ…」
だが征太郎は、頭を押さえながら笑っている。
「兄さん?」
美和子は不思議そうに、征太郎の顔をのぞいた。
「ったく。美和子は甘えん坊だな。」
「え?」
「何で悩んでるのかと思えば、そんな事だったのか。」
征太郎は美和子の頭を、ポンポンと軽く叩いた。
「この前、雪子を連れてきたから、急に寂しくなったのか?かわいいなあ、美和子は。」
美和子は違う、と言いたかった。
だが、あまりにも悲しくて声が出なかった。
「美和子、俺は結婚してもどこにも行かないんだから。変わらずに美和子の兄さんだ。」
美和子はずっと声を出し続けた。
「……う…がう…違う…」
「ん?」
「違う……寂しいんじゃないの。」
「え…違う?」
「悲しいの…」
征太郎は美和子の様子が、いつもと違うことに、ようやく気がついた。
「兄さんが他の人と、一緒にいるのが悲しいの。私以外の人と、一緒にいるのが嫌なの。」
美和子の涙は、止まらなかった。
「好きなの……ずっと一緒にいたい……妹としてじゃなくて…」
征太郎はそこで初めて、美和子が伝えようとしていることを知った。
そして美和子に向けていた身体を横にした。
「兄さん…」
征太郎は、美和子の手をぎゅっと握った。
「美和子、それはきっと……恋とかじゃないんだ…」
「え?」
「美和子はただ……憧れているだけなんだ。」
「憧れ?」
征太郎は美和子と、目を合わせずにうなづいた。
「美和子の年には、よくあることなんだ。俺と雪子を見て、ああいうふうになりたい、そう思っただけなんだ。」
しばらく返事が返ってこない美和子を、征太郎は思い切って見た。
「ひどい…」
「え?」
そこには妹の美和子ではなく、女としての美和子がいた。
「人が真剣に話しているのに。」
「美和子…」
美和子は急に立ち上がって、部屋の中に入った。
「美和子!」
征太郎も立ち上がって、美和子の部屋に入ろうとしたが、その瞬間に、夏祭りの時に買ってやった口紅が、飛んできた。
「落ち着け!美和子!」
「何でも言えって、言ったじゃない!」
「言ったけど、それとこれとは違うだろう。いいか、俺と美和子は、母親は違っても兄妹なんだぞ!」
「そんなこと、前から知ってるわ!」
「美和子、おまえはただ勘違いしてるだけだって。」
征太郎は必死に、そう言い聞かせた。
「勘違い?勘違いって何よ!」
「おまえはただ、寂しいだけなんだよ。」
美和子は身体が固まった。
「…美和子にも恋人ができれば、俺のことなんてどうでもよくなって…」
美和子は、ぽろぽろと、涙をこぼした。
「そんな安っぽい気持ちじゃないもん。」
「美和子…」
「兄さんの他に、好きな人なんてできないし、できても兄さんを好きな気持ちは、変わらないもん!」
征太郎はそれ以上言えなかった。
美和子は征太郎の胸の中に飛び込んだ。
「私、まだ子供だけど、急いで大人になるから…」
美和子の細い肩が細かく震えていた。
「雪子さんのように、赤い口紅も似合うような女性になるから…」
美和子は必死に、征太郎に訴えた。
「ずっと…兄さんの側にいさせて…お願い……」
征太郎には、美和子の震える身体を、撫でることしかできなかった。
「おはよう、お母さん。」
次の日の朝。
美和子の、よく眠れなかった夜は終わった。
「ふぁ~、眠い…」
美和子は、大きな欠伸をした。
いつもの朝、いつもの朝食、のはずだった。
「でかい、欠伸。」
美和子は慌てて、口を押さえた。
「おはよう、美和子。」
「…おはよう、兄さん。」
美和子は口を押さえながら、征太郎の隣に座った。
「まだ口を押さえてるのか?」
「うん…」
美和子の心臓は、大きな音を立てて、口から出そうだった。
「さあ、ご飯に…」
瞳子も台所から来て、立ち止まった。
「何やってるの?美和子。」
瞳子は征太郎も見た。
「さあ?」
征太郎も さっぱりという顔をした。
「そんなことしているってことは、朝ごはんはいらないのね。」
瞳子は家政婦が運んできたご飯を、食卓に並べながら言った。
「食べる。」
美和子は急いで、手を元に戻した。
瞳子と征太郎は、そんな美和子を見て、クスクス笑っている。
「いただきます。」
いつもと同じように食べているつもりが、手が震えてうまく食べられない。
隣に、兄さんがいる。
ただそう思うだけで、美和子の神経、全てが征太郎に向かっているような気がした。
美和子の通う女学校では今の時期、夏休みの間に決まった結婚相手のことで、話が持ちきりだ。
「あなたの婚約者は、どんな方なの?」
「私はね、政府のお役人さんよ。」
「私はね、実業家の方だわ。」
「私はね…」
そして卒業までの一年と半年の間。
花嫁修業をするのが、これからの彼女たちの楽しみなのだ。
「ねえ、美和子さんのお相手は、どんな方?」
同級生の一人が聞いてきた。
「ああ…」
「もう、もったいぶらずに教えてちょうだい。」
美和子は笑顔で答えた。
「私はまだ決まってないのよ。」
「…そうなの?」
同級生が不思議がるのは無理もなかった。
この時期までに、相手が決まらないのは稀だった。
「ごめんなさい。私、余計な事をお聞きしたかしら。」
触れてはいけない話題に、触れてしまった。
同級生は、そんな顔をした。
「いいえ。そういうあなたは、どんな方がお相手なの?」
美和子は、全く気にしてなかった。
「私は…貿易商の方となの。」
「そう。じゃあ、花嫁修業は外国の言葉も、勉強されるの?」
「ええ、亜米利加の言葉を少々…」
「大変ね。頑張って。」
「…ありがとう。でも…意外だったわ。」
「えっ?」
美和子は聞き返した。
「私美和子さんは、真っ先にお相手が決まるものだとばかり思っていましたわ。あっ、決して嫌味とかではなくて…」
美和子は同級生の、その言葉に救われた。
そこへどこからともなく、佐樹子が近づいてきた。
「美和子さんにはね、心に決めた方がいらっしゃるのよ。」
「ちょっと、佐樹子さん。」
美和子は驚いた。
「ええ!美和子さんったら!」
同級生も、驚いている。
「皆さんは親が決めた方と、結婚されるんでしょうけど、美和子さんは恋に落ちた方と、結婚するのよね。」
佐樹子の言葉に、周りはどよめいた。
「その為に、お相手の方はお兄さんの道場に通って、認めてもらうのに必死なのよね。」
同級生の、声にならない悲鳴が聞こえてくる。
それも仕方ない。
ここにいるほとんどの人が、恋など知らずに結婚していくのだから。
その中で自分の為に、足しげく通っているなどと聞いてしまえば、本やおとぎ話の世界のようだ。
「その男の方、なかなかね。」
「そこまで美和子さんの事を好きなのね。」
「いつの間にそんな方…」
みんな興奮気味に話をしている。
「佐樹子さん、誰の事を言っていると思えば、直之さんの事?」
「ええ。他に誰がいるの?」
佐樹子に逆に聞かれた美和子は、少したじろいだ。
「もしかして……本当に誰かいらっしゃるの?」
佐樹子も興奮気味だ。
「ははは…」
美和子は、笑って誤魔化した。
まさか、言えまい。
自分の好きな人は兄さんなのだと、母親違いの兄弟なのだと。
想いが通じない相手だと知っていても、恋焦がれる気持ちが、
この世にはあるのだと。
そして、夜になった。
今夜は、綺麗な月が浮かんでいる。
美和子は部屋の戸を開けて、飽きるまで月を見上げていた。
そこへ風呂から上がり、部屋に戻る征太郎が来た。
「美和子、風呂空いてるぞ。」
「うん。」
美和子は一向に、動く気配がない。
「入らないのか?」
「そんな事ないわ。もう少ししたら入る。」
「早くしないと、他の誰かに取られるぞ。」
「いいわよ。」
「なんで?」
「もう、兄さんは~。今日の月はとても綺麗だから、もう少し見ていたいの。」
征太郎は空を見上げた。
「本当だ。今夜の月は綺麗だな。」
そう言って征太郎は、美和子の隣に座った。
美和子はまた、心臓が高鳴りだした。
「最近、なんかあったか?」
「最近?」
美和子には、征太郎の質問に、思い当たるふしはなかった。
「何もないけど?」
「うそつけ。最近の美和子は何か変だ。」
征太郎は下を向いた。
美和子は征太郎から、顔を背けた。
まさか兄さんに恋しているから、変になっただなんて、本人を目の前にして言えない。
「何でも言ってくれよ。たった二人だけの兄妹なんだから…」
征太郎は寂しそうだ。
「兄さん…」
美和子は自分の横で、寂しそうにしている兄を見ると、胸がきゅうっと締め付けられた。
「直之のことか?」
「直之さん?」
「美和子、もしおまえが直之のことが好きなら、もう俺は反対するつもりはないよ。」
美和子は言葉を失った。
「あいつはいいやつだ。きっと美和子の事を、幸せにしてくれる。」
美和子の顔から笑顔が消えた。
「美和子?」
「どうして……そんなことを言うの?」
征太郎は美和子の気持ちが、分からなかった。
「どうしてって……美和子の幸せを考えているからだろ?」
「私の幸せ?」
「そうだよ。美和子の好きな人と結婚するのが、おまえの幸せなんだから。」
「私の好きな人は、直之さんじゃないわ!」
美和子は思わず、叫んでしまった。
「…他にいるってことなのか?」
征太郎の質問に、美和子は大きくうなづいた。
美和子はもう言ってしまいたかった。
この気持ちを言うことができれば、どんなに楽になれるんだろう。
「そうなのか……美和子にもそんなヤツがいるのか。」
征太郎はそう言って、遠い月を見上げた。
兄は一体、どんな人を想像しているのだろう。
妹の好きな人が、まさか自分だとは、絶対に予想はしていないはずだから。
「どんな人なんだ?美和子の好きな人は。」
美和子は征太郎を見つめた。
「私の…好きな人は…」
優しい微笑み。
好きだと伝えたら、この微笑みはどう変わるのだろう。
「美和…」
「…好き。」
美和子の声は震えていた。
「私…兄さんのことが…好きなの…」
はっきり自分の気持ちを言葉に出すと、身体の中からどんどん、気持ちがあふれ出してくる。
「はっ…はははっ…」
だが征太郎は、頭を押さえながら笑っている。
「兄さん?」
美和子は不思議そうに、征太郎の顔をのぞいた。
「ったく。美和子は甘えん坊だな。」
「え?」
「何で悩んでるのかと思えば、そんな事だったのか。」
征太郎は美和子の頭を、ポンポンと軽く叩いた。
「この前、雪子を連れてきたから、急に寂しくなったのか?かわいいなあ、美和子は。」
美和子は違う、と言いたかった。
だが、あまりにも悲しくて声が出なかった。
「美和子、俺は結婚してもどこにも行かないんだから。変わらずに美和子の兄さんだ。」
美和子はずっと声を出し続けた。
「……う…がう…違う…」
「ん?」
「違う……寂しいんじゃないの。」
「え…違う?」
「悲しいの…」
征太郎は美和子の様子が、いつもと違うことに、ようやく気がついた。
「兄さんが他の人と、一緒にいるのが悲しいの。私以外の人と、一緒にいるのが嫌なの。」
美和子の涙は、止まらなかった。
「好きなの……ずっと一緒にいたい……妹としてじゃなくて…」
征太郎はそこで初めて、美和子が伝えようとしていることを知った。
そして美和子に向けていた身体を横にした。
「兄さん…」
征太郎は、美和子の手をぎゅっと握った。
「美和子、それはきっと……恋とかじゃないんだ…」
「え?」
「美和子はただ……憧れているだけなんだ。」
「憧れ?」
征太郎は美和子と、目を合わせずにうなづいた。
「美和子の年には、よくあることなんだ。俺と雪子を見て、ああいうふうになりたい、そう思っただけなんだ。」
しばらく返事が返ってこない美和子を、征太郎は思い切って見た。
「ひどい…」
「え?」
そこには妹の美和子ではなく、女としての美和子がいた。
「人が真剣に話しているのに。」
「美和子…」
美和子は急に立ち上がって、部屋の中に入った。
「美和子!」
征太郎も立ち上がって、美和子の部屋に入ろうとしたが、その瞬間に、夏祭りの時に買ってやった口紅が、飛んできた。
「落ち着け!美和子!」
「何でも言えって、言ったじゃない!」
「言ったけど、それとこれとは違うだろう。いいか、俺と美和子は、母親は違っても兄妹なんだぞ!」
「そんなこと、前から知ってるわ!」
「美和子、おまえはただ勘違いしてるだけだって。」
征太郎は必死に、そう言い聞かせた。
「勘違い?勘違いって何よ!」
「おまえはただ、寂しいだけなんだよ。」
美和子は身体が固まった。
「…美和子にも恋人ができれば、俺のことなんてどうでもよくなって…」
美和子は、ぽろぽろと、涙をこぼした。
「そんな安っぽい気持ちじゃないもん。」
「美和子…」
「兄さんの他に、好きな人なんてできないし、できても兄さんを好きな気持ちは、変わらないもん!」
征太郎はそれ以上言えなかった。
美和子は征太郎の胸の中に飛び込んだ。
「私、まだ子供だけど、急いで大人になるから…」
美和子の細い肩が細かく震えていた。
「雪子さんのように、赤い口紅も似合うような女性になるから…」
美和子は必死に、征太郎に訴えた。
「ずっと…兄さんの側にいさせて…お願い……」
征太郎には、美和子の震える身体を、撫でることしかできなかった。
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