宮花物語

日下奈緒

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第11話 命の見返り

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昼過ぎ、公務で宮中を出ていた信寧王が、帰還した。

出迎えた妃達の中に、黄杏の姿はない。

「黄杏はどうした?」

帰ってきたばかりで、直ぐに黄杏の名前を挙げる王に、他の妃は黙ったままだ。

「白蓮?そなた、何か聞いておらぬのか?」

声を掛けられた白蓮は、静かに信志の側に寄った。

「その事で、王にご相談がございます。後で、私と一緒に来て頂けますか?」

信志は、穏やかではない白蓮の表情に、胸騒ぎを覚えた。

「……めでたい話でも、なさそうだな。」

「はい。」

返事をした白蓮は、初めてかもしれない程に、申し訳なさそうな顔をしていた。


妃達の出迎えが終わり、着替えをしている信志は、白蓮の申し訳なさそうな顔が、頭から離れなかった。

黄杏の事で、白蓮があんな顔をするなんて。

黄杏に何かあったのではないか。


ふと、公務で外に出る時に、黄杏が『兄と会う』と言っていた事を思い出した。

まさか、誰かに見られた?

見られて、それが白蓮の耳に入った?

信志の額に、汗が滲んだ。


あの二人の事だから、兄妹だと言う事は、うまくごまかせているだろう。

だが問題は、将拓を黄杏の不義密通の相手だと、疑っているのでは?と言う事だ。

そうなれば、何の審議も無しに、あの二人を開放する事はできない。

どうすればいいのか。


「誰か、忠仁を呼んでくれ。」

信志は振り返った先に、白蓮が立っているのを見て、驚いた。

「忠仁が如何されたのですか?」

「あ、ああ……相談事があってな。」

だが白蓮は、何か言いたげに、ジッと信志を見ている。

「……お急ぎの件ですか?」

「そうだ。」

それでもまだ、信志から目を離さない白蓮。


疑う余地もない。

白蓮は、知っているのではないか。

黄杏と将拓の関係を!!


「白蓮?」

「はい。」

狼狽える事もなく、騒ぐでもなく、ただ静かにこちらの出方を伺っているようだ。

「男同士の話なのだ。そなた、席を外してくれまいか?」

「分かりました。」

ようやく動いた白蓮と入れ替わりで、忠仁が信志の元へやってきた。

「王。黄杏様の事、お聞きになりましたか?」

「まだ聞いておらぬ。が、想像はつく。」

「秘密が漏れれば、我らの立場もありません。」

「だが、あの二人を放っておくこともできぬ。」


信志も忠仁も、将拓の忠誠心を知っている。

だからこそ、何とか守り通したい。


「私の責になさって下さい。」

「忠仁……」

忠仁と信志は、向かい合った。

「だがそれだけで、白蓮の目を誤魔化せるか。」

「私にお任せ下さい。」

いつもは客観的に物を見る忠仁が、やけに感情的だ。


「……そなた、もしやあの者に、心奪われたか?」

忠仁はフッと、笑みを浮かべた。

「国の為王の為、そして妹の為、我が身を犠牲にしようとしたのですぞ?奪われない者がおりますか?」

「それもそうだ。」

そして信志は、忠仁と共に、白蓮の屋敷の広間へと、足を踏み入れた。

そこには、神妙な表情で俯いている黄杏と将拓の姿があった。


「白蓮、この者は?」

「……先日の夜、屋敷の外の門で、逢引きしていたのです。」

「逢引き!?」

信志のわざとらしい驚き方に乗って、黄杏と将拓は口を開いた。

「王!私は決して、不義など働いておりません!信じて下さい!」

「私もです!お妃様には、指一本触れてはおりません!」

そんな事は、言われなくても十分に分かっている信志。


その時、白蓮が動いた。

「黄杏は……櫛が買い求めたかったが、品が定まらず、皆の目がある手前、夜にこの商人を呼び寄せたと申しております。」

「ほう、櫛を……」

「将拓と言う商人は、黄杏の美しさに目が眩み、それを受け入れてしまったと。」

「そうか。」

「私は、黄杏に妃の位のはく奪を、将拓には死刑を言い渡すのが、適当かと。」

「妃の位のはく奪と、死刑!?」

あまりの極刑に、信志と忠仁は目を合わせた。

「ですが、お互い自分が悪いので、相手には何も罪はない。黄杏は離縁を言い渡されてもよい、将拓の命を助けて欲しいと。将拓は、自分の命を差し出す代わりに、黄杏を罪に問わないでほしいと申し出ております。」

これにも、信志と忠仁は、胸が締め付けられた。

この兄妹は、こんなに追い込まれた状況でも、お互いを思いやっているのか。


「ここまでくれば、もう私の一存では、このお話を終わらせる事はできません。できれば王に、判断を仰ぎたく存じます。」

白蓮の真っすぐな視線。

本当に答えが出ずに困っているのか、それとも自分を試しているのか。

信志が、息を飲みこんだ時だ。


「この大馬鹿者が!!」

忠仁が将拓を、殴り飛ばした。

後ろへ大きく飛ばされた将拓は、壁に控えていた勇俊が、受け止めた。

「恐れ多くもお妃様に色目を使おうとしていたとは!商才がある故、宮中出入りに取り立ててやった私の顔を潰すつもりだったのか!」

「申し訳ありません!!」

将拓は、口元の血を拭い、忠仁の前に額をつけて謝った。

すると今度は忠仁が、王の前に頭を下げた。


「王。この者の才能と忠誠心は、私がよく存じております。決して王やお妃様に対して、不敬を働くような者ではございません。今回の事も、お妃様の願いを叶えて差し上げたいと言う、真心からの行動かと思われます。どうか、お慈悲を。」


「そうか。黄杏が不義を行うような者ではない事、誰よりもこの私が知っている。この二人に、罪はない。だが、宮中を騒がせた事に対しては、何かしらの処分を与えなければならぬだろう。」


黄杏と将拓は、頭を上げた。

「黄杏はしばらく屋敷で蟄居。将拓は3年の宮中出入りを禁止する。これで如何だろうか。」

これには忠仁や勇俊、そして黄杏も将拓も、笑顔になった。

「寛大な処置を頂き、有難うございます。」

黄杏も将拓も、涙を流しながら、お礼を言った。

「ではこの件に関しては、これまで。」

そう言って信志が忠仁と共に、広間を出ようとした時だ。


白蓮が、口を開いた。

「……解せません。」

その冷たい一言に、空気は一変した。

「この件、妃と商人の不義密通の疑いだけでは、ないように思えます。」

「白蓮、何を申すのだ?」

「この疑いの中に、国を脅かす大事が潜んでいるように、思えるのです。」

広間にいる白蓮以外の者全てが、凍り付いた。


「どういう事でしょう。奥様は、何を疑っているのですか?」

信志の代わりに、忠仁が尋ねた。

「……この二人の、関係でございます。」

「二人の関係?何もなかろう。ただの商人と客人だ。」

「それだけでしょうか。」

白蓮は、黄杏と将拓の顔を見つめた。


「王、この二人。面影が似ているようと思いませんか?」

信志は、わざと黄杏と将拓の顔を、観察した。

「……確かに似ているが、それがどうした?」

「はっきり申し上げた方が、よろしいですか?」

今度は白蓮と信志が、睨み合いだ。

「申せ。」

「……この二人、兄妹なのでは?」

すると信志は、大声で笑い飛ばした。


「顔立ちが似ていると言うだけで、兄妹だと言うのか。白蓮は面白い事を言う。他人の空似であろう。」

そして続けて忠仁が笑いだし、護衛長も後に続いた。

「さあさあ。可笑しな話もここまでだ。」

改めてクスクス笑う皆に対して、白蓮だけは冷ややかだ。


「では私の一存で、お二人を調べてもよろしいですか?」

その一言に、信志は笑うのを止めた。

「……なぜそこまで、この二人にこだわる?」

「この二人には、重要な事が隠されているかもと、申し上げたはずです。」

信志は、忠仁が止めるのも聞かず、白蓮に詰め寄った。

「我が下した判決に、意義を申すのか!」

白蓮に言い寄る様は、見ている周りの方が、ヒヤッとした。

「意義ではございません!本当の事を、知らねばならぬのです!」

尚、睨み合う信志と白蓮の間に、忠仁が割って入る。

「白蓮奥様、どうかお引き下さい。王も、少し感情を抑えて頂いた方が、よろしいかと。」

その言葉に、信志は白蓮から離れた。

その背中が、何か秘密ありげに見えたのを、白蓮は瞬時に悟った。


「私が……ここまで申すのは、この二人が似ているだけでは、ございません!」

「まだ言うか!」

信志は振り返りながら、白蓮に大きな声を浴びせた。

「恐れながらこの二人、なぜこんなにも、お互いを庇い合うのでしょう。」

「それは、己の愚かさで、相手の人生を狂わせると知った故だ!誰でもそうする!」

「そうでしょうか!少なくても私は、ここまで情をかける者達は、見た事がございません。」

「……そなた、この二人はやはり、不義密通をしているのかと、申すのか。」

「それは、王のご審議に従います。」

「一体、何を言いたいのだ?白蓮!」

「私はこの二人は、血を分けた兄妹なのではないかと、申し上げているのです!」

ここまで、信志と白蓮のやりとりを聞いていた黄杏と将拓も、忠仁も勇俊も、目を大きく見開いた。


知られてしまった!!

一番、知られてはいけない人に!!


「だとすれば黄杏は、妃の資格を有する者ではありません!王も知っているはずです!兄のいる娘は、王の妃にはなれないと!」

「ああ、知っている……」

「忠仁!そなたが付いていながら、黄杏が妃の資格を持っているのか、調べられなかったのか!」

側に控えていた忠仁は、どっしりと構えてこう言った。

「私が調べたところ、黄杏様に男の兄弟は弟君のみ。兄君は、おられませんでした。」

眉一つ動かさず、報告する忠仁。

自分に疑いがかかっていると言うのに、必要以上に落ち着いた雰囲気。


なぜなのだろう。

なぜそこまで、この二人を疑わずに、助けようとするのか。


「……もしや、王も忠仁も、知っておられたのか?」

「何を馬鹿な……」

信志は、額に汗を感じた。

「兄のいる娘を妃に迎えないのは、宮中に続いた大事な言わしめ。政治に混乱を招かぬ為でございます。王!恋に現を抜かし、それをお忘れになったのですか!?」

「白蓮……」

信志が白蓮の元に一歩近づくと、白蓮は同じ歩幅で遠のく。

「恐ろしい……黄杏をこのままにしておけば、いづれ内乱が起きます。その前に、宮中から去って貰うのが、適当かと。」

白蓮の言葉に、黄杏は顔を白くして、床に崩れた。

「黄杏!」

信志は倒れかけている黄杏を、抱きかかえた。

「大丈夫か?しっかりしろ!」

「はい……」

だがその目は、生気を失っている。


「お許し下さい。」
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