宮花物語

日下奈緒

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第2話 真夜中の恋人

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しばらくして信寧王は、酔いを冷ましに、立ち上がった。

「王、どちらへ。」

「酔いを冷ましてくる。」

「私も付き添います。」

忠仁も、一緒に立ち上がった。

「いや、一人で大丈夫だ。」

信寧王はそう答え、一人庭先へと足を踏み入れた。


そこには、立派な木が沢山、植えられていた。

上を見上げると、木々の間から、月が綺麗に見える。

「綺麗な月だな。」

空に見とれて、王は足を踏み間違ってしまった。

「危ない!」

女の声と一緒に、どこにあったか分からない池に、そのまま身を投げてしまった。

「わっ!」

もがく信寧王の手を、誰かが掴んだ。

「落ち着いて下さい。その池、あまり深くないので、足を伸ばせば立てます。」

女の言う通り、王は足を伸ばした。

すると、さっきまであんなにもがいていたと言うのに、今は嘘みたいに池の中に立っている。

「こちらです。」

手を掴んだ女は、池の外まで、王の手を引いた。

「驚きました。真っ直ぐに池の中に、入ってしまわれるんだもの。」

女は、自分が着ている上着を脱いで、濡れた顔や髪を拭いてくれた。

「早く着ている物を、乾かした方がいいですよ。さあさあ、脱いで。」

女は、自分を王だと言う事に、気づいていないのか、気を使うでもなく、次から次へと着ている物を剥いでいく。

「これで全部ですか?」

「ああ、えっと……」

辺りを見ると、帽子がない。

「うわっ!池の中に浮いている。」

慌ててまた池の中に、足を一歩入れた時だ。

自分の前を、女が水を掻き分け、進んで行く。

「はい。」

そして手に取った帽子を、自分の前に差し出すではないか。


「有り難う。」

「どういたしまして。」

普段はお礼を言うと、恐れ多いと言われるのに。

「あなた、王の家臣のお一人でしょう?」

女の着物が濡れているせいか、素肌が透けて見えそうだった。

「私の兄様もね、役人をしているから、同じような服装をしているの。でもあなた、黒ではないのね。身分が高い人?」

「あ、ああ……」

「そうなの?王様に仕えるのは、大変でしょう?でも確か兄様が、王はさすがだ!って言ってたから、そうでもないのかしら。」

そう言って、女はふふふっと笑って、背中を見せた。

その隙に、自分の上着を、女に羽織らせた。

「えっ?」

「濡れているから迷ったのだが、これ以上そなたの素肌を拝むのは、どうも卑怯な気がしてね。」

そう言うと女は、胸元を両手で隠した。

「名前は?」

「黄杏と申します。」

「そなたは、宴に参加しないの?」

「条件に合わなくて。」

「何の条件?」

王は、娘達に条件が出されているとは、全く知らなかったのだ。

「兄のいない娘。私には兄がいるから、お妃候補には、なれないんです。」

王は絶句した。

自分はあの時、村の娘達全員と、顔を合わせたいと言ったはずなのに。

「あなたは?あなたは、何て名前?」

「ああ……私は……」


私は王のお妃候補になれないの。

そう言う娘に、自分は王だと名乗ってよいものなのか。

信寧王は、悩んだ。

「どうしたの?自分の名前も、忘れたの?もしかして、さっき池に落ちたせい?」

「いやいや。」

悩んだ末、王は自分の名前を告げた。

「信志。」

「信志。素敵な名前ね。」

黄杏と本名を名乗った王は、月明かりの中、微笑んだ。


「服、早く乾かした方がいいわよ。」

「ああ、そうだな。」

「これ、返すわ。」

黄杏は、上着を信志に渡した。

「君が風邪をひくだろう。」

「私は、ここに着替えがあるから。じゃあね、信志。」

手を振って、黄杏は建物の中に、消えて行った。


その様子を見た信志は、今まで出会った事のない女に、笑いが止まらない。

濡れた服と帽子を持って、大広間に戻った後も、皆の心配を他所に、笑みが絶える事はなかった。


次の日。

信志は、改めて自分が落ちた池を、昼間に見た。

夜だったとは言え、こんな大きな池に気づかなかったなんて。

それほど酔っていたのか、それとも月に見とれていたのか、思い出すだけで恥ずかしさが、込み上げてきた。


「今日もご機嫌、麗しゅうございます、王。」

「そうか?」

「はい。今日もと言いますか、昨晩からですが。なにか良い事でもありましたか?」

昨日の夜の事を思い出した信志は、また笑い出してしまう。

「王?」

「いやいや、何でもない。そうだ、忠仁に聞きたい事がある。」

「何でしょう。」

信志は、池の辺りにある大きな石に、腰掛けた。


「世話をしてくれている村の娘に、条件を出しているそうだな。」

忠仁の、眉がピクッと動いた。

「お耳に入りましたか。」

「そうだな。何故だ。」

「なるべく早く、お妃様を決める為でございます。」

忠仁は、尤もらしい理由を述べる。

「では、兄のいる娘は、条件に合わないと言うのは?」

「今後の政治の混乱を、招かない為でございます。」

忠仁は、信志の目の前に、膝を付いた。

「王は、敬虔の乱をご存じですか?」

「ああ。100年も前の、家来が起こした反乱だ。」

「その通り。敬虔は、当時の王の母君の兄上。つまり叔父上様に当たります。それから妃になられる方は、兄のいない娘だけと、定められています。」

「そう……か……」

信志は、唇を噛み締めた。

「白蓮様も紅梅様、いづれも第1子。青蘭様には兄上がいらっしゃいましたが、戦で王と共に撃ち果てられました。例外はございません。」

信志は、言葉もなかった。

何よりも歴史を重んじるのが、王の勤めだと、幼い頃より聞かされていたからだ。

「分かった。」

「ご理解頂き、安心しました。」

だが信志の頭には、あの無礼な程に、自分の心に入って来た黄杏が、浮かんでは消え、消えては浮かんできた。


そして黄杏も、月夜の晩に会った信志と言う役人を、忘れる事ができないでいた。

この村の男とは違う、洗練されていて、優しそうな人。

そして、月に見とれて池に落ちてしまうような人。


今日も会えないかと、宴の準備をした後、また庭に降りて見た。

「やあ、また会ったね。」

「信志!」

黄杏は、また信志に会えた事に、胸を弾ませていた。

「風邪はひかなかった?黄杏。」

「ううん。私、こう見えて丈夫なの。信志は?」

「私はこの通りだ。」

両手を広げると、見事な刺繍が施されている服が、黄杏の目に飛び込んできた。

「素敵。信志は、いつもこんな素敵な服を、着ているの?」

「うーん。大体はね。人の前では、しっかりした服を着なくてならないと、父上に言われてたからね。」

「そうなの。信志の家は、お金持ちなのね。」

こんな田舎の、小さな村で育った黄杏には、想像もできない世界だ。

「今日も宴があるのね。いつまで続けるつもりなのかしら。」

黄杏は、どんどん集まってくる客人を見ながら言った。

「予定では2週間程って事だから、もう少しだね。」

「そっ……か。そうしたら、信志も、一緒に都に帰ってしまうのね。」

信志は、そっと黄杏を見つめた。

「寂しい?」

「あっ……いや……せっかく知り合ったのに、勿体ないなって思って。」

「勿体ない!?君、面白い事ばかり言うね。」

信志は、また笑い出す。

「だって!この村には、あなたみたいな……」

言葉を止めた黄杏に、信志は顔を近づける。

「あなたみたいな?何?」

「あの……」

端正な顔立ちが、自分の目の前にある事に、気恥ずかしさを覚える黄杏。

顔を赤くしながら、顔を背けた。


「黄杏!」

台所から、小太りの女が呼んでいる。

「はーい!」

返事をした黄杏は、スルッと信志からすり抜けた。
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