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興味
①
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お昼から降り出した雨は、夜になっても止む気配を見せなかった。
「兄さん、大丈夫かしら。」
仕事に行った兄が、ふと心配になって、私は駐車場が見える大きな窓の前に、両手をついた。
「傘は持って行きましたから、大丈夫じゃないでしょうかね。」
お手伝いさんの小林さんが、キッチンから答えてくれる。
私と兄さんが生まれる前から、この家に通い続けてくれているベテランのお手伝いさんだ。
外からは、ザーっと雨が降る音がする。
時々うるさい時があるけれど、雨は嫌いじゃない。
耳を澄まして聞いていると、時折、ポタッと滴が零れる音がしたり、雨が弱くなってシトシトという音に変わったり。
まるで空から落ちてきたシンフォニーのようだから。
それに最近、家に帰ってくる事が更に遅くなった兄さんを待つのに、一番とっておきの音楽なのかもしれないし。
「それにしても、太我(タイガ)さん。遅いですね。」
することがなくなった小林さんも、キッチンから出てきて、私が覗いている窓から、一緒に駐車場を見ている。
「雨の日は運転に気を使いますから、太我さん、運転に手こずっていらっしゃるんでしょうかね。」
還暦を迎えるまで、自分で車を運転していた小林さんは、その頃を思い出したのか、無意識に両手でハンドルを握っている仕草を見せた。
その仕草がとてもカッコよくて、ちょっぴり憧れる。
そして間もなく、駐車場に眩しいライトが入って来るのが見えた。
「兄さんだわ。」
私は急いでリビングを抜け出すと、兄さんが待っているだろう玄関へと急いだ。
「お帰りなさい、兄さん。」
「ただいま、美雨。」
玄関が閉まる音と一緒に、手に持っていたカバンを置いた兄さん。
「お帰りなさいませ、太我さん。」
私たちに気を使って、少し時間を置いて玄関に現れた小林さんに、兄はちらっと壁に掛けてある時計に目をやった。
「ただ今戻りました、小林さん。こんな時間まで残ってくれていたなんて、終わらない仕事があったんですか?」
「ええ。でも終わりましたから、今日はこれで失礼します。」
そう言って小林さんは、自分のコートを羽織り、玄関の隅にあった靴を履いた。
「家まで送りますよ。」
兄が慌ててカバンから、車のキーを取り出すと、小林さんは首を横に振る。
「いいんです。太我さんこそ、こんな時間までお仕事なさってたんですから、早く休んで下さい。」
そして小林さんは、玄関のドアを開けると、傘をさして歩いて行ってしまった。
そんな小林さんを見て、私はちょっと反省。
「小林さん、仕事が忙しかったなんて。私、お邪魔だったかしら。」
兄さんがいない間は、家の中には私一人。
自然と、小林さんに話しかけてしまう。
「気にすることないって。」
兄さんは靴を脱いで家の中へ入ると、私の頭を撫でながら、そう言ってくれた。
「小林さん、仕事が忙しかったわけじゃないさ。俺が帰るまで、美雨と一緒にいてくれただけだよ。」
「そうなの?」
「小林さんは、美雨を本当の孫ぐらいに思っているからね。一人にしとけないんだって。」
スーツを脱いでソファに置くと、そのまま倒れ込むかのように、兄さんは身体をソファに放りこんだ。
「お腹空いてるでしょう?今、ご飯用意するね。」
「ああ、頼む。」
キッチンに行って、小林さんが作ってくれたビーフシチューを温める間、私はソファでぐったりしている兄さんを見つめていた。
ワインの輸入する会社をしていた両親が、海外出張の為に空港へ行く途中、交通事故に遭ったのは、私が高校生で兄が大学生の時だった。
小さい会社だったけれど、従業員200名余りの生活を守る為に、大学を辞めてお父さんの跡を継いだ兄さん。
でも現実は厳しくて、21歳になったばかりの兄さんには、ワインの知識を詰め込む事で精一杯。
守ろうとしていた従業員も、次第に会社を離れていき、今や半分になっていた。
その分もしわ寄せを、兄さん自ら埋めるように先頭を切って営業に行って、会社に戻ると書類の整理。
家に帰ってくるのは、いつも夜の21時を超えていた。
「兄さん、できたわよ。」
「う、うん。」
半分ウトウトとしていた兄さんを揺り起こして、二人でテーブルについた。
テーブルについた兄さんは、開口一番に子供のようにはしゃぎ出した。
「おっ、今日はビーフシチューなんだ。」
「小林さん特製よ。」
「何気に小林さん、ビーフシチュー率、高いよな。」
そう言うと兄さんは、早速一口頬張る。
「うん。美味しい。」
兄さんのさっきまでの疲れた表情が、一気に明るくなって、私はほっとする。
「よかった。元気になってくれて。」
兄さんはニコッと笑ってくれたけれど、同じビーフシチューのお皿を持って、テーブルについた私を見て、また厳しい顔に戻った。
「……先に食べてろって言っただろ。」
兄さんは、自分を待っていられるが、嫌みたい。
「いいじゃない。一人でご飯を食べるよりも、兄さんと一緒に食べた方が楽しいし。」
そう言うと、兄さんは“仕方ないな”って顔をしてくれた。
私は調子に乗って、兄さんに話しかける。
「ねえ、兄さん。小林さんが言ってたけれど、雨の日の運転はとても気を使うんでしょう?」
「うん。確かに晴れの日よりも、運転しづらいかもな。」
「いいなぁ。私も車、運転したいな。」
私は小林さんの真似をして、ハンドルを握る仕草をした。
「美雨は、運転する必要なんてないよ。」
「だって、いつまでも兄さんに甘えていられないもの。」
「いいんだよ。」
兄さんの柔らかい口調に、スプーンを持つ手が止まる。
「俺は美雨のたった一人の兄さんなんだから、甘えていいんだよ。」
「兄さん……」
心の中がほぐれていく。
「なっ!」
屈託のない、甘い笑顔を兄さんに見せられると、血の繋がった私でさえ、目を奪われる。
「ん?」
「……ううん。何でもない。」
「兄さん、大丈夫かしら。」
仕事に行った兄が、ふと心配になって、私は駐車場が見える大きな窓の前に、両手をついた。
「傘は持って行きましたから、大丈夫じゃないでしょうかね。」
お手伝いさんの小林さんが、キッチンから答えてくれる。
私と兄さんが生まれる前から、この家に通い続けてくれているベテランのお手伝いさんだ。
外からは、ザーっと雨が降る音がする。
時々うるさい時があるけれど、雨は嫌いじゃない。
耳を澄まして聞いていると、時折、ポタッと滴が零れる音がしたり、雨が弱くなってシトシトという音に変わったり。
まるで空から落ちてきたシンフォニーのようだから。
それに最近、家に帰ってくる事が更に遅くなった兄さんを待つのに、一番とっておきの音楽なのかもしれないし。
「それにしても、太我(タイガ)さん。遅いですね。」
することがなくなった小林さんも、キッチンから出てきて、私が覗いている窓から、一緒に駐車場を見ている。
「雨の日は運転に気を使いますから、太我さん、運転に手こずっていらっしゃるんでしょうかね。」
還暦を迎えるまで、自分で車を運転していた小林さんは、その頃を思い出したのか、無意識に両手でハンドルを握っている仕草を見せた。
その仕草がとてもカッコよくて、ちょっぴり憧れる。
そして間もなく、駐車場に眩しいライトが入って来るのが見えた。
「兄さんだわ。」
私は急いでリビングを抜け出すと、兄さんが待っているだろう玄関へと急いだ。
「お帰りなさい、兄さん。」
「ただいま、美雨。」
玄関が閉まる音と一緒に、手に持っていたカバンを置いた兄さん。
「お帰りなさいませ、太我さん。」
私たちに気を使って、少し時間を置いて玄関に現れた小林さんに、兄はちらっと壁に掛けてある時計に目をやった。
「ただ今戻りました、小林さん。こんな時間まで残ってくれていたなんて、終わらない仕事があったんですか?」
「ええ。でも終わりましたから、今日はこれで失礼します。」
そう言って小林さんは、自分のコートを羽織り、玄関の隅にあった靴を履いた。
「家まで送りますよ。」
兄が慌ててカバンから、車のキーを取り出すと、小林さんは首を横に振る。
「いいんです。太我さんこそ、こんな時間までお仕事なさってたんですから、早く休んで下さい。」
そして小林さんは、玄関のドアを開けると、傘をさして歩いて行ってしまった。
そんな小林さんを見て、私はちょっと反省。
「小林さん、仕事が忙しかったなんて。私、お邪魔だったかしら。」
兄さんがいない間は、家の中には私一人。
自然と、小林さんに話しかけてしまう。
「気にすることないって。」
兄さんは靴を脱いで家の中へ入ると、私の頭を撫でながら、そう言ってくれた。
「小林さん、仕事が忙しかったわけじゃないさ。俺が帰るまで、美雨と一緒にいてくれただけだよ。」
「そうなの?」
「小林さんは、美雨を本当の孫ぐらいに思っているからね。一人にしとけないんだって。」
スーツを脱いでソファに置くと、そのまま倒れ込むかのように、兄さんは身体をソファに放りこんだ。
「お腹空いてるでしょう?今、ご飯用意するね。」
「ああ、頼む。」
キッチンに行って、小林さんが作ってくれたビーフシチューを温める間、私はソファでぐったりしている兄さんを見つめていた。
ワインの輸入する会社をしていた両親が、海外出張の為に空港へ行く途中、交通事故に遭ったのは、私が高校生で兄が大学生の時だった。
小さい会社だったけれど、従業員200名余りの生活を守る為に、大学を辞めてお父さんの跡を継いだ兄さん。
でも現実は厳しくて、21歳になったばかりの兄さんには、ワインの知識を詰め込む事で精一杯。
守ろうとしていた従業員も、次第に会社を離れていき、今や半分になっていた。
その分もしわ寄せを、兄さん自ら埋めるように先頭を切って営業に行って、会社に戻ると書類の整理。
家に帰ってくるのは、いつも夜の21時を超えていた。
「兄さん、できたわよ。」
「う、うん。」
半分ウトウトとしていた兄さんを揺り起こして、二人でテーブルについた。
テーブルについた兄さんは、開口一番に子供のようにはしゃぎ出した。
「おっ、今日はビーフシチューなんだ。」
「小林さん特製よ。」
「何気に小林さん、ビーフシチュー率、高いよな。」
そう言うと兄さんは、早速一口頬張る。
「うん。美味しい。」
兄さんのさっきまでの疲れた表情が、一気に明るくなって、私はほっとする。
「よかった。元気になってくれて。」
兄さんはニコッと笑ってくれたけれど、同じビーフシチューのお皿を持って、テーブルについた私を見て、また厳しい顔に戻った。
「……先に食べてろって言っただろ。」
兄さんは、自分を待っていられるが、嫌みたい。
「いいじゃない。一人でご飯を食べるよりも、兄さんと一緒に食べた方が楽しいし。」
そう言うと、兄さんは“仕方ないな”って顔をしてくれた。
私は調子に乗って、兄さんに話しかける。
「ねえ、兄さん。小林さんが言ってたけれど、雨の日の運転はとても気を使うんでしょう?」
「うん。確かに晴れの日よりも、運転しづらいかもな。」
「いいなぁ。私も車、運転したいな。」
私は小林さんの真似をして、ハンドルを握る仕草をした。
「美雨は、運転する必要なんてないよ。」
「だって、いつまでも兄さんに甘えていられないもの。」
「いいんだよ。」
兄さんの柔らかい口調に、スプーンを持つ手が止まる。
「俺は美雨のたった一人の兄さんなんだから、甘えていいんだよ。」
「兄さん……」
心の中がほぐれていく。
「なっ!」
屈託のない、甘い笑顔を兄さんに見せられると、血の繋がった私でさえ、目を奪われる。
「ん?」
「……ううん。何でもない。」
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