【R18】Gentle rain

日下奈緒

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お昼から降り出した雨は、夜になっても止む気配を見せなかった。


「兄さん、大丈夫かしら。」

仕事に行った兄が、ふと心配になって、私は駐車場が見える大きな窓の前に、両手をついた。

「傘は持って行きましたから、大丈夫じゃないでしょうかね。」

お手伝いさんの小林さんが、キッチンから答えてくれる。

私と兄さんが生まれる前から、この家に通い続けてくれているベテランのお手伝いさんだ。


外からは、ザーっと雨が降る音がする。

時々うるさい時があるけれど、雨は嫌いじゃない。

耳を澄まして聞いていると、時折、ポタッと滴が零れる音がしたり、雨が弱くなってシトシトという音に変わったり。

まるで空から落ちてきたシンフォニーのようだから。


それに最近、家に帰ってくる事が更に遅くなった兄さんを待つのに、一番とっておきの音楽なのかもしれないし。


「それにしても、太我(タイガ)さん。遅いですね。」

することがなくなった小林さんも、キッチンから出てきて、私が覗いている窓から、一緒に駐車場を見ている。

「雨の日は運転に気を使いますから、太我さん、運転に手こずっていらっしゃるんでしょうかね。」


還暦を迎えるまで、自分で車を運転していた小林さんは、その頃を思い出したのか、無意識に両手でハンドルを握っている仕草を見せた。

その仕草がとてもカッコよくて、ちょっぴり憧れる。


そして間もなく、駐車場に眩しいライトが入って来るのが見えた。

「兄さんだわ。」

私は急いでリビングを抜け出すと、兄さんが待っているだろう玄関へと急いだ。


「お帰りなさい、兄さん。」

「ただいま、美雨。」

玄関が閉まる音と一緒に、手に持っていたカバンを置いた兄さん。

「お帰りなさいませ、太我さん。」

私たちに気を使って、少し時間を置いて玄関に現れた小林さんに、兄はちらっと壁に掛けてある時計に目をやった。


「ただ今戻りました、小林さん。こんな時間まで残ってくれていたなんて、終わらない仕事があったんですか?」

「ええ。でも終わりましたから、今日はこれで失礼します。」

そう言って小林さんは、自分のコートを羽織り、玄関の隅にあった靴を履いた。

「家まで送りますよ。」

兄が慌ててカバンから、車のキーを取り出すと、小林さんは首を横に振る。

「いいんです。太我さんこそ、こんな時間までお仕事なさってたんですから、早く休んで下さい。」


そして小林さんは、玄関のドアを開けると、傘をさして歩いて行ってしまった。

そんな小林さんを見て、私はちょっと反省。

「小林さん、仕事が忙しかったなんて。私、お邪魔だったかしら。」


兄さんがいない間は、家の中には私一人。

自然と、小林さんに話しかけてしまう。


「気にすることないって。」

兄さんは靴を脱いで家の中へ入ると、私の頭を撫でながら、そう言ってくれた。

「小林さん、仕事が忙しかったわけじゃないさ。俺が帰るまで、美雨と一緒にいてくれただけだよ。」

「そうなの?」

「小林さんは、美雨を本当の孫ぐらいに思っているからね。一人にしとけないんだって。」


スーツを脱いでソファに置くと、そのまま倒れ込むかのように、兄さんは身体をソファに放りこんだ。

「お腹空いてるでしょう?今、ご飯用意するね。」

「ああ、頼む。」

キッチンに行って、小林さんが作ってくれたビーフシチューを温める間、私はソファでぐったりしている兄さんを見つめていた。


ワインの輸入する会社をしていた両親が、海外出張の為に空港へ行く途中、交通事故に遭ったのは、私が高校生で兄が大学生の時だった。

小さい会社だったけれど、従業員200名余りの生活を守る為に、大学を辞めてお父さんの跡を継いだ兄さん。

でも現実は厳しくて、21歳になったばかりの兄さんには、ワインの知識を詰め込む事で精一杯。

守ろうとしていた従業員も、次第に会社を離れていき、今や半分になっていた。

その分もしわ寄せを、兄さん自ら埋めるように先頭を切って営業に行って、会社に戻ると書類の整理。

家に帰ってくるのは、いつも夜の21時を超えていた。


「兄さん、できたわよ。」

「う、うん。」

半分ウトウトとしていた兄さんを揺り起こして、二人でテーブルについた。

テーブルについた兄さんは、開口一番に子供のようにはしゃぎ出した。

「おっ、今日はビーフシチューなんだ。」

「小林さん特製よ。」

「何気に小林さん、ビーフシチュー率、高いよな。」

そう言うと兄さんは、早速一口頬張る。

「うん。美味しい。」

兄さんのさっきまでの疲れた表情が、一気に明るくなって、私はほっとする。

「よかった。元気になってくれて。」

兄さんはニコッと笑ってくれたけれど、同じビーフシチューのお皿を持って、テーブルについた私を見て、また厳しい顔に戻った。

「……先に食べてろって言っただろ。」

兄さんは、自分を待っていられるが、嫌みたい。

「いいじゃない。一人でご飯を食べるよりも、兄さんと一緒に食べた方が楽しいし。」

そう言うと、兄さんは“仕方ないな”って顔をしてくれた。

私は調子に乗って、兄さんに話しかける。

「ねえ、兄さん。小林さんが言ってたけれど、雨の日の運転はとても気を使うんでしょう?」

「うん。確かに晴れの日よりも、運転しづらいかもな。」

「いいなぁ。私も車、運転したいな。」


私は小林さんの真似をして、ハンドルを握る仕草をした。

「美雨は、運転する必要なんてないよ。」

「だって、いつまでも兄さんに甘えていられないもの。」

「いいんだよ。」


兄さんの柔らかい口調に、スプーンを持つ手が止まる。

「俺は美雨のたった一人の兄さんなんだから、甘えていいんだよ。」

「兄さん……」


心の中がほぐれていく。


「なっ!」

屈託のない、甘い笑顔を兄さんに見せられると、血の繋がった私でさえ、目を奪われる。

「ん?」

「……ううん。何でもない。」
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