【R18】この夏、君に溺れた

日下奈緒

文字の大きさ
上 下
1 / 16
再会は本屋で

しおりを挟む
今年の夏は、異常な程に熱い。

容赦なく照りつける日差しは、今年買ったばかりのワンピースを通り抜け、日焼けスプレーを塗った腕にまで、ジリジリと焼き付いてくる。

こんな日は、外になんか出たくなんかなくて、一日中家の中でゴロゴロしていたかった。

だけど、そこは受験生。

高校最後の夏は、一生を決める大事な季節なわけで。

大した夢もないくせに、みんなが行くからと言う単純明快な理由から、駅前の大きな塾へと通っていた。


「熱い……」

額を伝う汗を手で拭いながら、終わったばかりの塾からの帰り道を満喫していた。

「それにしても熱い……」

勉強は涼しいうちが、頭に入るからと塾の授業はいつも午前中。

そしてお昼になると、“受験に必要だから”と頭にギュウギュウ知識を詰め込んで、塾を出てくる。



一日のうちで、一番気温が高くなるこの時間に、だ。


「もう無理。」

若いから熱くても平気だなんて、言ってらんない。

若くても熱いものは、熱いのだ。

私は辺りを見渡すと、交差点を渡った場所にある大きな本屋と駆け込んだ。


「涼しい!!」

ガンガンとクーラーがついている店内は、まるで天国のように思え、しばらくの間、入口付近で立ち止まっていた。

すると後ろから歩き越されたおじさんに、ジロッと睨まれようやく当てもなく、店内を彷徨うことにした。


ファッション雑誌に、旅のガイド本。

夏休みの読書感想文用の、文庫本が並ぶ。

楽しい物はすぐに目につく。

面白そうなタイトルが目につき、手にとっては置いてあった場所へと戻した。

そうしてどれくらいの時間を潰したか、私の目に赤本が入ってきた。

ああ、そう言えば私、受験生だったんだっけ。

急に現実に戻されたように、私の足はその場所へと向かった。

立ち止まり、自分が受験する大学の名前を探す。


「あった。」

手を伸ばし、数ページをパラパラと見てみる。

だがすぐに溜息をついて、また元の場所へと置きなおした。

ふと見ると、私と同じ歳くらいの人が数人、参考書等を選ぶ姿を見つけた。

彼らも私も、この1年で人生が決まると言っても、過言ではない。

少子化の煽りを受けて、少し前の時代に比べれば、大学への進学率は大幅に高くなった。

その代わり、大学へ行かなければ、まともな就職先は望めず、その後の人生まで、大きな影響を与えるようになった。


急に肩が重くなる。

この1年が大事だとわかっていても、急に逃げ出したくなるのはどうしてなんだろう。

そして思う。


店内の時計を見た。

13時を過ぎていて、お腹が空いている事に気づいた私は、もう家に帰ろうと、入口に体を向けた。

その時だった。


同じ本棚の奥に、ボザボサ髪の黒縁メガネの男性を発見した。

服装は白いTシャツに、緑色の短パン。

肌は日に焼け、髭も生えていた。

誰が見てもダサイ恰好のその男性に、私は見覚えがあった。

最も私の知っている姿は、爽やかにスーツを着こなす、好青年の方なのだが。


声をかけようか、正直迷った。

その男性と会ったのは、去年のことだし。

高校3年生になってからは、一度も会っていない。

私は目立つ人間ではないから、果たして覚えてくれているかも疑問だ。


それでも、体は動いた。

あの時、声をかければよかった。

そんな後悔だけは、したくなかった。


私はその男性の横に立ち、何も言わずに肩を、トントンと叩いた。


その男性は、私に振り向くと目を大きく見開いて、一瞬クシャっと笑顔を見せた。

「お久しぶりです、先生。」

「久しぶり。変わんないな、藤沢。」

ああ、覚えてくれていた。

それだけで、私の心は安心した。

「今日は?」

「塾の帰りです。」

「塾?おまえが?成績悪かったっけ?」

「受験生なもんで。」

私は先生に、笑って見せた。


「そっか……もう高校3年か。」

先生は去年の事を、懐かしむようにそう言った。




平塚幸太郎先生。

国語の先生が産休に入った2年生の時。

産休代理で、1年間国語を教えてくれた。

身長が高くて、爽やかで、教え方が上手かった先生は、男女問わず生徒から人気があった。

休み時間には、先生に会いに来る生徒が、後を絶たなかった。

2年生が終わりを告げる時も、誰かが産休に入った先生、もう少し休んでてくれないかなと、ぼやいていた。


「それにしても先生、変わりましたね。」

私の一言に、先生は頭をポリポリと掻いた。

「今は仕事してないからな。こんな格好になっちまう。」


えっ?

仕事してない?

私は一瞬、思考を止めた。


「ああ、もちろん貯金はあるから、しばらく食べる事には困らんけど。」

そう言って先生は、ニカッと笑う。

「この日焼けは……」

「これは少し前まで海の家で働いてたんだよ。」


先生が海の家?

益々わからなくなってくる。


「なははは!びっくりするよな。少し前まで国語の先生で、お前らに授業してたって言うのにな。」

そう言って先生は、のほほんと笑っている。

「仕事、探しているの?」

「いや、今はやりたい事があるから探してない。やりたい事が終わったら、また仕事すっかな。」


仕事って、そんな呑気にやったりやらなかったり出来るものなんだろうか。

少なくても私の両親を見ていると、そんな風には思えない。


「じゃあ、またな。気をつけて帰れよ。」

先生はお目当ての本が見つかったらしく、それを片手にレジへと向かおうとした。


まずい!


咄嗟に先生の腕を掴んだ瞬間、私のお腹の虫がぐぅ~と鳴った。

そんな時に、先生と目が合ったものだから、だんだん恥ずかしくなって、顔が赤くなっていくのがわかった。

「なんだ藤沢。腹が減ってるのか。」

「そ、そ、そうみたい……です。」

すると先生は、自分の腕を掴んでいる私の手を離した。

一瞬、先生の温かい手が、私の手を握ってくれたような感覚に陥った。

「待ってろ。これ会計してくるから。」

そう言って先生は、私から離れて行く。


“待ってろ”

先生のその一言に、心臓がトクントクンと鳴り出す。

私、もう少しだけ先生と一緒にいて、いいのだろうか。

そんな期待が、私の中で膨らむ。


しばらくして、お会計を済ませた先生が『すまんすまん。』となぜか謝りながら、近づいてきた。

「近くに飯でも食いに行こう。俺も腹減った。」

私はうんと頷き、先生の後を付いて行った。


お店を出て、また容赦なく日差しが照りつける。

「熱い!!」

先生は買ったばかりの本で、日差しを遮る。

いいなぁと思いながら、私はなんとなく、日差しが当たっている腕を撫でた。

「藤沢。こっちに日影があるぞ。」

「えっ?」

先生は私の腕を引っ張ると、日影へと私を案内してくれた。

「女の子は、日焼けしたくないだろ。」

「……うん。」

本当は日焼けスプレーもしてきたし、かと言って日焼けしたらしたらで、1か月もすればまた元通りになるのに。

でも女の子扱いされて、私は心の中がくすぐったくて、たまらなかった。

「おっ!店発見。」

先生はパスタのお店を見つけると、すぐにお店の中に入っていった。


「残念。1時間待ち。」

お店から出てきた先生は、そう言うと別な場所に行こうと、私を連れ出した。

だけど、お昼時だったのか。

今日はお休みの人が多かったのか。

はたまた、場所が悪かったのか。

行く先々で席は無く、私たちは13時半を過ぎても、食事にありつけなかった。


「最悪。ファーストフードにも、あり付けないのかよ。」

先生は余程お腹が空いているのか、熱さにやられているのか、ぐったりしていた。

「諦めて家に帰るか?」

先生は私に質問を投げかけた。

「う~ん……」

私は考える振りをして、先生を見つめた。


せっかく先生と再会したのに、このまま終わるなんて、物足りない。

「どうしようかな。先生に奢って貰える唯一のチャンスだしな。」

「おまえね。」

先生はケラケラと笑っている。

「あ~あ。家だったら出前取って済ますんだけどな。」

先生はそう呟いて、私をじーっと見た。


ドキドキする。

先生の深い瞳に、吸い込まれそうになる。

「なんですか?」

「おまえさ、」

「はい。」

「俺ん家、来る?」

トクントクンと動いていた心臓が、大きくドキンと鳴った。


「いいの?」

「汚いけどな。」

「一人暮らし?」

「そう。」

「じゃあ、仕方ないよ。逆に男の人の一人暮らしで奇麗な部屋だったら、引いちゃうかも。」

「なんだ、それ。」

適当な会話を交わした私と先生は、しばらくの沈黙の後、歩きだした。


「先生の家、遠い?」

「うんにゃあ、この近く。」

そして私は、先生の後を付いていく。


男の人の、しかも一人暮らしの部屋に行くなんて。

もしかしたら、私、本当はイケない事をしようとしてるんじゃないか。

そう思ったら、ふと足が止まった。


「どうした?」

「私、行ってもいいのかな。本当は一人暮らしの男の人の部屋なんて……」

先生はため息をついた。

「襲わねえよ。飯食うだけだろ?」

そう言うと、先生は私の背中を、軽く押してくれた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

ナースコール

wawabubu
青春
腹膜炎で緊急手術になったおれ。若い看護師さんに剃毛されるが…

処理中です...