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第六章 月齢0ー朔の月ー
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――……我は汝に請い願う!我がもとに熾天使たるカマエルを遣わし、我に従わせ、我が望みをかなえさせたまえ!……――
ユモが振動させたエーテルの波動は、ユモが自分達の周囲に展開したイメージの魔法円に強い輝きを与える。
――……猛き天使カマエルよ!我が求めに答えて現れ出でて、その盾をもって我らに鉄壁の守護を与えたまえ!――
ユモの声なき声に合わせるように、魔法円から三対六枚の翼が伸び、そのうちの二対四枚がふわりと獣魔女の体を包み込む。
その翼の輝きは中心の獣魔女にまといつき、纏わなかった一対もろともに輝く羽根をまき散らしながら服と一体化し、消える。
――次!我は汝に重ねて請い願う!我がもとに遣わせし熾天使たるカマエルの、その刃の切っ先を我に一時貸し与えん事を!猛き天使カマエルよ!幾多の邪を討ち払いしその剣、時をも止めるその威光をもって、我の前に現したまえ!――
印を切ったユモの、銃剣を持つ右手ではなく、何かを求める様に伸ばした左手のその中に、強い輝きを放つ鋭利な何かが出現する。
――偉大なる魔法使いマーリーンに連なる我、ユモは、今ここに精霊を使役し、我の思いを成し遂げんと欲す……――
ユモの声なき声が、地上では失われた言語で別な呪文を唱え始める。その間も、獣魔女の体はユモの唱える呪文と印を切る腕の動きに関係なく、『ウェンディゴ憑き』を討ち倒し、吹雪の指を切り払う。
「一段落したら合図ちょうだい!」
木刀を振る合間に、雪風の声が言う。
「試したい事があるの!」
雪風の意識の中に、肯定を示すユモの意識が流れ込んだ。
それに知性があるのならば、もっと早くにやり方を変える事を思いついただろう。
だが、それに知性、あるいはそれに類するものがあったとしても、少なくともそれは人間に推し量れるような類いのものではない事だけは確かだった。
だからだろうか。それは、何度も何度も同じように吹雪と氷雪でこしらえた触手を伸ばし、何度も何度もそれを切り払われ、押しのけられていた。
洞窟の上部空間に位置する本体ごと攻め寄せたならば、あるいはそれは一瞬でカタがついた程度の抵抗だったのかも知れない。だが。それには、そのような方法をとるという発想自体が存在しなかった。
だから。何度目かに吹雪の指を斬り払われた時。偶然、その触手が二手に分かれ、二つの触手として機能する事に気付き。
それは、幾本もの吹雪の触手を一時に延ばす、という方法を執り始めた。
「うわマジかバカ急にふざけんなこの!」
突然数が増えた触手攻撃を木刀で捌ききれず、獣魔女は雪風の声で早口に罵ると大きく飛び退き、金と黒の髪をなびかせて身を躱す。その獣魔女を追って、何本もの細い竜巻のような吹雪の触手が追いすさる。
――月の魔女リュールカが一の弟子にしてその子たる我、ユモ・タンカ・ツマンスカヤが精霊に命ずる!『熾天使』の剣を用いて我が示す的を貫け!……いいわよ!――
ユモが、呪文を一時停止して雪風に合図する。
「よおっしゃあ!」
飛びすさって後退しつつ吹雪の触手を切り払いながら、待ちかねたように獣魔女の口から声がする。木刀を右手の逆手、中指薬指小指の3本で持ち替えると、獣魔女は担いでいたライフルを持って素早くリロードする。そのまま右手を銃から離した獣魔女は、軍用コートの右腕が持つ銃剣を木刀を逆手に持ったセーラー服の右手で掴み、受け取る。
――何を?――
「見てな!」
雪風が何をしたいのかはわからないが、何であれ体の事については逆らう気のないユモは、疑問を抱いたまま銃剣を素直に渡す。そのユモに自信満々に答えつつ、獣魔女の体をコントロールする雪風は、その銃剣をライフルのアタッチメントに当てて、引く。
「……ほら!」
――あ……――
雪風の狙い通り、かちりと音をたててその年代物の銃剣は黎明期のボルトアクション単発銃の先端部分、銃口の右横にきっちりと収まった。
「思った通りよ!そうじゃないかと思ってたのよ!そしてぇ!」
推測が正解して嬉しそうな雪風の声が、己の愛刀に命じた。
「れえばていん!あたしの命に従い!一時!この銃剣に宿れ!」
先込め式単発銃から薬莢式連発銃へ、黒色火薬から無煙火薬へと急速な進化を遂げた小銃の歴史の上で、過渡期の小銃と銃剣は、先込め時代の刺突武器としても使われるその名残を強く残し、後世のそれに比べて銃身も刀身も長いものが普通であった。
その、まさに過渡期にプロイセン軍に採用されたモーゼルM1871、後に連発式に改造される以前の単発の、Gew71とも呼ばれるオーガストが戦利品として持っていたその銃と、その銃剣、ユモが魔法を使うために父によって全体を磨き上げ研ぎ直して象嵌と銀メッキを施された、連発式に改造されたGew71/84用の短縮化されたものではないオリジナルのSG71が、何の因果か偶然かここに来てピタリと適合し、そしてその銃剣の刀身が今、雪風の命を受けた木刀が宿る事でより長く、そして鈍色に輝いた。
その姿は、銃剣を着剣した小銃でありながら、その長さはむしろ長巻、戦国時代には戦場で猛威を振るい、後の江戸幕府には所持を禁じられた威力全振りの刀剣にさも似たり、であった。
――ニーマント!出番よ!――
ユモの声なき声と共に、その長巻様の小銃を持つ獣魔女のセーラー服の左手に、軍用コートの両手が首から外した輝かない多面体のペンダントを握らせる。
「荒事は、得意ではないのですが……」
左掌から聞こえたぼやきを無視して、ぐるぐるとチェーンを何度か巻き付けて輝かない多面体を掌に固定した獣魔女は、その左手を小銃の先台に戻し、一声、吠える。
「……早田学院中の戦闘妖精、雪風!いざ!推して参る!」
一連の呪文の詠唱とそれに伴う銃剣着剣の最中も絶え間なく襲って来ていた無数の吹雪の触手を体術だけでいなしていた獣魔女は、改めて構え直したライフル――恐ろしく長い、鈍色に光る刀身付き――を振りかざして足場を蹴った。剣道初段に加えて銃剣道二段は伊達ではない。後ろの相手は捨て置き、行く手を阻む吹雪と『ウェンディゴ憑き』だけをその刀身で断ち切り払いのけ、真一文字に獣魔女は突き進む。巨人のような人型洞窟の底、丹田の位置にある平たい丸い石、発光とエーテル擾乱の根源たる、人ならぬものが描いたとおぼしき文字と抽象画の描かれたその要石に向かって。
「見えた!」
――見えた!――
見通しで、その要石が視野に入った瞬間、獣魔女の口から漏れる雪風の声と、ユモの声なき声が重なった。足場を蹴って、獣魔女は落ちるより早くその要石に向かって跳ぶ。
「だりゃあぁ!」
翼型安全装置を解除してからライフルの先台を右手の逆手で持ち直し、一声吠えた獣魔女は、その勢いのままに左手を突き出し、開いた左掌の輝かない多面体をさらして青い光に突入する。
――精霊よ!我が望みを聞き、我に仇なす彼の光をこの掌に集める魔鏡となれ!――
ユモの声なき声が、精霊を使役して青い光を輝かない多面体に集束させる。
「……ウソ!マジか!」
その光の圧力は、足場を蹴って勢いをつけた獣魔女の落下速度をも減殺し、押し返さんばかり。勢いを殺された呪魔女は、歯軋りし、罵る。
「ふざけんなこの!」
――ここまで来て!負けてたまるもんですか!――
力が、欲しい。こんなヘナチョコな光に負けない、推進力が。体をコントロールする雪風のその意図を受け、源始力を司るユモのイメージが瞬時に炸裂する。源始力の奔流が、光の翼となって獣魔女の背中から展開する。その数、三対六枚。
ほんの一瞬押し負けそうになっていた獣魔女は、光の翼の羽ばたきによって勢いを回復し、再び要石に向けて突き進む。
要石に左手が、輝かない多面体が接触するやいなや、獣魔女は右手のライフルを振り上げ、
「れえばていん!力を見せろぉ!」
その鈍色に輝く長大な銃剣の刀身を、力任せに要石に突き立てる。その刀身は要石に、不気味で不快で、石に刻まれた紋様でありながら見ている間に形を変えるような錯覚にも囚われるその禍々しい円錐形の不定形生物を描いたとおぼしき丸石に、その三分の二ほども突き刺さる。
「今だ!ユモ!撃てぇ!」
ともすれば弾き飛ばされそうな反発力に抗して、獣魔女が叫ぶ。セーラー服の左手は石の表面に、右手はライフルの先台にあって、引き金を引ける体勢ではない。
――偉大なる魔術師マーリーンに連なる我、ユモ・タンカ・ツマンスカヤが精霊に再び命ずる!光の弾丸よ!カマエルの威光をもって我が示す的を撃ち抜け!――
ユモの声なき声が、周囲のエーテルを震わせる。
獣魔女の背中から、軍用コートを着たユモの腰から上が抜け出し、ライフルを肩付けした。軍用コートに包まれた両腕がライフルに向かい、その右手が引き金とグリップを握り、左手が光る剣を持ったまま先台を掴む。左手が先台に触れる寸前、光る剣はビー玉ほどの光の球となり、左人差し指の先に宿る。
「神鳴る剛弓!」
叫んで、ユモは引き金を引く。ユモの左手の、伸ばした人差し指からまばゆい輝きが銃口に移り、直後に、銃声と共に弾丸が、弾丸と共に光の矢が放たれる。その光の矢の矢尻は目もくらむほどの輝きを放ち、銃口から丸石までのほんのわずかの距離を飛翔して、石の中に消える。
直後。石は、まるで爆薬を飲んだヒキガエルのような短い悲鳴にも聞こえる不協和音を放ち、爆散した。
「……見えてる!まだ間に合う!」
聞き覚えのある、少女の声がする。
「ニーマント!今度こそ見える?!」
二人分の、少女の声。
何が起きて、自分がどこに居てどうなっているのか皆目見当もつかない状態で、オーガストは薄目を開けた。
「まだ日蝕続いてる!急がないと!」
急速に晴れつつある空を見上げて、雪風が言う。
「ニーマント!返事なさい!」
下を向いて、自分のペンダントに向けてユモも言う。
「……いやはや、酷い目に合いました」
ニーマントが、ぼやく。
「生きてるのね?生きてるならいいわ!で!ちゃんと見えてる?!」
「……はい、見えてきました……おや、いくつかの面はブラックアウトしてしまってますね」
「故障?」
「と言いますか」
咄嗟に機械みたいに雪風に言われて、苦笑しながらニーマントが答える。
「あまりのエナジーに、焼き付いてしまったようです」
「何でも良いわ!それで、あたしかユキの居たところは見えてるの?」
ユモは、眼下の崩壊する地表から目を戻して、聞く。要の丸石を破壊したからだろう、コントロールを失った膨大なエナジーの奔流はその出口を求め、本来は頂点に向けて直径1メートル程開口していたその光の吹き出し口を10メートル程まで砕き、拡張しつつ噴き出した。当然、洞窟の中にあったあらゆるものも巻き添えにして。
――精霊の加護をつけていなかったら、あたし達も木っ端微塵だったでしょうね――
ユモは、心の中で思う。そうなっていたら、うちに帰るどころの騒ぎではなくなる、と。
「……残念ながら」
「見えないの?」
「左様で。いくつか行き先は見えますが、お二人に関係しそうな気配なありません」
ユモと雪風は、顔を見合わせる。目と目が合い、頷き合う。
「……いいわ!直接帰れなくても、ちょっとでも近づければ!」
「とりあえず次の日蝕が一番近そうなとこ!ってわかります?」
「断言は出来ませんが、多分、でよろしければ」
「決まりね!」
「よし!腹くくって行こう!」
「……と、その前に……」
オーガストは、やっと理解した。
足下の、人型洞窟の下の方の様子をうかがっていた時。
突然、爆発的な光の奔流に襲われ、気が付いたらここに、空中にいたのだ、と。
眼下の大地は、その光が吹き出したとおぼしき大穴の周囲が今、直径100メートル程もあろうか、崩落し始めた。
オーガストは、知った。自分の体も、粉々に千切れ飛んでいる事を。
痛みはない。何も感じない。ただ、残念だった。折角ここまで来たのに、仲間と呼べる者達を裏切り、切り捨ててまでここにたどり着いたのに。
これで、どうやら終わってしまうようだ。
声が、聞こえた。
聞き覚えのある、少女の声。
――あんたを助ける義理はないけど、伝言係が必要だから――
薄目を開けたオーガストには、その姿が見えた。
翼の生えた魔法円に立つ、二人の、抱き合う少女の姿が。
小さい方の少女が、金色の髪をなびかせ、何事か唱えた。
それが何か、オーガストにはすぐにわかった。
千切れ飛んだはずの体が、少しずつ、集まってきたからだ。
――スティーブとチャックに伝えて。50年したら、また必ず会いに来るって――
少女の、優しい声が聞こえる。
――あと15年くらいで、もう一度、大きな戦争が来ます。必ず、生き延びて下さい――
もう一人の少女の、これは懇願か。
――じゃあ、頼んだわよ――
――お達者で――
それきり、少女の声は聞こえなくなった。
ユモが振動させたエーテルの波動は、ユモが自分達の周囲に展開したイメージの魔法円に強い輝きを与える。
――……猛き天使カマエルよ!我が求めに答えて現れ出でて、その盾をもって我らに鉄壁の守護を与えたまえ!――
ユモの声なき声に合わせるように、魔法円から三対六枚の翼が伸び、そのうちの二対四枚がふわりと獣魔女の体を包み込む。
その翼の輝きは中心の獣魔女にまといつき、纏わなかった一対もろともに輝く羽根をまき散らしながら服と一体化し、消える。
――次!我は汝に重ねて請い願う!我がもとに遣わせし熾天使たるカマエルの、その刃の切っ先を我に一時貸し与えん事を!猛き天使カマエルよ!幾多の邪を討ち払いしその剣、時をも止めるその威光をもって、我の前に現したまえ!――
印を切ったユモの、銃剣を持つ右手ではなく、何かを求める様に伸ばした左手のその中に、強い輝きを放つ鋭利な何かが出現する。
――偉大なる魔法使いマーリーンに連なる我、ユモは、今ここに精霊を使役し、我の思いを成し遂げんと欲す……――
ユモの声なき声が、地上では失われた言語で別な呪文を唱え始める。その間も、獣魔女の体はユモの唱える呪文と印を切る腕の動きに関係なく、『ウェンディゴ憑き』を討ち倒し、吹雪の指を切り払う。
「一段落したら合図ちょうだい!」
木刀を振る合間に、雪風の声が言う。
「試したい事があるの!」
雪風の意識の中に、肯定を示すユモの意識が流れ込んだ。
それに知性があるのならば、もっと早くにやり方を変える事を思いついただろう。
だが、それに知性、あるいはそれに類するものがあったとしても、少なくともそれは人間に推し量れるような類いのものではない事だけは確かだった。
だからだろうか。それは、何度も何度も同じように吹雪と氷雪でこしらえた触手を伸ばし、何度も何度もそれを切り払われ、押しのけられていた。
洞窟の上部空間に位置する本体ごと攻め寄せたならば、あるいはそれは一瞬でカタがついた程度の抵抗だったのかも知れない。だが。それには、そのような方法をとるという発想自体が存在しなかった。
だから。何度目かに吹雪の指を斬り払われた時。偶然、その触手が二手に分かれ、二つの触手として機能する事に気付き。
それは、幾本もの吹雪の触手を一時に延ばす、という方法を執り始めた。
「うわマジかバカ急にふざけんなこの!」
突然数が増えた触手攻撃を木刀で捌ききれず、獣魔女は雪風の声で早口に罵ると大きく飛び退き、金と黒の髪をなびかせて身を躱す。その獣魔女を追って、何本もの細い竜巻のような吹雪の触手が追いすさる。
――月の魔女リュールカが一の弟子にしてその子たる我、ユモ・タンカ・ツマンスカヤが精霊に命ずる!『熾天使』の剣を用いて我が示す的を貫け!……いいわよ!――
ユモが、呪文を一時停止して雪風に合図する。
「よおっしゃあ!」
飛びすさって後退しつつ吹雪の触手を切り払いながら、待ちかねたように獣魔女の口から声がする。木刀を右手の逆手、中指薬指小指の3本で持ち替えると、獣魔女は担いでいたライフルを持って素早くリロードする。そのまま右手を銃から離した獣魔女は、軍用コートの右腕が持つ銃剣を木刀を逆手に持ったセーラー服の右手で掴み、受け取る。
――何を?――
「見てな!」
雪風が何をしたいのかはわからないが、何であれ体の事については逆らう気のないユモは、疑問を抱いたまま銃剣を素直に渡す。そのユモに自信満々に答えつつ、獣魔女の体をコントロールする雪風は、その銃剣をライフルのアタッチメントに当てて、引く。
「……ほら!」
――あ……――
雪風の狙い通り、かちりと音をたててその年代物の銃剣は黎明期のボルトアクション単発銃の先端部分、銃口の右横にきっちりと収まった。
「思った通りよ!そうじゃないかと思ってたのよ!そしてぇ!」
推測が正解して嬉しそうな雪風の声が、己の愛刀に命じた。
「れえばていん!あたしの命に従い!一時!この銃剣に宿れ!」
先込め式単発銃から薬莢式連発銃へ、黒色火薬から無煙火薬へと急速な進化を遂げた小銃の歴史の上で、過渡期の小銃と銃剣は、先込め時代の刺突武器としても使われるその名残を強く残し、後世のそれに比べて銃身も刀身も長いものが普通であった。
その、まさに過渡期にプロイセン軍に採用されたモーゼルM1871、後に連発式に改造される以前の単発の、Gew71とも呼ばれるオーガストが戦利品として持っていたその銃と、その銃剣、ユモが魔法を使うために父によって全体を磨き上げ研ぎ直して象嵌と銀メッキを施された、連発式に改造されたGew71/84用の短縮化されたものではないオリジナルのSG71が、何の因果か偶然かここに来てピタリと適合し、そしてその銃剣の刀身が今、雪風の命を受けた木刀が宿る事でより長く、そして鈍色に輝いた。
その姿は、銃剣を着剣した小銃でありながら、その長さはむしろ長巻、戦国時代には戦場で猛威を振るい、後の江戸幕府には所持を禁じられた威力全振りの刀剣にさも似たり、であった。
――ニーマント!出番よ!――
ユモの声なき声と共に、その長巻様の小銃を持つ獣魔女のセーラー服の左手に、軍用コートの両手が首から外した輝かない多面体のペンダントを握らせる。
「荒事は、得意ではないのですが……」
左掌から聞こえたぼやきを無視して、ぐるぐるとチェーンを何度か巻き付けて輝かない多面体を掌に固定した獣魔女は、その左手を小銃の先台に戻し、一声、吠える。
「……早田学院中の戦闘妖精、雪風!いざ!推して参る!」
一連の呪文の詠唱とそれに伴う銃剣着剣の最中も絶え間なく襲って来ていた無数の吹雪の触手を体術だけでいなしていた獣魔女は、改めて構え直したライフル――恐ろしく長い、鈍色に光る刀身付き――を振りかざして足場を蹴った。剣道初段に加えて銃剣道二段は伊達ではない。後ろの相手は捨て置き、行く手を阻む吹雪と『ウェンディゴ憑き』だけをその刀身で断ち切り払いのけ、真一文字に獣魔女は突き進む。巨人のような人型洞窟の底、丹田の位置にある平たい丸い石、発光とエーテル擾乱の根源たる、人ならぬものが描いたとおぼしき文字と抽象画の描かれたその要石に向かって。
「見えた!」
――見えた!――
見通しで、その要石が視野に入った瞬間、獣魔女の口から漏れる雪風の声と、ユモの声なき声が重なった。足場を蹴って、獣魔女は落ちるより早くその要石に向かって跳ぶ。
「だりゃあぁ!」
翼型安全装置を解除してからライフルの先台を右手の逆手で持ち直し、一声吠えた獣魔女は、その勢いのままに左手を突き出し、開いた左掌の輝かない多面体をさらして青い光に突入する。
――精霊よ!我が望みを聞き、我に仇なす彼の光をこの掌に集める魔鏡となれ!――
ユモの声なき声が、精霊を使役して青い光を輝かない多面体に集束させる。
「……ウソ!マジか!」
その光の圧力は、足場を蹴って勢いをつけた獣魔女の落下速度をも減殺し、押し返さんばかり。勢いを殺された呪魔女は、歯軋りし、罵る。
「ふざけんなこの!」
――ここまで来て!負けてたまるもんですか!――
力が、欲しい。こんなヘナチョコな光に負けない、推進力が。体をコントロールする雪風のその意図を受け、源始力を司るユモのイメージが瞬時に炸裂する。源始力の奔流が、光の翼となって獣魔女の背中から展開する。その数、三対六枚。
ほんの一瞬押し負けそうになっていた獣魔女は、光の翼の羽ばたきによって勢いを回復し、再び要石に向けて突き進む。
要石に左手が、輝かない多面体が接触するやいなや、獣魔女は右手のライフルを振り上げ、
「れえばていん!力を見せろぉ!」
その鈍色に輝く長大な銃剣の刀身を、力任せに要石に突き立てる。その刀身は要石に、不気味で不快で、石に刻まれた紋様でありながら見ている間に形を変えるような錯覚にも囚われるその禍々しい円錐形の不定形生物を描いたとおぼしき丸石に、その三分の二ほども突き刺さる。
「今だ!ユモ!撃てぇ!」
ともすれば弾き飛ばされそうな反発力に抗して、獣魔女が叫ぶ。セーラー服の左手は石の表面に、右手はライフルの先台にあって、引き金を引ける体勢ではない。
――偉大なる魔術師マーリーンに連なる我、ユモ・タンカ・ツマンスカヤが精霊に再び命ずる!光の弾丸よ!カマエルの威光をもって我が示す的を撃ち抜け!――
ユモの声なき声が、周囲のエーテルを震わせる。
獣魔女の背中から、軍用コートを着たユモの腰から上が抜け出し、ライフルを肩付けした。軍用コートに包まれた両腕がライフルに向かい、その右手が引き金とグリップを握り、左手が光る剣を持ったまま先台を掴む。左手が先台に触れる寸前、光る剣はビー玉ほどの光の球となり、左人差し指の先に宿る。
「神鳴る剛弓!」
叫んで、ユモは引き金を引く。ユモの左手の、伸ばした人差し指からまばゆい輝きが銃口に移り、直後に、銃声と共に弾丸が、弾丸と共に光の矢が放たれる。その光の矢の矢尻は目もくらむほどの輝きを放ち、銃口から丸石までのほんのわずかの距離を飛翔して、石の中に消える。
直後。石は、まるで爆薬を飲んだヒキガエルのような短い悲鳴にも聞こえる不協和音を放ち、爆散した。
「……見えてる!まだ間に合う!」
聞き覚えのある、少女の声がする。
「ニーマント!今度こそ見える?!」
二人分の、少女の声。
何が起きて、自分がどこに居てどうなっているのか皆目見当もつかない状態で、オーガストは薄目を開けた。
「まだ日蝕続いてる!急がないと!」
急速に晴れつつある空を見上げて、雪風が言う。
「ニーマント!返事なさい!」
下を向いて、自分のペンダントに向けてユモも言う。
「……いやはや、酷い目に合いました」
ニーマントが、ぼやく。
「生きてるのね?生きてるならいいわ!で!ちゃんと見えてる?!」
「……はい、見えてきました……おや、いくつかの面はブラックアウトしてしまってますね」
「故障?」
「と言いますか」
咄嗟に機械みたいに雪風に言われて、苦笑しながらニーマントが答える。
「あまりのエナジーに、焼き付いてしまったようです」
「何でも良いわ!それで、あたしかユキの居たところは見えてるの?」
ユモは、眼下の崩壊する地表から目を戻して、聞く。要の丸石を破壊したからだろう、コントロールを失った膨大なエナジーの奔流はその出口を求め、本来は頂点に向けて直径1メートル程開口していたその光の吹き出し口を10メートル程まで砕き、拡張しつつ噴き出した。当然、洞窟の中にあったあらゆるものも巻き添えにして。
――精霊の加護をつけていなかったら、あたし達も木っ端微塵だったでしょうね――
ユモは、心の中で思う。そうなっていたら、うちに帰るどころの騒ぎではなくなる、と。
「……残念ながら」
「見えないの?」
「左様で。いくつか行き先は見えますが、お二人に関係しそうな気配なありません」
ユモと雪風は、顔を見合わせる。目と目が合い、頷き合う。
「……いいわ!直接帰れなくても、ちょっとでも近づければ!」
「とりあえず次の日蝕が一番近そうなとこ!ってわかります?」
「断言は出来ませんが、多分、でよろしければ」
「決まりね!」
「よし!腹くくって行こう!」
「……と、その前に……」
オーガストは、やっと理解した。
足下の、人型洞窟の下の方の様子をうかがっていた時。
突然、爆発的な光の奔流に襲われ、気が付いたらここに、空中にいたのだ、と。
眼下の大地は、その光が吹き出したとおぼしき大穴の周囲が今、直径100メートル程もあろうか、崩落し始めた。
オーガストは、知った。自分の体も、粉々に千切れ飛んでいる事を。
痛みはない。何も感じない。ただ、残念だった。折角ここまで来たのに、仲間と呼べる者達を裏切り、切り捨ててまでここにたどり着いたのに。
これで、どうやら終わってしまうようだ。
声が、聞こえた。
聞き覚えのある、少女の声。
――あんたを助ける義理はないけど、伝言係が必要だから――
薄目を開けたオーガストには、その姿が見えた。
翼の生えた魔法円に立つ、二人の、抱き合う少女の姿が。
小さい方の少女が、金色の髪をなびかせ、何事か唱えた。
それが何か、オーガストにはすぐにわかった。
千切れ飛んだはずの体が、少しずつ、集まってきたからだ。
――スティーブとチャックに伝えて。50年したら、また必ず会いに来るって――
少女の、優しい声が聞こえる。
――あと15年くらいで、もう一度、大きな戦争が来ます。必ず、生き延びて下さい――
もう一人の少女の、これは懇願か。
――じゃあ、頼んだわよ――
――お達者で――
それきり、少女の声は聞こえなくなった。
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