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第三章 月齢26.5
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「オーガストさん、起きて……あ、もう起きてらしたんですか」
風が吹き込まないように入り口を少しだけ開けてテントの中にすべり込んだユキは、寝ていると思ったオーガストが起きていたことを発見して、ひそめていた声をさらに小さくした。
夜半前、不寝番の交代。本来はスティーブ、チャック、オーガストの三人でやっていたことだが、スティーブが負傷した為不寝番に立たせるわけには行かず、オーガストとチャックだけで回すか、と相談していたところでユモとユキが手伝わせて欲しいと懇願。すったもんだの挙げ句、本来三人で割る不寝番の一人分をユモとユキ二人で半分ずつ担当、その時間帯は一番早い順番とすることで決着を見ていた。
この時期のウィスコンシン州北部の日の入りは早く、日の出は遅い。午後四時過ぎには日は落ち、午前八時近くにならないと夜が明けない。実に十五時間ほども夜が続く事になるが、流石にその全てに不寝番を立ててもいられないので、だいたい夜は九時ないし十時過ぎに就寝、起床は六時頃、という生活になり、不寝番は大体三人で一人頭三時間見当になる。その最初の三時間のうち最初の1時間半をユモが、次の1時間半をユキが受け持ち、その後オーガストとチャックが三時間ずつ、というシフトになるわけで、そのシフトを終えたユキはテントに戻り、オーガストを起こそうと思ったところ、既にオーガストは身支度をほぼ整え終わったところだった。
「おや、降ってきましたか?」
ユキの防寒外套に着いた雪を見て、オーガストは尋ねる。氷点下二桁に近づこうという外気温から、天幕一枚とは言え外気から隔てられ焚き火も焚かれたテント内まで外套に着いてきた雪は、じわりと溶け始める。
「はい、風はあんまりないし、雪も大したことないですが、厳しくなるようでしたら……」
「ええ、無理はしません。ここまで来て風邪でもひいたらつまりませんからね」
ネッカチーフを念入りに結びながら、おきになりかけた焚き火の明かりでも明らかに分かる笑顔でオーガストは答える。
「では」
「あ、はい。ああ、そうだ。あたしの番のあいだには、あの音も光りも見えませんでした」
ユキは、自分の番の出来事――実際には無かった事――を、オーガストに申し伝える。
「了解しました。今日は無しかも知れませんね」
ユキから防寒外套と申し送りを受け取り、笑顔で返事を返してオーガストはテントの外に出る。
新たに薄く積もりはじめた雪を踏みしめる足音は、すぐに聞こえなくなった。
翌朝。まだ明け切らぬ暗い空の下、ユモとユキは慌ただしくテントの入り口をまくるチャックの声と、同時に吹き込む冷気に叩き起こされる。
「大変だ、大尉が居ない」
「……んえ……?」
寝起きのユキは、要領を得ない。ユモに至っては、毛布を引き上げて冷気を遮断し寝直そうとしている。
「馬もない。いつ出たのか……」
チャックの声には、力が無い。オーガストが居なくなった、恐らくは誰にも告げずに雪と夜陰に紛れて一人で出発したのだろうが、それにまったく気付かなかった自分を責めているのか。
「……とりあえず閉めて下さい。寒い」
まだ半分寝ぼけているような声で、ユキが抗議する。
「あ、ああ、済まん」
「……なーにーぃ?」
半分どころかほとんど寝ているユモの声も、毛布の下から聞こえてくる。
「……大尉が、居なくなったって?」
痛みをこらえつつ起き上がったスティーブが、チャックに聞き返す。
「スティーブ、大丈夫か?」
「ああ、おかげで目が覚めた……と?これは?」
毛布に手をついて体を支えたスティーブは、その手の傍におかれた鞄に気付く。
「大尉の医療鞄じゃないか?」
「親愛なる同志、スティーブ・オースチン君、ウチャック君、それから、不思議なお嬢さん達、ジュモー嬢とユキ嬢へ。このような形でお別れを告げるのは大変心苦しいが、私は一刻も早い調査及び討伐部隊の編成と出動を具申すべく、申し訳ないがこれで失礼することにした。ついては、スティーブ君の当面の処置に必要な薬品と器具を鞄ごと置いておく。また、私が帰投するにあたって不要な、予備の食料その他の物資も置いて行かせてもらいたい。そのまま置いて行っても良いし、君たちが消費しても勿論構わない、好きに処分していただきたい。調査費用は先払いして郡に預けてあるが、個人的に謝礼を用意したので受け取って欲しい。最後に、お嬢さん方には、私のわがままで大変迷惑をかけることになる。いくら謝っても足りないが、私は個人としての私より、軍人としての責務を優先せざるを得ない立場にある事を理解していただきたい。同志諸君と過ごした数日は実に楽しかった事をここに告白すると共に、諸君のこれからに幸多からんことを切に願う」
医療鞄に、結構な量の紙幣と一緒に封筒に入っていた手紙を読み終え、顔の横でひらひらさせながら、スティーブは一同に聞いた。
「何か質問は?」
「貸して!」
言うが早いか、ひったくるようにスティーブの手から手紙をもぎ取ったユモは、目を皿のようにしてその文章を、万年筆で綺麗なブロック体で書かれたその手紙を読み返しはじめる。
「……なんか、納得いかない」
ユキは、誰にともなく呟く。
「一応、筋は通っている」
眉根を寄せて、チャックが言う。
「馬が居ない事に気付かなかったのか?」
そのチャックに、スティーブが聞いた。
「風よけが飛ばされていないことは確認したんだが……馬を起こしたくなかったからな、中は見なかった」
オーガストが発ったと思われる時間の不寝番だったチャックは、渋い顔をする。
「まあ、俺でもそうしたろうからな、君を責めるつもりはないよ」
馬は、本来は寒い地方の生物だから、この程度なら野外飼育でも死ぬことはない。とはいえ、あまり寒いのは馬の体力に影響するので、馬用の簡易テントを張って風よけ雪よけにしていた。万が一、熊や狼が悪さをしに来れば馬が騒ぐし、簡易テントも無傷ではないだろうから、馬が騒がずテントも異常なしなら問題無し、と判断するのも致し方ないことではある。
「それに、確かに筋は通っている、彼の行動にしちゃ不自然だがな。今ここで数時間稼いだとしても、到着が丸一日早まるとは到底思えない。だがまあ、こうやって置き手紙に、薬やボーナスまで置いて行ってくれたんなら、ちょっとくらい不自然でも俺たちに彼を追っかける理由は無い。そうじゃないか?チャック」
「そうだが、腑に落ちん」
「腑に落ちないのは俺も同じさ。だが、追いかけて問いただすほどの理由でもない。第一、俺はそもそも追いかけられない」
そう言って、スティーブは肩をすくめる。チャックは、フンと鼻でため息をつく。
――確かに腑に落ちないわ。あのおじさんのやる事にしては、礼に反してるもの――
ユモは、しかし、納得しようとしている男達と違って、オーガストの行動に納得がどうしてもいかない。
「……ニーマント、あんたは眠ることはないんでしょ?何か見てなかった?」
周りには聞こえないよう、口の中だけでユモはニーマントに、多面体に聞く。聞いて、ユモは少し待つが、返事が返ってこない。おかしいわね?どっかから光が差してるのかしら?ユモはそう思い、軽くローブの胸元を引いてその下のペンダントを覗き込む。
息を呑む音を、声にならない悲鳴を隣から聞いて、ユキは咄嗟にその声の主を見る。見て、びっくりしてユモの肩に手を置く。
「ちょっと!どうしたのジュモー!」
ユキは、人が真っ青になるというのを、初めて見ていた。ユモの顔から、血の気が失せていた。
「無いの……ニーマントが……これしか、無いの」
真っ青な顔をユキに向けたユモは、胸元からペンダントを取り出す。
そのペンダントは、透明な水晶玉、ユモの言う『源始力を貯め込んだ』水晶球ただ一つしか、なかった。
風が吹き込まないように入り口を少しだけ開けてテントの中にすべり込んだユキは、寝ていると思ったオーガストが起きていたことを発見して、ひそめていた声をさらに小さくした。
夜半前、不寝番の交代。本来はスティーブ、チャック、オーガストの三人でやっていたことだが、スティーブが負傷した為不寝番に立たせるわけには行かず、オーガストとチャックだけで回すか、と相談していたところでユモとユキが手伝わせて欲しいと懇願。すったもんだの挙げ句、本来三人で割る不寝番の一人分をユモとユキ二人で半分ずつ担当、その時間帯は一番早い順番とすることで決着を見ていた。
この時期のウィスコンシン州北部の日の入りは早く、日の出は遅い。午後四時過ぎには日は落ち、午前八時近くにならないと夜が明けない。実に十五時間ほども夜が続く事になるが、流石にその全てに不寝番を立ててもいられないので、だいたい夜は九時ないし十時過ぎに就寝、起床は六時頃、という生活になり、不寝番は大体三人で一人頭三時間見当になる。その最初の三時間のうち最初の1時間半をユモが、次の1時間半をユキが受け持ち、その後オーガストとチャックが三時間ずつ、というシフトになるわけで、そのシフトを終えたユキはテントに戻り、オーガストを起こそうと思ったところ、既にオーガストは身支度をほぼ整え終わったところだった。
「おや、降ってきましたか?」
ユキの防寒外套に着いた雪を見て、オーガストは尋ねる。氷点下二桁に近づこうという外気温から、天幕一枚とは言え外気から隔てられ焚き火も焚かれたテント内まで外套に着いてきた雪は、じわりと溶け始める。
「はい、風はあんまりないし、雪も大したことないですが、厳しくなるようでしたら……」
「ええ、無理はしません。ここまで来て風邪でもひいたらつまりませんからね」
ネッカチーフを念入りに結びながら、おきになりかけた焚き火の明かりでも明らかに分かる笑顔でオーガストは答える。
「では」
「あ、はい。ああ、そうだ。あたしの番のあいだには、あの音も光りも見えませんでした」
ユキは、自分の番の出来事――実際には無かった事――を、オーガストに申し伝える。
「了解しました。今日は無しかも知れませんね」
ユキから防寒外套と申し送りを受け取り、笑顔で返事を返してオーガストはテントの外に出る。
新たに薄く積もりはじめた雪を踏みしめる足音は、すぐに聞こえなくなった。
翌朝。まだ明け切らぬ暗い空の下、ユモとユキは慌ただしくテントの入り口をまくるチャックの声と、同時に吹き込む冷気に叩き起こされる。
「大変だ、大尉が居ない」
「……んえ……?」
寝起きのユキは、要領を得ない。ユモに至っては、毛布を引き上げて冷気を遮断し寝直そうとしている。
「馬もない。いつ出たのか……」
チャックの声には、力が無い。オーガストが居なくなった、恐らくは誰にも告げずに雪と夜陰に紛れて一人で出発したのだろうが、それにまったく気付かなかった自分を責めているのか。
「……とりあえず閉めて下さい。寒い」
まだ半分寝ぼけているような声で、ユキが抗議する。
「あ、ああ、済まん」
「……なーにーぃ?」
半分どころかほとんど寝ているユモの声も、毛布の下から聞こえてくる。
「……大尉が、居なくなったって?」
痛みをこらえつつ起き上がったスティーブが、チャックに聞き返す。
「スティーブ、大丈夫か?」
「ああ、おかげで目が覚めた……と?これは?」
毛布に手をついて体を支えたスティーブは、その手の傍におかれた鞄に気付く。
「大尉の医療鞄じゃないか?」
「親愛なる同志、スティーブ・オースチン君、ウチャック君、それから、不思議なお嬢さん達、ジュモー嬢とユキ嬢へ。このような形でお別れを告げるのは大変心苦しいが、私は一刻も早い調査及び討伐部隊の編成と出動を具申すべく、申し訳ないがこれで失礼することにした。ついては、スティーブ君の当面の処置に必要な薬品と器具を鞄ごと置いておく。また、私が帰投するにあたって不要な、予備の食料その他の物資も置いて行かせてもらいたい。そのまま置いて行っても良いし、君たちが消費しても勿論構わない、好きに処分していただきたい。調査費用は先払いして郡に預けてあるが、個人的に謝礼を用意したので受け取って欲しい。最後に、お嬢さん方には、私のわがままで大変迷惑をかけることになる。いくら謝っても足りないが、私は個人としての私より、軍人としての責務を優先せざるを得ない立場にある事を理解していただきたい。同志諸君と過ごした数日は実に楽しかった事をここに告白すると共に、諸君のこれからに幸多からんことを切に願う」
医療鞄に、結構な量の紙幣と一緒に封筒に入っていた手紙を読み終え、顔の横でひらひらさせながら、スティーブは一同に聞いた。
「何か質問は?」
「貸して!」
言うが早いか、ひったくるようにスティーブの手から手紙をもぎ取ったユモは、目を皿のようにしてその文章を、万年筆で綺麗なブロック体で書かれたその手紙を読み返しはじめる。
「……なんか、納得いかない」
ユキは、誰にともなく呟く。
「一応、筋は通っている」
眉根を寄せて、チャックが言う。
「馬が居ない事に気付かなかったのか?」
そのチャックに、スティーブが聞いた。
「風よけが飛ばされていないことは確認したんだが……馬を起こしたくなかったからな、中は見なかった」
オーガストが発ったと思われる時間の不寝番だったチャックは、渋い顔をする。
「まあ、俺でもそうしたろうからな、君を責めるつもりはないよ」
馬は、本来は寒い地方の生物だから、この程度なら野外飼育でも死ぬことはない。とはいえ、あまり寒いのは馬の体力に影響するので、馬用の簡易テントを張って風よけ雪よけにしていた。万が一、熊や狼が悪さをしに来れば馬が騒ぐし、簡易テントも無傷ではないだろうから、馬が騒がずテントも異常なしなら問題無し、と判断するのも致し方ないことではある。
「それに、確かに筋は通っている、彼の行動にしちゃ不自然だがな。今ここで数時間稼いだとしても、到着が丸一日早まるとは到底思えない。だがまあ、こうやって置き手紙に、薬やボーナスまで置いて行ってくれたんなら、ちょっとくらい不自然でも俺たちに彼を追っかける理由は無い。そうじゃないか?チャック」
「そうだが、腑に落ちん」
「腑に落ちないのは俺も同じさ。だが、追いかけて問いただすほどの理由でもない。第一、俺はそもそも追いかけられない」
そう言って、スティーブは肩をすくめる。チャックは、フンと鼻でため息をつく。
――確かに腑に落ちないわ。あのおじさんのやる事にしては、礼に反してるもの――
ユモは、しかし、納得しようとしている男達と違って、オーガストの行動に納得がどうしてもいかない。
「……ニーマント、あんたは眠ることはないんでしょ?何か見てなかった?」
周りには聞こえないよう、口の中だけでユモはニーマントに、多面体に聞く。聞いて、ユモは少し待つが、返事が返ってこない。おかしいわね?どっかから光が差してるのかしら?ユモはそう思い、軽くローブの胸元を引いてその下のペンダントを覗き込む。
息を呑む音を、声にならない悲鳴を隣から聞いて、ユキは咄嗟にその声の主を見る。見て、びっくりしてユモの肩に手を置く。
「ちょっと!どうしたのジュモー!」
ユキは、人が真っ青になるというのを、初めて見ていた。ユモの顔から、血の気が失せていた。
「無いの……ニーマントが……これしか、無いの」
真っ青な顔をユキに向けたユモは、胸元からペンダントを取り出す。
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