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第一章 月齢24.5

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 二人が倒れていた場所まで、大人の足で、歩いておおよそ小一時間、馬ならざっとその半分。どっちにしても、雪に馬の足跡が残ってるはずだから迷うことはないだろう。チャックにそう言われ、おおよその方向も教わってるユキは、ザクザクと雪を踏んで歩く。
――革靴よりはマシだけど。馬、使うべきだったかなぁ……――
 早大学院中はやだいがくいんちゅうは、登下校は制服革靴が原則である。だが、朝練等のある運動部の生徒は、通常の室内履き、運動履きの他に場合によっては二~三種類の部活用シューズを使い分けている事も珍しくない。為に、運動部の生徒に限っては、生徒の運搬と保管の負担を減らす意味で、黒である事を条件に通学時にスニーカー等を履いていても大目に見てもらえる暗黙の了解が出来ていた。
 とはいえ、浅いところではくるぶしまでも無いとは言え、場所によっては膝くらいまで吹き溜まってる所もある雪原を歩くには、基本布地のスニーカーはやはり向いていない。
 テントの傍には、馬が二頭残されていた。話によれば、スティーブとチャックは長年連れ添っている馬を一頭ずつ、オーガストは乗用と荷物用にレンタルした馬を合わせて三頭、合計で五頭の馬を今回の調査に投入しているという。男達はそれぞれの馬で出かけているから、テントに残されたのはオーガストの荷役用の馬だが、オーガストは馬が疲れたときの乗り換え用でもあって、荷役用と言っても乗用と何かが違うわけではなく、単に三頭のうちオーガストが乗らない二頭がそう呼ばれているに過ぎない。
 牧畜が盛んな農村出身のユモは勿論、都会育ちのユキも、多趣味な父の影響で乗馬の経験はあった。なので、自分たちが倒れていたその場所まで馬で行く選択肢は勿論あったのだが、その案は即座に却下される。
 理由は簡単で、オーガストが置いていった馬には鞍を含む馬具が用意されていない事。さらには、裸馬に跨がるのは勿論の事、例え鞍があったとしても、ユモもユキもスカート履きであり、素肌の内股でそんな事をした日には、どう考えても内股が股ずれを起こして酷い目を見る、と言うのが明白だったからだった。

「ねえ、聞こうと思ってたんだけど」
 ユキの後ろから、若干息が上がり気味のユモが声をかける。
「あんた、朝から妙に落ち着いてるけど、この状況、理解出来てるの?」
「……ずいぶんな言い方じゃない?」
 言って、足を停め、ユキは二歩ほど後ろのユモが並ぶのを待つ。
「理解はしているつもりよ。なんだか知らないけど、あり得ない程馬鹿馬鹿しいことが起こってる、ってね」
「じゃあ、どう理解してるか、聞かせてくれる?」
 ユキの横に立ち、大きく白い息を吐いているユモが聞く。
「そうね……あたし達は、それぞれが、お互いが居た時間と場所からまったく別の時と場所に居る。あのおじさん達の言うのを信じるなら、ここはアメリカ合衆国ウィスコンシン州ベイフィールド郡、スペリオール湖畔、日時は1925年1月19日。時間は……」
 ユキは、中学の入学祝いに父からもらった腕時計、女の子としてはゴツイ、太陽電池式かつ電波時計式のカシオのクロノグラフを見る。現代日本での日常生活には大変便利な電波ソーラー腕時計だが、ソーラーはともかく電波が来ないこの状況では、リューズを持たない為ズレを調整できず、仕方なくユキはスティーブの懐中時計との時差を、咄嗟の判断で未来の技術に当たるその腕時計を彼らに見せるのはまずいと思ってバレないように後でチラ見してだいたいの時差を確認したその数値を暗記していた。
「……午前九時半、ってとこかしら」
「……自分の言ってる意味、分かってる?」
 多少息が落ち着いたのか、腕組みしたユモが上目遣いにユキに言った。
「分かってるわよ。これが事実なら、あたしは、あたしが生まれる百年くらい前に吹っ飛んできてるんだって事くらいは」
「……百年?」
 ユモが、軽く首を傾げる。
「そういやジュモー、あんたは西暦何年から来て、そもそも何歳なのよ?」
「あたし?あたしは、61年の2月15日だけど、それよりあんた、百年って言った?あんた、何歳?」
「あたしは十四歳よ、元居たのは、二千……」
「二千年代?二十一世紀?ってこと?」
 ユキの答えを喰って、ユモが喰いつく。
「そ、そうだけど?」
 その食いつきに引き気味のユキに、にまあっ、とユモは相好を崩す。
「……それじゃあ、あんた、あたしよりはるかに年下だって事じゃない」
「え?どういう事よ?あんた何歳よ?」
「あたしは十二歳だけど、あんたより四、五十年早く生まれてる、そんだけあたしの方が年上って事でしょ!」
 何だそのむちゃくちゃな理屈は。ユキは呆れ、そして気が付く。
――これ、従兄弟のちっちゃい子がたまにやるヤツだ――
 自分自身は一人っ子だが、従兄弟の中では最年長、母の妹が子だくさんで年下の従兄弟には事欠かない上に母のママ友の子供もたいがい年下、という環境で育っているユキは、このタイプの屁理屈をこねる頭でっかちな『お子ちゃま』に心当たりがあった。
「……まあ、あんたがそう言うならそういう事にしときましょ」
 腰に手を当ててふんぞり返って勝ち誇るユモに、ユキは反論せず受け入れる。
「あたしより年上だってんなら、弱音吐かないでサクサク歩いてよね、お姉ちゃん・・・・・
 こちらも腰に片手を当て、軽く小首を傾げつつ片方の口角を上げてそう言って、ユキは踵を返して歩き出す。
「何よ、ちょっと、待ちなさいよ!」
 あわてて、肩透かしを食らったユモはその後を追う。
「……にしてもアレよね」
「何よ?」
「いや、これ、現代ファンタジーのジャンルでいいのかなって」
「?」
「そりゃまあ、異世界じゃないし、歴史ってほど過去でも史実でもないけどさ」
「何の話?」
「いや、こっちの話。忘れて」
「これだけ場所と時代が違っちゃえば、異世界と同じよ。そうじゃなくて?」
「……だわね……」

「うわ……」
 ある程度そこに近づいた時、ユモは思わず口と鼻を押さえる。
 血の穢れ。人として暮らしていれば避けられないものではあるが、魔法使いとしてはなるべく避けたい、死の穢れと並ぶ筆頭の一つ。
 ユモの視線の先には、ひとかたまりの黒い毛皮。よく見ればそれは仰向けになっており、寝ているにしては不自然な姿勢でもある。そして、そのすぐ横の雪は、潰され、どす黒い赤にしまっている。
「……ねえ、ジュモー。もし、もしもよ?これが、あたしか、あんたか、他の誰でもいい、誰かの夢で、あたし達はその夢の中の何かでしかないとしたら」
「え」
 唐突に、前を向いたまま荒唐無稽なことを言い出したユキの顔を、ユモは隣から見上げる。
「あたしや、あんたが、あたし達自身である事って、誰が証明してくれるのかしらね?」
「……どういう事?」
 真っ直ぐに熊の死体を見つめながら言うユキの目は、顔は、無表情だ。その顔に、ユモは何故か分からないが不安を、怖さを感じる。
――何かを、知ってるんだ。ユキは、この子は、あたしの知らない何かを知ってる、経験している。だから……――
 ユモは、気付く。ユキが、一般人ならうろたえてしまうだろうこの状況で、不自然なくらい落ち着いて対応出来ている理由に。
――……だから、似たような状況を経験しているから、落ち着いているんだ。魔法使い、魔女見習いであるあたしでさえ不安な、この状況で――
 それが何か、ユキが経験しているのがどのようなものかは、ユモには分からない。だが、自分にない強さ、したたかさを確かにこの東洋人の娘は持っている、それだけは、ユモは認めざるを得なかった。
「……なんでもない。この状況が夢で、次の1歩で目が覚めて温かい布団の中に居たらいいな、って思っただけ」
 やばい、変なこと言っちゃった、怖がらせちゃったかな?ユキは思い、咄嗟に笑顔を作ってユモを見る。
「さ、現場検証と行きましょ」

「チャック、お嬢さん達の言ったこと、どう思う?」
 テントから充分に離れた頃、スティーブは、並んで馬の背に揺られるチャックに聞く。
「……嘘を言っている感じはない。だが、にわかに信じられるような話でもない」
 にこりともせず、チャックが返す。
「そうだよなぁ。日本から来たってのも眉唾だけど、少なくともこのあたりに『メーリング』なんて村は無い。あったとしても、あんな綺麗な英語を話す子がその村に居るとは思えない」
 言って、スティーブは肩をすくめる。
「……ただ、俺は、あの子達はイタクァに獲られたのでも、ウェンディゴ憑きでも、あって欲しくないと思っている」
「ああ、それは同感だね」
 ぼそっとつぶやいたチャックの言葉を、スティーブは即座に肯定する。
「荒唐無稽ではありますが、もし事実だったら、大変興味深くはあります」
 二人のすぐ後ろをついていくオーガストが、話に加わる。
「もし、瞬時に人間を別な場所に送り込む事が可能なのだとしたら、それが技術的に可能ならば、軍事的な利用価値は計り知れません」
「そりゃあ、そうかもしれませんがね、大尉」
 振り向いて、スティーブは言う。
「仮に本当のことだとしても、何も分かってないんですぜ?それとも、まさか、お嬢さん方を尋問でもされるおつもりで?」
 そんな事するんなら、黙っちゃいませんぜ。スティーブの言葉には、言外にそう思える強さがあった。
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