上 下
7 / 58
第一章 月齢24.5

104

しおりを挟む
 ユモとユキがテントから出る、直前。
「あんた、一体……」
 ユキは、投げ渡されたオーバーコートを胸に抱えながら、低い声で聞いた。
「あたしは、ジュモー・タンカ。メーリング村の雑貨屋の一人娘。それだけ。いい?」
 テントの出口に向いていたユモは、くるりと振り向いて、言う。体を追って、長い金の髪もくるりと回り、入り口の隙間からこぼれる光を受け、輝く。
「野暮は言いっこなしよ、いいわね?」
 そう言って、ユモは小首を傾げ、笑う。満面の笑みで。
 魅了。魔女にとって、魔女見習いであるユモにとって、もっとも源始力マナのコストのかからないまじない。
――何が言いっこなしよ怪しさ大爆発よバレバレよあんた何者よふざけんじゃないわよ……――
 ユキは、しかし、そのユモの笑顔を受けて、思う事が多すぎて内心、疑問が大渋滞を起こす。そして。
――……まあいいか、あたしだって――
「……わかった」
 言って、ユキはユモに右手を差し出す。
 ユモは、その手を笑顔で握った。
 自分の魅了のまじないが効かなかったことには気付かずに。

「そうか……さっぱり分からないな」
 ユモの告白を受けて、スティーブは肩をすくめ、
「で?」
 ユキに、話を振る。
「あたしは……あたしも、何が何だかよくわかんないんですけど。空から急にジュモーが降ってきて、びっくりして、受け止めたら、そしたら気が付いたらテントの中で寝てて……」
「あたしが、降ってきた?」
 聞き捨てならない。そんな感じで、ユモが話しを割る。
「そうよ。急にふっと、空中に湧いて出てきて。そのまま落っこちたら大怪我すると思って受け止めたら、なんかこう……よくわかんないんだけど」
 真剣な顔でユキを見つめるユモに視線を向け、出現する直前と護岸擁壁に吸い込まれる時の魔法陣の事とか、雪原に出現して全力で着地したこととかはさておいて、ユキは言っても問題なさそうなことだけをピックアップして言葉にする。
 無意識だったらしくてほとんど覚えてないけど、どうやら自分が熊をアレしてコレしたらしいことも、隠蔽して。
「なるほど……さっぱり分からん、が」
 スティーブは、息を吐きつつそう言うと、
「君たちが最初から一緒だったわけではない、というのは分かった。二人とも、軍服みたいな妙な服を着ているから、てっきり、どこかの軍隊の関係者なのかもしれないとかも考えていたんだが」
「え?このセーラー服が、ですか?」
 ユキは、思わずオーバーコートの胸元から自分の制服を覗き込む。
「……あたしのコートは、パパファティのお下がりよ。あたし用に寸法詰めたけど、パパファティは軍人だったから、そう見えてもおかしくはないわね」
「そうか、お嬢ちゃんの」
「お嬢ちゃんは止めて下さる?えっと、ジュモー、でいいわ」
「これは失礼、ジュモー君のお父さんは軍人だったのか。どこの軍隊だろう?」
「詳しくは知らないわ、パパファティママムティが結婚する前の話だから」
「……プロイセンのものに似ている気はします。まあ、当時、どこも似たようなものでしたが」
 それまで会話に積極的に加わらず、しかし話を聞いていないわけではなさそうだったオーガストが、突然言った。
「そうですか?ああ、モーリー大尉も前の戦争に従軍されてましたっけ」
「ええ、君もでしょう?」
「そうですが、僕は一兵卒で、志願したのも遅くて前線には一度しか出てませんから……正直、敵も味方も泥まみれで良く覚えてないです」
「そうですか……私は、野戦病院その他で敵兵も多く診ましたからね」
 前の戦争。ユキは、世界史の知識を思い出そうとする。ええと、今は、今日は1925年って言ってたっけ。それ自体まだ信じられないけど、それが本当だとして、第二次大戦は1941年からだから、えっと、その前は、第一次大戦?西暦何年からだっけ?
「まあ、どこの軍隊でも関係ありません、今は戦争中ではないですからね。それより、あなたのその服も少々気になります」
 オーガストは、そう言ってユキに視線を向ける。
「え?あ、あたし、ですかあ?これ、学校の制服です、ただの制服、ですけど」
「なるほど、制服のあるような、立派な学校に通っているのですね?」
「いえいえ、そんな」
 確かに、自分の通っている学校は私立だし、両親に経済的に負担をかけている自覚はあるが。その両親も元を正せば同じ学校の卒業生だし、制服のある学校は、日本では珍しくない、どころか、小学校ならともかく中高では制服はない方が珍しい。そう思って、ユキはあわてて、
「普通です普通、みんな普通に制服です」
「なるほど……日本は、よほど教練・・が進んでいるのですね」
「いや……教練て」
 何か違う。ユキは、オーガストの目が、ほんのわずかだが、何か怪しげな光を帯びているのに気付いた。

「それにしても、信じがたい話だね」
 あらかた鍋の中身がなくなり、スティーブはコーヒーのお替わりをパーコレーターから注ぎつつ、言う。
「どこか別の場所から、ここに飛ばされて?来たと。科学的には、あり得ない話だね」
「けど……」
 嘘は、ついていない。言った事を疑われているのかと思い、ユキは抗議しようと身を乗り出し気味に口を開く。
「いや、うん、分かってる。君たちは嘘はついてはいないと、僕も思っているんだ。しかし……」
「イタクァなら、あり得るかもしれない」
 取りなそうとしたスティーブの言葉にかぶせて、チャックが言う。
「……あの、さっきから出てくる、そのイタクァ?って、何ですか?」
「……土着の、神のような存在のことです」
 コーヒーのマグカップを置いてパイプを取り出したオーガストが、ユキの質問に答えた。
「このあたりは、有史以前から土着の民族が居たようです。現在このあたりに居るネイティブと直接関連があるかは分かってませんが、伝承自体はかなり以前から言い伝えられているらしいので、関連性は高いものと思ってます」
 急に饒舌に話し出したオーガストに軽く引きながら、ユモとユキは話を聞く。
「その伝承の中に、イタクァという自然神、そう表現するしかない何者かが登場します。伝承によってその描写にブレがありますが、大まかには、巨人の姿をした雲の塊、と思って下さい。そのイタクァは、これも伝承によれば、ごくまれに、遭遇した人間を自分の住み処すみかに連れて行く、複数の伝承でそう伝えられています」
 オーガストは、パイプに火を点ける。
「そして、イタクァに連れ去られた人間は、運が良ければ、帰ってきます。ただし、同じ場所、同じ時に帰れるわけではありませんし、生きて帰れるとも限らない。いや、生きて帰れるのは珍しい、と言うべきでしょう」
 パイプを吸い、オーガストは紫煙を吐き出す。
「ただし、生還した者は、超人的な力を得ている、そう伝承にはあります。超人的過ぎて、地上の生活にもはや適応出来ず、高山に隠れたり、イタクァの住み処に戻ったりする、とも。そんなのは迷信、ネイティブの世迷い言、そう思われてもいました」
 黙ってオーガストの語りを聞いていた、スティーブの後ろのチャックの顔に、一瞬、かすかだが、苦々しげな表情が浮かんだことを、ユモとユキは見逃さなかった。
「これとは別に、少し前、この地域で、ある犯罪者が逮捕されたのですが、これがどうにもおかしかったのです。簡単に言えば、喰らうために人を襲ったのですが、逮捕時の様子から、これはこの地域でいう『ウェンディゴ症候群』と呼ばれる病状だと診断されました。そして、時間が経つにつれ、ウェンディゴ症候群と診断される犯罪者、あるいは浮浪者、そういった不逞の輩がこの地域で急増している事が判明しました。事ここに至り、カウンティからの報告を知った陸軍アーミーは調査のために私を含む数名を派遣、私はこの地域に詳しいオースチン君に案内を依頼し、調査目的地に到着直前にあなた方が現れた、こういう訳です」
 一気に話し、話し終えたオーガストは深くパイプを吸い、満足げに鼻から煙を吹き出す。そして、付け足す。
「補足するなら、ウェンディゴはイタクァの別名でもあります。そして、ウェンディゴ症候群の患者の何割かに、伝承における、イタクァに連れ去られた者と似通った症状が診られています。曰く、低温環境でなければ生存できない、逆に低温や低圧環境でも問題無く生きられる、元の性格から変貌し、非常に凶暴化する、などです」
「そんな……あたし達は」
 ユキは、怖ろしいことを平然と、むしろ講釈を垂れるように自慢たらしく言うオーガストに軽く引きつつ、自分とユモは凶暴化も、寒いのに強くもなっていないと主張しようとする。
「そう、その意味で、あなた方はイタクァに連れ去られた者の要件を満たしていない、そう言って良いと思います」
 オーガストは、鷹揚に頷いて、ユキの言わんとする事を先取りして答える。
「全ての犠牲者がそうだったわけではない。そうなった者の大半が生き残り、そうならなかった者は大半が死んだ、そういう事かも知れん」
 チャックが、オーガストの話しに続けて、言った。オーガストは、それにも頷き、
「その通りです。イタクァに連れ去られた場合、圧倒的に帰って来れない伝承の方が多い。帰ってきても、多くは高い所から放り出されて墜落死している。それに」
 オーガストは、パイプの灰を焚き火に落としてから、ユモとユキに目を向ける。
「運良くまっとうなままで生還しても、いつの間にか居なくなってしまっているという伝承もある。時間差で症状が出てきたものと、私は推測しています。まあ、あくまで伝承、口伝なので、伝承全体についても、信憑性には疑問はありますが」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】うっかりな私のせいで大好きな人が媚薬で苦しんでるので、身体を張って助けようと思います!

夕月
恋愛
魔女見習いのミリアムは、騎士のイヴァンのことが昔から大好き。きっと彼にとってミリアムは、手のかかる妹分でしかないけど。 ある日、師匠に言われて森の中へ薬草を採りに行ったミリアムは、護衛でついてきてくれたイヴァンに怪我を負わせてしまう。毒にやられた彼を助けるため、急いで解毒剤を調合したものの、うっかりミスで、それが媚薬化してしまって…!? それなら、私が身体を張ってイヴァンの熱を鎮めるわ!と俄然やる気を出すミリアムと、必死に抵抗するイヴァンとの、ひとつ屋根の下で起きるあれこれ。 Twitterで開催されていた、月見酒の集い 主催の『ひとつ屋根の下企画』参加作品です。 ※作中出てくるエリーとその彼氏は、『魔女の悪戯に巻き込まれた2人〜』の2人を想定してます。魔法のおかげで痛くなかった2人なので、決してエリーの彼氏が…、な訳ではないのです(笑)

ヤケになってドレスを脱いだら、なんだかえらい事になりました

杜野秋人
恋愛
「そなたとの婚約、今この場をもって破棄してくれる!」 王族専用の壇上から、立太子間近と言われる第一王子が、声高にそう叫んだ。それを、第一王子の婚約者アレクシアは黙って聞いていた。 第一王子は次々と、アレクシアの不行跡や不品行をあげつらい、容姿をけなし、彼女を責める。傍らに呼び寄せたアレクシアの異母妹が訴えるままに、鵜呑みにして信じ込んだのだろう。 確かに婚約してからの5年間、第一王子とは一度も会わなかったし手紙や贈り物のやり取りもしなかった。だがそれは「させてもらえなかった」が正しい。全ては母が死んだ後に乗り込んできた後妻と、その娘である異母妹の仕組んだことで、父がそれを許可したからこそそんな事がまかり通ったのだということに、第一王子は気付かないらしい。 唯一の味方だと信じていた第一王子までも、アレクシアの味方ではなくなった。 もう味方はいない。 誰への義理もない。 ならば、もうどうにでもなればいい。 アレクシアはスッと背筋を伸ばした。 そうして彼女が次に取った行動に、第一王子は驚愕することになる⸺! ◆虐げられてるドアマットヒロインって、見たら分かるじゃんね?って作品が最近多いので便乗してみました(笑)。 ◆虐待を窺わせる描写が少しだけあるのでR15で。 ◆ざまぁは二段階。いわゆるおまいう系のざまぁを含みます。 ◆全8話、最終話だけ少し長めです。 恋愛は後半で、メインディッシュはざまぁでどうぞ。 ◆片手間で書いたんで、主要人物以外の固有名詞はありません。どこの国とも設定してないんで悪しからず。 ◆この作品はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆過去作のヒロインと本作主人公の名前が丸被りしてたので、名前を変更しています。(2024/09/03) ◆9/2、HOTランキング11→7位!ありがとうございます! 9/3、HOTランキング5位→3位!ありがとうございます!

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

屋台飯! いらない子認定されたので、旅に出たいと思います。

彩世幻夜
ファンタジー
母が死にました。 父が連れてきた継母と異母弟に家を追い出されました。 わー、凄いテンプレ展開ですね! ふふふ、私はこの時を待っていた! いざ行かん、正義の旅へ! え? 魔王? 知りませんよ、私は勇者でも聖女でも賢者でもありませんから。 でも……美味しいは正義、ですよね? 2021/02/19 第一部完結 2021/02/21 第二部連載開始 2021/05/05 第二部完結

彼を愛したふたりの女

豆狸
恋愛
「エドアルド殿下が愛していらっしゃるのはドローレ様でしょう?」 「……彼女は死んだ」

死に戻りの魔女は溺愛幼女に生まれ変わります

みおな
恋愛
「灰色の魔女め!」 私を睨みつける婚約者に、心が絶望感で塗りつぶされていきます。  聖女である妹が自分には相応しい?なら、どうして婚約解消を申し込んでくださらなかったのですか?  私だってわかっています。妹の方が優れている。妹の方が愛らしい。  だから、そうおっしゃってくだされば、婚約者の座などいつでもおりましたのに。  こんな公衆の面前で婚約破棄をされた娘など、父もきっと切り捨てるでしょう。  私は誰にも愛されていないのだから。 なら、せめて、最後くらい自分のために舞台を飾りましょう。  灰色の魔女の死という、極上の舞台をー

【R18】霧の森の異端深愛

日蔭 スミレ
恋愛
ヴァレンウルム王国最北端。侯爵家の領地ミステルには二人の異端者が存在する。それこそが『人狼王子』と『霧の魔女』 ──他人に顔を晒してはならない、名を教えてはならない。 それが異端者”霧の魔女”として育てられたネーベルに定められた掟だった。 しかし、彼女は不慮の事故で人前で顔を晒してしまう。 偶然にも素顔を見た者……その相手こそがもう一人の異端『人狼王子』だった。 掟破りから始まった、人狼王子ラルフ・フェルゲンハウアーの一方的な逢瀬と執着。 「心底迷惑!」なんて思っていたネーベルだが……。 ※氷雪のフリージア(https://www.alphapolis.co.jp/novel/679366932/719367880) を合わせてお読み頂けたら(順不同)、より楽しめる内容となっております。

処理中です...