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第一章 月齢24.5
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ユモは、目が覚めてからしばらく、まだはっきりしない頭のままで、真っ直ぐ上を見つめていた。
――体が、だるい――
ユモは、目に映るものに気を払わずに、体に感じる違和感にだけ、意識を払っていた。
――源始力が、ほとんど、残ってない……?なんで?――
ユモは、まず右手を、次に左手を目の前に延ばし、その指を開いたり閉じたりしてみる。堅く、ずっと握りしめていたのだろう、最初のうちは指は動く事を拒否したが、じきに、言うことを聞くようになる。そして、開いた手のひらから、小さな水晶玉が二つ、黒い多面体が一つ、転げ落ちる。
――うん。動く。大丈夫、体は動く。でも……どうして、源始力がこんなに減っちゃってるの?……――
ぐーぱーぐーぱーを繰り返しつつ、そう思ったユモは、その時になって、自分の手の先に見えるものに意識を向けた。
――この天井、見たことない。ううん、これ、天井じゃない、何とか言う、新大陸の方の先住民の使うテント、そう、ティピ、ティピだ。……って、え?どういう事?――
ユモは、軽く身を起こして、あたりを見まわす。薄暗い、色々な物の置かれたテントの中は、意外に広い。その一番奥、入り口から一番遠い所に自分が寝かされていることに、ユモは気付く。
そして、自分のとなりに、まったく見たこともない、恐らくは東洋人だろう知らない少女が並んで寝かされているを発見した。
「……何これ?一体、何がどうなってるの?」
思わず小さくつぶやき、あわてて水晶玉と多面体のそれぞれの細い銀のチェーンを首にかけながら、はっきりしてきた頭と視力で、ユモはもう一度テントの中を見まわす。
テントの直径は5メートル程もあるだろうか。何が入っているのかは知らないが、いくつかのズタ袋――ユモにはそうとしか見えない――が壁、というかテントの布側に置いてあり、自分とこの東洋人の他に三つ、誰かが寝ていたのだろう敷物と掛け毛布と毛皮がある。床の中心には、石で作った簡単な火床と、その上でそろそろ燃え尽きようとする、すっかりおきと化した焚き火。そして、獣臭さと男臭さと、鉄臭さと、そういったものがまぜこぜになった匂い。我慢出来ない事はないが、ハーブとポプリと紙の匂いに囲まれて育ったユモには、これはある意味異世界。
テントの外で、話し声がする。声をひそめているのか、距離があるのか、その声は小さくて内容は聞き取れないが、確かに、複数の大人の男の声、に聞こえる。
ユモは、新鮮な空気と、情報と、話し声の主の正体を求め、水晶玉と多面体を服の胸元にしまい込みながら、まだ寝ている東洋人の上を踏まないように用心しつつ跨ぎ越えて、テントの入り口に近づき、扉代わりの垂れ幕を少しだけめくる。
「……あっ……」
その隙間から見えた光景に、眩しさに、薄暗がりに目が慣れていたユモは思わず声を漏らす。ユモが見たのは、一面の雪原。それ程深い雪ではないが、辺り一面を真っ白に塗りつぶし、朝日なのだろう低い日差しを照り返して白銀に輝く雪景色。
その中に、高低取り混ぜてまばらに生える樹木を背景に、焚き火を囲んで厚着をした大人が三人。思わず上げてしまってユモの声に気付き、その三人は一斉にこちらを見る。
――しまった――
ユモは、心の中で臍を噛む。もう少し、気付かれずに観察したかったが、もうこれはどうしようもない。ユモは、ため息を一つ付いて、意を決する。
「……あの……」
「やあお嬢さん、目が覚めましたか?」
向かって左手前の、カウボーイハットを被った大柄の白人男性が振り向き、言う。
「良い朝だ。ちょうど豆も煮えたところだし、どうだろう?お互い聞きたいことはいっぱいあると思うから、とりあえず朝食を摂りながら話さないか?」
男は――三十才くらいだろう、ブロンドで、灰色の目。話し言葉は英語、若干ブロークンなアメリカ英語――焚き火にかけた鍋を左手で示しながら、言う。その動きで、男の影に隠れていた、ユモから見て左手奥の男が、鍋をかき回していた男が見える。痩身で、赤銅色の肌。その男も、ユモを見て、無言で頷く。ユモは、三人目の男、焚き火の右側に座る、マグカップを傾けている男を見やる。その男は、ユモを見ていた目をカップの中に戻し、飲み物を啜る。
「……分かりました」
先生から習っていた英国英語で、ユモは答える。
「良かった。言葉は通じるね。じゃあ、冷えるから中にあるコートを羽織って来たまえ。ああ、それから」
テントの中に引っ込みかけたユモに、ブロンドの男は慌てて付け足す。
「良かったら、もう一人のお嬢さんも起こしてもらえるかな?」
ユモは、テントの入り口の垂れ幕を戻し、奥で眠る東洋人の娘を見る。顔が、ピリピリする。ブロンドの男が言うように、外は相当に寒い。たったこれだけの焚き火でも、あると無いとでは大違いだという事が良く分かった。その上で、自分たちが入り口から一番離れたところ、一番隙間風が来ないところに寝かされていたことも瞬時に理解し、ある一つの結論を得た。
つまり、自分たちは、彼らから厚遇されて居たらしい、ということを。
その意味をどう解釈した物か思案しつつ――どうして自分が彼らに厚遇される状況になったかがわからない、そもそも、ユモの村の周りはここまで寒くないし、景色もまるで違う。第一、英語を話す村人は一人も居ない――、ユモは、眠っている東洋人を揺すり起こそうとして、ふと、戸惑う。
そもそも、何故、東洋人?何故、あたしと一緒に寝かされていたの?何が何だか、本当にわからない。
「ん……」
そうして、ほんの一瞬だが、ユモが逡巡していると。
その東洋人の娘が、小さく吐息を吐き、薄く目を開けた。
目を開けて、逡巡から隙を突かれて驚愕に表情が変化しつつあるユモと目が合い、その目がカッと見開かれる。
次の瞬間。文字通りの目にも留まらぬ早さでユモの視界は遮られる。それが、視界を遮っていたのが東洋人娘にかけられていた毛布と毛皮だという事に、ユモはそれが床に落ちてから気付く。気付いてみれば、その東洋人の娘は、奇妙な姿勢――左膝をつき右膝を立てた中腰で、両手は左の腰に添え、見るからに全身のバネに力を貯め込んでいる――でテントの布の際、ユモから寝床を挟んで対角線の位置でこちらを見つめている。
ユモは、わずかに不思議なデジャブを感じつつ、ああ、この娘はこの状況を警戒している、つまり、恐らくこの娘もあたし同様、状況が理解出来てないんだと推測する。で、あれば。
「驚かせたらごめんなさい……えっと、怖がらなくて大丈夫よ」
微笑みつつ、寝床に手をついて、ほんの少しだけ体を近付けてみる。近付けつつ、その東洋人娘をよく観察してみる。
髪は黒、目も黒。着ているのは……奇妙な、真っ黒い水兵服っぽい服。体格は、あたしより一回りちょっと大きそう、歳は……東洋人の年齢はよくわからない。でも多分、あたしとたいして違わないだろう。それにしても、あのポーズに何の意味があるんだろう……
「……ここは……あなたは……」
観察しつつ、努めて好意的な視線を保っていたつもりのユモに向けて、その娘は何かしらつぶやいた。だが、残念ながら、先生からいくつかの主要言語を片言程度には、欧州に限ればどこでも日常会話に不自由がない程度には教わっているユモをもってしても、その言葉の意味を、瞬時に聴き取れない。
聞いた覚えはあるんだけど……一発で理解出来なかった事に悔しさを感じつつ、ユモは体を起こし、するりとコートの前をはだけ、弾薬盒の中の聖水の小瓶に触れる。
ブラインドタッチでその小瓶の蓋を取って中身をほんのひとしずくだけ指につけ、つけたその聖水を今度は自分の唇に塗る。何を始めたのか気になるのだろう、警戒しつつユモの動きを見ている娘の前で、ユモは呪文を唱える。
「父と子と精霊の御名において。大魔術師マーリーンに連なるこのユモは請う。願わくば、神の行いし言の葉の乱れ、そをこの唇をもって正し、この唇の触れたる者同士、言葉を通じせさしめんことを」
母国語でそこまで呪文を詠唱し、続けてラテン語に切り替えて、呪文に源始力を乗せるための定型句をユモは口にする。
「アテー マルクト ヴェ・ゲブラー ヴェ・ゲドラー……」
定型句を口にしながら、ユモは気付く。警戒していた東洋人娘の、その警戒が、緊張が、急に緩んだことに。
――隙あり!――
何きっかけで緊張が緩んだのか、それはユモにもわからない。だが、術者と対象との接触を必要とするこの術において、それは千載一遇のチャンスであった。
「……レ・オラーム アーメン!」
「んっ!」
呪文の定型句を締めくくると同時に、ユモは聖水で湿らせた唇を、だしぬけに東洋人娘の唇に重ねる。
普段のユモなら、聖水の、触媒の助けなど借りなくても全く問題無いし、なんとなれば、対象との接触さえ必要としない。だが、何故か知らないけれど、体内の源始力がほとんど消え失せてしまっている今は、残りわずかな源始力を節約するためにも、むしろ積極的に触媒を使って源始力の消費を抑えた方が良い。
そう判断しての、自分の体も媒体にする事で無駄な源始力の消費をほとんど伴わない非常に効率的な呪い、だったのだが。
「ちょ!何すんのよ!」
右手1本の割にはすごい力で、その東洋人娘はユモを突き飛ばすように引き剥がした。
「やだ!え?ちょっと、あんた今なに、なにし、え?ちょ、マジ?」
なんだか、思いのほかその東洋人娘は取り乱している。だけど。
「……よし!」
呪いは、効いてる。何言ってるかよく分からないけど、言ってることはよく分かる。
「ちょ!あんた!」
「あんた、誰?」
「え?」
取り乱しつつもユモに何か聞こうとした東洋人少女を制して、ユモは若干語気鋭めに、聞く。その語気に当てられたのか、東洋人少女は一瞬たじろぎ、取り乱すのが一瞬、停まる。
「あたしはユ……ジュモー。あんた、名前は?」
ユモは、咄嗟に、自分の名前をそのままではなく、英語読み風に言い換える。外に居るのが英語ネイティブの人達らしいから、多分、この方が良い。正しい名前を名乗るのは、もしかしたらまだ危険、かもしれないし。
「ユキカ……ユキ。ユキ、よ」
ユキは、目の前の金髪の少女がいきなりキスしてきた衝撃を取り合えずうっちゃることに成功し、聞かれたことに答える、本当の名前を名乗らずに。
本当の名前は、見ず知らずの他人には言っちゃダメ。ましてや……小さい頃から、難度も身内にそう言い聞かされていたのを、ユキはギリギリで思い出していた。
――体が、だるい――
ユモは、目に映るものに気を払わずに、体に感じる違和感にだけ、意識を払っていた。
――源始力が、ほとんど、残ってない……?なんで?――
ユモは、まず右手を、次に左手を目の前に延ばし、その指を開いたり閉じたりしてみる。堅く、ずっと握りしめていたのだろう、最初のうちは指は動く事を拒否したが、じきに、言うことを聞くようになる。そして、開いた手のひらから、小さな水晶玉が二つ、黒い多面体が一つ、転げ落ちる。
――うん。動く。大丈夫、体は動く。でも……どうして、源始力がこんなに減っちゃってるの?……――
ぐーぱーぐーぱーを繰り返しつつ、そう思ったユモは、その時になって、自分の手の先に見えるものに意識を向けた。
――この天井、見たことない。ううん、これ、天井じゃない、何とか言う、新大陸の方の先住民の使うテント、そう、ティピ、ティピだ。……って、え?どういう事?――
ユモは、軽く身を起こして、あたりを見まわす。薄暗い、色々な物の置かれたテントの中は、意外に広い。その一番奥、入り口から一番遠い所に自分が寝かされていることに、ユモは気付く。
そして、自分のとなりに、まったく見たこともない、恐らくは東洋人だろう知らない少女が並んで寝かされているを発見した。
「……何これ?一体、何がどうなってるの?」
思わず小さくつぶやき、あわてて水晶玉と多面体のそれぞれの細い銀のチェーンを首にかけながら、はっきりしてきた頭と視力で、ユモはもう一度テントの中を見まわす。
テントの直径は5メートル程もあるだろうか。何が入っているのかは知らないが、いくつかのズタ袋――ユモにはそうとしか見えない――が壁、というかテントの布側に置いてあり、自分とこの東洋人の他に三つ、誰かが寝ていたのだろう敷物と掛け毛布と毛皮がある。床の中心には、石で作った簡単な火床と、その上でそろそろ燃え尽きようとする、すっかりおきと化した焚き火。そして、獣臭さと男臭さと、鉄臭さと、そういったものがまぜこぜになった匂い。我慢出来ない事はないが、ハーブとポプリと紙の匂いに囲まれて育ったユモには、これはある意味異世界。
テントの外で、話し声がする。声をひそめているのか、距離があるのか、その声は小さくて内容は聞き取れないが、確かに、複数の大人の男の声、に聞こえる。
ユモは、新鮮な空気と、情報と、話し声の主の正体を求め、水晶玉と多面体を服の胸元にしまい込みながら、まだ寝ている東洋人の上を踏まないように用心しつつ跨ぎ越えて、テントの入り口に近づき、扉代わりの垂れ幕を少しだけめくる。
「……あっ……」
その隙間から見えた光景に、眩しさに、薄暗がりに目が慣れていたユモは思わず声を漏らす。ユモが見たのは、一面の雪原。それ程深い雪ではないが、辺り一面を真っ白に塗りつぶし、朝日なのだろう低い日差しを照り返して白銀に輝く雪景色。
その中に、高低取り混ぜてまばらに生える樹木を背景に、焚き火を囲んで厚着をした大人が三人。思わず上げてしまってユモの声に気付き、その三人は一斉にこちらを見る。
――しまった――
ユモは、心の中で臍を噛む。もう少し、気付かれずに観察したかったが、もうこれはどうしようもない。ユモは、ため息を一つ付いて、意を決する。
「……あの……」
「やあお嬢さん、目が覚めましたか?」
向かって左手前の、カウボーイハットを被った大柄の白人男性が振り向き、言う。
「良い朝だ。ちょうど豆も煮えたところだし、どうだろう?お互い聞きたいことはいっぱいあると思うから、とりあえず朝食を摂りながら話さないか?」
男は――三十才くらいだろう、ブロンドで、灰色の目。話し言葉は英語、若干ブロークンなアメリカ英語――焚き火にかけた鍋を左手で示しながら、言う。その動きで、男の影に隠れていた、ユモから見て左手奥の男が、鍋をかき回していた男が見える。痩身で、赤銅色の肌。その男も、ユモを見て、無言で頷く。ユモは、三人目の男、焚き火の右側に座る、マグカップを傾けている男を見やる。その男は、ユモを見ていた目をカップの中に戻し、飲み物を啜る。
「……分かりました」
先生から習っていた英国英語で、ユモは答える。
「良かった。言葉は通じるね。じゃあ、冷えるから中にあるコートを羽織って来たまえ。ああ、それから」
テントの中に引っ込みかけたユモに、ブロンドの男は慌てて付け足す。
「良かったら、もう一人のお嬢さんも起こしてもらえるかな?」
ユモは、テントの入り口の垂れ幕を戻し、奥で眠る東洋人の娘を見る。顔が、ピリピリする。ブロンドの男が言うように、外は相当に寒い。たったこれだけの焚き火でも、あると無いとでは大違いだという事が良く分かった。その上で、自分たちが入り口から一番離れたところ、一番隙間風が来ないところに寝かされていたことも瞬時に理解し、ある一つの結論を得た。
つまり、自分たちは、彼らから厚遇されて居たらしい、ということを。
その意味をどう解釈した物か思案しつつ――どうして自分が彼らに厚遇される状況になったかがわからない、そもそも、ユモの村の周りはここまで寒くないし、景色もまるで違う。第一、英語を話す村人は一人も居ない――、ユモは、眠っている東洋人を揺すり起こそうとして、ふと、戸惑う。
そもそも、何故、東洋人?何故、あたしと一緒に寝かされていたの?何が何だか、本当にわからない。
「ん……」
そうして、ほんの一瞬だが、ユモが逡巡していると。
その東洋人の娘が、小さく吐息を吐き、薄く目を開けた。
目を開けて、逡巡から隙を突かれて驚愕に表情が変化しつつあるユモと目が合い、その目がカッと見開かれる。
次の瞬間。文字通りの目にも留まらぬ早さでユモの視界は遮られる。それが、視界を遮っていたのが東洋人娘にかけられていた毛布と毛皮だという事に、ユモはそれが床に落ちてから気付く。気付いてみれば、その東洋人の娘は、奇妙な姿勢――左膝をつき右膝を立てた中腰で、両手は左の腰に添え、見るからに全身のバネに力を貯め込んでいる――でテントの布の際、ユモから寝床を挟んで対角線の位置でこちらを見つめている。
ユモは、わずかに不思議なデジャブを感じつつ、ああ、この娘はこの状況を警戒している、つまり、恐らくこの娘もあたし同様、状況が理解出来てないんだと推測する。で、あれば。
「驚かせたらごめんなさい……えっと、怖がらなくて大丈夫よ」
微笑みつつ、寝床に手をついて、ほんの少しだけ体を近付けてみる。近付けつつ、その東洋人娘をよく観察してみる。
髪は黒、目も黒。着ているのは……奇妙な、真っ黒い水兵服っぽい服。体格は、あたしより一回りちょっと大きそう、歳は……東洋人の年齢はよくわからない。でも多分、あたしとたいして違わないだろう。それにしても、あのポーズに何の意味があるんだろう……
「……ここは……あなたは……」
観察しつつ、努めて好意的な視線を保っていたつもりのユモに向けて、その娘は何かしらつぶやいた。だが、残念ながら、先生からいくつかの主要言語を片言程度には、欧州に限ればどこでも日常会話に不自由がない程度には教わっているユモをもってしても、その言葉の意味を、瞬時に聴き取れない。
聞いた覚えはあるんだけど……一発で理解出来なかった事に悔しさを感じつつ、ユモは体を起こし、するりとコートの前をはだけ、弾薬盒の中の聖水の小瓶に触れる。
ブラインドタッチでその小瓶の蓋を取って中身をほんのひとしずくだけ指につけ、つけたその聖水を今度は自分の唇に塗る。何を始めたのか気になるのだろう、警戒しつつユモの動きを見ている娘の前で、ユモは呪文を唱える。
「父と子と精霊の御名において。大魔術師マーリーンに連なるこのユモは請う。願わくば、神の行いし言の葉の乱れ、そをこの唇をもって正し、この唇の触れたる者同士、言葉を通じせさしめんことを」
母国語でそこまで呪文を詠唱し、続けてラテン語に切り替えて、呪文に源始力を乗せるための定型句をユモは口にする。
「アテー マルクト ヴェ・ゲブラー ヴェ・ゲドラー……」
定型句を口にしながら、ユモは気付く。警戒していた東洋人娘の、その警戒が、緊張が、急に緩んだことに。
――隙あり!――
何きっかけで緊張が緩んだのか、それはユモにもわからない。だが、術者と対象との接触を必要とするこの術において、それは千載一遇のチャンスであった。
「……レ・オラーム アーメン!」
「んっ!」
呪文の定型句を締めくくると同時に、ユモは聖水で湿らせた唇を、だしぬけに東洋人娘の唇に重ねる。
普段のユモなら、聖水の、触媒の助けなど借りなくても全く問題無いし、なんとなれば、対象との接触さえ必要としない。だが、何故か知らないけれど、体内の源始力がほとんど消え失せてしまっている今は、残りわずかな源始力を節約するためにも、むしろ積極的に触媒を使って源始力の消費を抑えた方が良い。
そう判断しての、自分の体も媒体にする事で無駄な源始力の消費をほとんど伴わない非常に効率的な呪い、だったのだが。
「ちょ!何すんのよ!」
右手1本の割にはすごい力で、その東洋人娘はユモを突き飛ばすように引き剥がした。
「やだ!え?ちょっと、あんた今なに、なにし、え?ちょ、マジ?」
なんだか、思いのほかその東洋人娘は取り乱している。だけど。
「……よし!」
呪いは、効いてる。何言ってるかよく分からないけど、言ってることはよく分かる。
「ちょ!あんた!」
「あんた、誰?」
「え?」
取り乱しつつもユモに何か聞こうとした東洋人少女を制して、ユモは若干語気鋭めに、聞く。その語気に当てられたのか、東洋人少女は一瞬たじろぎ、取り乱すのが一瞬、停まる。
「あたしはユ……ジュモー。あんた、名前は?」
ユモは、咄嗟に、自分の名前をそのままではなく、英語読み風に言い換える。外に居るのが英語ネイティブの人達らしいから、多分、この方が良い。正しい名前を名乗るのは、もしかしたらまだ危険、かもしれないし。
「ユキカ……ユキ。ユキ、よ」
ユキは、目の前の金髪の少女がいきなりキスしてきた衝撃を取り合えずうっちゃることに成功し、聞かれたことに答える、本当の名前を名乗らずに。
本当の名前は、見ず知らずの他人には言っちゃダメ。ましてや……小さい頃から、難度も身内にそう言い聞かされていたのを、ユキはギリギリで思い出していた。
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