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プロローグ
002 プロローグ
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少女は目をつぶる。常人には見えない光の筆が、少女を中心に魔法陣を描く。それは、一つではなく、複数の魔法陣。複数の体系の魔法を同時に駆使するための、その力の土台であり、複数の体系の魔法を同時に駆使出来る少女の、その負担を減らすための用意でもある。
その魔法陣に沿うように、少女は腰の弾薬盒――の中に入れた広口の小瓶――からひとつまみの灰を取り出し、くるりとその場で一回りしながら撒く。続けて、別の弾薬盒から今度は細かく砕いた水晶をひとつまみ、同様に撒く。
灰は魔法陣に沿って床に落ち、それに伴って魔法陣はやわらかい光の幕を、まるで床から生えるオーロラの如くに放つ。空中に留まる水晶はそのオーロラを受けて輝き、ささやかだが清浄な光をあたりに振りまく。
くるり、くるり。少女はそのまま二度ほどその場で周り、充分に水晶と場の空気を攪拌し、そして周りながら抜いた銃剣――刃はついておらず、その替わりに磨き上げられ、刀身に文字が刻まれている――を右手で構え、肩幅ほどに開いた両足で力強く床を踏む。
深く息を吐き、大きく息を吸って、少女は目を開け、最初の呪文を振動させる。
「オムニポテンス・アエテルネ……」
この地の精霊にもっとも馴染む体系の魔法で、少女はまず身の回りの雰囲気を、触媒の力を借りて清浄化する。
「……レ・オラーム・エイメン……偉大なる魔法使いマーリーンに連なる我、ユモは、今ここに精霊を使役し、我の思いを成し遂げんと欲す。精霊よ、遅れる事無く現れ出でて、我の求める全ての縛めを解き放て……」
聖別された清浄な雰囲気の中、ユモと名乗った少女は先達と自分の名において、精霊を召喚し、使役し、その対象に言霊を浴びせかける。清められた空気の中、少女の声と共に触媒の灰と水晶は光を増し、回転を速める。
「……鍵よ解錠け 鍵よ解錠け 頑固な鍛冶屋の遺物よ 魔女の歌声をもって そなたのかたくなな心をこじ開けよう 魔女の歌声をもって そなたに開放の悦びを与えよう さあ、鍵よ解錠け 鍵よ解錠け 魔女の言霊をもって 永遠に封じられたそなたの凍てつく口を開かせよう 魔女の接吻をもって 永遠に封じられたそなたの心を溶かしつくそう さあ! 鍵よ解錠け! 鍵よ解錠け!! 鍵よ解錠け!!! 魔女の誘いに応じ 鍵よ! 解錠け!!!!」
歌うように唱えるその言霊は、かたくなに閉じようとする封錠の呪いをそそのかし、誘惑し、無力化して、引き剥がす。二日かけてここまでたどり着いた、最後の一つを残して封を解いておいた、その最後の封錠の呪いが、呪文に合わせて指と銃剣で印を組み、呪文と印の最後のまとめとして小箱の南京錠に軽く接吻をした少女、ユモと名乗った魔女見習いの求めに、唇から流し込まれた源始力を乗せた呪いに抗いきれず、カチリと音をたてて、飛び散り消滅する触媒と共に、今、消失した。
「……なにかしら?これ……」
ユモは、丁重に精霊の退去の義をしめくくってから、その小箱を手に取り、開けてみた。
齢十二才の少女の手にずっしりと重く、いかにも頑丈そうでありつつ、大きさは少女の両の手で収まるくらいでしかないその黒い小箱の中には、ある意味見慣れた水晶玉が二つと、見たこともない多面体が一つ。いずれも、大きめのビー玉ほどの大きさで、それぞれが別々の細い銀のチェーンに、シンプルな台座で結ばれている。
水晶玉は、それはユモにとって見慣れたものであった。それは、一つは明らかに『非常に淡くした太陽光を放つ』魔法を永続化して封じたものであり、もう一つは、その魔法が消費する源始力を供給するための電池の役割をする、源始力を大量に貯め込むためのものだった。この二つは、『何らかの魔法を封じた』ものと『その電池となる』水晶玉のセットは、光を放つ、あるいは光を封じる魔法と共に、初歩の訓練の締めくくりの課題として先生に与えられたものでもあり、その後も何かにつけ、手慰みにつくってもいたりする、ある意味よく手に馴染んだ『細工物』であった。
とはいえ、今ここに在るこの二つの水晶玉は、明らかに自分とは比べものにならない位の高い技量を持った魔法使い、あるいは錬金術師の手になるものである事が明白だった。それは、貯め込んだ源始力の量――淡くした分消費量も少ないとは言え、十年二十年程度で使い切るとは思えない量――からも、ほんのりと淡くささやかに光る、本当に太陽光にそっくり似せたその光の質からも明らかだった。
そして。もう一つの黒い多面体。これこそ、ユモは見たことも聞いたこともないものだった。
それは、明らかに異質だった。二つの水晶玉は普通に、もう一つの黒い多面体はおそるおそるつまんで左の手のひらに載せ、さらに多面体をつまみなおして、ユモはカーテンの隙間から漏れる朝の光にかざしてみる。
かざして、ユモは驚愕の余りに息を呑む。この多面体は、光を反射も透過もしない。いや、まったく完全に反射しないわけではなく、ある面に対しての特定の入射角については全反射が起こるようではあるが、そして流石に面と面の接合部、峰の部分は光を吸収出来ず赤みを帯びた反射を返すものの、全体としては全ての方向からの光を反射せず吸収し、そして透過もしない、ほぼ暗黒の多面体。
ユモの知る限り、地球上の自然の鉱石ではあり得ない特性。
「何……これ……」
ユモは、空恐ろしささえ感じつつ、その漆黒の多面体をためつすがめつ光にさらす。
明らかに、何らかの手が入れられた、言うまでもなく錬金術的な、それも怖ろしく高度な呪いの組み込まれた、多面体。
ユモの知る限り、これほどの錬金術、いや魔法を駆使出来るのは。
「……これ……先生の……?」
ユモの知る限り、こんな事が出来るのは、先生だけ。
「……けど……」
だが。これだけは、魔女見習いであるユモにも分かる。
よく似ている、本当に、よく似てはいるが。
「……違う」
だが、少しだけ、ほんのすこうしだけ、放射閃が違う。
これは、先生の呪いでは、ない。よく似た、本当にようく似た、別の誰かの、呪い。
「……一体、誰が……」
娘と母である自分と先生よりも違いの小さい、その呪いから放たれるごくわずかな放射閃の違いを感じつつ、ユモはその漆黒の多面体を見つめ続けた。
「お嬢様!開店の準備は整いました!」
書斎のドアをノックする音に続いて聞こえたその声、よく通る青年男性の声に、完全に油断していたユモは飛び上がるほど驚き、その拍子に三つの球を、左手の二つの水晶玉と、右手の輝かない多面体を、握りしめてしまった。
強く、それはもう強く、一切の光が中の宝石に届かないくらいに。
「……お嬢様?失礼いたします……」
その声の主である青年は、居るはずだが返事のない『御主人様の娘』の身を案じ、御主人様の書斎のドアノブに手をかける……開かない。
書斎の合鍵を取りに一度店のカウンターまで戻った青年と、事情を聴いて一緒について来たメイドが改めて御主人様の書斎の重厚なオーク材のドアを開けた時。
そこには、カーテンの隙間から差す朝日にきらめく、消滅しきらなかった灰と水晶の微粒子が舞っているだけだった。
その魔法陣に沿うように、少女は腰の弾薬盒――の中に入れた広口の小瓶――からひとつまみの灰を取り出し、くるりとその場で一回りしながら撒く。続けて、別の弾薬盒から今度は細かく砕いた水晶をひとつまみ、同様に撒く。
灰は魔法陣に沿って床に落ち、それに伴って魔法陣はやわらかい光の幕を、まるで床から生えるオーロラの如くに放つ。空中に留まる水晶はそのオーロラを受けて輝き、ささやかだが清浄な光をあたりに振りまく。
くるり、くるり。少女はそのまま二度ほどその場で周り、充分に水晶と場の空気を攪拌し、そして周りながら抜いた銃剣――刃はついておらず、その替わりに磨き上げられ、刀身に文字が刻まれている――を右手で構え、肩幅ほどに開いた両足で力強く床を踏む。
深く息を吐き、大きく息を吸って、少女は目を開け、最初の呪文を振動させる。
「オムニポテンス・アエテルネ……」
この地の精霊にもっとも馴染む体系の魔法で、少女はまず身の回りの雰囲気を、触媒の力を借りて清浄化する。
「……レ・オラーム・エイメン……偉大なる魔法使いマーリーンに連なる我、ユモは、今ここに精霊を使役し、我の思いを成し遂げんと欲す。精霊よ、遅れる事無く現れ出でて、我の求める全ての縛めを解き放て……」
聖別された清浄な雰囲気の中、ユモと名乗った少女は先達と自分の名において、精霊を召喚し、使役し、その対象に言霊を浴びせかける。清められた空気の中、少女の声と共に触媒の灰と水晶は光を増し、回転を速める。
「……鍵よ解錠け 鍵よ解錠け 頑固な鍛冶屋の遺物よ 魔女の歌声をもって そなたのかたくなな心をこじ開けよう 魔女の歌声をもって そなたに開放の悦びを与えよう さあ、鍵よ解錠け 鍵よ解錠け 魔女の言霊をもって 永遠に封じられたそなたの凍てつく口を開かせよう 魔女の接吻をもって 永遠に封じられたそなたの心を溶かしつくそう さあ! 鍵よ解錠け! 鍵よ解錠け!! 鍵よ解錠け!!! 魔女の誘いに応じ 鍵よ! 解錠け!!!!」
歌うように唱えるその言霊は、かたくなに閉じようとする封錠の呪いをそそのかし、誘惑し、無力化して、引き剥がす。二日かけてここまでたどり着いた、最後の一つを残して封を解いておいた、その最後の封錠の呪いが、呪文に合わせて指と銃剣で印を組み、呪文と印の最後のまとめとして小箱の南京錠に軽く接吻をした少女、ユモと名乗った魔女見習いの求めに、唇から流し込まれた源始力を乗せた呪いに抗いきれず、カチリと音をたてて、飛び散り消滅する触媒と共に、今、消失した。
「……なにかしら?これ……」
ユモは、丁重に精霊の退去の義をしめくくってから、その小箱を手に取り、開けてみた。
齢十二才の少女の手にずっしりと重く、いかにも頑丈そうでありつつ、大きさは少女の両の手で収まるくらいでしかないその黒い小箱の中には、ある意味見慣れた水晶玉が二つと、見たこともない多面体が一つ。いずれも、大きめのビー玉ほどの大きさで、それぞれが別々の細い銀のチェーンに、シンプルな台座で結ばれている。
水晶玉は、それはユモにとって見慣れたものであった。それは、一つは明らかに『非常に淡くした太陽光を放つ』魔法を永続化して封じたものであり、もう一つは、その魔法が消費する源始力を供給するための電池の役割をする、源始力を大量に貯め込むためのものだった。この二つは、『何らかの魔法を封じた』ものと『その電池となる』水晶玉のセットは、光を放つ、あるいは光を封じる魔法と共に、初歩の訓練の締めくくりの課題として先生に与えられたものでもあり、その後も何かにつけ、手慰みにつくってもいたりする、ある意味よく手に馴染んだ『細工物』であった。
とはいえ、今ここに在るこの二つの水晶玉は、明らかに自分とは比べものにならない位の高い技量を持った魔法使い、あるいは錬金術師の手になるものである事が明白だった。それは、貯め込んだ源始力の量――淡くした分消費量も少ないとは言え、十年二十年程度で使い切るとは思えない量――からも、ほんのりと淡くささやかに光る、本当に太陽光にそっくり似せたその光の質からも明らかだった。
そして。もう一つの黒い多面体。これこそ、ユモは見たことも聞いたこともないものだった。
それは、明らかに異質だった。二つの水晶玉は普通に、もう一つの黒い多面体はおそるおそるつまんで左の手のひらに載せ、さらに多面体をつまみなおして、ユモはカーテンの隙間から漏れる朝の光にかざしてみる。
かざして、ユモは驚愕の余りに息を呑む。この多面体は、光を反射も透過もしない。いや、まったく完全に反射しないわけではなく、ある面に対しての特定の入射角については全反射が起こるようではあるが、そして流石に面と面の接合部、峰の部分は光を吸収出来ず赤みを帯びた反射を返すものの、全体としては全ての方向からの光を反射せず吸収し、そして透過もしない、ほぼ暗黒の多面体。
ユモの知る限り、地球上の自然の鉱石ではあり得ない特性。
「何……これ……」
ユモは、空恐ろしささえ感じつつ、その漆黒の多面体をためつすがめつ光にさらす。
明らかに、何らかの手が入れられた、言うまでもなく錬金術的な、それも怖ろしく高度な呪いの組み込まれた、多面体。
ユモの知る限り、これほどの錬金術、いや魔法を駆使出来るのは。
「……これ……先生の……?」
ユモの知る限り、こんな事が出来るのは、先生だけ。
「……けど……」
だが。これだけは、魔女見習いであるユモにも分かる。
よく似ている、本当に、よく似てはいるが。
「……違う」
だが、少しだけ、ほんのすこうしだけ、放射閃が違う。
これは、先生の呪いでは、ない。よく似た、本当にようく似た、別の誰かの、呪い。
「……一体、誰が……」
娘と母である自分と先生よりも違いの小さい、その呪いから放たれるごくわずかな放射閃の違いを感じつつ、ユモはその漆黒の多面体を見つめ続けた。
「お嬢様!開店の準備は整いました!」
書斎のドアをノックする音に続いて聞こえたその声、よく通る青年男性の声に、完全に油断していたユモは飛び上がるほど驚き、その拍子に三つの球を、左手の二つの水晶玉と、右手の輝かない多面体を、握りしめてしまった。
強く、それはもう強く、一切の光が中の宝石に届かないくらいに。
「……お嬢様?失礼いたします……」
その声の主である青年は、居るはずだが返事のない『御主人様の娘』の身を案じ、御主人様の書斎のドアノブに手をかける……開かない。
書斎の合鍵を取りに一度店のカウンターまで戻った青年と、事情を聴いて一緒について来たメイドが改めて御主人様の書斎の重厚なオーク材のドアを開けた時。
そこには、カーテンの隙間から差す朝日にきらめく、消滅しきらなかった灰と水晶の微粒子が舞っているだけだった。
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