玉姫伝ーさみしがり屋の蛇姫様、お節介焼きのお狐様に出会うー

二式大型七面鳥

文字の大きさ
上 下
7 / 8

07

しおりを挟む
 いつの間にか、ウトウトしていたらしい。銀子ぎんこは、自分を見つめる視線を感じて、目を開けた。
 たまきが、ベッドの上で身を起こして、銀子を見つめていた。
「……あかん、ウチも寝てしもてたか……八重垣やえがきさん、どないしてん?」
 しばし、無表情に銀子を見つめていた環は、ふっと微笑んで、銀子に言う。
「……帰らなくて、よいのか?」
 その物言いに妙な違和感を感じつつ、銀子は、左手の手首、腕時計の文字盤を見る。
「……うーわ、もぉこんな時間やんか。せやな、ウチもそろそろおいとませな」
「そう……」
 言いながら、環はするりとベッドを降りる。
 その立ち居振る舞いに、再び、銀子は違和感を感じる。
「……八重垣さんは、どないしはるん?」
 立ち上がってスカートの皺を伸ばしながら、銀子は不自然にならないように、聞く。
「……あの薬、効いたようだの、とても気分がよい」
 薄ピンクのスウェット上下の環は、そう言って、うーん、と体を伸ばす。
「そうだの、少し、夜風にでもあたるとしようかよ」
――違う。明らかに、何かが違う――
 銀子の中で、急激に不審感が、不安が高まる。だが、銀子は、それを押し殺して、努めて冷静に、言った。
「せやったら、ウチも、途中までご一緒させてもらいまひょか」

 浜町公園は、その名の通り中央区日本橋浜町にある、中央区ではもっとも広い公設の公園である。隅田川に面したその立地と、こじんまりとしつつも樹木と起伏に富み、デイキャンプ施設もある事から地域の憩いの場として愛される公園でもある。
 とはいえ、時計の針が頂点からさらに進んだこの時間帯、点在する街灯が照らす公園の小道には、たまき銀子ぎんこ以外の人影は無かった。
 銀子は、鼻歌交じりで数歩先を歩く環の後を、眉根を寄せてついて歩いていた。環の部屋から帰宅する、と言った割には、その手には学生鞄は無い。
「いい夜、いい森だの。すこぶる気分がよいぞ」
 小道を外れ、わずかに起伏のある小山の木々の間に入ったところで、嬉しそうな微笑みをたたえた環が振り向いた。
「……おぬしの薬、実に良く効くの」
「……あんた、誰や?」
 小山の下から、銀子は聞く。その声は、硬い。
 にやりとして、環が口を開く。
「まあ、誤魔化せはせぬよなぁ……わらわはな、名を玉姫たまひめと言う。こう見えても宇賀弁才天にお仕えする蛇神の、その末席を汚すものじゃ。小娘、控えおろ」
「……なん……やて?」
 あまりにも突飛なその返答に、銀子の理解が追いつかない。
「小娘、おぬしには礼を言うぞ。この娘、環はな、今はすっかり落ちついて、深く安らいでおる。おぬしのおかげじゃ」
 小山のてっぺんに生える、枝振りのいい常緑樹の幹に背中から寄りかかりながら、環――玉姫――は続ける。
「おぬしも聞いたであろ、この娘、それはそれは深く哀しんでおってな。妾はその全てを見知っておって、可哀想に思っても、手出しも口出しも出来なくてのう。口惜しい思いをしておったのじゃ。じゃが今宵、おぬしがこの娘の心の扉を開いてくれた。礼を言うぞ、小娘」
「あんたは、一体……」
 何が何だか良くわからない。それでも銀子は、そう聞かずには居られなかった。
「妾はな、元々はな、京の都の片隅の、小さな小さな祠に奉られた鎮守の蛇神じゃ。じゃがな、再開発とやらで祠が取り壊されてな。依り代を無くして困っておった所に、この娘を身ごもった女がすぐ近くに住み着いてな。一も二もなくこの娘の中に入らせてもらったのじゃ」
「え?……」
「この娘、依り代として滅多に無い相性の持ち主であったのでの。とはいえ、さすがに蛇の姿で生まれ落ちるわけにも行くまい?人の姿を保ちつつ、妾はこうして、この娘が目覚めるのを待っておったのじゃ」
「目覚めるて、え、何?」
「女になる、と言う事じゃの」
 合点がいった。銀子は、その瞬間、全てを理解する。無意識に、両足に力が入る。踏ん張る。
「物忌みじゃからの、妾も今は大したことが出来るわけではないがの。この通り、体を動かすことくらいは……あっ!」
 玉姫の言葉が途切れる。みなまで聞かず飛びかかった銀子に胸ぐらを掴まれ、後ろの木の幹に押しつけられたのだ。
「お前……出て行け!八重垣さんから!出てけ!」
 銀子が、怒鳴る。その銀子の両の腕に、玉姫は手を置く。
「……出来るものなら、とうにしておるわ!妾とて、宇賀弁財天の使いとして奉られる身ぞ!依り代を無くしては、消えるか祟り神になるかしか無いのじゃ!」
 力を入れているようには見えないのに、驚くほど強い力で、玉姫は自分の胸ぐらを掴む銀子の腕を押しのける。
「弁財天の使いなればこそ、祟り神などになるのはもってのほかじゃ!さりとて、妾とて消えとうもない!人の勝手で依り代を壊された身ぞ!祟らぬだけ有り難いと思うて欲しいわ!」
「ぅあっ!」
 振りほどかれた腕をそのままひねりあげられ、銀子は苦痛の呻きを漏らす。玉姫は、その腕を押しとばし、銀子を数歩後じさりさせた。
「この娘にはな、仕方なかったとは言え済まぬ事をしたとは思うておるよ。この髪も肌も、白蛇神の依り代なればこそのものじゃからな」
 さらり、少し乱れた白銀の髪を捌いて、玉姫は銀子に言う。
「じゃがな、いずれはこの娘も、白蛇の生き神として神通力も使えるようになろうよ。何しろ、妾の魂がこの体に入っておるのじゃからな、有り難く思って……」
「……その魂のせいで、八重垣さんは、せんでええ苦労してきたっちゅう事か?」
 後じさり、膝をついて俯いた銀子が、絞り出すような声で玉姫の言葉を遮り、問うた。
「そのせいで、家族に優しゅうしてもらえへんかったって事か!」
 怒りと共に、銀子からがあふれる。それは、どうして、どうやってと聞かれても答えようのない、生来の気質による、攻撃的な、気。
「な?小娘、おぬし!」
「出て行かへんなら、ウチが追い出したるわ!」
 銀子の、狐色の髪が波打つ。この気、この力、陰陽師?いや違う。玉姫は、混乱する。この小娘、何奴なにやつだ?僧侶や神職でもない、だがこの力、どこかで……
「あんたのせいで!八重垣さんは!ずっと一人で!」
 銀子の声に、怒鳴りつつも、涙声が混じる。銀子の気に、力がこもる。
 だがしかし、自分を絡め取り、縛ろうとするその気を、玉姫は苦も無くはじき返す。
「あっ!」
 気をはじき返され、銀子はたたらを踏んで後じさり、尻餅をつく。
「おぬしに何がわかる!」
 俯く銀子に、玉姫の怒声がぶつかる。
「妾こそ!地脈も断たれ、誰からも顧みられない寂れた祠に封じられた妾こそ!神の使いなればこそ、あやかしとておいそれとは近付いては来ぬ!妾こそ!妾こそ……」
 その怒声は、尻すぼみに小さくなる。
「……そやかて……そや言うたかて、八重垣さん犠牲にしてええもんとちゃうやろ……」
 俯いた銀子も、涙声で抗議する。
「……犠牲になどせぬわ!妾はこの体を借りておるだけじゃ!一つの体に二つの魂なれば、いずれは……」
「させへん!」
 みなまで聞かず、玉姫の言葉を遮って、銀子が顔を上げる。獣のような、決意に満ちた目で玉姫を、環を見つめて。
「おぬし!その姿!」
 顔を上げた銀子の、その髪から生える耳、スカートの裾からはみ出す尻尾、なにより最前までとは強さも気配もまるで違う、強烈にぶつかってくる獣臭い気の塊を受けて、玉姫は驚嘆し、狼狽する。
「まさか!化生けしょうか!」
 玉姫の見る前で、狐色だった銀子の髪が、耳が、尻尾が、鋼色はがねいろに変じ、輝きを増す。
「お前なんか!ウチが封じたる!」
 叫びながら、銀子が、人型ひとがたの狐が、跳ぶ。その姿は、鋼色を通り越し、むしろ白銀に輝く。
白狐びゃっこだと!待て!……な!」

 刹那、受け身を取ろうとする玉姫――たまきの体が、ぎしり、金縛りのように動きを停める。
――させしまへんえ――
 玉姫は、心の奥からその声が聞こえるのに気付く。
――すばるさんに、酷い事、絶対させしまへんえ――
「目覚めて、そうか、今の気か!……何を馬鹿な!」
 引き延ばされた一瞬の中で、玉姫は、心の奥の環に言い返す。
「あの娘も化生なれば、妾の同胞はらからぞ!」
 言いながら、玉姫は見る。環の心の内を。その刹那、やっと、最前の銀子の言葉の真の意味を理解した、環の心の中を。
――昴さんは、あの狐色の髪はきっと、常に妖術で染めている、その色。黒うしとうても染めきらへん、あれが限界の、狐色。本当の昴さんの髪の色は、今見ている、あの色。昴さんが言わはった、ウチもこんなやからいうんは、きっと、その事――
「なればこそ!白狐びゃっこなればこそ、白蛇はくじゃたる妾のまこと同胞はらからぞ!手荒なまねなど!」
 受け身も取れず、術も成せぬまま、玉姫は環に背中から抱きすくめられる。
「……する……ものか!」
――させは……しまへん――
 同時に重なったその二つの声は、環のものか、それとも玉姫のものか。まなじりを決し、必死の力を放つ銀子には、聞き分けがつかなかった。

 目の前に、環が立って居る。
 銀子は、朦朧とした意識で、地に横たわった姿勢で、それを見上げていた。
「……昴さんに、ひどいことなんて、させしまへん……」
――同胞に、手荒なことなど、するものか――
 銀子の耳に、二つの声が届く。同じ声、同じ内容。少しだけ、違う言葉。
「だって……昴さんは」
――この小娘は――
 やっとの事で動く頭を起こして、銀子は声のする方に顔を向ける。
「うちの、初めての」
――妾の、やっと見つけた――
 かすむ視界の中、膝を折った環が、銀子に顔を近づける。
「……大事な大事な、友達どすさかい……」
――…大事な大事な、同胞じゃから……――
 二つの声が、重なる。
 見たこともないような、美しい微笑み。環のその顔を見ながら、銀子の意識は、そこで途切れた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

何の取り柄もない営業系新入社員の俺が、舌先三寸でバケモノ達の相手をするはめになるなんて。(第二部) Dollhouse ―抱き人形の館―

二式大型七面鳥
ファンタジー
2020/12/19 思うところあって、タイトルを変えました 旧シリーズタイトル:渡る世間は勿怪(もけ)ばかり 前作の続きです。現世・現代・社会人縛りでどこまで出来るかのチャレンジでもあります。 前作からおよそ半年、新人サラリーマン北条柾木(23)はまたしても、なし崩し的に事件に巻き込まれ、警察庁の酒井源三郎警部(33)もその事件を追います。 霊的に無感症な以外に取り柄の無い主人公、北条柾木に果たして活躍の場はあるのか? 真面目だけが取り柄のバツイチ警部、もう一人の主人公の酒井源三郎は事件の真相に迫れるか? 北条柾木に想いを寄せる深窓の令嬢、西条玲子はその想いを進展させられるのか? 酒井源三郎のアパートの隣室に住む青葉五月は、優柔不断のバツイチ中年をその気にさせられるのか? そして、一般人から見ればチート属性の人狼ども、祖母:蘭円と孫:蘭鰍、及び新規参入の鰍の姉二人は、どのタイミングで話を引っかき回しに来るのか? 長くなりそうですが、よろしければお付き合い下さい。 ※カクヨムにも重複投稿してます。

踊れば楽し。

紫月花おり
ファンタジー
【前世は妖!シリアス、ギャグ、バトル、なんとなくブロマンスで、たまにお食事やもふもふも!?なんでもありな和風ファンタジー!!?】  俺は常識人かつ現実主義(自称)な高校生なのに、前世が妖怪の「鬼」らしい!?  だがもちろん前世の記憶はないし、命を狙われるハメになった俺の元に現れたのは──かつての仲間…キャラの濃い妖怪たち!!? ーーー*ーーー*ーーー  ある日の放課後──帰宅中に謎の化け物に命を狙われた高校2年生・高瀬宗一郎は、天狗・彼方に助けられた。  そして宗一郎は、自分が鬼・紅牙の生まれ変わりであり、その紅牙は妖の世界『幻妖界』や鬼の宝である『鬼哭』を盗んだ大罪人として命を狙われていると知る。  前世の記憶も心当たりもない、妖怪の存在すら信じていなかった宗一郎だが、平凡な日常が一変し命を狙われ続けながらも、かつての仲間であるキャラの濃い妖たちと共に紅牙の記憶を取り戻すことを決意せざるをえなくなってしまった……!?  迫り来る現実に混乱する宗一郎に、彼方は笑顔で言った。 「事実は変わらない。……せっかくなら楽しんだほうが良くない?」  そして宗一郎は紅牙の転生理由とその思いを、仲間たちの思いを、真実を知ることになっていく── ※カクヨム、小説家になろう にも同名義同タイトル小説を先行掲載 ※以前エブリスタで作者が書いていた同名小説(未完)を元に加筆改変をしています

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夜の小さな秘密

カルラ アンジェリ
大衆娯楽
中2の美咲(みさき)はある日おねしょをしてしまう。 そして姉の優奈(ゆうな)に助けてもらうことに……

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...