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第8章:エピローグ

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「結局、何が解決して何が解決してないんだか、よくわからない気がします、はい」
「……だよなぁ」
 時計の針は、そろそろ真上で重なろうとしている。埠頭に降りて、貨物船ノーザン・ハイランダーを外から見ながら、蒲田と酒井は愚痴をこぼした。
 酒井と蒲田は指折り数え始める。
「井ノ頭邸襲撃事件の被害者救出、首謀者の確保、これは良いよな」
「はい。被害者の井ノ頭菊子さんは問題ありませんが、緒方いおりさんは脅迫による強制労働に起因する過労と、もしかしたら違法薬物の使用が疑われますが、そこは井ノ頭家と西条家、あと「協会」が責任を持って処置するそうです、はい。で、その首謀者は貿易商の東大と、はい」
「北条柾木君の体の持ちだしも同じ首謀者、と」
「それですが、首謀者はともかく実行犯が不明です、はい」
「まあ、そのあたりはその東大ってのから聞き出しましょ」
「うわ!」
 若狭海浜公園の駐車場に残してきた笠原弘美と、今後の船内調査と緒方の収容及び治療について打ち合わせをしに行っていたはずの円が、いつの間にか酒井と蒲田の背後に忍び寄って割り込む。酒井と蒲田は、文字通り三十センチ程飛び上がって驚く。
「……あーびっくりした……お願いですからその忍び足止めて下さい、はい」
「ごめんね、つい。あ、緒方って子は一旦弘美ちゃんに預けたから。手配したからすぐに「協会」のそっち系のが迎えに来るはずよ。菊子ちゃんも同行するって。で、その首謀者だけど」
「はい、東大、漢字で書くと何かアレですけど、西条さんに確保していただきまして、はい」
「尋問、そっちでする?」
 円に聞かれて、酒井は悩む。
「いや、うーん、何というか、我々は本来逮捕とか捜査とかしないので、取調室一つ持ってないので……」
「じゃあこっちで持って帰っていい?」
 円がちょっと嬉しそうに聞く。手間が省けるのは確かなので、酒井は条件付きでOKしようと考える。
「出来れば尋問は同席させていただいて、あと、拘留は警察基準でやっていただければ」
「オッケー。その程度はお安い御用よ」
「酒井さん、分調班なじむのめっちゃ早いです、はい」
 酒井の対応に、蒲田が突っ込む。
「そうなのか?いやなんか、この一週間色々ありすぎて、自分でも一皮どころじゃなく剥けた気もするけど」
「普通もっと混乱して悩むんですけど、ショック療法ですかね、はい」
「あれよ、いろんな意味で抑えてたものがなくなって、素の自分が出たってヤツ?」
「なんか酷い事言われてる気がするけど、そんな気もします」
 酒井は、円にあけすけに言われて納得する。
「まあ、肩の力抜けてよかったねって事よ。で?」
「あ、いや、解決した件と解決してない件を数えてたんですが」
「そういえば、北条柾木君の体の方を撃ち殺したの、誰なんでしょうね?」
 酒井と蒲田に言われて、円の声のトーンが一段落ちた。
「……その件はちょおーっと心当りあるから。来てくんない?」

「五月様!本当によくぞご無事で!」
 五月に抱きつき、玲子が涙を流して再会を喜ぶ。
「すみませんでした玲子さん、連絡しなくて……」
 五月も再会を喜びつつ、連絡の不備を詫びる。
「よろしいのです五月様。生きていていただけただけで……」
 玲子は本当に嬉しそうだ、玲子から少し離れた所でその様子を見ながら、五月に声をかけるタイミングを逸した柾木は思う。願わくば、前例も参考に、これきっかけで何とか玲子の機嫌を直せれば……柾木はさっきの失態、柾木から言えば全くもって不可抗力のそれを思い出し、身震いする。
「それにしても玲子さん、御髪おぐしが……」
「これですか……良いのです、もう、隠すのは止めました」
 玲子の容姿を心配する五月の言葉に、やや嬉しそうに頷いて、玲子は肩越しに自分の髪を撫でる。何があったのかは知らないが、玲子が自分の容姿を嫌っていた事を知る五月には、それは良い事だと思えた。
「柾木様に、綺麗だと言っていただけましたから……」
 きゃっ、とか言いそうなノリの玲子の言葉を聞いた途端、光の速度で五月が柾木に振り向く。何してくれたの北条柾木?その目が、殺人光線のような眼光がそう言っているのが柾木に痛い程わかる、というか視線が痛い。
「ああ、北条君、ちょっと」
 酒井が柾木に声をかける。絶好の助け船とばかりに、柾木は二つ返事で振り向く。
「はいはい、何でしょう?」
「疲れているところをすまない、君の体の事なんだが」
 この体は疲れてはいないけどな、ガス欠はしたけれども。柾木は頭の隅っこで思いつつ答える。その燃料も、三分程のアレで三日分くらいもらった、らしい。
「それ、さっきの東って人は、どこにあるかは知らないって言ってましたが」
「いや、体は警察で保管してるけど。撃った犯人について……」
 何気なく言った酒井の言葉に、ものすごい勢いで柾木が喰いつく。
「え!俺の体警察にあるんですか?つか撃った犯人って何!」
「いやまて北条君、ちょっと落ち着け、落ち着けって」
 肩を掴み、そのまま酒井を押し倒しそうな勢いで柾木が迫る。
「……あー、そう言えば言ってませんでしたっけ、はい」
 その様子を少し離れた所から見ている蒲田が、他人事のように言う。酒井が、柾木を手で制して、
「いや、先日は捜査中だから言えなかったんだが、実は君の体は月曜の朝射殺されてて……」
「はあー?」
 柾木の興奮が最高潮に達する。
「……おいこら逃げるな」
 興奮する柾木に周囲の耳目が集中する中、こっそりその場を後にしようとした鰍と信仁の首根っこを円が押さえ込む。
「何隠してんだあんた達、あーん?」
「いやあの……」
「酒井君、凶器の弾丸は回収出来てる?」
 円が酒井に振り向き、聞く。酒井君?妙齢の女性にそう呼ばれる事に、なんか慣れない、不自然な物を感じつつ、まあ、年齢考えるととそんなもんか、と思って酒井はそこはスルーする事にする。
「変形が激しく銃は特定出来てませんが、銀の塊でした」
 素直に答えた酒井から視線を戻した円が、円から視線を逸らす鰍と信仁に聞く。
「……撃ったのどっち?」
「……俺です……だって!マンシュタインがとっとと大人しくさせて来いって!」
「そーよ!怪我人出る前に秒で絞めて来いって団長も!」
 二人は割とあっさり観念して白状し、それでも命令した上役と思われる、よく分からない名前の誰かに責任をぶん投げようと悪あがきをする。
「……で、何で何を撃ったのよ」
「そりゃ、PSG-1で、セブンポイント、シクスティートゥミリメータ、フルメトゥージャケッ……」
「微笑みデブの真似止めろ、パンピーに通じないから。そもそも聖銀弾だし。FMJじゃねーし」
「いやでも一人ウケてくれてますよ?」
「……袴田?どうかしたんですの?」
「……いえ……何でも……」
「……というわけで、お巡りさんこいつらです」
 円が、首根っこ押さえ込んだ鰍と信仁を酒井と蒲田に突き出す。
 どう対応したものか、困った酒井は柾木に振る。
「北条君、という事なんだが……」
「……いやもう、なんかもういいです、なんとなく事情は分かってますし……」
 ややうなだれた柾木が力なく答える。
「一応聞いとくけど、どこ撃った?」
 聞かなくてもわかりきってるけど、とでも言いたそうな表情で聞く円に、自分の額の真ん中を指差した信仁が一言、答える。
「眉間」
「あっちゃー」
「……ばーちゃん、頭撃たれた死体、治した事ある?」
「あったっけなぁ……明が昔、バイクで事故ったヤツに輸血したら生き返ったって言ってたけど……」
「アキラって、誰?」
「ばーちゃんのトップ屋仲間でアタシ達の遠縁だったっけ、アタシも会った事無いから良く知らないけど」
 信仁も知らない名前だったらしい。鰍がその疑問に答えた。
「良いですね、それ」
 へこんでる柾木を見かねて、蒲田が乗っかろうとする。
「でもなぁ、半年くらいで一生分の体力使い果たして死んだって」
「……止めとこうよ……」
 酒井が諦める。ふと見ると、柾木が後ろを向いて膝を抱えて座っている。
「……可哀想な柾木様……」
 玲子が柾木の隣にしゃがみ込んで頭を撫でる。その様子を見た円は音を上げる。
「あーもう!わかったわよ!何とかするから!あんた達手伝いなさいよ!」

「……で、話戻しますけど、実行犯とか目的とか、はい」
「それだ、北条君、何か言ってたかな?」
 仕切り直して聞く酒井と蒲田に、まだヘコみ気味の柾木が答える。
「……はい、要するに商売だ、みたいな事は言ってました」
「商売か……その東大の名刺、もらってもいいかな?」
「はい……この件って、罪に問えるんですか?」
 法的、事務的な柾木の質問に、蒲田が答える。
「牛鬼はともかく、オートマータの類いは正規の手続きで輸出入手続きされてると、どうにもなりませんね……あくまでも人形、もしくは機械部品ってことで、はい」
「そこんところは、本人から港湾局その他に申請してもらって、自主的に捜査協力してもらいましょ。玲子ちゃん、悪いけど頼めるかしら?」
 円が唐突に玲子に振る。本人というのは東の事か?どうやって?玲子の邪眼のことを知らない酒井は話が見えない。それよりも、円と玲子が、いつの間にか普通に会話している事に少々驚く。
「やってみたことはございませんけれど。捜査のお役に立つのであれば、ご協力いたしますのにやぶさかではございませんわ」
 西条玲子が、何をどうやって協力してくれるのか、酒井には今ひとつピンと来ていなかったが、そこは後で確認するとして。
「要するに、金儲けのために違う意味の裏社会に手を出した、って事かな?」
 誰にともなく、自問自答するように酒井が言うと、それを円が受け取る。
「そういう事ね。あと、それに手を貸した奴がいる、取引先だってけど。でもまあ、今は尻尾掴めてないけど、物証もある事だし、その辺も本人から聞き出しましょ。もーね、あたしたちにケンカ売った事、地獄で後悔させてやるんだから」
「ばーちゃんが言うとシャレになんないから止めて」
 逆に嬉しそうに言う円に、うんざりした顔で鰍が言った。
「だってこれ、法の抜け穴ってヤツでしょ?だったら、法で裁けない悪を裁く!」
「ばーちゃん戦前に大陸でそれやって陸軍に追われて酷い目見たって言ってなかった?」
 調子に乗る円に、何気なく突っ込んだ鰍の一言が、周囲のどよめきを呼んだ。
「戦前?」
 事情を知る鰍と信仁以外の全員がドン引く。
「え?え?えー?そんなに引くぅ?」

 その夜遅く、どう考えても終電は無くなっているため、北条柾木は玲子のセンチュリーで田無のアパートまで送ってもらっていた。
 自分の体の事は一応の決着がついたが、射殺されて脳みそをあらかた吹っ飛ばされ、それから一週間程警察の遺体安置所に保管されている、というのはなかなかに衝撃的だった。
 その事実が明らかになるまでは、不可抗力とはいえ菊子からマナを補給してもらったその方法について、玲子の敷いた針のムシロに五体投地しているような状況に置かれていたが、それ以降は玲子の方が柾木を慰める立場にあった。とはいえ、玲子もただ、隣に座る、いつになく言葉少ない柾木に慎重に相槌を打つのが関の山ではあった。

「柾木様、明日の土曜日はお仕事はお休みでございましょう?」
 マンション近くでの別れ際、車窓から歩道の柾木の手を握る玲子がそう切り出した。明日の土曜といっても、もう既に日付は替わっているのだが、柾木も玲子もまだその感覚はない。
「よろしければ、お昼前にお迎えに参ります。一緒にお食事をして、それから菊子さんのところでマナを補給していただきましょう。よろしいでしょうか?」
 玲子は玲子で、この状況でそう提案するのが精一杯だったのだろう。テンションは落ちているが、それが故に思考は冷静を保っていた柾木は、そう思い、その厚意を受ける事にする。
「喜んで。玲子さんさえよければ」
 ベールの下の玲子が、やっと笑顔になるのが分かる。
「では、お食事、お好きなものを選んでおいて下さいまし。私は、柾木様がお好きなものであれば、何でも御相伴いたします」
 玲子は、車窓越しに柾木の手を強く握る。強いと言っても全く大した力ではないその白魚のような指を、柾木は、ほんの少しだけ、砂糖細工を握るような細心の注意をもって握り返す。
 いろんな意味で、深みにはまる一方だ。柾木はそう思ったが、でも、これはこれでいい、とも感じていた。

 そして翌土曜の午前。結局、自分の部屋に帰宅後、どこに行けば玲子が喜ぶかを明け方まで考えてしまった柾木は、そのままテレビも電気も点けっぱなしで寝落ちしてしまい、またしても時田の鳴らすインターホンの呼び鈴で目を覚ますはめになった。

 結局、寝坊した上に何も思いつかなかった柾木は、咄嗟にファーストフードのテイクアウトという超荒技を提案、初めての経験で玲子が大喜びしているのを見て冷や汗を拭うという綱渡りの展開を経験した後、井ノ頭邸に向かった。
 突貫工事で修復のかなり進んだ井ノ頭邸の玄関をくぐり、昨日の今日であるにもかかわらず相変わらずマイテンポの菊子に出迎えられ、早速地下の緒方の研究室に向かい、マナの補充の準備をする。
 本来、マナの補充は、首の後ろに非接触経皮コネクタを取り付け、そこからチビチビとマナを流し込むのが本式であるという。
「この方式だと、システムに負荷はかからないのですが、大体一日分のマナを補充するのに十分弱かかります。一時間で一週間分前後、というところです」
 菊子が、補充装置を調整しながら、作業台に腰掛けている柾木と、その横に立つ玲子に言う。
「経皮コネクタですと、皮膚の都合で流せるマナの量の上限があまり上げられないのですが、口移しであれば直接ですから大体その十倍、一分程度で一日分流せます。私の方のマナの予備容量の限界もあって、夕べのように三日分程度しか補充できませんが」
 柾木に向けて女神のように微笑みながら、今の柾木にとっては全くもって聞きたくなかった要らない情報を、菊子はさらっと説明する。隣に居る玲子の周囲の空気が冷えるのを、柾木の体は正確に検知した、ような気がした。

 マナの補充がそろそろ終わろうかという頃、何やら表が騒がしくなった気配がする。扉が開けたままである事もあり、地下室に居るにもかかわらず、野太い排気音が聞こえてくる。
「お姫さま、柾木様、菊子様。お荷物が届きましたが、如何致しましょう?」
 時田がお伺いをたてに来る。
「荷物、ですか?」
 不審な顔をする玲子に、
「あら、忘れてました。「協会」の方が、北条さんのお体を届けてくれるお約束になっていました。もうそんなお時間ですのね。すみません、時田さん、この部屋に運んでいただけるよう、お願いしていただけますでしょうか?」
「かしこまりました」
 菊子が、かなり重要なことを何でもないことのように言って、時田に用立てを頼む。
 ああ、オートマータなのにど忘れするのね、その辺は所謂ロボットとは違うのね、と、首筋を中心にじんわりと暖かい、マナを充填される感覚の気持ちよさにぼーっとしていた柾木は、二秒ほどしてから、その次にもっと重要な内容を菊子が言った事に気付き、覚醒する。
「え、ええ~?お、俺の体ですか?」
「はい。お昼前に、警察と調整がついたので、事務手続きが終り次第、緒方の研究整備のあるこちらに運び込みますと、「協会」から連絡をいただいておりました」
 菊子が説明している間に、どたどたと複数の足音が重いものを持って階段を降りてくる音が聞こえてくる。驚きと、やっと体が帰ってくるという喜びが体の中でじわじわと膨らんで来ている柾木が見つめる中、所謂「死体袋」を手分けして持った信仁、鰍、円が地下室の入口に現れる。
「あれ、うわ北条さん、来てたんですか。参ったなこりゃ……」
 真っ先に気付いた信仁が柾木に声をかける。あ、ども、返事をした柾木だが、「体が帰ってくる」という喜びに満ちた心を無情に握りつぶす不吉な袋から目が離せない。
「いやー、本人の目の前で、どうしよう、これ……」
 信仁が、円と鰍に目を向ける。
「どうもこうも……ここに持ってくる以外に無いんだから」
「とにかく一旦どっか置かせてもらいましょう、階段降りるの結構キツくって……」
 信仁の質問に答える円に被り気味で、一番下で支える信仁は音を上げた。
「そうねぇ……北条君、ごめんね、ちょっとそこ、空けてくれる?」
 円が、柾木が腰掛けている作業台を顎で指して聞く。
「あ、はい……」
 気持ちの整理がつかない柾木は、とりあえず場所を空けた。

「ばーちゃん、やっぱ、本人の前に本人の御遺体置いとくのはマズいわよ」
「御遺体ってあんた、これ、死んでるわけじゃないんでしょ?」
 どう反応したものやら、完全にフリーズしてしまった柾木から少し離れた所で、鰍と円がなにやら無神経な会話をしている。
 その間に信仁が柾木達に説明したところによれば、今朝、大塚の監察医務院で担当者から、警察庁分調班に死体の担当を移管する手続きが行われ、その後、柾木の「生きてないけど死んでもいない」肉体をここに運ぶよう、書類手続きのために休日出勤した岩崎管理官から直々に「協会」と言うか円が依頼を受けたのだそうだ。
 同じく休日出勤で、和歌山に日帰り出張の酒井と蒲田に事務連絡と書類の引き継ぎをするため、霞ヶ関の合同庁舎に早朝出勤した岩崎は、連絡を済ませたその足で監察医務院に来たのだという。
「岩崎もご苦労な事よねぇ、で、その分調班って所は、死体保管所どころか取調室も持ってないから、直接こちらに運ばせてもらえればこちらとしても大助かり、なんだって」
 菊子が持ってきた、冷たい麦茶を飲みつつ、円が信仁の説明に付け加える。
「事件としては分調班が引き取った段階で迷宮入り確定だから、後の事は気にしなくて大丈夫って事らしいけど。そういう事なんで、菊子ちゃん、悪いけど当分この体の保管をお願いね」
「はい。承りました」
 女神の笑顔で菊子が引き受ける。
「……て、ちょっと待って下さい、当分って、俺、まだ元に戻れないんですか?」
 フリーズしていた柾木が、話の流れがおかしい事に気付いて抗議する。信仁は腰に手を置いて下を向き、円と鰍が顔を見合わせている。柾木は、時間に比例して、秒単位で不安が増大するのを感じる。そもそも、俺の体、なんでこんな不吉な袋に入ってんだ?もしかして、俺、当分どころか永久に元に戻れないんじゃ?
「まさか北条さん本人がここに居ると思ってなかったもんねぇ、後できちんと説明するつもりだったけど……」
 鰍が困ったように、後頭部を掻きながら言う。その様子を見て、円が話を引き取る。
「……あのね、北条君?今すぐ戻してあげたいけど、この体、あいつらが頭撃ち抜いちゃったから、すぐには戻せないのよ。ごめんね」
 円が柾木に顔を寄せて、すまなそうに言う。
「申し訳ありませんでした!」
 「あいつら」と指差された信仁と鰍が、最敬礼で謝る声がハモる。ああ、そう言えばそんなような事を夕べ言ってたっけ。柾木も夕べのやりとりを思い出す。
「そんでね、まず頭の銃創を治さないといけないんだけど、ちょおーっと時間かかりそうなの」
「……どれくらいかかるんですか?」
 もっともな質問を、柾木がする。
 鰍が、円に替わって柾木に説明する。
「それがねぇ……この体、今は「生命活動が一次停止している」状態だから、頭撃ち抜かれても「死んでない」んだけど、そのままだと治療も出来なくて。治療の為に「一次停止を解除」すると、その時点で即死しちゃうのよねぇ……」
 体得している呪法の宗派の関係で、この中では一番錬金術に明るそうな鰍が、色々とあり得ない事をさらっと流す。
「緒方って錬金術師が、魂の移植する為に一次停止かけたんでしょ?だから、その人と一緒に、上手い事「即死しない程度に一次停止を解除」する方法を研究しないとダメだと思うの」
 首が軋む音が聞こえるよう動きで、柾木は菊子に向く。
「緒方さんは、いつ帰ってくるんでしょうか……」
「緒方は、一週間程度で退院出来そうだと、午前中に「協会」の方から連絡を戴いてます。衰弱も大したことは無く、薬物も深刻なものは使われていなかったようです」
 柾木の質問に、笑顔で菊子が答える。
「じゃあ、帰ってきたら……」
「……かけてある術式の要素を全部書き出して、一つ一つ色々書き換えて試してから再構成しないとダメだろうから、多分、そこから最低半年くらい、かかるんじゃないかなぁ……」
 鰍が、ひいふうみいと指で数えながら答えた。
「最低、半年……」
 柾木は、自分の肉体が置いてある作業台に、ドサリと腰を下ろし、肘を膝に置いて上体を支える。
「柾木様……元気をお出しになって下さいまし。その間、私が毎週、マナの補給にお連れいたしますから」
 玲子が柾木の前に跪き、柾木の膝に手を置いて元気づけようとする。
「……ありがとうございます、玲子さん」
 上目遣いに見上げる玲子の視線を感じ、柾木は少しだけ、気持ちを切替えようとして、ある事に気付いた。
「……くよくよしても始まらない、状況は利用しよう、でしたよね。分かりました、半年なら半年、待ちます。その代わり……」
 柾木は、自分が営業マンである事を思い出していた。ピンチはチャンス、なら、この状況は取引に最大限利用すべきだ。ならば。
 急に、にやーっと笑って、柾木は、円以下の三人を見る。
「これは、そっちの皆さんに、貸しってことにしておきます。良いですよね?」
 柾木の目に宿る、獣のそれとは違う、言わば「商人の目」の光を見て、二匹の「栗色の狼」と援護射撃担当の三人が、思わず、引いた。
「……それでこそ、柾木様ですわ」
 玲子は、何故か妙に嬉しそうだった。

 同じく土曜日。酒井は、和歌山県を目指し、蒲田の運転で新東名高速道路をひた走るキザシの助手席で、笠原弘美からの事後連絡の第一報を携帯にメールで受けた。
 港湾局その他への事務連絡を円に丸投げされて残業し、徹夜の上休日出勤になった恨み言が、丁重な言い回しで文章に練り込まれていた冒頭の挨拶を、苦笑しながら斜め読みで飛ばした酒井は、本題を頭に入れる。
 早朝、西条玲子の協力により、東大本人からの申告の形で船の積み荷は一旦すべてを陸揚げし、指定された業者の倉庫、勿論「協会」の息のかかったそれに預かる事になったとのことだった。調査は始まったばかりだが、物証ベースで東の動向と取引先とやらの書類上の詳細を割り出していくのは、さほど難しくは無さそうだ、船長以下の船員も全員シロとみて良さそうだ、しかしながら、東だけでなく船員に対しても別の誰か――恐らく北条柾木の体を持ち出した実行犯で、符を使って死体を操るような術に長けた集団――に何か強い暗示をかけられているらしく、取引先とやらの聞き出しは、玲子の協力があっても難航が予想される、別の物証、井ノ頭邸で入手した「蛇の矢」や、北条柾木の体を持ち出すのに使った「呪符」などから、地道にたぐって行くしか無さそうだ、とも書いてある。
 西条玲子が何をどうやって協力しているのかは書かれておらず、酒井にとってそこは疑問のままだが、結果として上手く回っているなら細かい事は知らなくても問題無かろう、取引先とやらは時間をかけて攻めてもいい、酒井は楽天的に考えている自分に気付き、なんか、俺も少し変わったかな、色々あったからな、と思う。
 昨日の今日で早朝出発、若干の疲れは残るが気分は悪くない。メールの内容を読み上げるついでに、運転している蒲田に事務的な事を聞いてみる。
「同行してもらって、本当に良かったのか?休日出勤つかないんじゃ?」
「大丈夫です、管理官には現場経験者を同行しての、報告書の事後現地確認て事で休日出張申請出してあります、はい」
 ……相変わらず、そのあたりはちゃっかりしているというか、しっかりしているというか。酒井は改めて蒲田の隙の無さに感心する。
「それに、我々は元の所属からの、出向じゃなくて出張扱いなんで、そもそも毎日出張費が給与に加算されてます、はい。知りませんでした?」
「……知らなかった。それって、かなり給料に上乗せになるんじゃ……」
「です、はい。まあ、危険手当だってみんな言ってます、はい」
「あー、それは昨日実感したわ、うん」

 昼過ぎ、酒井達は、酒井の元の職場である駐在所を統括する地方警察の本署に到着、酒井は当時の上司である署長に面会した。
 まず最初に、完全ではないが記憶が戻りつつある事を報告し、世話になり、また心遣いを受けた事を感謝する。その後、自分が関係する一月前の事件について、地域住民から目撃報告があり、自分に怪我を負わせたのが「牛鬼」と呼ばれる、いわゆる妖怪とされるものである事。しかしながら、その牛鬼は恐らく何者かに捕獲を目的に追い立てられ、その過程で自分と遭遇し、向こうはこちらを追っ手の一味と認識し、自分は牛鬼を人を襲う怪物と認識し、相互の誤解により結果的に傷つけ合ってしまった事。最終的に、酷い有様ではあるが捕獲された牛鬼を発見し、今後は然るべき機関に保護される予定である事を正直に話した。
 話を聞いた署長は、そのような与太話を笑い飛ばすでも無く聞き入れ、ここだけの話として、三十三年前に新米警官だった自分が遭遇した、似たような事件について思い出語りに語ってくれた。その内容は酒井が分調班の資料で見たものと同一であったが、酒井の手を取り、あの時の赤ん坊が良くもここまで、と涙を流す署長に、酒井も礼を言いつつ、涙をこぼした。
 いずれまた、今度は呑みながら話そうと言って見送ってくれた署長のいる本署を後にし、再度交代で運転しつつ夜半前に庁舎に帰還、車を返却して終電ギリギリでウィークリーマンションに帰宅する。すべての問題が解決した青葉五月は、やはり早朝にここを出て自分のアパートに戻った為、もう、ここには居ない。
 久しぶりに一人の、明かりのついていない部屋に帰り、昼間の事もあって感傷的になっていた酒井は、寂しさを噛みしめながら自販機で買った缶チューハイを開け、帰りの車内での話を思い出す。
 酒井が本署にいる間に、蒲田は酒井の妻子の実家に向かい、妻子の状態を確認してきていた。何が原因かは分からないが、強い精神的なショックを受けている事を妻の両親から聞き出した蒲田は、そういう場合の対策として、かねてから管理官が用意していた提案内容を、帰りの車の中で酒井に打ち明けた。それは、「分調班指定の」行政書士を派遣し、離婚関係の書類を作成する過程で、自然に「酒井警部補は警邏中に暴漢に襲われ殉職した」という「妻子にとって都合の良い記憶」で上書きする、というものだった。上手くいけば、行政書士兼セラピストの「治療」により、妻子の精神的な傷を癒やすと共に原因となる記憶を封じ、また書類上も離婚ではなく死別扱にして妻子の籍を実家に戻す、これが一番ダメージが少ない方法だと管理官が判断したのだという。酒井の側から見ても、書類上は妻子と死別したことにすると聞き、今更だがそれは公文書偽造、しかも書類上矛盾してないかと一応確認した酒井に、蒲田は、
「それは、そうです。でも、分調班の班員は、皆似たり寄ったりの書類操作は経験してますので、はい」
 そう言って、黙って夜の新東名高速道路の、静岡SA以東の霧の出やすい山岳区間の運転に集中する。その様子を見た酒井は、その蒲田の言葉の持つ意味を知り、
「そうか……」
 一言だけつぶやき、二人は、駿河湾沼津SAに食事と運転交代で立ち寄るまで、言葉を交わさなかった。

 日曜日。
 酒井は荷物をまとめてウィークリーマンションの部屋を引き払う。今日の昼過ぎには、先日契約の電話を入れたアパートに荷物が届く手はずになっている。それまでに、不動産屋でハンコを押してこなければならない。
 午前十時、開店直後の不動産屋に飛び込んでで契約手続きを済ませ、鍵を受け取ってアパートに到着したのは十一時過ぎだった。
 築十五年の四階建ての四階、一階あたり二世帯の、ドアに向かって左側の2DK。独身警官時代の寮生活以来の集合住宅、部屋に入るために階段を上がる生活。気分も何もかも切替えるには、丁度いいのかも知れない。酒井は、部屋のドアに鍵を差し込みながら、この部屋を契約するのに骨を折ってくれた青葉五月に感謝した。
 ワンルームマンションから持ってきたキャスター付トランクを部屋に放り込み、とりあえず窓を全開にしてよどんだ空気を入れ換える。さて、荷物が届いて引っ越し作業で隣に迷惑をかける前に、挨拶くらいしておかないと。そう思って酒井は部屋を出て、隣室のインターホンを押しながら表札の名前を確認して、その状態で凍り付く。
「はあい」
 聞き覚えのある返事の声。凍り付いた酒井の体が解凍して何か行動を起こすよりも早く、チェーンロック無しにドアが全開する。
「……こういうカラクリだったか……」
 表札の文字と、半分は嬉しそうな、しかしちょっとだけ困ったような顔で上目遣いに酒井を見る青葉五月の顔を見比べて、酒井は頭を抱える。
「……怒っちゃいました?ごめんなさい……でも、あの時は私、かなり必死だったんです!」
「……俺が疑うような事、しないって約束したんじゃ……」
「あれは、約束する前ですから!ホントに必死だったんですから!」
 ……今も、ですけど。小声で五月は呟く。
 まあ確かに、その約束は、この部屋の件があった翌朝にしたものだったっけ。その事を酒井は思い出して、ため息をついてから、言う。
「……五月さん、あなたは、本当にずるい人だ」
「すみません……!」
 謝ってから、ワンテンポ遅れて、五月は名字でなく名前で呼ばれた事に気付いた。気付いて、顔を上げて酒井を真正面から見る。
「今更部屋も変えられないし。午後から荷物が来るんで、片付けを少し手伝って下さい。それでチャラだ」
「……はい!……あ、酒井さんお昼まだですよね、パスタでよければ作りますけど……」
 五月は、軽く頷いた酒井の顔を見てから、ぱたぱたと自室の台所に駆け込む。
 お袋から、女の子はいずれ姓が変わるから名前で呼んであげなさいって言われてたっけ……酒井は、五月を無意識に名前呼びした理由をそこに求め、もう青葉五月は保護対象じゃなくなったんだ、公私に亘ってすべてをリセットしなきゃな、と思った。

 同じく日曜日。
 散発的に店に訪れる、休日の冷やかしの個人客の接客対応をしながら、柾木は思った。
 配属になってから同じ曜日、同じ仕事をこなすのは実質的にこの日曜が最初になる。土曜はローテは休日、前の金曜は配属になったばかりで、仕事らしい仕事はしないまま歓迎会に突入したからだ。
 歓迎会。飲み過ぎて、リバースして、そこから始まった、てんやわんや、驚天動地の一週間。内容が濃すぎて、一週間前が一ヶ月くらい前に思える。
 色々な人に会った。というか、色々なもの、色々な価値観に触れた、と言うべきか。
 地方出身の柾木にとって、そんな有象無象の徘徊する東京って、やっぱ怖い、そう感じてしまう。けど。それは東京という街が怖いのではないというのは分かった。これだけ人がいれば、違う目的、違う倫理で動いている人も必ず居る。分かり合えない、怖いと思う事もあるのが当たり前。人同士でそうなのだから、ましてや人以外は何をかいわんや。それだけの事だ。だから。
 これはこれで、開き直れば、結構、面白い。柾木は、とにかくやれるところまで、まずはこの体と、これから鍛える営業スキルでやってみよう、そう思いを新たにした。
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