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幕間の番外:巴と信仁の後日談の後日談05
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「……そこまでだ。勝負あったな」
里長が、森の入口に倒れ込んだ男の元に現れるまで、さほどの間は空かなかった。
「長……いや、俺は……」
「お前の負けだ権蔵、潔く認めろ」
「しかし!」
「あの人が本気なら、今頃お前は蜂の巣になった上に火だるまだ。その程度で死ぬ我々ではないが、死なんからこそ死ぬより苦しむだろう」
「……クソ!」
体にまとわりつく霞網を引き千切りながら、ガソリンまみれの、権蔵と呼ばれた男は悪態をついた。
「悔しかろうが、では聞くが権蔵、お前何故、開始と同時に走らなかった?」
「え?いや、俺は……」
「果たし合いの開始から半鐘が鳴るまで、たっぷり二秒はあった。始まっているのだから、あそこに突っ立っている理由はない。違うか?」
「それは……」
「あの人がその気なら、突っ立っていたお前は、最初の一発で脳天を撃ち抜かれていたぞ?」
その可能性を、あえて考えないようにしていた権蔵は、返す言葉がない。
「後で見てくると良い、最初の一発は綺麗に半鐘の真ん中に当てている。次の一発は、お前が一番良くわかっていよう」
手に持ったビールのロング缶を、撃ち抜く。三百メートルは離れた位置から。その意味が、里長との会話で冷えてきた権蔵の頭に染みこんできた。
最初の一発はともかく、二発目は……
里の男達は、たいがい農業か林業に携わっている。が、本能的なものもあり、ほとんどが狩猟免許を持ち、大半は銃も所持している。勿論、狩りに使うためだ。
度胸試しや遊びの一環で、ナイフ一本だけ持ったり、あるいは素手&全裸で山に入ることも無くはないが、獲物を獲ることを目的とする時は大抵、俺達は猟銃を持って山に入る、使うか使わないかは別にして。
得物はたいがい鹿や猪、ごくまれに熊だが、いずれにしても動く相手、立ち止まった瞬間に正確に急所を射抜き、一発で仕留めるなんて、人狼の俺たちでさえそうそう出来ることではない。
鹿猟なら、近い時は五十メートル以下、遠くてもせいぜい百五十メートル。狙うのは勿論急所、脇の少し後ろの、両手の握りこぶし大の、心臓。それでも、外す時は外す。
それを。倍の三百メートルで、一発で。
あらためて、ついさっき自分に向けて放たれた弾丸の出元である方を見ながら、権蔵はゆっくり立ち上がる。体にまとわりつく霞網とギリースーツ、そのギリーの首あたりにくくりつけられていた、今は撃ち抜かれているガソリンの携行缶ごと、力で引き千切り、捨てる。
「あの人は、最初から本気だった。権蔵、お前は、最初から舐めていた、そうではないか?」
長が、諭すように言う。
「あの人は最初から本気で、本気を示す弾丸を三度、放った。だが、その本気をお前は読み取れなかった。読み取っていたら、お前も本気だったら、缶ビールなぞ投げ出して最初から走っていただろう……違うかね?」
「そう……かもしれない」
権蔵は、小さく呟く。
「ならば、お前の負けでよいな?」
「……はい」
「……儂らの悪い癖だ」
権蔵の肩に手を置き、里長は呟くように言う。
「力を頼んで、つい前に出てしまう。たいがいはそれで何とかなる。だがな、では何故、あえて円さんのような方を御先祖様は必要としたのか?お前も昔話で聞いた事があるはずだ、前に出ては勝てない相手との戦があった事、そして負けた事を。この里のものは、皆、一度は聞いているはずなのだが……儂らの、悪い癖だ」
「……」
「そのような事はもう金輪際、あって欲しくはないがな。だが権蔵、仮にもしそうなったとしたら、儂らは今、得がたい味方を一人得た、そうは思えんか?」
権蔵は、ゆっくりと視線を、足下から森の奥に向けた。
「出てきて下さい。勝負あった、君の勝ちです」
森の奥に向けて、里長が声を出した。
すぐそこの地面に伏せているのはわかっている。だが、まだ薄暗い朝の森の中、どうやって伏せているのか、までは良くわからない。火薬の匂いだけは、はっきりしているが……
「……いやー」
そう思っていると、ここら辺だろうという地面がもぞもぞと動き、テント状に盛り上がる。
「わかっちゃいたけど、寒いっすわこれ。やっぱ三月の信州はハンパないっすね、死ぬかと思った」
人が寝れるだけの浅い溝を掘り、出た土は穴の前、森の入口側に低く広く積んで落ち葉をまぶし、銃はそこに浅く埋めるように隠す。溝の上には竹で支えた莚、その上にも土と落ち葉その他を載せ、自分は溝と莚の隙間にすべり込む。なるほど、これなら森の入口側からは薄暗い森の中である事もあって、積んだ土が邪魔になって良く見えない。自衛隊が作る小銃用掩体の、応用簡易版と言えるかも知れない。
全身と銃に付いた土を払いながら、信仁が立ち上がる。
「あと五分居たらマジ死んでたかもしんない。本物のスナイパー尊敬しますよ、足腰凍っちまいました」
ややおどけ気味にそういって、防毒面を着けた信仁が森の中から出てきた。汚れ防止と防寒の為もあるのだろう、銃にも全身にもボロ布を巻き、枯れ葉枯れ草があちこちに刺してある。腐葉土独特の匂いが全身から漂う。
「……そこまでやる?」
里長に少し遅れて到着した円が、顔をしかめて信仁に聞いた。信仁の出で立ちは、墓から掘り出した兵士の亡骸、と言った方がピッタリくる。
「やります」
吐く息が白いのを防ぐ為と、土やカビの匂いを避けたいので被っている防毒面の下から、くぐもった返事が聞こえる。
「ここまでしないと、きっと勝てないっすから」
決着がついたこともあり、野次馬は三々五々に散ってゆく。
里長と円も何事か話ながら去って行く。後には、掘り出してきたミイラみたいな信仁と、巴、馨、鰍の三姉妹、及びこれからどうしたものか迷っている権蔵が残された。
「ああもう……叔母さんに頼んで、沸かし返しで良いからもう一度風呂浴びさしてもらいなさい。家ん中あっちこっち土落とすんじゃないよ」
森から出たところで体に巻いたボロ布と偽装の類いを外している信仁の、体中、服のあちこちに残る土やら葉っぱやらを叩きながら、巴は小言を言う。
「へーい」
「……じゃあ、あたしら叔母さんにお願いしてくるわ」
「よろしく」
小走りに駆け出す妹達に、信仁を叩く手を一旦止めて巴は声をかける。
既に、関係は完成されている。その様子を見て、そう感じた権蔵は、それでも聞かずにはおれなかったことを口にした。
「……お前、俺たちが怖くないのかよ……」
数瞬、信仁は権蔵に振り向いてその目を見つめ、そして少し笑った。
「……三人目です、それ聞いたの。怖くないわけ無いじゃないですか」
PSG-1の偽装を解いて土を払いながら、信仁は続ける。
「ここが人狼の里じゃないとしてもですよ、見知らぬ土地に連れてこられて、突然宴会の場で晒し者にされて、強面のお兄さん方に因縁付けられた上に決闘ですよ?これで怖くなけりゃどうかしてますって。まして、あなた方は人狼だ、俺なんか普通に考えれば絶対に敵う相手じゃない」
セイフティを確認し、マガジンを抜く。
「でも、俺だって姐さんにOKもらうまでに、それなりに苦労はしてるんです。だから、はいそうですかって諦められるって話じゃない。冗談じゃないふざけんなって思う。なら、怖いの隠して空元気空威張りで立ち向かうしか無いじゃないですか?それとも」
コッキングレバーを引いてチャンバー内の一発を排莢、カートキャッチャーを外してチャンバークリアを確認してからボルトを前進させ、セイフティを1に合せ、誰も居ない森の中に銃口を向けてトリガーを引き、ハンマーを落とす。
「あなたは、諦められるんですか?そういうの」
権蔵が息を呑むのが、信仁の話を黙って聞いていた巴にもわかった、
セイフティを0に戻し、巴に持っていてもらったツールロールからスコープのカバーとマズルキャップを取り出し、つける。
「俺は、諦められない。でも、怖い。だから、頭使って精いっぱい悪巧みする、そういう事です」
PSG-1をこれ以上土で汚さないよう、服から離して持った信仁が、じゃあ、と言って歩き出そうとする。
「……ガキが、一人前みたいな口聞きやがって……」
その背中に、権蔵が呟くように、言った。
「その銃持って次のシーズンに来い、小僧。鹿でも猪でも狩れたら、一人前だって認めてやる」
立ち止まって、振り返り、信仁は答えた。
「是非、でも、お手柔らかにお願いします」
この約束はおよそ一年半後、狩猟には向かないSPG-1ではなく、後日別途手に入れたSPAS-12のスラッグ弾で、信仁が鹿ならぬ熊を仕留めた時に果たされた。
「……どうだった?うちの里は?」
深紅のメルセデスベンツ190E2.3-16の車中。早めの昼食を里長宅でいただき、国道256号から飯田山本ICで中央道に乗った一行は一路東京を目指し、今、伊那ICを過ぎたあたりに居た。
「子ベンツ」等と当時は揶揄され、今では立派なクラシックカーでもある190だが、ツーリングカーレースを目標に開発された足回り、コスワースチューンの四気筒エンジンの見事なバランスは、日本の道に合ったコンパクトボディと相まって、緩やかにツイストする山間の二車線高速道路をミズスマシのように疾走する。
そのベンツの運転席から、後席でわちゃわちゃしている三姉妹は放置して尋ねてきた円に、助手席の信仁は軽く顔を向けて答えた。
「どうって言われましても。とりあえず、疲れました」
「疲れたで済んで結構よ」
「……それって、疲れたですまない可能性もあった、って事ですよね?」
「ま、結果オーライって事で」
前を向いて運転したまま、円はすっとぼける。すっとぼけて、それでも、レイバンのサングラス越しの視線をちらりとだけ助手席に投げる。
「……ねえ、信仁君。あたし達が、怖い?」
その一言で、後席のわちゃわちゃも静まる。
信仁は、一回深呼吸してから、ちょっと視線を下げて、答えた。
「……みんな聞くんですね、それ。そんだけ皆さん気を使ってくれてるんだって、正直、ありがたいと思ってます……」
信仁は、顔を正面に戻し、口調を戻して続ける。
「怖いに決まってるじゃないですか。だって、言いませんでしたっけ?俺、姉が二人居るんですよ、ちょっと年の離れたのが二人」
何の話?後席の三姉妹の顔に、疑問の色が浮かぶ。
「あら、信仁君末っ子なの?」
「そうです、一応長男でもありますけど。だから、女兄弟がどういうものかって身に染みてわかってるんで。だからもう、この状況が怖くて怖くてしょうがないです」
そう言って、信仁はちらりと後席に視線を投げる。
その信仁の首を、助手席のヘッドレストごと、シートベルトいっぱいに体を前に出した巴が後席左側から抑え込む。
「ちょっとお待ち信仁」
「信仁さん、それって、どーゆう意味?」
巴に続いて後席中央の鰍も、体を伸ばして信仁に詰め寄る。
「いや、そーいう意味でしょ……これから大変よ、信仁さん」
後席右側の馨は、窓枠に頬杖をついて苦笑しながら、言う。
「呼び捨てで良いっすよ、ご理解頂けて光栄でぐぇ」
「……っぷ、ふふ、あはははは」
馨に返事する途中で巴に締め上げられた信仁を、一瞬だけ流した視線で直接見て、次にワイドビューミラーを装着したバックミラー越しに助手席と後席をまとめて確認した円が、吹き出し、ついで爆笑した。
「ははは、あー。あんた達、やっぱお似合いよ。そうか、そういう事だったか。やー、どうもピッタリはまりすぎてると思ったら、そういう事だったのかー」
「……そういう事って、どういう事よ婆ちゃん?」
ひとしきり笑った円が面白そうに言った言葉の意味を取りきれず、巴が口を尖らせて聞き返す。
「言わぬが花よ、お姉ちゃん」
そう言って、円はもう一度クスクスと笑う。
兄弟姉妹関係は、人の性質性格の形成に多大な影響を持つ。姉気質、末っ子気質とかいうのは確かにある。文字通り人一倍、いや人数倍、長きにわたって人と付き合ってきた円は、その上で、思った以上に信仁が孫姉妹に短時間で馴染んだ理由を理解した、と思った。姉が居る環境で育ったことで、女兄弟に耐性というか、良い意味で遠慮がないんだと。その上で、信仁の気質の長男である部分と末っ子である部分が、上手いこと締めるところと甘えるところのバランスを作って、それが巴の姉気質の部分にピッタリはまってしまったのだ、とも。
「ホント、面白いわあ……あんたたち、諏訪のサービス寄ってく?あそこ確かスタバあるから、気分良いから奢ったげるわよ」
歓声を上げる孫達をミラー越しに見ながら、円は、笑みをうかべてターンシグナルを左にあげた。
------------------------
なにかにつけ「婆ちゃん」呼ばわりされている「蘭 円」の外見イラストをhttps://www.pixiv.net/artworks/92341169に投稿しました。
よろしければご覧下さい。
里長が、森の入口に倒れ込んだ男の元に現れるまで、さほどの間は空かなかった。
「長……いや、俺は……」
「お前の負けだ権蔵、潔く認めろ」
「しかし!」
「あの人が本気なら、今頃お前は蜂の巣になった上に火だるまだ。その程度で死ぬ我々ではないが、死なんからこそ死ぬより苦しむだろう」
「……クソ!」
体にまとわりつく霞網を引き千切りながら、ガソリンまみれの、権蔵と呼ばれた男は悪態をついた。
「悔しかろうが、では聞くが権蔵、お前何故、開始と同時に走らなかった?」
「え?いや、俺は……」
「果たし合いの開始から半鐘が鳴るまで、たっぷり二秒はあった。始まっているのだから、あそこに突っ立っている理由はない。違うか?」
「それは……」
「あの人がその気なら、突っ立っていたお前は、最初の一発で脳天を撃ち抜かれていたぞ?」
その可能性を、あえて考えないようにしていた権蔵は、返す言葉がない。
「後で見てくると良い、最初の一発は綺麗に半鐘の真ん中に当てている。次の一発は、お前が一番良くわかっていよう」
手に持ったビールのロング缶を、撃ち抜く。三百メートルは離れた位置から。その意味が、里長との会話で冷えてきた権蔵の頭に染みこんできた。
最初の一発はともかく、二発目は……
里の男達は、たいがい農業か林業に携わっている。が、本能的なものもあり、ほとんどが狩猟免許を持ち、大半は銃も所持している。勿論、狩りに使うためだ。
度胸試しや遊びの一環で、ナイフ一本だけ持ったり、あるいは素手&全裸で山に入ることも無くはないが、獲物を獲ることを目的とする時は大抵、俺達は猟銃を持って山に入る、使うか使わないかは別にして。
得物はたいがい鹿や猪、ごくまれに熊だが、いずれにしても動く相手、立ち止まった瞬間に正確に急所を射抜き、一発で仕留めるなんて、人狼の俺たちでさえそうそう出来ることではない。
鹿猟なら、近い時は五十メートル以下、遠くてもせいぜい百五十メートル。狙うのは勿論急所、脇の少し後ろの、両手の握りこぶし大の、心臓。それでも、外す時は外す。
それを。倍の三百メートルで、一発で。
あらためて、ついさっき自分に向けて放たれた弾丸の出元である方を見ながら、権蔵はゆっくり立ち上がる。体にまとわりつく霞網とギリースーツ、そのギリーの首あたりにくくりつけられていた、今は撃ち抜かれているガソリンの携行缶ごと、力で引き千切り、捨てる。
「あの人は、最初から本気だった。権蔵、お前は、最初から舐めていた、そうではないか?」
長が、諭すように言う。
「あの人は最初から本気で、本気を示す弾丸を三度、放った。だが、その本気をお前は読み取れなかった。読み取っていたら、お前も本気だったら、缶ビールなぞ投げ出して最初から走っていただろう……違うかね?」
「そう……かもしれない」
権蔵は、小さく呟く。
「ならば、お前の負けでよいな?」
「……はい」
「……儂らの悪い癖だ」
権蔵の肩に手を置き、里長は呟くように言う。
「力を頼んで、つい前に出てしまう。たいがいはそれで何とかなる。だがな、では何故、あえて円さんのような方を御先祖様は必要としたのか?お前も昔話で聞いた事があるはずだ、前に出ては勝てない相手との戦があった事、そして負けた事を。この里のものは、皆、一度は聞いているはずなのだが……儂らの、悪い癖だ」
「……」
「そのような事はもう金輪際、あって欲しくはないがな。だが権蔵、仮にもしそうなったとしたら、儂らは今、得がたい味方を一人得た、そうは思えんか?」
権蔵は、ゆっくりと視線を、足下から森の奥に向けた。
「出てきて下さい。勝負あった、君の勝ちです」
森の奥に向けて、里長が声を出した。
すぐそこの地面に伏せているのはわかっている。だが、まだ薄暗い朝の森の中、どうやって伏せているのか、までは良くわからない。火薬の匂いだけは、はっきりしているが……
「……いやー」
そう思っていると、ここら辺だろうという地面がもぞもぞと動き、テント状に盛り上がる。
「わかっちゃいたけど、寒いっすわこれ。やっぱ三月の信州はハンパないっすね、死ぬかと思った」
人が寝れるだけの浅い溝を掘り、出た土は穴の前、森の入口側に低く広く積んで落ち葉をまぶし、銃はそこに浅く埋めるように隠す。溝の上には竹で支えた莚、その上にも土と落ち葉その他を載せ、自分は溝と莚の隙間にすべり込む。なるほど、これなら森の入口側からは薄暗い森の中である事もあって、積んだ土が邪魔になって良く見えない。自衛隊が作る小銃用掩体の、応用簡易版と言えるかも知れない。
全身と銃に付いた土を払いながら、信仁が立ち上がる。
「あと五分居たらマジ死んでたかもしんない。本物のスナイパー尊敬しますよ、足腰凍っちまいました」
ややおどけ気味にそういって、防毒面を着けた信仁が森の中から出てきた。汚れ防止と防寒の為もあるのだろう、銃にも全身にもボロ布を巻き、枯れ葉枯れ草があちこちに刺してある。腐葉土独特の匂いが全身から漂う。
「……そこまでやる?」
里長に少し遅れて到着した円が、顔をしかめて信仁に聞いた。信仁の出で立ちは、墓から掘り出した兵士の亡骸、と言った方がピッタリくる。
「やります」
吐く息が白いのを防ぐ為と、土やカビの匂いを避けたいので被っている防毒面の下から、くぐもった返事が聞こえる。
「ここまでしないと、きっと勝てないっすから」
決着がついたこともあり、野次馬は三々五々に散ってゆく。
里長と円も何事か話ながら去って行く。後には、掘り出してきたミイラみたいな信仁と、巴、馨、鰍の三姉妹、及びこれからどうしたものか迷っている権蔵が残された。
「ああもう……叔母さんに頼んで、沸かし返しで良いからもう一度風呂浴びさしてもらいなさい。家ん中あっちこっち土落とすんじゃないよ」
森から出たところで体に巻いたボロ布と偽装の類いを外している信仁の、体中、服のあちこちに残る土やら葉っぱやらを叩きながら、巴は小言を言う。
「へーい」
「……じゃあ、あたしら叔母さんにお願いしてくるわ」
「よろしく」
小走りに駆け出す妹達に、信仁を叩く手を一旦止めて巴は声をかける。
既に、関係は完成されている。その様子を見て、そう感じた権蔵は、それでも聞かずにはおれなかったことを口にした。
「……お前、俺たちが怖くないのかよ……」
数瞬、信仁は権蔵に振り向いてその目を見つめ、そして少し笑った。
「……三人目です、それ聞いたの。怖くないわけ無いじゃないですか」
PSG-1の偽装を解いて土を払いながら、信仁は続ける。
「ここが人狼の里じゃないとしてもですよ、見知らぬ土地に連れてこられて、突然宴会の場で晒し者にされて、強面のお兄さん方に因縁付けられた上に決闘ですよ?これで怖くなけりゃどうかしてますって。まして、あなた方は人狼だ、俺なんか普通に考えれば絶対に敵う相手じゃない」
セイフティを確認し、マガジンを抜く。
「でも、俺だって姐さんにOKもらうまでに、それなりに苦労はしてるんです。だから、はいそうですかって諦められるって話じゃない。冗談じゃないふざけんなって思う。なら、怖いの隠して空元気空威張りで立ち向かうしか無いじゃないですか?それとも」
コッキングレバーを引いてチャンバー内の一発を排莢、カートキャッチャーを外してチャンバークリアを確認してからボルトを前進させ、セイフティを1に合せ、誰も居ない森の中に銃口を向けてトリガーを引き、ハンマーを落とす。
「あなたは、諦められるんですか?そういうの」
権蔵が息を呑むのが、信仁の話を黙って聞いていた巴にもわかった、
セイフティを0に戻し、巴に持っていてもらったツールロールからスコープのカバーとマズルキャップを取り出し、つける。
「俺は、諦められない。でも、怖い。だから、頭使って精いっぱい悪巧みする、そういう事です」
PSG-1をこれ以上土で汚さないよう、服から離して持った信仁が、じゃあ、と言って歩き出そうとする。
「……ガキが、一人前みたいな口聞きやがって……」
その背中に、権蔵が呟くように、言った。
「その銃持って次のシーズンに来い、小僧。鹿でも猪でも狩れたら、一人前だって認めてやる」
立ち止まって、振り返り、信仁は答えた。
「是非、でも、お手柔らかにお願いします」
この約束はおよそ一年半後、狩猟には向かないSPG-1ではなく、後日別途手に入れたSPAS-12のスラッグ弾で、信仁が鹿ならぬ熊を仕留めた時に果たされた。
「……どうだった?うちの里は?」
深紅のメルセデスベンツ190E2.3-16の車中。早めの昼食を里長宅でいただき、国道256号から飯田山本ICで中央道に乗った一行は一路東京を目指し、今、伊那ICを過ぎたあたりに居た。
「子ベンツ」等と当時は揶揄され、今では立派なクラシックカーでもある190だが、ツーリングカーレースを目標に開発された足回り、コスワースチューンの四気筒エンジンの見事なバランスは、日本の道に合ったコンパクトボディと相まって、緩やかにツイストする山間の二車線高速道路をミズスマシのように疾走する。
そのベンツの運転席から、後席でわちゃわちゃしている三姉妹は放置して尋ねてきた円に、助手席の信仁は軽く顔を向けて答えた。
「どうって言われましても。とりあえず、疲れました」
「疲れたで済んで結構よ」
「……それって、疲れたですまない可能性もあった、って事ですよね?」
「ま、結果オーライって事で」
前を向いて運転したまま、円はすっとぼける。すっとぼけて、それでも、レイバンのサングラス越しの視線をちらりとだけ助手席に投げる。
「……ねえ、信仁君。あたし達が、怖い?」
その一言で、後席のわちゃわちゃも静まる。
信仁は、一回深呼吸してから、ちょっと視線を下げて、答えた。
「……みんな聞くんですね、それ。そんだけ皆さん気を使ってくれてるんだって、正直、ありがたいと思ってます……」
信仁は、顔を正面に戻し、口調を戻して続ける。
「怖いに決まってるじゃないですか。だって、言いませんでしたっけ?俺、姉が二人居るんですよ、ちょっと年の離れたのが二人」
何の話?後席の三姉妹の顔に、疑問の色が浮かぶ。
「あら、信仁君末っ子なの?」
「そうです、一応長男でもありますけど。だから、女兄弟がどういうものかって身に染みてわかってるんで。だからもう、この状況が怖くて怖くてしょうがないです」
そう言って、信仁はちらりと後席に視線を投げる。
その信仁の首を、助手席のヘッドレストごと、シートベルトいっぱいに体を前に出した巴が後席左側から抑え込む。
「ちょっとお待ち信仁」
「信仁さん、それって、どーゆう意味?」
巴に続いて後席中央の鰍も、体を伸ばして信仁に詰め寄る。
「いや、そーいう意味でしょ……これから大変よ、信仁さん」
後席右側の馨は、窓枠に頬杖をついて苦笑しながら、言う。
「呼び捨てで良いっすよ、ご理解頂けて光栄でぐぇ」
「……っぷ、ふふ、あはははは」
馨に返事する途中で巴に締め上げられた信仁を、一瞬だけ流した視線で直接見て、次にワイドビューミラーを装着したバックミラー越しに助手席と後席をまとめて確認した円が、吹き出し、ついで爆笑した。
「ははは、あー。あんた達、やっぱお似合いよ。そうか、そういう事だったか。やー、どうもピッタリはまりすぎてると思ったら、そういう事だったのかー」
「……そういう事って、どういう事よ婆ちゃん?」
ひとしきり笑った円が面白そうに言った言葉の意味を取りきれず、巴が口を尖らせて聞き返す。
「言わぬが花よ、お姉ちゃん」
そう言って、円はもう一度クスクスと笑う。
兄弟姉妹関係は、人の性質性格の形成に多大な影響を持つ。姉気質、末っ子気質とかいうのは確かにある。文字通り人一倍、いや人数倍、長きにわたって人と付き合ってきた円は、その上で、思った以上に信仁が孫姉妹に短時間で馴染んだ理由を理解した、と思った。姉が居る環境で育ったことで、女兄弟に耐性というか、良い意味で遠慮がないんだと。その上で、信仁の気質の長男である部分と末っ子である部分が、上手いこと締めるところと甘えるところのバランスを作って、それが巴の姉気質の部分にピッタリはまってしまったのだ、とも。
「ホント、面白いわあ……あんたたち、諏訪のサービス寄ってく?あそこ確かスタバあるから、気分良いから奢ったげるわよ」
歓声を上げる孫達をミラー越しに見ながら、円は、笑みをうかべてターンシグナルを左にあげた。
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